新美新吉は言った。
「私の命は永遠である。なぜなら、作品を後世に残すからだ。」
本当に後世に名が残るだろうか。
それを知るすべなどありはしないのに。
病魔の苦しさから、希望という逃避をしたかったに過ぎないのでは?
苦しい病魔から無感覚の死体へと逃避するのは、どうしてなのだろうか。
今を、私を、此処だけを生きる、という思想もまた同じではなかろうか
肉体の喜びから、希望という逃避をしたかったに過ぎないのでは?
あふれ出る機能快から永遠の絶無へと逃避するのは、どうしてなのだろうか。
苦しい病魔もあふれ出る機能快も、己が死を無視する根拠になりはしないというのに
逃避でしかないというのに
どうしてそのように無視が出来るのだろうか。
私は弱い
私は拙い
むしろ私が逃避している、と人は指を指すかもしれぬ
しかし、直視から目をそらす訳には参らぬ
私の書いた文章は新美新吉のように全集になって図書館に残らぬ
私の苦しみは文章に百分の一も残せぬ
私には何も残せぬ、何もできぬ、何もしてやれぬ
けれども、その直視から目をそらす訳には参らぬ
それしか出来なくとも、絶対的自我に縛られているとしても、参らぬのは参らぬ。