決定論的視座が非決定論的視座を上回る時、存在者は存在に慄き問いただそうとする 非決定論的視座が決定論的視座を下回らない時、存在者の内在によって世界が決定できると思い出そうとする なぜ産まれたのか、なぜ死ぬのか、に非決定論的視座は抗し難く なぜ意識があるのか、なぜ他の命を殺めるのか、に決定論的視座は屈しやすい 秋には空の華麗さがあり、冬には山の荘厳さがあり、春には草木の力強さがあり、夏には海の輝きがある 私たちはそのようにして、決定も非決定からも遠ざかってきた