管理人の想いの付くままに
瑳絵

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■ カイキ 〜貴方に触れる季節〜 序章


※これは、別館収納となった作品「カイキ」の序章です。
前回の警告どおりの作品ですので、一応お試しと言うことで序章だけここに掲載いたします。
続きを見たい方は、別館へどうぞ。


  カイキ 序章


始めて触れたのは、今にも雪が降り出しそうな冬の夜だった。
 朝陽 奈月(あさひ なつき)は、玄関の隙間から父親と一人の少年との遣り取りをハラハラしながら見つめていた。因みに、その遣り取りを見つめているのは彼女一人ではなく、後ろには母、妹、同居人の男性が奈月同様に見守っていた。
 こんな遣り取りは決して珍しいことではない。だから大抵は放っておくのだが、なぜ今回家族総出で見守っているのかと言えば、こんな天気の日には父の精神が不安定になるからだ。
「お願いします! オレを雇って下さいっ」
 一際大きな声が空気を揺らす。
 奈月は、その声に聞き覚えがある気がして宵闇の先に目を凝らす。
「あっ」
 僅かに闇に慣れた視界に写ったのが見知った顔で、思わず声が漏れた。
「奈月?」
 家族の中で、複雑で微妙な立場にいる同居人、六原 ��司(りくはら しゅうじ)が声をかける。その瞳は、何か知っているのか、と雄弁に語っている。
 ��司は奈月の父親、維郷(いさと)の過去を知っている。そして、冬の日に不安定になる理由も。だから、家族以上に維郷を心配しているのだ。
「あの男の子、うちの高校の人。同級生だし間違いないと思う」
「と言うことは、高二だよな」
 その問いに、奈月は神妙な顔で頷いた。
(お父さんの”お店”を知らないのかな?)
 そう考えたのは奈月だけではない。��司も、そんな二人の会話を黙って聞いている母親と妹も同様だ。
「お姉ちゃん、��司くんっ、あれっ!」
 静観していた妹、晴海(はるみ)が急に声を上げた。
 慌てて維郷達の方に目を向ければ、今にも維郷が少年を拳で殴りつける姿が目に入った。
「アイトっ」
 維郷の”もう一つの名”を呼び、��司が慌てて駆け寄る。
「奈月もおいで」
 その言葉に奈月も戸惑いながら後を追う。
「お父さん!」
 もう一度少年を殴ろうと、胸倉を掴んで拳を振り上げた維郷の腕を��司が押さえ込む。それによって維郷の纏っていた空気が和らぐのを奈月は感じた。
 父親は��司に任せて、奈月は、急に胸倉を離され、重力のままに倒れこんだ少年の横に座り込み、顔を覗き込む。
「大丈夫? ……確か、津桐 伸時(つぎり しんじ)くんだよね」
 確信を持っていたが、確認の意で問いかける。少年は静かに頷いた。舌を噛んだのか、口端から血が流れている。どうしようか、と逡巡していると、維郷が不承不承といった感じで真っ白なハンカチを差し出した。
「奈月の、知り合いか」
「うん、……高校の同級生」
 ”同級生”の言葉に維郷が眉根を寄せる。
「なら、まだ十八歳未満だな」
 怒りを隠そうともしない声。
 それは当然のことなので、維郷のすぐ後ろに立っている��司も止める気配を見せない。奈月も、父の怒りが分かるために止めていいものかと判断に困っている。
「維郷」
 その空気を破ったのは、冬の空気にも負けない透明さを持った声。嗜めるわけでもない、ただ普通に名を読んだだけなのに空気が一変した。
「明沙……」
 明沙(あきさ)と呼ばれたのは、維郷の妻であり、奈月と晴海の母である存在だ。
 彼女は、その後何か言うわけでもなく、ただ悠然とした態度でキレイに微笑むと、踵を返して玄関を後にした。真っ直ぐと伸ばされた背筋が、優雅ともいえる所作で部屋の奥へと消えて行くのを見ていた維郷は、何か言いたげだった口を閉じ、再び開いた。
「とにかく、お前を雇う気は無い。さっさと帰れ」
 冷たい声でそれだけを告げると、維郷も厳寒へと歩いて行く。そして、さも当然というように��司も後を追いかける。その際、一度だけ奈月に目配せした。
「さてと、タクシー呼ぼうか?」
 軽くパジャマを叩きながら立ち上がり、伸時に問う。
「いや、歩きたい気分だから。夜分遅くに悪かったな」
 そのまま背を向けた伸時の腕を、咄嗟に奈月は掴む。
「あの……、お父さんね、怒ったんじゃなくて、哀しかったんだと思うの」
 途切れ途切れに、形の無い言葉を必至に繋げる。
「お姉ちゃん」
 更に言葉を続けようとした奈月を遮ったのは、晴海だった。お姉ちゃん子の晴海が、鋭い声で奈月を呼んだのは、父親の想いを、少なからず理解しているからだろう。そして、それに対して、他人が介入してほしくなかったのだ。
 維郷が、どんな想いで”仕事”をしているのかを知っているから。
「じゃあ、オレはこれで。本当に、悪かった」
 先程より、少し声が沈んで聞こえたのは奈月の気のせいではないだろう。だからこそ、今度は何も言わずに伸時の背を見送った。
 パジャマ姿だったために寒気が襲う。それを目敏く見とめた晴海が、姉の背中を押すようにして玄関に入って行く。

 この時から、何か予感がしていた。幸福の予感も、哀しい予感も。
 ただ、これはほんの始まりで、これから廻る季節の中で繰り広げられる物語の序章でしかない。
 大切な人が傷つかないように、哀しまないように、誰もが祈っていた。


2004年09月16日(木)
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