カンラン
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2011年04月22日(金) 春の日々

今年のさくらは、なんだろう、くもりガラス一枚隔ててぼんやりと見ていたような感じだった。まだ硬いつぼみのついた枝を見上げて「早く咲かないかな」と心待ちにしていたこともなければ、可憐な花を愛でるべく遠くまで出かけることもなく。
ただ、ぼんやりとしていた。でも、そういった心のありようも含めて、今年のさくらの時期を忘れることはないように思う。

地震の日から、自分の中に閉ざされたところがあり、それがいまだに開けないでいる。

テレビに映る映像に愕然とし、目を離せない日々が続いた。
なんてひどい状態なのだろうかとあれだけ悲しい気持ちになっていたのに、今日になって文通相手さんから「実は自分が文通していた東北の人が今回の津波で亡くなった(新聞で名前を確認した)」という手紙が届いたことで頭をがんと叩かれたような衝撃を覚えた。
直接の知り合いではないけれど、これで私と現地がようやく繋がったような気がした。わかっている、理解しているつもりだったのに、あの惨状も私はくもりガラス越しにぼんやりみていたのかと思い、悲しくなる。




4月11日より、ぴのきが幼稚園に通い始めた。
いまどきの幼稚園とは違って、親といっしょに通園し、お昼は持参のお弁当を食べる。園庭がものすごく広いとか、なんだか素晴らしいカリキュラムがあるとか、そういったのは皆無。ちょうどその昔私が通った幼稚園のよう。私も毎日お母さんに連れられて幼稚園と家を往復し、お母さんの作るお弁当を食べた。その、同じ感じに何よりも惹かれている。
早起きもお弁当づくりも慣れないことばかりだけど、おんなじようにやってあげたいと思うのだ。(弱気になりそうなときには「私にだってできるはず!」と呪文のように唱えている)

二週目のある日、おむかえに行くとぴのきが遠目に見ても明らかに負傷している。顔面右側に引っかき傷と青あざ。先生から「(ままごとの)ハンバーグの取り合いになりまして・・・気づいて引き離したときにはもう・・・」と説明を受ける。哀れ、ぴのき。これからこんなことも何度かあるのだろうなあ。
しかし、相手に対して手を出さないのはこの子のいいところだと思う。これは習い事のお教室の先生にも言われたこと。小学校のとき、クラスの男子に対して手を上げてしまった経験を持つ母は本当にそう思うのだよ。こんな母をどんどん超えていってほしい。

ところで、普段絶え間なく喋り続けている彼が、こと幼稚園での出来事に関しては多くを語りたがらないのは予想外の展開。よそのお母さんから聞いて「ほう、そんなことがあったのか」などと驚いたり、笑ったりしている。


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