│←わずか1cmの斜線で決まる、あたし達の存在。→│
@ふと、気が附けば、あたしは保健室に居る。 朝からクシャミが止まらなくて、7回くらい連続でクシャミ。 勿論、知らない人にも哂われる。 クシャミをした後の顔といったら、もう、たまらなく腑抜けで。。 判ります?
リーディングの先生は、アタシの名前を呼んで、 出席簿のアタシの名前の欄には、短い斜線が入れられる。 ミゴト、欠席。 宜しい。 あたしがいま此処に存在していることなど その斜線で、 決められる。
嗚呼、なんて小さな意味でしょう。
結局、放課後まで保健室の天井を見詰めっぱなしでした。 眠れませんでした。 皆様大変そうで。
人生において『逃げる』ことは休憩することなのではないでしょうか。 その居心地の良さに本来の目的を忘れないことがなによりも大切で。
人間は、自分が想っているよりも、もっと、小さい生き物なんじゃないかと。 あたしが、死んでしまっても、あなたの生活が何か支障をきたしますか? 何もおこらないでしょう。ていうか、何も変わることなく、 あなたの人生は、これから先も、止まることなく進んでいくのです。 つまり、あたしは、あなたにとって、必要のない人間と言えます。 必要でも、不必要でもない、どうでもイイモノなのです。
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