| 2003年09月15日(月) |
デイヴ・ペルザー『”It”と呼ばれた子(幼年期)』 |
「先生、これ読んでみて。 なんかすっごく怖くって、泣けるから。」
と、生徒に貸してもらいました。『�爍稗��爐噺討个譴浸辧瞥椎�期)』。 生徒の口によくのぼる本で、前から題はよく耳にしていたんだけど、よっぽどお勧めだったんだねえ。 わざわざ私のところに持ってきてくれました。
今日は3連休の最終日ということで、夕方ぐらいから、ちらちらと学校のことが気になって、晩御飯を食べたら、「明日に備えて早く寝よう」という思いが私をあせらせ11時30分には布団に入りました。 そこで、この本を週末に借りていたことを思い出したのです。
「いけない、いけない。 せめて、読み始めるだけでもしておかなきゃ」 と、表紙をめくったが最後、一気に最後まで読んでしまいました。
真実が語る力ってやっぱり大きいです。 筆者が幼い頃に受けた虐待の実態を克明につづった本書は、私の心をぐっと掴んではなしませんでした。 家庭という本来一番落ち着けるはずの場所が地獄という不幸は私の想像のつかないところです。 虐待をする親の多くが「これは虐待ではなく、しつけだ」といい、虐待を受ける子の多くが、「自分が悪い子だからいけないんだ」と、自分を責めます。
幼いころに、無条件に愛されたという経験は、その人が成長していくときにとても大きな力になっていきます。 あるいは自信になり、あるいは誇りになり、あるいは保証になることでしょう。 それは人間としての土台ともいうべき部分で、それがしっかりとないと、いくら表層を整えてもカバーしきれないところだとおもいます。
児童虐待の罪深さというのは、その肉体的苦痛そのものに加えて、もっとも愛情を必要とする時期にそれを与えず、心に深い傷を負わせその人のその後の人生に暗い影を落としてしまうところにあります。 そして、虐待を受けた子の多くは自分が親となったときにわが子に虐待を繰り返してしまう可能性が高いと言われています。
なんという不幸の悪循環でしょう。 卵が先か、ニワトリが先か、みたいな。
私はかねがね、子どもは30以降に生みたいと思っています。 これを言うと、生徒など「えー、そんなの子どもがかわいそう。参観日のときに恥ずかしいじゃん」と言われるのですが、そんなのは微細な問題です。 子どもにとって、精神的に未熟な親に育てられることほどの不幸がほかにあるでしょうか。 だから、私は自分のお世話ができて、余裕をもって子どもを受け入れることができるようになってから、子どもを生みたいなあと思うのです。 30歳ぐらいまでに、そうなっていられたらいいなあ、という希望的観測ですが・・・。
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