徒然なるままに…
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「『違う』ことを積極的に認める」 私が京都に来て学んだことの中で一番大切なことのひとつ。 人と違うことは恥ずべきことではないし、必要以上に誇ることでもない。 人それぞれ違って当然、という見方。 京都に来てこういう見方にどっぷり浸かって、知らないうちに私自身もこういう見方をするようになった。 その結果、色々なものから解放されて、人付き合いもしやすくなったし、何よりも生きやすくなった。
まあでも世の中こういう考えの人ばかりではないので(もしかして少数派?)、窮屈で面倒な思いをすることもある。 最近そういう思いをしたのは、同じであることを好む「女の子」的な世界。 (研究の世界でもこういうのがあるのね、と今更ながらびっくりした。私の研究室には全くなかったな…) 深く関わらないようにしているけど、端から見ていて大変だなあと思う。 「自分とは違う」ということが「嫌い、排除したい」に直結しているって短絡的だと思うんだけど。 私は自分が不利益を被らない限り、自分と同じであろうが違っていようがどっちでもいい。 もちろん付き合いやすい人、付き合いにくい人はいるけど、好き嫌いとは別だなあ。
その点、英会話で一緒にレッスンを受けている人は我が道を行っている人ばかりなのでとても楽。 お茶のお稽古も似たような感じで、我が道を行っている人、あるいは人と違うことを認められる人ばかり。 だから英会話もお茶も止めずに続けていられるんだろうな。
しかし「人と違うことを認める」というのは、「他の人の迷惑にならない限り」という但し書きが付く。 つまりある程度の常識を持っていることを前提としているのが難しいところ。
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