| 2002年10月16日(水) |
ドナルド・キーン『日本語の美』 |
私にとって本は、知識を得るためのものではなく、読んでいる瞬間を楽しむためのものなので、読み返す、ということはめったにない。 だから、本はほとんど買わない。 たまっちゃっていやなので、よほど好きな作家の本か一度読んで、「これは手元においておきたい」と思える本だけ買うことにしている。
この『日本語の美』も、図書館で借りてきたんだけど、これは買うべきだと思った。
筆者はアメリカ人の日本文学研究者。 『日本文学史』という古代から現代まで7巻あまりの大著があり、私が高校で日本文学史をおしえるなんてことになっちゃったときに、大いに参考にさせてもらいました。 だから、アメリカ人とはいえ、日本語・日本文化に対する造けいの深さは舌を巻くものです。
はあ、この本を大学時代に読んでいたら、もっと日本語に興味を持って、もっとちゃんと勉強したかもなあ…。
もともと、「中央公論」誌に連載された日本語にまつわるエッセイなどをまとめたものなので、ひとつひとつの文章は本当に短いんだけど、そこにつまったエッセンスの濃厚なこと! しかも、日本語の母語話者ではないから、外から日本を見るという公平な視点で日本語や日本文化のもつ問題点もスパッと切り取っていて文句無し!
――― 最も困ったことには日本人も自分たちが神秘であると信じるようになったことである。そして、外国人がどんなに長く日本語を勉強しても日本人の小学生ほども読めないと堅く信じる執筆者たちが、外国人に絶対読んで貰いたくないようなことを平気で日本語で書いてきた。(中略)私は外国人として二、三十年日本文学を勉強してきたが、日本人の普通のサラリーマンよりも古典文学を知っているということが分かると、「恥ずかしい」と言う。この場合、「恥ずかしい」と言わず、「嬉しい」と言ったほうがいいのではないかと思う。―――
お恥ずかしい。 私も「恥ずかしい」って思っていました。 「日本語は日本人にしか理解できない」という凝り固まった考えが日本語の国際化を阻害しているんですね。
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