僕は禿げる。(中略)それでも歌を聴いてくれますか?
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2003年02月19日(水) マゾのヒンズースクワット

 以前、誰だったか忘れた男女二人に「君は本当はマゾ的な部分を持っているのだ」と明け方まで酒を飲みながら諭された事があった。そんなに否定しなかったが、「なぜマゾ的か」を多角的に、あらゆる例えや、強引な事例をそろえてディアゴスティーニから発売されそうな勢いで言い渡され、なんだか悔しくて頑張って反論したが、元々そんなに否定する気もないし最後は言い負かされるようなかたちで話が終わった気がする。しかも誰だったか覚えていないのはなぜだろう…。

 僕はたまに筋力トレーニングをする。やらないと声が出なくなるからだ。和田アキコを見れば判るだろう。飲み歩き、バラエティーばかりをやっていたら筋力低下による音程制御力の劣化は必ず起きる。ビブラートと取りにくい音のしゃくりあげは、音程を取れない物の技だ。これをやる物は大半精進が足りないと考えて良いし、認めないにしても、本人はこの事を気付いている。こんな目で日本の音楽界を見渡すとかなりの方々の正体がわかるので面白い。

 さて、バラエティーはやらないが、いつも飲んでばかりいる以上筋トレやボイストレーニングをやらないと和田アキコになってしまうので筋トレをやる僕だが、一番好きなトレーニングはヒンズースクワットだ。なぜ好きなのかと言われてもきちんと答えにくいが、魅力を頑張って言えばトレーニングの中で最も頑張りさえすれば続けられるイメージの運動だと思う点と、やりながら考え事が出来る点だろう。この感覚はマゾ的だと自分で思う。というより、自己鍛錬はマゾにしか出来ないのだ。関係ないことを言えば、武士道は自己鍛錬の美学の道という一面を持つから、そこに純粋なサドは存在し得ない。サド気質な物は水戸黄門でも必ず悪代官なのだ。

 僕はヒンズースクワットを限界までやった事がない。やれるだけやってしまうと次の日歌えないのは愚か、移動が出来なくなるからだ。これは困る。チョコチョコとタクシーで移動する訳にもいかないので、ヒンズースクワットを思う存分やるのは将来の夢に取っておく事にした。次の日に何の予定も入れないでいられる立場に立ったらひとりモクモクとヒンズー教の方が驚くぐらいやってやろうと思うのだ。そして沢山やれるようになったら、僕をマゾに認定した人と一緒にヒンズースクワットをやり、先にやめた方が飲むという様な飲み会をやりたい。最後に笑うマゾはサドなのだ。
 僕をマゾだと説得した二人を思い出さなければ…。



某日記サイトの投票ボタンらしいです。怪しくないです。


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