「ラスとサムライ」すごいみたい・・・。見た過ぎる。はじめ、トム・クルーズに侍が演じられるわけがない。とおもって、見る記しなかったんですが。 渡辺謙・真田広之が出るといったらもう、見る気満々でした。 小学生以来の友人がメールをよこしました。「ラストサムライ!万歳。『武士道』読むよ!私は!」と・・・。見た人間が「武士道」に走るほどの出来のようです。 アカデミー賞助演男優賞の声もあがっている渡辺謙。余りのカッコよさに、マイ・キングならぬ我が殿!と言い残して死にたいほどらしい。 武士道のなんたるか、なんて私含めた大概の日本人が説明も出来ないし忘れてしまってるとしかいいようがないんじゃないかな〜と思うんですが、「武士道」から生まれた礼儀や考え方って日本人の中に今も生きつづけていて、影響をあたえ今日の私たちの行動にも反映されているのではないかな〜と思ったりなあ。「武士道」と言われても、それこそ武器を持つことを許された特権階級が持ちえた特殊ともいえる精神構造のあり方だと思ったりするんですが、特権をもつ以上果たさねばならぬ事があるわけですね。それを、遂行する高い精神のもとにしか武士道は生まれようがない。まあ、反対を言えば武士道精神といわれる物を理解し体現せしめる事が出来れば、サムライといって差し支えないんじゃないでしょうかね。 なんつーか、武士道には人道の考え方を実践できるかにもかかっていんじゃないかね。「仁義礼智忠信孝悌」ってまあ、論語で言われる徳に自分の行動を照らし合わせなきゃならない。幕末期は朱子学あたりが盛んだったわけですが、四書などは武士には必読だったとか。もう、君子たるもの云々いってたら美しくもあるだろうよと思う。まあ、こういった君子論は武士道を形成する一部であるのも間違いない。 でもさ、武士って死ぬ事と見つけたり。生きるために取る行動なんてナンセンス、死して名誉をとる、生き恥はさらさぬ。ってやたら死にたがり。長生きは出来ない。死ぬところを探して生きるものらしい。と私は思ってるんですが、サムライって、簡単に言うと君主にお使いする人の事なんですが、「忠」という徳目がただ単に欺かすお仕えする事ではなく、人に仕えずとも誠実に偽りのない心。まさに真心であるようにサムライ魂は君主なくとも有りつずけるはず。つまり現代のわたしたちでもサムライスピリットはもてるはずなのだよなあ〜。とおもったり、なんだったり。でも、「忠」って成功を論点に語ってない、偽りのない行動が問題なんであって、其の後はしらんらしい。死ぬのが絶対の証というのはまあ、一理あると思うけど・・・だから武士は面子のために死んじゃうんだと・・・。思うんですが。 武をもって理不尽を威する」だったかな〜。それが武士らしい。 なにか、お助けマンって感じ・・・。でも、それが名誉なんだなあ〜。 仁をもって義を起こすものらしい。君子は。愛でもって正確な判断のもと悪を倒すのが武士らしい。仁でもって行動するのは結構だけど、何を悪かと考えるのが問題だよな。其の点、幕末は何が悪いって言うより意見の違いでぶつかってて、未来の日本像の目指すところの争いなので割に好きだ。それぞれの正義の存在は認められるから〜。 自分の存在理由のために戦う切ないまでに美しい人達がいたんだなあという事ですな。でも、その結果は権力の攫うところなんだからやってらんないよ、やっぱり戦争なんてさ〜。戦はいかんよ。 なんか、反戦でおわったよ。 いやあ、今の日本人は武を持たない武士道精神で生きてるのかもしれんし、生きれるんじゃないかと思ってはなしだ。 訳わかんない話になった・・・。まじめに読んじゃだめだよ。自分でも何がなんだかだから。武士道なんて難しくて私にはわからんよ。 とりあえず「ラストサムライ」に向ける期待でした。
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