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「 鷹匠公園の連帯 」
2005年10月18日(火)



 程よい広さの緑茂る公園の西端にちょこんと腰掛ける。
眼前の細かく広がる砂地の上を人々が、ポツリ、ポツリ、と歩いていく。
午前10時くらいの、早朝という世話しなくもなく、午後のまどろみでもなく、晩秋前のゆったりとした涼しさと眼を細めるくらいの恵まれた日差しの中を。

 微細な小石の音が、ザッ ザッ ザッ としたり、シャ シャ シャと流れていく。
それだけで横を向いていても、目をつぶってみても、どんな人が、男か女か、おじさんか子供か何となく予想がついたりする。
通り過ぎて行った後に化粧品の匂いがクルルルっと広がれば年代までも気がついちゃったりする。
そんな予想が立ったら目を開けてみると、腕を組んでいたり、スーツだったり、茶色のチャックの入ったオバサンパンツだったり、ガードマンや少女だったりが、ポツリ、ポツリと。
 手の振り方1つ、腰の辺りへの置き方1つ、お尻の重心や、服装の色や形や、そんなのでただただ目の前を通り過ぎて行くだけなのに、どんな人かな〜って何となく分ったような気分になってしまったりする。

 秋の深い緑と輝く光線と灰色の舞台の上を歩いていく人たちと、友達にちょっとなれるんじゃないかな、って感じたりして、そんな穏やかな気持ちの1日を過ごすのも良いなって、ここ2.3年で思うようになってきたりしている。

 だから人間はより高くありたいとか、人から屈辱を受けたくないとか、皆は公平に一緒なんだ、という理想を実感してしまったりもしている。
 ポツリ、ポツリと通り過ぎていく人たちは、色々と大変な問題を抱えているかもしれないけれど、こんなにも自然で美しくて、人々は餓えていないし、とっても健全な尊厳を持っているように思うからなんだろう。
 数百年前も数十年前もあって、そして数年前からは消えてしまった、最後に人間は活力のある平等なんだ、っていう社会主義の根本的な理想のようなものを、この公園の目の前で感じてしまった。
 確かに、思想的な結論は、それらを1つ1つ検証してしまってより大きなものに還元してしまったけれど、確かに、歴史的な結論は、それらの1つ1つを験証に掛けてしまってより有効なものに酸化してしまったけれども。
 生まれてきて初めて、人々との連帯、という感覚を持つ事が出来たんだ。

執筆者:藤崎 道雪

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