2001年05月16日(水) |
想像してなかっただけにひどくブルー |
(注・今日の話題はいささか冷静さを欠いた、片寄った内容になっているかもしれません。表現上公開の場では不適切だろうと思われる箇所を見つけた場合はそっと教えていただけたら嬉しいです。どうしても考え方が合わない場合はそっと立ち去っていただけたら嬉しいです) 皆さんはごらんになりましたか? 今日の某スポーツ新聞の1面。 「野猿解散悲観し女子高生2人心中」 見出しでガックリ落ち込みつつもつい買ってしまいました。 読む前は「彼らを見られなくなるのが悲しいからって自殺なんて、それが自分たちが好きだった彼らを悲しませる行動だということに気づかなかったのかよ」的な怒りがまずあったのですが、読んでみてそれは紙面での取り上げ方への怒りに変わりました。 記事の内容だけで判断するなら結局きっかけにすぎなかったんですよ、彼らの撤収は。 根底にあったのは無気力感。それに野猿が撤収するという喪失感が重なったというのが引き金だということが記事からは伝わってきます。 それを1面「解散を悲観し〜」とデカデカと乗せてしまうというのが私にはどうも納得いきません。 折角スッキリと撤収したメンバーたちがあまりにも気の毒じゃないですか。 まぁ、スポーツ新聞の記事って総じてそんなものだと言ってしまえばそれまでなのですが。 (でも「おじさんグループ」と表現するのはやめて欲しい。おやじダンサーズじゃないんだからさぁ…)
しかし、ジッパヒトカリゲ(By.マザー2)的な表現が許されるのなら、今の高校生くらいの世代は(よく他人のことを考えない暴力的な行動が指摘されてますが)きっと「生命の重さ」に対する理解が薄いのでしょうね。 自分にしろ他人にしろ誰かの「死」がその周囲にどんな影を落とすのか疑似体験もしないまま、体だけは自分や他人を傷つける行為を実行できるまで成長してしまう。 そんなことが根底にあるのではないかと少なくとも私は思います。
それにしても、「自殺した2人の女子高生は異なる高校に通っていて、部活動(一人はアニメ部と漫研で野猿の漫画書いてて、もう一人はイラスト部だったらしい)で知り合ったのではないかと〜」って… それって部活動っていうよりどう考えてもイベントの野猿スペースで知り合ったんだと思うのは私だけでしょうか?(苦笑)
…ここまでいつになく真面目に書いてたのに何故オトすんでしょう、私は。
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