「こいすの聖母」付記 −言葉の読み方や意味について−
・「樋」(とい):屋根を流れる雨水を受けて、地上や下水に導くための溝、または筒状の装置
・「跳ねる」(はねる)、・「桶」(おけ)
・「中心窩」(ちゅうしんか):眼球の網膜上で、色を感じる視細胞の錐体(すいたい)が密集している場所
・「耀き」(かがやき):「曜(かがや)き」は日の光を指し、火光を指す。つまり、ラファエルのような太陽神信仰=新プラトニズムではない視点で、観ている。
・「虹彩」(こうさい):眼球内に入る光量を調節し、中央の円形開口部が瞳孔(どうこう)である。一般に東洋人は茶褐色で、欧州人は明るい緑みである。
・「僅かな」(わずかな)、
・「勤しむ」(いそしむ):「勤勉である」と「忙しい」の意味。
・「厭く」(あく):「飽く」よりも嫌気が差すを強調した言葉遣いで使用。
・「剥き」(むき)、・「煤汚れ」(すすよごれ)、・「覗く」(のぞく)、
・「享楽」(きょうらく):おもいのままに快楽を味わう様子。
・「稚拙」(ちせつ):未熟で幼稚な様子。漫画をそう見ている。漫画という形式だけを見て判断する形骸主義で、精神的な老化現象を表すために使用。同内容は他にも多々あり。
・「短絡」(たんらく):物事の本質を考えず、原因と結果、問いや答えなどを性急に結び付けてしまうこと。漫画=子供、稚拙など。
・「挫かれ」(くじかれ)、・「燻る」(くすぶる)、・「溢れる」(あふれる)、
・「湛える」(たたえる):「液体を満たす」と「表情を浮かべる」の意味。
・「曙色」(あけぼのいろ):夜明けの空の色。黄みの淡紅色で東雲(しののめ)色とも。
・「躑躅色」(つつじいろ):ツツジの花のような鮮やかな赤紫色。
・「諦観」(ていかん):全体を見通して、事の本質を見きわめること。悟りあきらめること。超然とした態度をとること。
・「惹く」(ひく):関心を引かれるで、魅了されるの意味で使用。「引く」は一般的な意味で、「牽く」(ひく):物理的で受動的な意味で使用した。
・「頬」(ほほ)
・「観る」(みる):農耕儀礼に由来し、呪的にその対象を支配するの意味があり、女性的な束縛を意味する。つまり、主体と客体で分けた際、主体に意識がある意味で使用。「見る」は、一般的な意味で使用。
・「慈愛」(じあい)、・「溺れる」(おぼれる)・「阻まれる」(はばまれる)
・「眺める」:遠くをみることを眺望というので「観る」に近い言葉と捉(とら)え、受動性を含んだ場合に使用。
・「棚」(たな)、・「推奨」(すいしょう)、
・「テトラード」:色彩調和論の秩序の原理に基づく色の4色の選び方。19世紀以前は、クロームグリーンやビリジャンのような緑らしい絵の具がなく、近代絵画でよく見られる赤-黄-緑-青という配色は殆ど見られなかった。
・「イッテンのヘクサード」先のテトラードに白と黒を入れたもの。単にヘクサードは、6色配色を意味する。
「拙い」(つたない)、・「纏まり」(まとまり)、・「益々」(ますます)、
「膾炙」(かいしゃ):[膾(なます)と炙(あぶり肉)は味がよく万人に好まれることから]広く世の人々に知れわたっていること。
・「衝動」(しょうどう)、・「盲目」(もうもく)・
・「荘麗」(そうれい):同音語「壮麗:規模が美しく」に、「厳(きび)しさ」や「洗練」の意味を足すため「荘(おごそ)か」を使用した。造語。
・「足蹴」(あしげ):足で蹴ること。ひどい仕打ちであることを比喩的に言うこと。
・「惰眠」(だみん):なまけて眠ること。何もせずのらくらと日を暮らすこと。
・「アリタリア航空」:イタリアの航空会社名 アドレス:http://www.alitalia.co.jp/
・「トランジット」[transit] :通過の意味で、目的国へ行く途中に他国の空港に立ち寄ること。また、その乗客。
・「動因」(どういん):物事を引き起こす直接の原因。動機。
・「古典主義」(こてんしゅぎ):古代ギリシャ・ローマの作品を規範とし、理性・調和・形式美を追求する芸術思想。美術ではルネサンスや17世紀の仏画家プーサンなど描く作品に見られるが、普通、18世紀後半から19世紀半ばにかけて興った新古典主義を指す。クラシシズム。
・「稀有」(けう):非常に珍しいこと。あるいは、不思議な、意外なこと。
・「偏り」(かたより)、・「寵愛」(ちょうあい)、・「捌く」(さばく)、
・「現象学的還元」(げんしょうがくてきかんげん):意識に直接的に与えられる現象を記述・分析するフッサールの哲学で、現象そのものの本質に至るために、自然的態度では無反省に確信されている内界・外界の実在性を括弧に入れ(エポケー)、そこに残る純粋意識を志向性において捉えようとすること。簡単に言うと「先入観を捨てて、ありのまま見よう」ってこと。
・「踏む」(ふむ)、・「対峙」(たいじ)、・「痺れる」(しびれる)、・「巡らす」(めぐらす)、・「可笑しい」(おかしい)、・「微笑む」(ほほえむ)、・「鯖臭い」(さばくさい) 、・「歯痒い」(はがゆい)、・「擦る」(する)、
・「銀鼠色」(ぎんねずいろ):明るい灰色。銀は明るいの意味
・「グラデーション」[gradation]: 写真・絵画などで濃淡を段階的に推移させること。ぼかし。濃淡法。
・「素鼠色」(すねずいろ):中明色の灰色。色みがないという意味で、素。銀鼠色よりも暗い。
・「青磁色」(せいじいろ):明るい青みの緑色。支那磁器に由来。
・「花瓶」(かびん)、・「挿す」(さす)、
・「ピラカンサ」:バラ科トキワサンザシ属の植物の総称。橙黄色や紅色の丸い実が密生してつく。
・「呟く」(つぶやく)、・「鼓動」(こどう)、・「漠然」(ばくぜん)、・「悟る」(さとる)、
・「瑞々しい」(みずみずしい):光沢があって若々しい。
・「振り撒く」(ふりまく)、・「浸透」(しんとう)、
・「けだし」:�,泙気靴�、確かに。�△發靴�すると、あるいは。��もしも、万が一。�い�およそ、おそらく。
・「矮小」(わいしょう)
・「神の命令、預言、使命、天命」:「神の命令」は全員に聞こえるような直接的な命令を、「預言」は命令を1人に授けられる言葉を指す。「五徳」は「智・信・仁・勇・厳[孫子]」など、「十過」は、韓信が蕭何に五才十過を語った内容で、「勇があっても死を軽んじるもの。急いで心落ち着かぬもの。利を求めて貪(むさぼ)るもの。仁があって人を殺せぬもの。・・・」である。前の2つは神からの受動的な態度を示すが、対して書くと後者は人の完成によって天に近づこうという能動的な、現世的な態度と見てとれる。この場合は、それら全てを肉体的な感覚に根ざすとみて、歴史的に蓄積されてきたあらゆる態度、という意味で使用している。
・「叩き」(たたき)、・「霧散する」(むさんする)、
・「形骸」(けいがい):元々は、「人や動物の体」の意味。転じて、「内容・意義を失って形だけが残ったもの」の意味になった。
・「外延」(がいえん):論理学で、概念が適応される事物の集合。この場合は、水蒸気の適応される範囲を指す。
・「辿る」(たどる)、・「脆弱」(ぜいじゃく)、
・「悟性」(ごせい):物事を判断・理解する思考力。この場合は、「判断せざる」なので、理解の意味のみになる。
・「司る」(つかさどる)、・「遥か」(はるか)、・「海月」(くらげ)、・「佇む」(たたずむ)、・「牽っ張る」(ひっぱる)、
・「四肢」(しし):両手と両足。
・「同化現象」(どうかげんしょう):色彩学上の用語では、フォン・ベゾルト効果とも。1つの色が他の色に囲まれた場合、他の色に似て見えてくる現象のこと。
・「凹み」(へこみ)、・「包摂」(ほうせつ)
・「瑠璃色」(るりいろ):瑠璃は仏教七宝の1つラピスラズリ(ウルトラマリン)。青い宝石で、西欧ではラファエルロブルーとも言い、キリスト教図像学では、天の真実を象徴する聖母マリアの色。ちなみに赤は天の聖愛の象徴である。
・「据える」(すえる)、・「一足短」(いっそくたん)、・「髄液」(ずいえき)、・「雑踏」(ざっとう)・「暗澹」(あんたん)、・「潜る」(もぐる)、・「栓」(せん)、・「撫でる」(なでる)、
・「末那識」:(まなしき):仏語で、我に執着して存在の根拠となる心の働き。意識がなくなった状態にも存在し、迷いの根源とされる。
・「シースノー」:深海に降る雪のようなプランクトンの死骸のこと。この場合は、末那識が自分の行った行為によって共に心の内に蓄積されていく、という意味で使用。印度ではこの蓄積されたカルマ(業)によって来世に生まれ変わり先が決まると考える。
・「狂う」(くるう)、・「肩甲骨」(けんこうこつ)、・「不恰好」(ぶかっこう)、
・「真赭」(まそお):天然の朱色。中国の辰州で産する辰砂色とも言い朱色の顔料として古くから用いられてきた。有毒。日本では赤土の素焼きの色。最も好きな色でもある。
・「ロゴス」(Logos;ギリシャ語):言葉、意味、論理、理論、理法など多義的な言葉。キリスト教では神の言葉。また、それが形をとって現れた三位一体の第二位格であるキリスト。ロゴス-キリスト。
・「撚れる」(よれる)・「無粋」(ぶすい)、・「可憐」(かれん)、・「儚い」(はかない)、・「福与か」(ふくよか)、
・「天真」(てんしん):自然のままで飾り気のない無邪気なこと。
・「強烈」(きょうれつ)、・「足枷」(あしかせ)、・「砕け」(くだけ)、・「混濁」(こんだく)、・「顧みる」(かえりみる)、・「足掻く」(あがく)、・「踠く」(もがく)、・「屈辱感」(くつじょくかん)、・「明瞭」(めいりょう)、
・「予震」:本震の後に起こる余震ではなく、本震前のゆれを指す。
・「哀愁」(あいしゅう)、・「喧騒」(けんそう)、
・「供犠」(くぎ):神に生贄(いけにえ)を供える儀式、またはその生贄。ジョルジュ・バタイユの思想では、無為への生贄こそが人間の至高へ到る方法で、重要視された。