カンラン 覧|←過|未→ |
通勤色一色の風景に混じる多くの老若男女まさにさまざまな人たち。 今日は原爆記念日。 この電車に乗れば,8時15分には余裕を持って平和公園にたどり着ける。 私のいつもの電車。 おばあちゃんに連れられた野球帽を被った男の子2人組, きれいなお花を抱えた夫婦, 今日はそんな人たちに囲まれての通勤。 市内中心部に近づくにつれ,歩道を歩く他県の人々の群れが景色として写り込んでくる。 慰霊碑に彫られた 主語が抜け落ちた「あやまちはくりかえしませんから」というフレーズが 相も変わらず論争を生むけれど, 毎年この時期のこの街の風景を眺めていると, そんなことは重箱の隅をつっつくような, テーブル上で繰り広げられる議論にすぎないような気になってしまう。 誰が,とかじゃなくて, ひとりひとりが,なんじゃないかって。 ひとりひとりがみんなをつくるんじゃないかって。 いまだに力くらべの如く繰り広げられる無意味な開発や実験。 それだけ頭が良くてもわからないんだろうか どんな未来にむかって突き進んでいるのか,ってこと。 自分とは関係ない人々が暮らす遠い場所での核実験。 自分の庭で自分の親戚一同集めて行ったりはしないんでしょ? たくさんの人に与えるからだやこころの傷と 頭の良くて立派なその人たちの自信や名誉。 大事なのはどっちだ。 今年も元安川を流れる色とりどりのとうろうを 遠いところから 小さな私を抱っこしてくれたおじいちゃんとおばあちゃんが眺めているんだろう。 弟のことも抱っこしたかったんだろうな。 平和に暮らしていきたい。 人を嫌いにならないために。 人でいることが嫌になってしまわないために。
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