「自裁」という言葉がある。
その昔、名だたる武将が重大な病にかかったとき、まだ意思表明ができる前に遺書を認め、残すべきを伝えて、あとはだんだんに食を絶ち、お迎えを待つ潔さをもっていた。周りもまた、それを自殺などとして非難したりせず、むしろ「武士の鏡」として尊敬することもあった。
そして高僧と言われる人たちもまた、おのれの死期を覚悟した場合 仏に身をゆだねてお堂に籠った。
また 「御万歳の沙汰」といって、病になった天皇や上皇が快復をあきらめて万歳、つまり臨終を迎えるための祈祷を行う。延命や平癒を祈る場合、「息災の御祈」とよばれる祈祷を行うが、死を覚悟した場合、現世への思いを断ち切り、ひたすら往生のみを願うというのがある。
それがいつ頃からか、どんな手段を講じてでも長生きすることこそが、人生最大かつ至高のことだと信じる妙な世の中になってしまった。 親として真に子どもたちの安寧を願うなら、子が抱えてしまう介護の負担と心痛を思い、むしろ早く逝くのを潔しとすることこそ、子たちへの良き遺産になるのではないかと私は思っている。
出来ることなら 病院の一室で本人の強い意志のもと、子どもたちの手を煩わすことなくそういう死を迎えられることを願っている。
要は逝くものが自分の意志をしっかり持っているということだと思っているのだが。。。
|