Leonna's Anahori Journal
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久しぶりに八重洲のダバ・インディアへ食事に行く。 出がけにものすごい雨が降ってきたけれど、めげずに出かける。 ダバ・インディアは人気店なので、ちゃんと予約も入れておく。こんなお天気でも、まとまった人数の予約が入っていたりすると、残った席は奪い合いになるからだ。
ダバ・インディアでは豆とタマネギの辛いサラダとタンドーリチキン、マトンのカレーとマトンビリアニを友人と分けあって食べた。もちろんバスマティ米のごはんとナンも注文した。 私は玉ねぎはあまり好きではないのだが、ここのサラダならいくらでもいける。タンドーリチキン、どういうわけかまだこの店のを食べたことがなかったので「きっと旨いに違いないぞ!」と注文。予想に違わずジューシーで旨旨だった。マトンがふたつ重なっているのは、私が羊肉好き故。ガルル、ガルルルルー
-- 帰路。 なんでダバ・インディアあんなに旨いかな、また行こうね、梅雨明けてインド並みに暑くなった頃にね。あ、ちょっと、ちょっと待った、ちょっとだけ此処寄って、すぐ済むから! …てな感じで立ち寄った八重洲地下街、金井書店での購入本。 「からだの見方」 養老孟司(ちくま文庫) 「カミとヒトの解剖学」 養老孟司(ちくま学芸文庫) 「ヨーロッパの乳房」 澁澤龍彦(河出文庫) 「ふたりの若者」 A・モラヴィア(角川文庫) 「私の二都物語 東京・パリ」 辻邦生(中央公論社)
あと少しで「嵐が丘」を読み終えるので、次は小説以外のものを読もうかと。それで養老先生の本を二冊。なにしろ「嵐が丘」は厚くて重くて過酷(内容も)だったからね。 モラヴィアは昭和46年発行の古い古い文庫本。初版が出たのは前年、一年後には第四版が出ている。また、カバー折り返しに書かれたリストによると、当時、角川文庫からは「軽蔑」「無関心な人びと」等、全部で9冊のモラヴィア本が出ていたようで、その人気作家ぶりが窺える。
昭和は遠くなりにけり、と言いたいところだけれど、実はそうではなくて、昭和は常に私とともにあるようだ。古書店へ行くたびに感じる楽しさや充実感はその証拠だろう。
朝4時過ぎに起きてTVをつける。 CL決勝、バルサ×マンUは開始から5分が経過していた。 フンフン、やってるやってる。まだ点は入ってないみたいだね、しかしさすがに眠いわん、などと思いつつ紅茶をいれていると、前半10分、エトーの鮮烈なゴール!
せ、先制はバルサ! バルサ、1点入れた!!
途端に目が覚めたが、正直、少し複雑ではあった。 だって「4冠狙うなんて強欲すぎる」などと言いながら、年間50試合近く観てるんだもん、マンUの試合。その見慣れた(馴染みの)選手たちが、大一番で先制されて一様にショックを隠しきれない表情してるのを見ると、ねぇ…。「駄目だ駄目だ、優勝はバルサなんだから!」と自らの仏心を封印して観戦。
70分、メッシの2点目が入ったときにはちょっとだけ涙が出た。 これで決まったなというのもあったけれど、メッシ以上に喜んでいるアンリの姿に泣けた。意外なことにメッシがイギリスのチームからゴールを奪ったのはこれが初めてだそうだ。
試合修了のホイッスルのあと、男泣きに泣いてたシルビーニョ。ああいうのも珍しい。よほどプレッシャーが大きかったんだろうなぁ。有終の美を飾ることができてよかったね。おめでとう、シルビーニョ。
-- 早起きして生でCL決勝を観ることにしたのは、準々決勝のリバプール×チェルシー(2ndレグ)のとき、ほとんど試合終了間際に起きて後悔したから。 いやはや、頑張った甲斐がありました。早起きは三文の得とはよく言ったものですな(得でバルサが勝ったわけじゃないでしょうが)。
これまで、そういう意味では大損ばかりしてきた私、いまこそ夢の朝型ライフを実現して、失ったものを取り返してやろうかと真剣に考えております(強欲なのはどっちだよ!)
2009年05月23日(土) |
「ブライヅヘッドふたたび」をふたたび |
気になっていた「ブライヅヘッドふたたび」の映画化、「情愛と友情」がDVDになっていたので借りてきて観た。
日本でいつ公開されたのかも知らないし、評判になったという話も聞かない。そもそもこういう特別な小説の映像化には失望がつきものなので、とにかく期待せずに観始めたのだったが…いやはや、これが傑作!
とくに素晴らしいのが陰の主役ともいえるブライヅヘッド邸。個人所有で、部分的に一般公開もしているというお城の、この大きさ豪華さ素晴らしさが、文章だけでは理解できていなかったのだなぁ、私は。
主演のマシュー・グードは、脚本に書かれた「なんて美しい屋敷だ」という台詞を初めて読んだとき、紋切り型の歯の浮くような台詞だと思ったが、ロケ地へやってきてこの城に入った瞬間に理屈ではなくその意味を理解したそうだ。わかるなぁ、その気持ち。
それと、小説を読んだときにはイマイチよく理解できなかった、英国でカソリックとして生きることの苦悩、カトリシズムの権化みたいな厳格な母親の恐ろしさが、実にわかりやすく描かれていた。それで、セバスチャン・フライト(「パヒューム」のベン・ウィショーが好演)の人生のあまりの無惨さに慟哭しました。ありゃあ可哀想だよ!
というわけで、せっかく吉田健一訳でウォーの傑作を読みながら、要するになーにもわかってない読書をしていた私ですが、これでもう大丈夫です。なんか先月古書店で古い文学全集に収録されたブライヅヘッド(吉田健一訳)と遭遇した理由がわかったような気がする。あたしは確かに馬鹿だけど、幸せ者でもあるかもー。 (こういうダイジェストを観ちゃうのは善し悪しだと思うけど、一応リンク)
忌野清志郎が死んで、妹は悲しくて悲しくて、どうしたらいいのかわからなくなってる。
何十年もまえ、まだ横浜で家族みんなで暮らしていたころ、ちっちゃな木造家屋を震わせて、よく大音量でRCのLPレコードをかけたものだ。 「ダーリンミシン」の、♪ぼくのお正月のコール天のズボンができあがる、というところがとても好きだった。もともと私がかかったRC熱に妹もやられて、その後も妹はずっとずっと律儀にRC&清志郎ファンとして暮らしてきたのだった。 清志郎のお葬式のニュース映像を観ながら、何故か突然、「よし!あたしは不死身になる!!」と決心したのだったが、いつの間にかまた気弱な中年に戻っていて、インフルエンザ予防のための手洗いに気を配ったり、マスクを買って来たりしている。 してみるとあの「不死身になる!」という決心は、お酒を飲み過ぎた深夜に突然降ってわいたグッドアイデアのようなものだったのかとも思うのだが、いや、やっぱりそれは違う。 若い時分には、自分が中年になることが信じられなかった。親が老人になってやがて死んでしまうことも、理屈では理解できるけれど、実感としてはやはり信じられなかった。故に、その頃私は不死身であったのだ。死なないどころか、婆さんにすらなる予定はまるでない。 そうなのだ。私が(再び)目指そうとしたのは、あのきっぱりとした馬鹿さ加減だったのだ。 そりゃあ、もう全部わかっちゃってる。親の葬式も出したし、加齢との戦いだって熾烈さを増している。でもわかりきってることにいちいち悲しみながらこの先ずっと自分が死ぬまで生きて行くなんて、うんざりじゃん。それで、こうなりゃもう、犬猫のように、いつか死ぬことすら知らないつもりで生きたらいいじゃん!と思ったのだった。
だから、妹よ。これから姉が馬鹿に能天気に将来の夢なんか語っちゃったりしたら、「こりゃあ、ちょっと早過ぎやしないか?」なんて心配しないで、一緒に笑ってほしい。何にしろ、姉は、不死身になったのですから。
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