感想兼日記
日記目次とログ


2004年09月05日(日) 日記の効用

 父は小学生時分からほぼ毎日日記をつけていて、今でも実家のどこかにその帳面が残っているはず。何冊か見せてもらった事がある。疎開先の食事、確か握り飯、実物大、とかチーズ実物大、とか絵入りのが真剣で秀逸で、どれも面白かった。
 母は、「三日以上続いたことがなかったから、日記をつける事は諦めた」と以前言っていた。
 妹その一は「つけない。読み返さないし」
 妹その二は「家計簿といっしょにつけてる」これはかなりマメで、お天気、気温、行事や出来事など細かく記録しているらしい。「去年の今頃の最高気温は〜℃だった」とか言っている。「よく読み返す」とのこと。
 わたしは高校生の頃から時々つけていた。ウェブ上のこのエンピツを利用しだしてから、こまめになった位の頻度かな。

 もの言わぬは腹ふくるるわざなり、で日々言い足りない言葉を表出しているのが実情か。一種のストレス解消かと思う。もともとは「ヒカ碁、好きー」と言い足りなくて始めたわけだった。
 わたしもたまには過去の日記を読み返す。自分の考えや感覚の変化をたどりたいとか、その根拠を思い出したいという欲求があるから。

 先日外出先から帰宅した母が
「電車中ヨンさまの広告写真だらけで、どこを見ても(その広告写真と)目が合ってしまった。よく見るとあんた(わたしのこと)と似てる」
 とのたまう。
 とてもうれしいけど、似てるのは眉だけだと思うよ母上。これでもずいぶん抜いてるんだけど。素のままだと志垣太郎氏とはるくらい濃い眉なのだ。
 しかも母はヨンさまは特に眼中になくて、どちらかと言うとパク・ヨンハ氏のファンだし、わたしとしては少々複雑な気持ちに。
 ヨンジュン氏もこれから露出が増えれば印象が変わると思うが、現時点では、表情が少ないと感じられるのだ。感情が表に出てない、と。そこがわたしと似てる、と言われたような気がして、考えすぎと思いつつ気になる。

 話を元に戻して、自分のエンピツログを読み返していて、ヨンジュン氏に対する感触と似たものを感じてしまう。何かフィルターがかかってる。
 ネットに上げている以上、言葉を選ぶのはごく当たり前なのかもしれないけれど、この日記を書き始めるにあたって「正直に書くこと」を自戒としたので、なんだかもどかしい。

 いや、書いている事柄にうそはない。
 そのへんが返って、なんていうか……よそゆきな感じ。

1:40


19:04 追記

 あー、この日記を書いている時はネット上である事を意識しているが、読み返している時はその意識を忘れて、素の自分のつもりで読んでいるから、齟齬感が生まれるんだな。
 言うまでもない、当然な違和感だ。
 解決策としては、書く時にネットを意識せずにいくか、読む時にこれはよそゆきの自分だと自覚するか、かな。後者が現実的。


嶋田 |HomePage