Dance日記帳
モクジキノウヨクジツ


2006年03月03日(金) 花紋と感懐

母の婚礼の時の振り袖と覚えのない私の色無地花紋の振り袖を携えて稽古場へ。
舞台で使う振り袖を師匠に決めて貰う。

母の振り袖は、私や従姉妹も成人式で着回したもので、水色の総絞。
女紋である母方の家紋、桐が錦糸で刺繍されている古くも美しいもの。
私の色無地の振り袖は、薄らと四つ上の従姉妹の披露宴の時に着たような覚えがあるが、シックな紫に傍に寄れば見て取れる繊細な刺繍で花紋が入っているものだ。

箪笥から、色無地の着物が出てきた時の感嘆の溜息。
舞踊をやらず、着物に興味を持つことがなかったら、単なる箪笥の肥になっていただろう。
「袖を直して、訪問着にしたい。」と心底切望するほどに素晴しいもので、「ならば、尚更、今度の舞台に色無地を着なさい。袖を切ってしまう前に、もう一度晴れ舞台を。」と母に提言される。
其の意味もわかるところだが、何せ、新参の下手糞舞踊手だ。
出来ることなら、地味に、目立たず、大人しく舞台を務めたい。
其のような成り行きから、師匠にどちらの振り袖を着るべきか選んで戴くことにした。

今回の役所は「舞妓」だ。胸高に帯を締めて、可愛らしく舞う。(←その時点で十分に演技力不足は否めない。)

師匠が選んだのは、意外なことに、色無地だった。

その場で振り袖を着せられる。
師匠に腰紐を締めてもらうと、身が竦むような、引き締まるような気持ちだ。
スルスルと腰紐を締め、伊達締を使う、その手さばきの美しいことと言ったらない。
今までにいろいろな方に着物を着付けてもらったりしたが、此れ程までに綺麗な動きで紐を結び、帯を締めるのを見たことがないと、只管に感懐。
杜撰(ずさん)に纏う、自分の遣り方とは大きく違う。
着付けそのものも、腰紐一本締めるのも、全てが美しい「日本の動作」なのだと今さら気付く。

私よりも、遥かに小さな身体で、母と同じくらいのお歳だと云うのにも関わらず、グイと帯を引く力など、驚くほどの力で蹌踉けてしまう。
まるで人形にでもなった気分で、ものの5分ほどで着付けが終わる。

ウン10年ぶりくらいの振り袖は、笑えるくらい踊り辛く、不格好さを増すだけの物。
胸高の帯は苦しく、軽い動作をするだけで息が詰まる。

果たして、再来週の舞台に間に合うのだろうか。

そんな今、振り袖で稽古をしたせいか、腰も背中も叫びたいほどの筋肉痛に見舞われている。
明日も早朝から稽古。
実情とは裏腹に、緊張感と疲れで眠れず、日記を執筆、今に至る。


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