♪涙の数だけ強くなれるよ アスファルトに咲く花のように 見るものすべてに おびえないで 明日は来るよ 君のために…。岡本真夜のTomorrow。別に今日涙を流したわけじゃないんだけど、ふとこの歌を思い出したの。本当に涙の数だけ強くなれるんじゃないのかなって思って。今は年をとってしまったし、悔しいから、悲しいからっていう理由で泣くようなことはなくなったけど、昔は本当によく涙を流したの。悔しかったり、悲しかったりして。涙を流すごとにいろいろと考えたりもしたかな?何でこんなことをいわれなきゃいけないんだろうって思ったときもあるし、あまりにも痛いところをつかれて自分自身を見つめ直したり。人って誰でも自分の痛いところ、弱いところは責められたくないから、いつも一生懸命自分を守るよね。ただ思うに、いつも、いつも自分を守っている人の方が自分の強さを見せたがってるような気もする。攻撃は最大の防御といわんばかりに。穏やかで普段は何もいわない人の方が、芯は強くて何事にも動じなかったりするかもね。人は千差万別だから一概にすべての人がこうだとうはいわないけど、そんな気がするんだ。普段から自分を守るために他の人に噛みついてる人って、ムースの知ってる限りだと、噛みつき返してこない人に噛みついてるような気がするの。いつでも自分が勝てるって思う相手。自分が見下してる相手ばかりを選んで強さを見せているような気がする。もちろん選ばれた相手はたまらないよね。訳のわからない言い掛かりをつけられて、責めたてられるんだから。こんなときってすごい悔しいんじゃないかなって思う。悲しくもなってくると思う。自分の気持ちとは裏腹に涙も流れてくるかもしれない。でも、この涙って流せば流すほど強くなっていくんじゃないかなって思う。本当の意味での強さが身についていくなんじゃないかなって思う。何も人に責められるばかりでなく、自分自身に歯痒い思いをしたり、自分の思うように出来なくて情けなくなるときも涙を流すかもしれないけど、それがばねになって次の段に進むことが出来るんじゃないかなって思う。人がどれほどの涙を流すかはわからない。でも今までに流した涙の数だけ、人は少しずつ強くなっていってるんじゃないのかなって思う。 今では泣くことなどほとんどないムースだけど、一時期自分でもどうしちゃったのって思うくらいすぐにメソメソする時期があったの。よく泣いた。それだけ悔しい思いをしてたんだけど。幸い、今とは違って孤独ではなかったから、どこかで上手に胸につかえたものを吐き出してた。もちろん傷ついた気持ちはそのままだけど。ただ、思う存分泣いたら、あとは2度と傷つかないために強くなっていこうとしてた。きっと骨折したらその箇所は2度と骨折しないっていうのと一緒なのかもしれない。1度傷つけられた箇所は2度と傷つけられないようにしてたんだろうね。そうやってどんどん強くなっていこうとした。傷つけられたらやっぱり恐怖感は植付けられちゃうから、おびえることも多くなったと思う。ただ恐怖感を持つことすべてが悪いこととは思わない。だって恐いってことを知ったら、自分のやることが少しは慎重になるから。やる前に考えるようになるから。恐いってことを知らないってことはいいこともたくさんあるけど、よくないこともたくさんある。恐さを知らないから、無鉄砲になりやすいよね。突っ走りやすいよね。もし恐さを知っていれば、むやみやたらに突っ走らなくなると思う。無鉄砲に行動すると人を深く傷つけることもあるからね。 何も涙をたくさん流せとはいわないけど、涙をたくさん流している人の方が強いんじゃないのかなって思って。誰にでも明日は来るんだし、今日より明日の方が強くなっていたら生きていて楽しいもんね。涙の数だけ強くなって君のために明日が来たら、人一倍生きていることが楽しいよね。ムースも流した涙の数だけ強くなってるといいなぁ。
朝起きるまで気がつかなかったけど、今日は9月11日だったんだ。あの事件からもう1年が経つんだね。時が過ぎるのは早いねぇ。去年の今日は何してたんだろうって思っちゃう。確か、朝起きて、コーヒーをいれて、メールをチャックしたらニューヨークが大変なことになってるっていうメールが入ってたっけ。あの当時はここに引っ越してきたばかりで、部屋にTVすらなかったもんね。っていうか車がなかったからTVすら買いに行けなかったっていうのが本当のところだけど。最初の2ヶ月はTVのない生活を送ったんだもんね。今思うと懐かしいなぁ。だから新聞で何が起こったか知ろうと思ったけどニューヨークタイムスには全然アクセスできなくて、何が起こったんだか全然わからなかった。今思い出すと、去年の今頃は忍の一文字だったような気がする。明日はきっとよくなるっていつも信じて我慢の連続だったかな。考えてみれば今以上の孤独だったけど、それでも何とも思わなかったもんね。っていうか、思わないようにしてたかな。まさか自分の心が崩壊しちゃうと思わなかったから。アメリカって国もこの1年でいろいろあったかもしれないけど、ムース自身もいろいろとあったなぁ。ムースの場合は9月11日ではなく、真珠湾攻撃と一緒の12月8日だけど。そういえば、アメリカでは貿易センタービルに飛行機が衝突したことと真珠湾攻撃を一緒にしてたからイヤな気分にもなったかな。真珠湾攻撃以来の出来事だとか、真珠湾のときと一緒だとか、そんなことをいってたっけ。まるでこれも日本人がやったといわんばかりの雰囲気があったもんね。今では新聞にすっぱ抜かれちゃっているけど、アメリカはこの行為が行なわれることを知ってながら、ムシしてたんだもんね。大体、事件の翌日に犯人がわかるなんておかしいよね。オクラホマの連邦ビルに爆弾が仕掛けられたときは犯人を断定するまでに時間がかかってるのに。っていうか、これが普通。誰がやったかわからないから、捜査して、犯人を特定するはずなのに。捜査をしてないのに犯人はあなたって断定したっていうのは、最初から事件が起こるってことがわかってたんだもんね。イヤだね。真珠湾のときと一緒だね。知っていながら攻撃させるなんて。そのせいで多くの人の命が失われるっていうのに。人にはいろいろな考え方があるし、出来る限り受け入れていきたいとは思う。でも人の命を犠牲にして、自分の考えを貫き通そうというのはいただけないね。こんなことが2度と起こっては欲しくないね。アメリカに限定した話じゃなくって、世界中のどこでも起こって欲しくないね。愛情と憎しみは紙一重だけど、その紙一重の一線を越えないように、いつも愛情を持っていたいよね。
長く書くとやっぱり訳のわからない日記になっちゃうね。あらら…。 |