「高坂」という地名は全国に15ヶ所ある、とネット地図検索で知った。
昼間は100人の喧騒(けんそう)をつき合わせるフロア−も、終電の終りが蛍光灯を益々青白くさせるようになると、まったりとしてくる。「拉致の衝撃が10万にいる在日に与えている」てな感じのNHKの再放送を見ていたら、さっきまでの記事とドロドロに溶け合って、1つの情景も分離されぬままに喉仏から膨らんできた腹の表面へと滑り落ちてきた。
渡りなれた4車線の広域道路が今日は珍しく空いていた。
好きでも嫌いでもない赤明残る曇天のアスファルトの上を超えていった。
「彼だからもう、振り返りはしない」という囁(ささや)き聞きながら。
壱軒の店に入り浸(びた)っていたっけ。
大学に入りたての頃、コンパやら飲み会やらの口実でゲロを吐くためだけに飲んでいた。
酸っぱい匂いの共有感を得るためだけに飲んでいた時期があった。
その日も、フラフラまでいって朝の4時。
明け方前の寒さを凌(しの)ぐために、静かなネオンを冷やかそうとした店だった。
腰までの高さの濃色(こきいろ)だけの上に、全てがプラチナに観えるような光沢の帯がガラスのショーケースの天上から降りそそいでいた。1人がやっと歩けるだけの幅の通路。静寂な青白色が、宝石、白百合、古びたブリキ、フェルトの装丁本、切子細工、フェズ産の絨毯(じゅうたん)に統一感を持たせていた。
たびたび朝まで爆睡していた区民公園を2,3歩渡ると高架下に店はあった。
最上級の宝石のように扱うために考え抜かれている全ての展示品で、酔いは一気に覚めてしまった。初めて体感した高級感ゆえか、押し付けのない気配りゆえか、脳の中に別の酩酊(めいてい)感が戦吹(そよぶ)きだしていた。
フェルト状の穏やかな濃紫と強烈な白銀色はこんなにも落ち着くのか。
ガラスの反射光が、逆にゲロを誘発しないものなのか。
そんな理的な分別が、そよそよと秋の日和のような圧倒的な快楽に僅(わず)かに最後の抵抗をした。
店は、電車の走っていない時刻にしか開いていなかったので、数回はゲロの後に向かった。ゲロが暇つぶしになっていって目的が入れ替わってしまった後に徐々に店が分ってきた。同時に、周りからもポツポツと「本当は変わっている?」と言われるようになった。その内に馬鹿馬鹿しくなって、酸っぱい飲み歩きもパタッ、と辞めてしまった。
長方形の入り口は2つあった。
右下にあるレジに向かって道路沿いの上中央と左下だった。上中央から入ると左右に3�辰盥圓韻价司佞悗叛泙豢覆�ることになる。レジの位置は入店時に少し意識に入るものの、一旦、視線が天上までのケースに捉(とら)えられてしまうと空の状態になる。時刻は濃茶色のブランデーをグラスの中でころがすように、ゆったりと往(い)ったり来たりを繰り返す。
何十度通っただろうか。
何百回、などと1つの勲章にするような通い方ではなかった。浸(つ)かった時刻も金銭も、レジで呼ばなければ出てこない店の形態も、人や自分に自慢するものではなかった。そんなもので伝えられない店だった。
店員の1人はジーンズを革パンのようにはく30代後半の男だった。
何百回も何百時間も眺めていて幾つかの展示品を求め、会計に立ったことはあった。けれど、店内で聞いた言葉は、表示された金額を聞き直した時と、「店を閉めるんです」という弐事(ふたこと)だけだった。店長すら最後まで分らなかった。
晏如(あんじょ)としてあそばずに心を融かされる真の高級感は、ゲロの海に浮かぶよりも圧倒的な暴力だった。恥じ入ったのか、畏れいったのか、高級というのはそういうものなのか、ただ、何も話さずに、いや話す必要もなく、秋の暮れゆく落葉を、菱田春草の「落葉」の揺(ゆ)れ落ちる音を聴かせてくれた。
店外で口を聞いたのは、たった1度だけだった。
「土があるでしょう。闇の中で2,3�損擁�の土を円く回転させていって、段々下に落としていきながら濃紫のサファイアにしていくんです。そんな店を創りたかったんです。」
という台詞だけだった。
十年以上が過ぎる間に服装や社会的身分や同居人は換わった。けれども、時折、始発前後にドロドロの液体が心の鎧の隙間から漏(も)れ出す。最初の情景は、30代後半の男が白と灰色のアスファルトを渡っていく姿なのだ。続けて店の中へと引きずり込まれていく。
同じ年齢になって気が付いた男の引き締まった肉が惜(お)しいのか、店の濃色と白銀を希求しているのか、恥じ入った謙虚さを取り戻したいのか、ただのノスタルジー的な感傷なのか。そんな正統さを欲しがる信念が融けていって、抵抗が出来なくなる。するといつの間にやら、胸に泥ついていた情念から、濃紫の中に結晶化してサファイアが足元の後ろへ、ポロリン、と転がり落ちた。
男を背にして歩き出すと、「グャジバリ」と宝石はアスファルトの上で粉々に砕(くだ)け散った。
宝石の破片が灰色の上に円状に広がり、靴の間に幾つか留まっていたが、そんな事には見向きもせずに足は、進んでいったのだった。
注記
「濃色(こきいろ)」;深い紫色の意味。「こいろ」とも。後の単語では「濃紫」とも。
「戦吹(そよぶ)く」;「戦ぐ」は「草木などが風に吹かれ、静かな音を立てながらゆれ動く様子」で、ゆっくりと静かな風が吹く様子を示すための語。
「往く」は、元来、王の往来の安全を祈る呪術的儀礼を示す字。現代では「死ぬ」の意味する。此処では死者だけが持つことが出来る「有限の時間を超越したような呪術的な空間」の意。それはまさに、精神的に高貴で王のような待遇である。
「事」は、古く「言(こと)」と区別なく用いられてきた。ただ古代、事は「使」と同じ字であった。「王室から派遣された使者を迎え、その祭祀(さいし)を受けることを「事(つか)う」」と言ったように。この場合は、「往く」のように呪術的で疑問や感情を挟(はさ)む余地のないような発言態度を込めて「事」とし、使用した。
「晏如(あんじょ)」は、安らかで落ち着いている様子の意味。続く「あそぶ」は、「ほしいまま」とも読む字であるが、PCに登録がなかったので平仮名で記した。意味は「晏如を貪(むさぼ)らない」ということ。
「サファイア」は濃緑であるが、比喩的に使用。鋼玉の一。青色透明、また緑・黄色のものもある。濃青透明の良質のものは宝石とし、九月の誕生石。別名、青玉(せいぎよく)。人工合成も出来る。
引用等は『字統』、『字訓』 白川静著 平凡社、『大辞林』より。
執筆者:藤崎 道雪 校正(H15,5,22)