円(つぶ)らとはいえない切れ長の瞳から溢れ出てくる水分
気を許せる友達が居ないからなのか
両親の仲違(なかたが)いと我ままさかげんに絶望しているからなのか
この薄汚かった世界がピンク色に一転して踊り出した最愛の恋人の子供が流産したからなのか
はたまた、その最愛の私を生まれ変わらせてくれた感謝の塊にカッとなって兇器を突き刺して薔薇色(ばらいろ)に変えてしまったからなのか
いやいやそうではなく、全ての世界に潜む不平等と不公平に、さらに隠されている暴力に気がついて叫びにならないグチャグチャの脳内が萎縮(いしゅく)したような錯覚からなのか
猫のような御霊(みたま)のような創造神のような両義性で望めばいいのだ
それでいいのだ
光は闇があるからあるのではなく、光が闇がそれぞれになるのだから
光に闇ゆえになるのであって闇に光ゆえになるのであって相補的な関係は切っても切れないのだ
全ての事象、私の鮮血が産み出す観念の総体、それらは全て相補的な関係であり方法によって限界が規定されていて
規定されていて本能と性によって踊らされていて、踊らされているから観念の総体で把握できるのであって
ピンク色、包丁、言語、両親、感謝、脳内、兇器と狂気と狂喜の区別、創造神というトートロジー、グチャグチャという擬音語、苦しみ、痛覚、生と死、生死一如
積み重ねられぬ 目的などない人生
重なり合わぬ 創造なぞない可知範囲
整えられぬ 放擲なんかは結局出来ない人間の性
還元しよう、社会の役に立つようにこの生を
変換しよう、喜怒哀楽という仕組まれたこの感情に
倒置しよう、言語の無規定な放胆さにこの肉体物理現象の全てを
放置しよう、この私、この私、他人と違いたいというこの私の、この私の
欲求しよう、この私、社会的価値、精神的意義、通時的観念という表面の方向へ
円(つぶ)らとはいえない切れ長の瞳から溢れ出てくる水分
気を許せる友達が居ないからなのか
両親の仲違(なかたが)いと我ままさかげんに絶望しているからなのか
この薄汚かった世界がピンク色に一転して踊り出した最愛の恋人の子供が流産したからなのか
はたまた、その最愛の私を生まれ変わらせてくれた感謝の塊にカッとなって兇器を突き刺して薔薇色(ばらいろ)に変えてしまったからなのか
いやいやそうではなく、全ての世界に潜む不平等と不公平に、さらに隠されている暴力に気がついて叫びにならないグチャグチャの脳内が萎縮(いしゅく)したような錯覚からなのか
停止は出来ぬ、睡眠を取らなければならぬ、食欲が植えつけられている、性欲で生まれてきている、名誉が欲しくてしょうがなくなるのだから
停止は出来ぬ、喜怒哀楽という個人内、金銭権力という社会内、時間空間という人間内、原子エネルギーという宇宙内の存在者
停止は出来ぬ、停止は出来ぬ
執筆者:藤崎 道雪