土方聖架の日記

2003年03月31日(月) 「壊れる」の話

先週、うちの会社は成形機の故障が相次いだ。
その度に社長が喚いていた。
いや常務も係長も現場も喚いていたのだが。
その喚きを聞きながらつれづれにちょっと思いを馳せた事務女一人。

私は生まれも育ちもきっかりしっかり山口県の山口県民で、バリバリの山口弁で喋ります。が、大学時代は他所の地方の友達が多く、またコミケで他地方に出向くため、「山口弁はなかなかオカシイ」という現状を否応なく実感させられます。

中でも印象深いのが「壊れる」表現。

『紙が破れる』


・・・普通ですね。標準語でも普通ですね。では次いってみよう。

『テレビが破れる』

・・・大半の方が拒絶反応を出したんじゃないかと思いますが、山口県ではまぶしいほどに普通の表現です。コレ。

方言談義は他にも色々あったけど、これに関しては私は3回くらい「それは違うの!破れるってのは紙みたいな柔らかいものにしか使わないの!」まるで間違ってモノを覚えてしまったかわいそうな子供に諭すがごとく頑なに説得されたので異様なまでの印象が(笑)当の山口県民は『えーだって使いものにならなくなるって意味じゃ同じじゃーん・・・』とちっとも堪えてませんでした。

話は戻って機械が壊れたときの社長以下の叫びはというと。

『また機械がめげたわいやー!』

これはどのくらい地域広域性があるのでしょう!?『機械がめげる』!
これは確かに「紙などの柔らかいもの」には使いません。使ったら山口県民とってもヘンな顔します!他所の地方にとって『テレビが破ける』は山口県でいう『紙がめげる』なのかも!と思うとなかなか興味深い!とかちょっと感動してたんですが。(するな)


「めげる」表現の広域性にもよりますが、総じて山口県民は「モノが使い物にならなくなる」現象にものすごい無頓着な県民性なのかもしれません。

しかしそんな山口県民のほとんどすべてが、「山口弁は標準語に近い」と結構誇らしげに思っているのがまた微笑ましいです(事実です)。


 < 過去  INDEX  未来 >


土方聖架 [HOMEPAGE]

My追加