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■ 一回転して
書こうと思って書かずにおわったら書こうと思わないのと同じかも知れない。 あるいは同じではないかも知れない。
先日の「ようこそ先輩」(番組タイトルはこれでよかったか)@ETV、矢野顕子の回&次回予告(志茂田景樹。昔、いいともでブレイクしていた頃、麻布十番ですれ違ったことがある。キワモノ的なイメージがあったけど、すらっとしていてけっこうきれいだったので驚いた)を観つつ、授業が成り立ちやすい内容とそうでない内容とがあるよなあ、と言い合う。 身体動かし系は外さずまとまりやすいんじゃないか。書き物系はコンセプチュアルになりすぎてこけている場合が少なくない。あとは、大人のコトバを使いすぎていたりとか。子供と大人のコトバが違うとか、子供に大人のコトバがわからないというつもりはないけれど、あんまり説明が抽象的だと、なまけている、と思う。単純に発する側が気づいていないだけかも知れないけれど。 しばらく前に観たリリー・フランキーはわりとうまくいっていたのかも知れない。いつだったか出張先のホテルで観たNかにし礼の時はちょっときつかった。もっと自分をさらけ出せだなんて、さらけ出すということ自体が大人の発想に基づいていると思った。子供がみんな自分をさらけだしているわけではないにしても、子供の気づき方によってはトラウマになりそうで。Nかにし礼という人の持ついやらしさ(は、そしてもちろん魅力でもあろう)がよくわかったとも言えた。 矢野顕子の回を観つつ、「YOU」で坂本龍一が音楽講座をやった時のことを思い出したりもしたのだが、最近、何回目かわからないけれども矢野顕子の音楽に親しむ季節が到来中でもある。今回は80年前後(まさに美雨嬢誕生前後の頃)にリリースされたものをよく聴いて、歌っている。 子を持って聴く矢野顕子というのもなんだかいかにもなんだけれど、知った曲でも新鮮でいい。
Kは顔がまんまるになってきた。以前は大きな頭の子を見るとちょっとぎょっとしたりもしたのだが(実は)、今や大顔の子の母(も大顔)。りー氏に抱かれてこちらに向かってくるさまといったら、なんだか顔が歩いてくるようだ。 言語生活面では、ギー、に加えて、ブブー、と言うのが気に入っているようだ。ひとりでよくしゃべったり(眠くなった時などもひとしきりなにやら言っている)、あるいは、こちらの発する擬音に喜んだりしている。それをくり返してやると非常に喜ぶ。くり返して飽きないというのは子供の遊びの特徴とも言えるだろう。他に、おでこどうしをごちんとぶつけたり、鼻をくっつけたり(ええ、猫方式です)、ほおをつん、とつついてやったり、というようなことを、一度ならず何度も何度もしてやり、ウキャキャ(と、今や声を上げて笑うこともできるようになった)と大いに喜んでいる。 足も太くなった。
2007年02月13日(火)
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