2002年05月16日(木) |
カップルの生活って何だろう? |
2000年4月から生活を共にしている人と,私の留学のため,今は別居中。 この事について,ロジェはどうしてそう言うことが出来るのか,相手の浮気が心配でないのか,あるいは私が浮気するのではないかと相手が心配しないのか,という。 そう言う心配は私は全然していない。
相手が私を大事にしてくれているのはわかっているし,私が彼を大事に思っていることも,彼はわかっていると思っている。 彼を信頼しているし,彼も私を信頼してくれている。 この「信頼」というのは何なのか?と診察で聞かれた。
改めて何なのかと聞かれると,答えに詰まる。 彼は私を一番に気にかけてくれるし,私の一番の理解者であり,また,彼が相談事をする相手はまず私である。 外ではあまり人に言わないことを,私には言っている。
「彼も人間でしょう?」と聞かれ,「それはもちろん,彼にも欠点はあります。」と答えた。 先生の言葉には,欠点という含みはなかったようで,今の関係が何かの要因で変わる可能性があるだろうということを指していたようである。 彼に誰か別の人が現れるとか,私に新しい出会いがあるとか。
そう言う可能性は完全に否定はできないのだろう。 でも,私には,彼との生活をより良くする努力をすることは考えられても,彼を放り出して,他の人と生活を築いていくということは考えられない。 彼との生活に失敗したら,どうして他の人との生活が成功すると想像できるだろうか?
万一彼に恋人が出来たら,私は彼と別れるだろう。 それは多分,私との間に修復不可能な問題が出来ている事が前提になると思う。 そんな問題が出来るとしたら,おそらく私に非があるだろう。 金銭感覚の欠如,健康上の問題などによって,彼の負担が重くなりすぎる可能性は否定できない。 そうなったときに彼が他所を向いてしまったら,改善する努力はするとしても,おそらく既に彼は私に愛想を尽かしていることだろう。
あるいは彼の方に,何か問題が起こった場合,私は彼が楽になれる様努力するだろう。 それでも,改善されなかった場合,おそらく他の人と新しい生活を始めるという選択は無いだろう。
どちらの場合も,おそらく彼にとって,あるいは双方にとって,家庭は居心地の良い場所ではなくなっているだろう。 私は生まれ育った家庭が居心地の良い家庭ではなかった。 多分そのためだろう,居心地の良い家庭を持ちたいという欲求が大きい。 これからの長い人生,何があるかは予想できない。 今築いている途中の新しい家庭が,居心地の良い場所に出来なかったら,私はどうする,あるいはどうなるのだろう。
ロジェとブリジット,知りあったところは全く異なるけれど,二人とも配偶者との間がうまくいっていない。
ブリジットの夫エリックは数年前から鬱がちで,通院している。 二人の間に会話は少なく,エリックは感情を表に出さない。 ブリジットは,仕事さえ見つかれば,そして,誘いがあれば他の人と生活するために家を出るという。
ロジェの奥さんは,ロジェが浮気するのではないかといつも心配していた。 そして,ロジェを拘束していた。けれど,ロジェに対して高圧的で,ロジェは家に居場所が無いと感じている。 私はロジェと話していて沢山共通点を見つけることが出来るが,奥さんとの間に共通点は少ないという。 私のような人で,一緒になってくれる人がいたら,家を出るという。
メガには23歳年上の恋人がいる。彼には奥さんがいるが,うまく行っていない。メガには離 婚すると言っているという。メガにとっては落ち込んでいたところを救ってくれた人だ。でも,奥さんが知っているかどうかはわからないが,結婚したままメガと付きあっている。
ブリジットの話を聞いたあとメガに出会い,その後にロジェの話を聞いた。 ブリジットもロジェも愛情の無い生活は出来ないと言っている。 愛情って何だろう?
ブリジットはエリックが自分に触ろうとしないという。 愛情は身体で表現するものだと。手を握ったり,キスしたり。 そして,愛情が無い生活は出来ない,と言った。
ロジェの奥さんは,肉体関係を拒んできた。 ロジェには男性としての役割を持たせてくれる相手が必要だったという。 そして,そう言う相手を持ったことがある。 40代を迎えたころに,特に必要を感じたという。
この三つのカップルの話に,何か私は違和感を感じた。 フランス人は挨拶にキスをする。 この習慣は,私は心地良く感じる。 普段から身体をコミュニケーションに使っているから,敏感なのだろうか? カップルがキスしていたり抱きあっていたりという場面はしばしば見かける。
うまく行っていないから別れるというのならわかるのだが,他の人のところに行くというのが私には解らないのだ。 診察で話すと,それは私がうまく行かなければ別れるという二つの選択肢しか考えていないからではないかと言われた。 確かにその通りなのだけれども,なにかしっくり来ないのだ。
何か,「彼女が欲しい,彼氏が欲しい,結婚したい」という希望を耳にするときのような,違和感を感じるのだ。 これらの希望を耳にすると,だれでもいいから相手になって欲しいというふうに聞こえ,そして,幸せは誰かがもたらしてくれるものというふうに聞こえる。
「一人で得られる幸せと,二人で得られる幸せは違うのではないか」と言われた。 確かに,彼と二人の生活はとても居心地がいいし,一人に慣れるのに時間がかかった。 でも,新しい相手を見つける,という発想がどうにも解らないのだ。
二人あるいは複数での生活を維持するには努力を要する。 一人の相手との生活がうまく行かなくなったとき,新しい相手を探すものなのだろうか。 新しい相手が必要なのだろうか? 考えても,何かしっくり来ない感じは残ったまま,何の答えも得られない。
「人が言った事が問題ではなく,受け取り方の問題でしょう」と言う言葉で診察は締めくく られた。
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