今日も今日とて唐揚げ食す - 2004年03月08日(月) お前なんか軽戦車に踏まれて死んでしまえ。(軽く微妙) 京都の鳥インフルエンザ騒動で問題の養鶏業者の会長が自殺したそうだ。 故人になってしまったので今更どうこう言いたくは無いが、個人的に 「自殺」というのは償いになっていないと考える。 己の「死」が罪の償いになるのは司法によって裁かれた結果の時のみである。 勝手に死んでしまうのは、むしろ償うべき罪からの逃亡を意味する卑怯な 行為であるとすら思う。 「死刑」とは、確実に迫る「ままならない死期」という恐怖に面と向かう事に より被告の意識の中に芽生える「何か」にこそ意味があるからだ。 よく犯罪者が「死刑を望む」などと言うケースもあるが、ハッキリ言えば それも究極の現実逃避を望んでいるに過ぎず、贖罪意識の欠片も感じない。 そのまま生きていれば確かに辛いだろう。ただ、それが罪の重さである。 罪を犯したものはその重さに耐え、償うのが義務であり責務である。 残された息子である社長に課せられた責務は、この事件をキッチリと解明して 父である会長の汚名を返上する事である。それこそ皆が望む償いである。 だってさー、国産鶏食えなくなるのは死活問題なんだモーン。コケー(台無し) ...
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