テスト作成は私にとって鬼門です。 むずかしくなり過ぎたり、やさしすぎたり、誤植があったり、合計点が100点にならなかったり・・・。 大雑把な私とって、頭がいたい問題です。 今回、3年生のテスト作成にあたって「ちゃんと責任の持てるテストにするために、よし、自作の問題を作ろう!」と思いたちました。 (そうです。いつもは問題集の切りばりで作っちゃうんです。)
ちょうど面白い文章を見つけていたので、意外と楽しく作ることが出来ました。そして、自分で作ると、生徒に早くやってもらいたくなるものですね。 テストの一週間ぐらいまえから、ずっと「テストまだかなー」とうずうずしていました。 では、この日記を読んでいるみなさんも、一部をお楽しみください。
三島氏は、自決する四年前の昭和四十一年、『お茶漬けナショナリズム』という一文を「文藝春秋」に書いた。これは、お茶漬けの味を考えつつ日本文化を論じた内容である。 この手のエッセイは、お茶漬けという日本固有の料理のなかに、日本人の伝統的な美意識をしみじみと語るものになりがちだけれども、三島氏のものはまるで違った。 外国へ行くと、当時在住の日本人に「ぜひ家へお茶漬けを食べに来てください。 海苔もありますよ、千枚漬けもありますよ」と言われる。すると、進歩的文化人も反動政治家も、猫がマタタビの匂いをかがされたように、咽喉を( A )鳴らして喜んでしまう。 三島氏は、これがみっともない、と指摘するのである。 舌を鳴らしてお茶漬けをかきこみながら、日本はどうだこうだと議論する連中を、三島氏は「お茶漬けナショナリスト」と批判する。 そして日本へ帰ってきて「やっぱり日本はいい。和食がうまいから」と言い張るのは、西洋を鏡として日本文化を考える感覚で、「和食もうまいが洋食もうまかった」と対等に考えるべきだとする。お茶漬けの味とビフテキの味を比べてみるのはナンセンスで、どちらが上とも下とも言えたものではない。 �△海譟,蓮�日本人が、外国を鏡として自国の文化を認識する弊害から抜け切れていないためである。比較をするのは一切やめるべきであると。 三島氏の頭には明治の帰朝者の気概がある。お茶漬けの味という食味レベルのナショナリストではなく、日本人の精神的内面的価値に立脚したナショナリストになれ、と。 三島氏は、ハンブルグの港へ行ったとき、入港してきた巨大な貨物船の船尾に、へんぽんとひるがえっていた日の丸を見て感激した。感激のあまり、その場にいたただ一人の日本人として、胸のハンカチを広げて、ふりまわした。 厄介な日本のインテリは、こういう話しをするとニヤリとして三島氏を哀れむが、この「日の丸ノスタルジー」と「お茶漬けナショナリズム」と、��どちらが国際性があるか 、と三島氏は問うのである。 「口に日本文化や日本的伝統を軽蔑しながら、お茶漬けの味とは縁の切れない、�ぁ,気Δい奸|翕喩消爾米�本人はもう沢山だといふことであり、日本の未来の若者にのぞむことは、�ゥ魯鵐弌璽�ーをパクつきながら、 日本のユニークな精神的価値を、おのれの誇りとしてくれることである」というのが三島氏の結論であった。
� 福。繊 砲砲佞気錣靴さ実峺譴鯏�えなさい。
�◆屬海譟廚了惻�内容を文中から二十字で抜き出しなさい。
��「どちらが国際性がある」と三島氏は考えているか、答えなさい。
�ぁ屬気Δい奸廚鮓渋絏礁掌�いにしなさい。
�ァ屮魯鵐弌璽�ーをパクつきながら」とはどのようなことか。「西洋」という語を用いて、比喩を使わずに二十字以内で説明しなさい。
答えはまた明日!
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