Leonna's Anahori Journal
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2002年07月29日(月) |
テニススクールのこと(完結編) |
テニススクールの件、やっと片付いた。
午後二時に本社の担当者、支店長、スクールのマネージャー、コーチと一堂に会し、謝罪の言葉をもらう。先方からは「できれば是非これまで通りのクラスでレッスンを」とのことだったが、私は一足違いで今日午前、T田沼校へ行って転校手続きをしてきてしまった。
今回のゴタゴタを抜きにしても、今いるスクールは新しいので(5月にオープンしたばかり)生徒も少なく活気に乏しい。それに、T田沼には大きな書店やCD店もあるので、週に一度テニスに行ったついでに本を漁ったり、ゆっくりお茶を飲んだりするのも悪くないと思ったのだ。
久々にT田沼校のフロントへ行ってみると、以前三年間お世話になったコーチとばったり。私が「またお世話になりたいんですけどあいてますか」と訊くと「ちょうど今月末で動く人がいるから入る?」という答え。「それでは9月からまたお世話になります」ということでトントン拍子に話は進んだ。
さて、五者面談の方に戻ると。 コートを離れた場所で初めて対面するコーチは今まで思っていたよりもずっと若くみえたのが意外だった。要するにテニスは上手だけれどまだ仕事で教えるようになってからは日が浅かったのだろう… いずれにしても、やっとこれで一件落着したわけだ。 ストレス、かなり軽減。ふぅ〜
2002年07月28日(日) |
プリミティヴな正義感 |
しばらくかかって青柳恵介著『風の男 白洲次郎』という本を、少し開いてはすぐ閉じるといった調子で、のろのろと読み進めている。
この評伝によれば、白洲次郎という人(実業家。吉田茂首相の懐刀と呼ばれ終戦処理に活躍)はすぐに怒鳴る。それも地位のある責任ある立場の人間に対して怒鳴る。どんなに偉いひとに対してでも臆することなく自分の意見を言い、対立するとこれまた臆することなく自説を通そうと大きな声でやりあうのだ。
読んでいると、強いものに平気で向かっていくその姿勢の良さ、格好良さに、ほとんど打ちのめされそうになる。 それというのもこの数日、私自身も、怒り怒鳴り悪態をつきながら、なんとか自分の“正論”を通そうとやっきになっていたからで、しかもそうやってジタバタしている自分の姿がどうにも無様に思えて自己嫌悪に陥りそうになっていたからだ。
正論を通そうとする人間は、表面はともかく内実は感情的であってはならない。表面的には熱くなっているように見えても、その心眼は正論の先にあるヴィジョンを見失ってはいけないのだ。 また、いったん自分が意見を表明したならば途中で姿勢を変えるべきではない。こんなことを言ってひとからどう見られるだろう?などというケチなことを考えるくらいなら最初から意見などしなければいいのだ。こういうことは少し冷静になってみればすぐにわかる。
しかし、それはそれとして、オンナが怒るとき怒鳴るとき正論を主張するときに、いくら正しくたって“これ以上はデッドゾーン”という一線はあるだろう、と、まあそういうことも考える。 これはケチな見栄とはまた別の、いわば身だしなみの問題というものだ。 短気で怒りっぽい私の性格はおそらく“一生もの”だろうから、せめて自分なりの規範というものを持っても良いと思うのだ、もう大人なんだし。
結局のところ私は、怒りをぶつける相手に嫌われることをおそれているのではなく、自分が自分に幻滅することをおそれているのだろう。 だから一貫して“怒り姿勢”の良い白洲次郎、どんなに怒鳴っても決して振り向かない、うつむかない白洲次郎の格好良さに我と我が身を映してはうなだれてしまうのだ。
ところで、白洲次郎というのは先にも書いたとおり吉田茂首相の懐刀と呼ばれた男。第二次大戦後、ケンブリッジ仕込みの英語と世の中の三歩先を見通す眼力でGHQを向こうに回し終戦処理に活躍、日本国憲法誕生の現場にも立ち会った昭和史の重要人物なのだ。(ちなみに奥さんは文筆家の白洲正子) だから、そもそもそういう人の短気と私の短気が同じ物であるわけがないのだけれど…(笑)。しかし、な。
“ボクは人から、アカデミックな、プリミティヴ(素朴)な正義感をふりまわされるのは困る、とよくいわれる。しかしボクにはそれが貴いものだと思っている。他の人には幼稚なのかもしれんが、これだけは死ぬまで捨てない。ボクの幼稚な正義感にさわるものは、みんなフッとばしてしまう。”(『風の男 白洲次郎』より)
どうです?こういうことを言うひとに惚れなかったらオンナに生まれた甲斐がないじゃないか、と私は思うんだけど(笑)。 ま、こういう人間の魅力に不感症であるとしたら、オトコに生まれた甲斐も(オットコならなおのこと!)あったもんじゃないですけれどね。
高校時代の友人ふたりと、横浜で食事。 出かけた先はシェラトンホテルのディナーブッフェ。私の好きな“食べ放題”だ。 ゆっくりと好きなだけ食べ且つ話し、そして飲む。おかげでつまらないアレコレを罵倒し、笑い飛ばすことができた。十代の頃とまるで同じようにつきあってくれる友人たちに感謝、感謝。
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ブッフェの待ち合わせ時間より少し早めに着いたので、桜木町のランドマークプラザをぶらぶら。元町ストリート奥の洋食器店タカラダ(明治創業の老舗)で高級デミタスを発見、鼓動が速くなる。フランス、リモージュ焼きのものや、ドイツ製のバラに金線が入ってお姫様専用みたいなやつ、それからタカラダオリジナルの花の絵柄のものなど、など。
特にドイツ製のお姫様のカップが無茶苦茶可愛らしい。高さよりもやや口径が大きいデザインも変わっているし、小さなカップに豪華なバラと金彩がおっとりと上品に収まってちっともゴチャゴチャしていない。ほしいなぁほしいなぁ、でも、一客一万六千円つーのはなぁ…
このドイツの陶磁器メーカーの名前、教えてもらってから十五分くらいの間は覚えていたのだけど、食事をしたらきれいさっぱり忘れてしまった。でも検索エンジンで調べたら、あったあった、ありました。その名も『フュルステンベルク』。(いかにもGermanyという名前でしょ?)
タカラダさんは、もしこれが売れてしまっても、ご注文くだされば一客からでもお取り寄せ致しますと言ってくださいました。とにかく、メーカー名だけは忘れないようにしておかなくちゃ(えーとメモ用紙、メモ用紙…)
メールをいただきました。
「テニスのコーチがとんでもないヤローって、もしかしてそれ、セクハラですか?」
簡潔にお答えすると「違います」。(…ここで、あ、セクハラじゃあないから怒ってるんですネ!などとつっこまないように)
今月から担当になった新コーチ、最初から「今度のコーチはキツイね」と生徒同士、言い合ってはいたのですが。 今週はとうとう、中級のクラスでどう考えても上級以上のレッスンをやって、そのうえボール獲れない生徒を見て失笑かましてくださったんですよ。 で、なぜそんなことになったかというと、今週から入った上手な生徒(コーチにひっぱられて他のクラスから移ってきた)と体験レッスン生(激ウマの男子。どうみても上級の上レベル)がいたからなんだな。
それで、元々のクラス生の私ともう一人のオバサンは、サウナみたいな室内コートを死ぬほど走り回らされたうえに、給水の配慮すらしてもらえなかったわけ。 冗談抜きで危ないよ、倒れたらどうするんだ。そんなのスポーツの指導員にとってはイロハのイだろう! そのうえ鼻を鳴らして冷笑するわ、レッスン終わっても「お疲れ様」の挨拶ひとつなしなんだよ?こんなことが許されていいわけないよね。 レッスン料払ってどうしてこんな目にあわなきゃならないの、シドスギルワ!!
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とまあ、そういう理由なんです。 でもってご多分に漏れず、今回もなかなかまともな対応をしてもらえませんでね。 やーな思いを散々した挙句、やっと本社のお客様相談係と当該スポーツクラブの支店長氏に会っていただける、らしいんです。 それじゃあというので「件のコーチ同席でお願いします。言った言わないじゃなくて、実際にあったことを私のいる所でお話しいただきたいので」とお願いしておきました…
しかし、信じられないようなヤツっているもんですね。まったくもって、冗談はヨシコさん!
今年の暑さはちょっと尋常ではないと思いませんか? なんか、地球崩壊への序曲って気がしてくるのは私だけ? 7月なのに次々と台風が来たりするのも“環境問題と関係あり”とする説があるそうです…
しかし、地球崩壊以前に私の方が崩壊してしまいそう。 暑いわ、仕事だわ、カラダキツイわ。 夜9時を過ぎると背中が張って、まっすぐ立てません(もう歳だわね…) そのうえテニススクールとの間で問題勃発。 新しく担当になったコーチがとんでもないヤローでね。 いまスクール側に正式に苦情を申し入れているところ。 ガッコかわることになるかもしれません。… そんなこんなで、溜息つくのもいやんなるくらい疲れています。 (なにせ昨日なんか『濱マイク』観るのも忘れてたんですよ)
それで、こうなったらもうあんまり頑張ってもしようがないので省エネモードでゆらり〜んと、 あるかなしかの空気の流れに乗っかってしばらくは生きていこうと思います。
リニュだの更新だの、滞っていたのがさらに滞ってしまうかもしれませんが、 この老チマリスの目尻の涙に免じて勘弁してやってくださいませ。
(あーあ。バリ島へでも逃げたいっちゃ…!)
新聞もテレビもみていないので知らなかったけれど、どうやら関東地方も梅雨明けしたらしい。 家にいても暑いし面白くないことばかり思い出すので、気晴らしに買い物に出かけた。
ちょうどアイロンがけにつかうリネンウォーターというのが欲しいと思っていたのだ。あと、朝コーンフレークを食べるときのシリアルボウルも。それから、旅行に行くときにはくカーゴパンツ(ウエストを紐でしめるユルユルズボンでも可)もさがしたい。
それで、今日も今日とて“ららぽーたー”となり、二時間ほど歩き回ったあと、スタバでお菓子を食べながら読書して帰ってきた。
リネンウォーターは AfternoonTea のラヴェンダーの香りのを、シリアルボウルにはポルトガル製の、手書きの花の絵のついたカフェオレボウルを買って代用することにした。
少ーしだけれど、気が晴れました(笑)
今朝ベランダに出たら、今年最初の朝顔が咲いていました。これは『富士の青』という種類。
きょうは、土用の丑の日。 ちゃんと鰻を食べましたよ。こんどは間違えなかった(笑)
(土用の丑の日は年によって日が違うので、いままではたまに間違えて、カンケーない日に鰻を食べてしまったりしていたのです)
鹿児島県は大隅半島の豊富な地下水をつかって養殖したうなぎ。 ふっくらとして、とても美味しかったです。
ああーくたびれた。やっと一週間が終わった。 でも今日は何となくスッキリしない気分。
いい年をしてお店で口うるさく注意される。仕事だから別に注意されることがあっても仕方ないけれど、少しシツコイ。
この間は、6月のうちに了解をとって出したシフトのことで、突然、上の人間から電話がかかってきてくどくど説教された。 いわく「なぜこんなに長くお盆休みを取るのか」と。 それは、もうとっくの昔に店長に了解をもらっているのに。店長のみならずお店の人たち全員に説明して了解をもらっていることなのに。 しかも、相談したさい「後半は都合がつきますから出てきます」と申し出て「いや、構わないです」と言われたから入れた休みなのに。 さらに提出の際、「通常と違う休みパターンなので理由等一筆書いて出しますか?」ときいたら「書かなくていい」というからそのまま送ったのに。 どうして今頃になってこんな事言われなきゃならない? どうして店長に事情を聞かずに直接本人に文句言う? それじゃ、何のための店長なのさ?
よほど「事前に了解をとってあります」と言おうかと思ったけれど、そうすると詳しく説明しなけりゃならない。電話が長くなる。すぐそばにお客様がいるのに。要するにそのとき、とても忙しかったのだ私は。 それで「ハイ、ワカリマシタ」を連発してワカッテルということをワカッテいただいて、受話器を置いた。
ところがその後も、そして今日も、店長とその上長の連絡(意思の疎通)がうまくいっていないせいで、なにかにつけてこちらにしわ寄せが来る。 今日はその上長(店長の上の人間)とふたりで仕事をしていたのだが、しつこく注意(問題の背景について説明)するのをやめないので、いい加減うんざりしてきて、ほんとにもう怒鳴ってやろうかと思った。
“いまごろそんなことくどくど言うなッ!そんな大事なことなら最初に言え、最初にッ!!”
ま、相槌うって聞き流しときましたけれども。要するに管理職間のコミュニケーションがうまくいっていないのだ。ほんとレベル低いよな。泣けてくる。
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こういうとき何が悲しいって、こういうツマラナイことが心の中でじわじわと拡がって、自分の世界全部がツマラナイもののように思えてくる事ほど悲しいことはない。 だいたいあんな馬鹿気たことがまかり通るのは限られたせまい世界だからで、本来あんな事は、大間違いのこんこんちきなのだ。
それに一歩店を出たら、私は私のもので、アホな上司なんかカンケーないんだから。ないんだから、だから、いつまでも私のなかで嫌なくすぶり方をするのは止めてほしいんだな。
…と、さんざん愚痴ってみても、なにやらうっすらとかなしい気分。今日は。
母の新盆。
父の家へ行く途中、教えられた花屋で仏花を買っていく。坂の上、四つ辻に面した角店の花屋。 父によれば「あそこで買うと花が長持ちする薬(鮮度保持剤)つけてくれるからいい」のだそうだ。
私は店の前は通ったことがあるけれど、買い物するのは初めてだ。 桶に入った仏花を二束取って「これください」と言いながら入っていくと、白のU首シャツ(要するにアンダーウェア)にベージュのコッパン姿の店主と思しき中年男性がいた。いつもこんなふうですといった感じの、普通に機嫌の良さそうな笑顔。 中背、白髪混じりの頭で、顔がなんとなく白洲次郎に似ている。
この店主に「これください」と花を渡すと、紙にくるむ手をとめて私の提げているスーパーマーケットの袋へさっと何かを放り込んだ。驚いて、見ると、ほうずき。
「お盆でしょ。お仏壇にあげるか、そうじゃなかったらご自分で遊んでくださいな。」
早口で、歯切れよくそう言ってニコニコしている。 もう若くはない女性に、ほおずきで遊べとは…。今の世の中に、こういうことをごく普通に口にするこの生花店主、こりゃなかなか粋なオジサン!とチマリス感心してしまった。
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午後一時過ぎ、お坊さんがお経をあげにきてくれた。 そのあと、妹とふたりで白玉あずきを食べたりしながら、母の仏壇の前で夕方まで過ごす。 父に「あの花屋さん、チョット白洲次郎に似てるわね」と言ったら可笑しそうに笑っていた。
これが花屋の白州さんからもらったほおずき。母の仏壇に供えました。
買い物に出かけた先で、大きめの書店に入った。なんとなく心がザワザワするので、もしやと思って文庫の棚をさがしたところ・・・
あった。ビンゴ!吉田(健一)本、ひとかたまりを発見!思わず鷲掴みにする。 『金沢/酒宴』『絵空ごと/百鬼の会』『東西文学論/日本の現代文学』『文学人生案内』。それとすでに入手済みの『時間』と『本当のような話』も見境無く一緒にひっ掴んでしまったので、この二冊は元へ戻した。(すべて講談社文芸文庫)
これらの本は絶版扱いで、書店に残っている分しか新本では買入手不可能。まさに一期一会の本たちなのだ。ついていた。 「きょう〜は良い〜日だ〜」と歌い出したいような気分で、もう二冊、別の本も買う。池澤夏樹の『むくどり通信 雄飛篇』とマルセル・デュシャンへのインタヴューをまとめた『デュシャンは語る』。
私は、徹頭徹尾、自分のスタイルを貫き通した芸術家が手前勝手なことばかりゴチャゴチャ言うのを聞く(読む)のが好きだ。そういう意味で、このデュシャンの本は面白そう。帰りに喫茶店でパラパラとめくっている間にもこんな発言を発見してうれしくなってしまった。
“家庭というのは、自分の本当の考えを放棄させて、それを家庭によって受け入れられるものと交換してしまうのです。社会やほかのがらくた一切とです”
ここでは何故私が結婚したかとか、なぜ今も結婚の状態にあるのかなどということはさておくとして。なんかこう、ええどぉ、ええどぉー、デュシャン!というかんじ(笑) たとえ都合の悪い真実でも、この言葉には真実だけがもたらすことの出来る或る種の爽快感がある。
2002年07月12日(金) |
エゴ・ラッピン『Night Food』ほか |
ジャーナルを読んだ友人から「仕事、楽しそうだね」というメールを何通かもらった。
えーと、それはですね。楽しそうに見えるところだけを取り出して、拡大して、少ーし対外向けにお化粧して(フェイスブラシ二はけ分位)書いてるからなのね。 一応は、ストレスなんかもあるよー。 特に一昨日とか今日とか、まいったよー。
でも、やっと一週間が終わってうれしい。こういう曜日の感覚とか、他人とのチョットした軋轢とか、遊ぶぞーって開放感も、三年半ぶり。だから「ま、いっか」と思えるんだろうね。 フンッ、こうなったら小金貯めてやるぞ〜(へへ。)
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先週の日曜日にCDを三枚買った。そのこと、書こうと思って忘れていたので書きます。
“Night Food” EGO-WRAPPIN' “HAPPY END PARADE 〜tribute to はっぴいえんど” “Life goes on” Dragon Ash
エゴ・ラッピンのは濱マイクの主題歌『くちばしにチェリー』を買いに行ったらちょうどアルバムが出たところだったので。これはカッコエエよ!そして暑い季節にぴったりの音楽。ただしインドア系だヨ(笑)。夏で夜でお酒がある感じ。去年はk.d.ラングだったけれど、今年の夏はこの一枚だ。
HAPPY END PARADE はトリビュート物の二枚組。参加ミュージシャンは小西康陽、スピッツ、田島貴男、つじあやの、キリンジ、片寄明人、WORLD STANDARD 等々。 一曲目から小西の『はいからはくち』が超絶激クール。奥歯ガタガタもの。それでスピッツの『12月の雨の日』でウンウン唸って(歪むギターとマサムネの声!)、『抱きしめたい』の田島貴男の息づかいを聴いたらばもう、これ以上ガマンでき〜ん!(笑)試聴用のヘッドホンをかなぐり捨ててレジへ走ってましたよ。聞き応えのある一枚。
ドラゴンアッシュは、ドコモCFタイアップ曲のマキシS。 ♪メニマイズ、ソ、メニライブ、オルダタイムメイクミ、ソ、クレイジ〜(いっしょに歌っております) 若々しくて元気で大好きな曲。ドラゴンアッシュはこの頃になってようやくミュージシャンとしての素顔(正体)がわかってきましたネ。 …とまあ、三枚買って三枚とも当たりというめずらしい結果に。ラッキー&ハッピー。
朝起きてみたら台風6号は通り過ぎたあとだった。晴れて、暑い。 酷暑の中、父と待合わせて亡母の墓へ詣る。
十五日、新盆に帰ってくる母のためにお墓の掃除。 お盆が終わって戻ったときのためにきれいにしておいてあげるのだそうだ。 父は黙々とお花を替えて、お線香に火を付けると般若心経を唱える。
以前私は、父親のこういう律儀さを形式的なものだと思っていた。昔の人間が大切にしている習慣的なことで、これをしなければなんとなく落ち着かないのだろう、と。
しかしこの頃では、形式半分、あとの半分はココロからの要請なのだなと気が付いた。そしてその要請は強くて混じりけのないものであることも段々わかってきた。昔の人間、大正生まれの日本男児はそう簡単に感情を表にあらわさない。それが愛情ともなればなおのことだ。いきおい、形式にココロを盛ることになる。
お経をあげたあと、雑木林のそばの東屋に入ってサンドイッチを食べた。日陰に入ると自然の風が心地よい。台風一過の空が真っ青だった。
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それにしても今日の暑さ、八十になる父にはかなり堪えたようだ。ゆっくりゆっくり摺り足で歩く。横浜駅で別れるとき、心配になって家までついて行こうかと思ったが「大丈夫だから、早く帰れ」と言ってきかない。
帰宅してからも気がかりで電話をかけたのだが、なかなか出ないので鼓動が早くなる。やっとつながったときには「いま家に着きました。今日は早く寝てください」と言うのが精一杯だった。
夜。茗荷をきざんで冷や奴を食べた。のどに沁み入る美味さ。
今朝、洗濯物を干していたら野良猫のマリーちゃんがベランダの下に来ていた。 すぐにカルカンブレッキーズを投げてやったが、吊り下げ式猫用給水器(5/3の日記参照)を下ろしたら驚いて逃げてしまった。
「承っておりました、新しいお眼鏡が出来ました」との電話。 さっそく取りに行く。 ・・・・見事に“ザマス”だったよ。 今度忘れた頃に、写真なんかアップするかもしれない。(本人は、けっこう気に入っているのだ)
父の家へ行く。
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15日にお坊さんを呼んで、母の新盆のお経をあげに来てもらうことになった。このあたりではお盆は8月ではなかったかと思うのだが。父ははなから7月にするつもりであれこれと準備をすすめており、私と妹は「ママが帰ってくるのが待ちきれないのかな」などと話し合ったりした。
少し前に訪ねたときには、仏具店の折り込み広告を見ながら「これも買っておくかな」とバーゲン価格の仏壇グッズにマジックで丸印をつけていた。これには少し驚いたが「電池で点くろうそくは、点けっぱなしにできるから便利だよ」と教えてあげるとうれしそうに印をつけて、翌週にはさっそくもう買ってきた。
また「新盆用の白い提灯を買う」と言うので、「そういうのは省略してもいいんじゃないかな」と不用意に発言したら機嫌が悪くなった。あとで妹にきくと、福島のお義母さんの新盆には親戚からいくつも白い提灯が送られてきた、とのこと。私が知らなかっただけで、白い提灯には新盆をむかえる家族(親族)の気持ちが込められていたのだなと反省した。
ところで父は今度お経をあげに来るお坊さん(四十九日のお経もあげてもらった)に、自分の葬儀も頼みたいのだそうだ。縁起でもない話だなどとは思わない。きっとひとつでも先の用事を済ませておきたいのだろう。「そうだね、そうしたら安心できるもんね」というと「引導を渡して下さいって頼んでおくんだ」と言う…
ところで私はというと。ついこのあいだ初めて母親を亡くして、目の前で話している父親も遠からず居なくなってしまうのだと思うと、悲しくて頭がどうにかなりそうである。これまで、不覚にも私は親を亡くすのがこれほどまでに悲しいことだとは思っていなかったのだ。
なぜならば、世の中のおとな(主に中年以降の人たち)にはすでに親を見送った人が大勢おり、その人たちはみなけっこう普通に生活を続けていて、それを見て私も「そりゃ悲しいけれど何とかなるものらしい」と、漠然とそう思ってきたからだ。
しかるに、今の私の気持ちは「騙されたゼイ!」とでも言いたいくらいのもので、世のオトナが心にこんな深い悲しみを抱えながら生きていたなんて、あたしゃ知らなかったよ!と驚いているのだ(バカみたいですが)。世の中、その身になってみなければわからないことだらけだ、と、つくづくそう思う。
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ところで、いまポール・オースターの『孤独の発明』を読んでいるのだが、その中に、作者に向かってこんな面白いことを言うお爺さんが出てくる。
“小さな子供が、ずいぶん妙な目にあったものだ”
小さな子供とはかつての自分のこと。妙な目というのは、成長して大人になり、予想だにしなかった色々な経験を経てやがて皺だらけの老人になってしまったということだ。
私は今日、この言葉を父に教えてあげた。そうして「きっとお父さんも、すごい冒険をしてきたことになるんでしょうね。なにしろ私のような娘を持つことになったんですからね」と言うとかすかに笑ったようだった。
それから「私はまだこれから何十年か冒険を続けることになると思うけれど、一体どんな目にあうのかと思うと楽しみなような、そうでもないような」と言ったら、今度はニッコリしたので、私もハハハと笑った。
空気がやわらいで、ほんの少し気が楽になった(オースターさん、ありがとう)。
2002年07月03日(水) |
Latte Latte |
ああ蒸し暑い。はやく明けてくれないかなぁ、梅雨。
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今日は仕事でとなりの駅までおつかいに行きました。 かえりに、暑いなー、何か冷たいもの飲みたいなーと自販機を見たら、あっ、コマーシャルで犬みたいに歩いてたヤツがある!
そうです、サントリーのコーヒー飲料 Latte Latte(ラテラテ)です。まだ飲んだことがなかったので、さっそく買ってみました。そうしたら…
あの小さなペットボトルを実際に手にすると、手足がはえてきてCFみたいに歩き出すんじゃあないかという気になりまして。しばらくの間、縦にしたり横にしたりしながら、しげしげと眺めてしまいましたよ(笑)
そんなLatte Latte(ラテラテ)でしたが、飲んだらとても美味しかった。パッケージ(フレンチブルーのカップの絵)も可愛いし。ファンになりました。
ところで、あの“子犬の散歩”風のCF。あれは“ペット”ボトルという洒落なのかしら?今頃こんなことに気が付くの、私だけ?(わかるの遅い)
Latte Latte飲んで今日も元気なクマのアレキサンドル。「アレキと呼んでください。ドウゾヨロシク」
2002年07月02日(火) |
歓迎、友情出演『濱マイク』 |
今朝、仕事に行ったらイトーチャンがやってきて 「レオナさんはドラマなんか観ますか?」と訊くのだ。
「あんまり観ない方だけど、観るのもあるよ。なんで?」 「昨夜『濱マイク」ってドラマ…」 「あーみたみた!全部じゃないけど観た」 「ワーイ、やっぱり観てたー!」
ここでひとしきりワーイワーイと盛り上がった(笑)。続いてイトーチャンが、
「ドラマ面白いし、永瀬ってば本当にイイ男!」。
これは問題発言だ。なぜなら若妻イトーチャンにはすんごくカッコイイ旦那様がいるから。(ちなみにこのダンナ様に私がつけたコードネームは“ドラゴンアッシュ”)しかし勿論、私は理解あるオトナなので無粋な意見などしない。そのかわりに「永瀬もいいけど私は浅野忠信のファン〜」とオトナ(?)の主張。 そうしたらイトーチャン、間髪を入れず「あっ、アタシも浅野とかすっごい好きです〜」。すわ、ライバル出現か(笑)
なーに言ってんのよー、あなたには“ドラゴンアッシュ”がいるじゃないのー。それにあなた、いま永瀬ってイイ男〜とか言ったばっかりじゃないのよう。だから、ここはアタシに譲りなさいよー、タダノブ・アサノー
…と思ったけれど、もちろん口には出さない。あくまで理解のあるオトナのふりだ。そうしたら、その瞬間にパッとひらめいた。 そのうちタダノブ・アサノ、出るんでないかい?あのドラマに。友情出演。
イトーチャンにそう言ってみると、 「それ、絶対ありそうですね。すでに小泉今日子出てるし。来週はUAも出るし。可能性高いですよ。」 「そしたらムラジュン(村上淳=UAのダンナ)も出るかもわからんナー」
そして、ここでまた二人してワーイワーイと… (少しは落ち着いたらどうやねな、オバチャン!)
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『濱マイク』というドラマは、おそらく新版『探偵物語』なのだろう。二十世紀版は松田優作、新世紀版では永瀬正敏がハマのチンピラ探偵役なのだ。面白いのは、新しい『濱マイク』の方がレトロに走っていることか…
エゴ・ラッピンによる主題歌『くちばしにチェリー』もサイケな七十年代臭紛々でイイカンジ。休みになったらCD買ってこようっと。
2002年07月01日(月) |
コーチがレッスンを休んだ理由 |
みなさん、『濱マイク』はご覧になりましたか? 永瀬正敏主演のドラマ。新番組。なかなか面白くなりそうな予感が致しマス。
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先週お墓参りでテニスを休んだので、その振り替え分とあわせて、朝から2レッスン受ける。新しく張り替えたガットの調子も上々で、バシバシと打ち込む。 ところで、6月に入ってから私たちのクラスのコーチは二週連続してレッスンを休んだ。どうしたのかしらね?と噂していたのだが、どうやらこれがW杯観戦のためだったらしいことが判明。なんでも韓国〜日本〜韓国と移動して試合を観てきたらしい。 さて。そうと聞いては黙っておれぬ。さっそくどの試合をみたのか、韓国の印象は?と突撃取材を敢行。その結果わかったことは…
・コーチはスペイン贔屓である。バルセロナまで試合を観に行ったこともあるらしい(ということはバルサのファンか?)。で、韓国ではスペイン×パラグアイを観てきた。
・またコーチは、ポルトガルも応援していた。で、韓国でポルトガル×ポーランドを観戦。4−0の完全完封勝利、ルイ・コスタの働きぶりに感激した、と。
・誤審問題に水を向けると…、イタリアは読みを誤った。デルピをさげて守りに入ったのがそもそもの間違い。スペイン、ホアキンのボールはどう見てもラインを割っていない。あのゴールを取り消すのはチョット…(と口ごもった)
・なお「韓国はすごく盛り上がってた。熱かったですよ〜」と、大会の興奮を思い出すかのような口ぶりで。その口調に批判的な要素は微塵も感じられなかったデス。
イタリア贔屓の私は、もう少しイタリアの肩をもってほしい気もしたが、どうもコーチはあまり同情的ではない様子。こういうときは、どうするか?私はこうしてみました。(レ→レオナ、コ→コーチ)
レ:「イタリアは、普段からシミュレーションくさいプレーが多いですよね。」 コ:「あー、うんうん、そうだねー」 レ:「それで、セリエでさんざんそういうのを見せられている私からすると、トッティのあれは芝居では無いと思うんです。彼が本気で芝居したら、あんなもんじゃあナイ!」 コ:「ハハハハハ、そうかー。もっとやるんだ普段は」 レ:「そうです。だからあの程度でカードなんか出すんじゃあナイ!、と」 コ:「ワハハハハハハ〜…」
これなら伊ファンであるなしに関わらず笑えますもんね。 しかしこういうときサッカーファンてのは良いですね。わかりが早くてね。 これでほんの少ーしだけ、臭いジャッジに対する怒りがやわらいだような気がします。
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夕方。ららぽーとの眼鏡屋さんへ新しい眼鏡を作りに行きました。 心配していた通り、どうやら本当にちょっと個性的なメガネになりそう。 (“素敵なマダム”になるか、“ザマス”になるか、運命の分かれ道)
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