ゲームやバイトは一生懸命やるのに、本業の学業はさっぱりだった。
かといって、ゲームやバイトで1日つぶしても「こんなのやっても意味がない」、「ただただ空しい」だけが残るだけだった。
そうして不安になって、対象のない不安に苦悩する日々を漠然と送っていた。
けれど、日本社会全体の構造の変化から出てきたという文章に出会って、何度も反論しても、それでも心で出会ってしまった。
ゆったりとしたソファーで彼女が友人に物理を教えているのに嫉妬して、やたらちょっかいを出す男子高校生のような、そんな私を見つけられたようだった。
通時的に流れていく社会の伝統に流されていく私は、通時的に植えつけられている生物的本能に支配されていく私と同じようなのだ。
カトリシズムが中東の部族社会と欧州の貧困をかね合わせ、ブッティズムがインドの抽象と漢人の身体性を重ね合わせたように
私は、社会の伝統と生得の本能を重ね合わせただけの、そうした
私の悩み