その日によって微妙に違うけれど、正に日にち薬のような毎日。
股関節が痛む右足の強ばりは時にすごく辛くて落ち込むが、それでもひと頃のことを思えばずいぶんと楽に歩けるようになった。 リハビリと体力維持のためのプール通いも再開した。
思えば、この夏は痛い痛いで夢中で過ごしたような気がするけれど、こうして少しずつ以前のように買い物などが自分で出来るようになればそれはとても嬉しいのだけれど、さりとて日々老いを実感する身であれば、いつまでこうした平穏な毎日を送れるのだろうか。
大陸の花嫁ではないが満州へ嫁に行き、そして引上げの途中で我が子二人を死なせてしまったけれど、満州から引き上げてきた気丈な母も晩年は何かにつけ私を頼りにするようになった。 その年にならないと分からないことがあると言った父や義母のことも思い出されて、これからのことが不安でならない。
少し暴論かもしれないが私は孤独死にあこがれている。 だってそれは誰にも迷惑をかけないで死ねたのだから。 誰でも自分で棺桶に蓋ができないから、死後にかける迷惑はある程度は仕方ないと思っている。 でも最近、検死にもお金がかかることを知った。 ドラマのようにベッドの回りで親族が集まっての臨終なんてまっぴらゴメンだ。 だがこういうことはいくら考えても仕方ないような気もしている。 それこそ ”なるようになるさ” なのだろうと思う。
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