黒に見えるほどの藍色を褐色(かっしょく)と表すのを、満月が降り注ぐ現実感の薄い砂浜で思い出した。
波の打ち寄せる動きがさらに暗い香りを漂(ただよ)わせ、吹き付ける冬の寒風は顔の筋肉を引きつらせ、そして2人を抱き寄せたのだった。
天空を見上げれば左斜め45度に満月が上がろうとし、音さえ奪い去る強風に真上にはオリオン座が揺らぐなどなく、豁然(かつぜん)としたままだった。左肩越しのレグホン色の帽子の先には海面と同じ彩度の松林らしき堤防が人界との接点とそして断絶を同時に心の中に流入させてくる。
全方向見渡す限り、ただ2人ぽつんと褐色の空と音の聞こえない波だけがあって、そこにただある。
風上に立ち仄(ほのか)に鴇(とき)色付いた右頬に左頬をすり合わせ、ヒヤリとした肌に触れた瞬間にその下の血潮(ちしお)が肉体に入り込んでくる。その紅の微笑みと桃色のような喜びが、さらに、さらにさらに震え出す肉体の弱々しさをはっきりと見せ付けてくる。
天空を射抜いた視線を閉じると柔らかくゆっくりとではあるがしっかりと肩甲骨(けんこうこつ)から天使のような純白の両翼が大きく広がっていくように意識される。両手を真上に挙げた位置まで頂点があり、すーっと2mも伸びて先端へ羽が向かっていく。君と羽を交わしたからではなく、むしろこの純白の翼のことを思ってさらに冥い世界へと目を閉じたのだった。
この目を開けてもしっかりとあるこの両翼を毟(むし)り出す大きな右手はゴツゴツとはしていない。翼の中央位置から握りつけ思いっきり引っ張られた。皺(しわ)で眉間を3重にして口は葡萄染(えびぞ)めの血を吐くように開き、毟られた空間には薔薇色(ばらいろ)の鮮血が噴き出すのだった。周りの羽達に、パッと飛び移ってはポタリポタリと血滴が時間差で羽先から落ちていく。今度は左手が左の純白を鮮血に染め、右手が、左手が、最後まで両翼の羽を荒々しく犯していく。
嗚呼、この手首から上しかない両手は貴方のその血潮そのものなのです。貴方のその強い思いが天空の揺ぎ無いオリオンまでも飛んでいける両翼を毟るのです。無彩色のこの人界から隔絶した世界に色を持ち込むのは貴方なのです。いや実は貴方ではなく、貴方のせいにしたいという弱い私そのものです。そうです、それは2人そのものなのです。2人の強い気持ち、2人の愛、2人の真実の愛が純白の両翼を犯しつくすのです。
誰よりも深く深く、何人も立ち入れない領域を広げれば広げるほど、嫉妬すらも単なる媚薬に過ぎなくなる程に溶け合いあらゆる文献文章の最高峰を登り続けていき、さらには強くなっていく、という真実の愛が。
何者も触れられない、言語に表現出来ない2人の血潮が深くなればなるほど、犯しきるこの両手はさらに大きくなるでしょう。そしてこの純白の両翼を根こそぎ壊しつくしてしまい、着けていたことすら忘れるようになっていくのでしょう。
もう2月の寒風が表情を奪い取り、換わりに身体に震えを齎(もたら)してきました。
貴方の身体はそれ以上に震え冷えています。
私はもうここを立ち去らなければならないのでしょうか。
私はもうここを立ち去らなければならないのでしょうか。
私はこの両翼を生えさせた松林の向こう側の出発点へと戻るべきなのでしょうか。
あの松林と同じ彩度の誘(いざ)うようにおいでおいでをしている褐色の海中へはいけないのでしょうか。
表情も音声すらも奪い取る寒風という地球のサイクルから超絶したオリオンへはもう羽ばたけないのでしょうか。
注:「羽を交わす:男女の情愛の細かい様をいう」
追記:当の作品は別記の「希求信号をキャッチ」(H17.7.1)と「強い頭痛」(H17.9.7)を合わせた作品です。
執筆者:藤崎 道雪(校正H18.2.16)