│←終着点に、辿りつく→│
生きた心地がないんじゃなくて、 生きてる責任を知らないんでしょ?
こうやって、動いていると、空気が振動する。 こんな小さなことにも、私は責任を負わなければならないんじゃないか。 ふと、思った。 人間は生きていたって、死んでいたって、「存在」している「事実」は消えない。 たとえ、動かなくても、息をしていなくても。 肉体が腐ることがあっても、魂が消えることはないのと同じで。
チーズケーキを焼きました。 小麦粉が少なかったようで、もう箸がすすまないほどの食感でした。 作った本人がそれでも、娘や家族は喜んで食べてくださって、 やさしさに感激いたしました。ありがとうございます。
「死にたい」と騒ぐのは勝手だし、死ぬも生きるも、選択の自由はある。 でも、そうすることによって、罪は深まり、自分の「傷」を武器にすることが不可能になる。 肉体が腐ったって、所詮、肉体はただの肉の塊。 魂はあるんだから、責任はその魂に向かうに決まっている。 別に死ぬことも生きることも、どちらも正しいとなど思わない。 ここに立って、世界を眺めることしか出来ないし、何も言えないから。 でも、思う時がある。 死が残すのは、「解放」でもなく「幸せ」でもなく、「重い責任」だけじゃないかって。 私には関係ないことだけど。世界は、嘘だということさえも、嘘かもしれません。 答えなど、存在しないこの世界で、私は、何をすればいいんでしょうか。 答えは簡単です。 自分も、このRPGを楽しめばいいんです。 RPGなんだから、怖くないでしょう? 気に入らなければ、リセットすればいいんだから。ボタンを押すだけだよ。
爪を噛む癖も手首を切る癖も、ドラえもんの声優が一新すれば 直ると思ってた。 娘はお誕生日に頂いた立体パズルを何十分も一生懸命やっている。 私のほうが先にダウンしてしまう。 動物が描かれてある絵本に、ライオンが居るのだけれども、 ライオンのページを開いて、動物のブロックを並べて、「ライオン、どれかな?」 ってきくと、ライオンのブロックを絵本のライオンに押し付ける。 色と形は分かっているらしい。にゃんにゃんを、「ねっねっ」と言っているが 「りんご」にも、「ねっ」と言っていた・・・・。 同じ学年の赤ちゃんを見ると、一目散に走っていく。 遊ぶわけでもなく、凝視しに行くだけだが、不思議に思っているらしい。 その子のお母さんの足にしがみついて、影からみていたりする。ちょっと不気味だ。 散歩に行きすぎなのか、鼻水が止まらない。§2005年11月02日(水)§ |