僕は禿げる。(中略)それでも歌を聴いてくれますか?
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| 2003年09月13日(土) |
テレビっ子倶楽部 3「ただいまとおかえりなさい」 |
昨日放送された「金曜エンタテイメント「完全再現!北朝鮮拉致”25年目の真実”消えた大スクープの謎これは犯罪だ…決死の新聞記者…TVマン…闇 石黒賢堺正章 布施博 市毛良枝ほか」は素晴らしかった。なぜ火曜サスペンスの様にサプタイトルまで書いたかというと、まず キャスティングが素晴らしかったからだ。当時産経新聞の記者であったサンケイスポーツ編集局長現阿部雅美氏役を石黒賢が演った。トータルで見ると出番はそこまで多くないが、僕の知る限りで石黒賢の一番のはまり役だった気がする。元共産党の国会議員秘書、兵本達吉氏役に堺正章も良い。それに加え石高健次氏(朝日放送プロデューサー)役の布施博は「邪魔せぬ演技」といった感じだった。布施博は演出にもよるがこの手の演技が特にうまいと思う。
このドラマで再確認したのは、北の拉致事件を取り上げ、世間に認めさせた三人が「産経新聞」「共産党」「テレビ朝日」というイデオロギーが一致しない母体を持つ人々だったという事。しかも兵本達吉氏に至っては動きすぎで共産党から除名されている。「いるところにはいるんだな。場所は関係なく」と浮かれるのはお調子者な僕の悪い癖。
ワンシーンで会見場でメディアの人間が、効果的に運動を進めるために拉致された被害者の写真を家族に掲げさせる件があった。その方法を指導するシーンなど、「テレビに映る人間」を育てなければならない切実さと目的の明確さを感じたし、日本人が苦手とされるアピールを、やむを得ず身に付ける家族の姿が実に素直に日本人の未知の可能性として受け取られた。(蓮池さんのお兄さんの素人離れした風格はこの闘いによって育まれた事は言うまでもない訳だ)
僕は神を一切信じない。それはそれとして、人々は不幸が運だとか神だとかによってもたらされると解釈するから何とか許容してやっていける。しかし、確かに一国の保守と一独裁者の利己によってもたらされた不幸があった場合、それを許容してはいけない。そしてその痛みをわかって闘ってあげられるのは、同じ言語を理解し、お互いの故郷の話を熱心に出来る同胞だけなのだ。平和や安泰はあるものでなく地味に勝ち取る物だという意識をそろそろ持つべきだろう。
昔、少なくとも今の日本より治安が悪かった頃、人は出かける時と帰った時、家族に無事を伝えなければならなかった。「いってきます」「いってらっしゃい」、」「ただいま」「おかえりなさい」。形式的と批判される事も多いこの言葉は実に危機管理の意識が高い言葉だと思う。家の外で何か起きた時、家族が皆家にいれば阿吽で協力体制が作れる家族での行動は実に合理的だ。何事かあった時、家の中に家族が全員いるのか、敵の襲撃ならば帰らない者には「戻るな」と伝える必要があるかも知れない。そんなに固く考えなくても、どんな理由であれ「ただいま」に対して「お帰り」を言えない不幸が存在し、いつでも自分に訪れる可能性がある事を、自分の事として考えないと今後乱れていく日本を乗り切れないだろう。
まだ戻らぬ同胞がいる。僕らに何ができるだろう。「今に何かしてやろう」とこぶしを握ってみたりして何をするか思い浮かばない小市民であった。 いやあ良い番組だった。何よりフジが久し振りにフジらしかったのが嬉しかった。よかった。
同じ日、NHKはのほほーんと「その時歴史が動いた クレオパトラ真実」なんてやっている場合ではないのだ。鼻が何センチ高かろうが知った事ではないのだった。
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