毎日使うお茶っ葉のように、衝動を満たすビデオ類のように、何百曲もある有線チャンネルのように、必要不可欠でない嗜好品的存在。
私も私たちも我々も大分がその領域に入ってしまった。飽きれば取り替えられるように私は唯一の存在ではない嗜好品的存在。
嗜好品になるには必要不可欠を支えている存在者が、といえば世界経済に目が向くし、
嗜好品のどこが悪い、素晴らしいことじゃないか、といえば倫理宗教の世界に堕ちていくし、
嗜好品であることに気がついていないのか、嗜好品の証拠だ、といえば衆愚論になるし、
嗜好品ではなく、芸術品のように取替えがきかなくなればいい、といえばエリート論になり、
嗜好品が増えて全体が多様性を持てば結局は種の利益になる、といえば観念論的生物学になるし、
元々同じDNAから出来ているのだから、嗜好品という区別に意味がない、といえば科学主義になるし、
元来、人間の人生の目的など与えられていないのだから何でもいいのだ、といえば哲学的相対主義者になる。
私はどの道に進めば良いのか。全てが嗜好品の道にしか観えない。
だから、私は既に新しい道が見えているのだ。
保証も安全も革新も真理もない、その道を取っていくのは、欧州の運命であり、日本の自然である。
「ああ勿体無い。ああ勿体無い。俺のような素晴らしい人間がいつか死んでしまうのが勿体無い。」
という境地が懐かしい。 思えば遠くに来たもんだ、とクスリ、と振り返るんだ。
君が雑誌の中から見つけてきたオレンジ色のカフェでソファーに寄りかかりながら、
君の澄んだ声と女性らしい手足と長髪と美しい液体が過ぎていくのを同じように観ているよ。
執筆者:藤崎 道雪