幼児の核の恐怖から生み出された偏った見方があった
そこから儒教を利用して大衆の上に、自分を位置づけようと必死に頑張ってきた
けれどもそれはほとんどの行動に結びつかず、益々私に別の苦しみを生み出した
時として本を読み間々として文してきたが、儒教の君子と小人という区別を使い、私が君子であると主張していた
孔子でさえ立身出世はならなかったと、自分の不遇を正当なものと肯定した
私の心は隘路と哀しみと諦めで埋まり、世の中にあるもの、神社、ギャンブル、コンビニ、自動車が必要である理由を客観にしか求めなかった
私の体験の中で追体験をしなかったのは、自分の不遇に満足を与え慢心していたからに過ぎない
慢心の世界には客観的な善と悪がなく、私自身の好悪があるだけであった
好悪は徐々に快不快と結びつき、社会的な実相や仁義が遠のいていった
社会や世界に投擲する自我を忘れ、熱き日本精神が日暮れてしまった
これが20代の偽らざる私であった