■2003年04月02日(水)
― 明日は… ―
つい先日まで自分自身や姪の「誕生」モードで喜びいっぱいだったけど、今日は一転してお通夜。上司のお母さまが亡くなられたの。こういうコト言うと不謹慎かもしれないけど…、斎場で会った上司はある種の「達成感」のある表情をしていた気がする。長い間看病していたお母さまが、天国に旅立つのをしっかりと見届けられたという達成感だったかのような…。そんな上司は立派だ、って思ったよ。 こうして家族に見守られて安らかに天国に行くヒトもいれば、自らこの世にサヨナラしちゃうヒトもいる。レスリー・チャンや古尾谷さんには驚いた。 普段ノーテンキに暮らしている私でも、そういうニュースを聞くと「死」について考えてしまう。最近放送していた、余命わずかの高校教師が主人公のドラマ(あれ?そのテのドラマは2本あったね)も、観た後はイロイロ考えたよ。 私は、実はいつも「明日、私がいなくなってしまう出来事が起こってしまうかもしれない」ってキモチをひそかに抱えながら毎日を過ごしている。ある意味、そういう考えは「悲観的」かもしれないけど、そこまで重苦しいキモチでもないの。ただ、事故、事件、災害、突然の病死…、いつどこで何が起こるか自分自身がどうなるかわからないのは誰もがそうでしょう? だから一日一日を大事に「今」をしっかりと過ごしたいよ。それはどういうことかっていうと…。 例えば。 友人や家族やBFと、時にはケンカしたり気まずくなることもあるけど、仲違いしたまま明日を迎えたくない。仕事も、今日できることはなるべく明日に残さずに、今日のうち仕上げていきたいし。そして何よりも、「今」感じたどんなキモチも、ココロの中に押しこめたりせずにいつも素直に表現していたい。 あるマンガでたしかこんなセリフがあったんだよね、「明日、車にぶち当たって死ぬかもしれないのに、好きなヒトに『好きだ』って言えなくてどーすんのよ」。私の思いもコレに近いかも。 今日の「DAYS」はちょっと重たげなハナシになってしまったなぁ…。
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