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「 弘義 」
2004年01月15日(木)



 2日前の風邪からすっかり体調は良くなっていた。
「ただいま〜」と言う声の後、私は白い階段を下りて玄関へと足を鳴らせていた。トントンという木の音の合間に、「病院に一応いかなくっちゃね」という声がボソッと聞こえた。
 階段を左手に降りた10畳近いスペースに、母の後ろ影と奥にコートを脱ぐ父の姿が見えた。
 「何言ってんの、俺はもう平気だよこの通り」と両手を上げてみせた。母の床を見る視線も左のコート掛けを見る顔も動かなかった。ちょっとイラついて一歩前へ進むと妹の肩に右手の甲しかかかっておらず、床に全身が崩(くずれ)れ落ちている弟の姿が目に入った。びっくりしたのは弟の髪の毛だ。髪の毛の9割9分が無くなっていて、平原に2,3箇所だけ、申し訳程度のススキが生えているだけだった。私が一歩すすめても、弟が肩で息をしているだけで父も母も妹も何も反応はしない。
 体調が悪くなかった家族4人が家族旅行に行ったのだ。そして次に入院する時には「もう最後」という覚悟をしてください、と言われていたのだった。けれど、この姿を見たら、最後であるのは明々白々(めいめいはくはく)の事実のように思えた。
 夢から4人を覚まさせたのは父だった。何故か金槌を持って周りにある陶器や小物、さっきおいたネクタイピンや額縁を壊し始めたのだ。
 「やめろ!」
私は叫んだ。私だけが叫んだ。私だけが動いた。
「直ぐにお医者様が来るからね」と母や変わらず視線の先に声を優しく掛けた。
 「やめろ!」と続けた。
 「いつもそうだ。いや前よりも変わった。俺が小さい時はもっと誇りを持っていたし、皆に迎合(げいごう)なんてことはしなかった」
 「なに!」と父は向きになった。
 「お前は俺の言うことを聞いていればいいんだ。親の言うことを聞け。いちいち煩(うるさ)くするな。」と反論した。
 2人は2人が非難されるのを待っているかのように大きな声を上げていった。2人はそれぞれ2人が傷つけられるのを許すように大きな声を上げていった。けれど、2人を止めるものや言動はついに現れなかった。

 病院の一室にいる。
 私は学校を休むことにした。
 カプセル状の全身を包むベットは足からずーっと細く伸びていて、最後に下にちょっと曲がっている。そこに棒が横に刺してあり、2本の指で容易に回せるようになっている。椅子に座っている私の視線上にカプセルの凸上のアーチが見える。そして細く伸びた真っ白な部分は、曲がった箇所しか見えない。私はずーっと棒を右手の親指と人差し指で回すことを決めた。誰に何を言われても記憶にならないボーっとした頭で定まったのはそれだけだった。医者が「疲れたら変わっていいからね」、両親が「じゃあちょっと色々用意してくるよ」と言った語彙は、一瞬だけ留まったけれど、何処かに飛んでいってしまった。
 クルクル クルクル
 クルクル クルクル
 私は前後にカプセルを揺らしだした。

 カプセルの曲がった部分が縦に七色の干渉縞を作り出した。シャボン玉やCDに出来る干渉縞をギュッと縦に集めたように見えたのだ。そうしてると、干渉縞の上に曲がった部分の100分の1にも満たない透明の正方形が左右に揺れているのに気がついた。
 クルっとすると、右に行き、左に行く。
 力を強めたり弱めたりすると、七色の縞の上を右に行ったり、左に来たりした。
 落ちそうになったりするので、落さないようにと左右に揺れる微細な正方形を見続けた。

 七宝縞の下に横断歩道があるのか、人間と人間の間が10cmもないようにびっしりと詰まって、灰色に近い茶色で透明な人々の群れが左から右へとゆっくりと流れていく。
 丁度カプセルのラインには透明で灰色で濃茶色の車が並んで人と同じペースでタイヤを動かさず流れていく。
 私は彼に謝った。
 「 ごめんよごめんよごめんよごめんよ 」と。
 私だけが私だけが私だけが、とわびながら。
 このまま微細な正方形を七色縞から落さなければ、ず〜っと弟が生きてくれるような気がしていた。

 もう弟は彼であって、流れていく人々であって、私も同じであることに気がついたのは、大学に入ってから大分たった、深夜の花見会でだった。
 今振り返ると、干渉が出来るために必要な3つの媒質というのは世代間の幻想だったのかもしれない。私はそんなどうでも良い当たり前に気がつくのに、いつもはどうでも良かった居るのが当たり前の弟を失って気がついたのだった。

執筆者:藤崎 道雪 (校正H16.1.20)



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