夕霧は、凪を過ぎると益々乗りかかってきた。
光化学スモックのような禍々しさは、荒涼な平原を進む肉体までも蝕んできていた。
僅かにも零れる太陽の光が、哀しくて、冷たく感じてきた。
永々と生命を育んできた日の光が、夕方に沈むという知識と霧の結びつきによって心の体温も強奪していく。台所に立つ母親の背中、父親の肉々しく分厚い手、斧で出来た黄白いたこに触った記憶が浮かび上がってくる。小さかった犬までもが、暮れていく太陽の光と体温を補うように、浮かんでは消されていく。
暖かな朧を追いかけるように、速度と高めていた。
濃灰の土壌が明度をこれ以上ないまでに下げようとするせいで、時によろけながら。
私そのものに感じて愛しくなっている人生の思い出が、なすすべもなく霧散していく。
私自身が、ただ消えていくのが哀しくて、荒野のきりへと速度を高めていった。
何と心許無い人生の記憶の総和
何と心許無い私自身そのものという無形
流れ出した涙といえども次々と、光化学スモックのような霧に溶け込んでしまった。
あの一歩を踏み出さなければ、良かったのだろうか。
好奇心や沸き立つ激情に身を委ねなければ、良かったのだろうか。
その問いかけだけが雷のように、荒地の遥かな山々に木霊しようと飛び立った。
付記
「禍々(まがまが)しい」 「蝕(むし)ばむ」 「僅(わず)かに」 「零(こぼ)れる」 「育(はぐく)む」 「遥(はる)か」 「木霊(こだま)」
執筆者:藤崎 道雪