公園の新緑に自我を投棄してみれば、見えてくるのは己の軌跡
強烈な家族との相克が私の中に注入され、底流となった
鮮烈な恐怖が核爆弾で私の中で注入され、岩石となった
個体の行為、好意、善悪に生存が関係ないと認識した
拡散していく己を引き留めようと特定の外部に己の支点を見いだせなくなった
全てに、全時間に私を見つけたいと思うようになった
無駄な遊び、飲酒、放蕩、放浪にさえも私を、私の行動の意味を見つけたいと思うようになった
いうならば、全てを支配し、全ての時間を統治したいと思うようになったのだ
だから、私の立脚点は外部には求めなくなった
自然や科学や家族や恋人や金銭や教団や悦楽や名誉や神々や、そうした私の外部に立脚しようとはしなくなった
外部に依存せず己の中に立脚し、全事物全時間に及びたいという欲求の軌跡が私の軌跡
思想に向かったのも当然の帰結になる
放蕩も飲酒も読書も講義も睡眠さえも私の支配の対象となれるのだから
私の軌跡さえ私は支配したいのだろう