2003年04月29日(火) |
新幹線ホームのアットホーム |
新大阪の上り新幹線のホームにて・・・ 小学生くらいの女の子とお母さんとお父さんが別れを惜しんでいた。 どうやら単身赴任で大阪にいるお父さんに逢いにきたようで、女の子がお父さんに抱きついていた。 ギュッと娘を抱き締めると、娘がお父さんの口にキスをした。お母さんが次にお父さんに擦り寄り、娘を抱き締めているのとは逆の手に抱えられ、互いにキスをした。
ごく、ごく自然なその風景に、しばしみとれさせられてしまった。 日本人のその家族に、幸あれ!
2003年04月28日(月) |
使えるモノは箸でも・・・ |
@大阪 なんば駅 売店 にて・・・
雑誌でも買おうかと売店の雑誌を眺めようと近づくと 「お兄ちゃん!その手前の4冊が今週発売だから。そう、その右のヤツから4つ」 「ああ、ここから4つです?」 「ああ、そう!その二番目の、上二冊、違うヤツ詰んじゃってるから、お兄ちゃん、ちょっと取ってくれる?丁度いいところに来てくれたねぇ」 「はあ、これです?」 「そう、それ!手が届かないから、今外にまわらなあかんなー、と思ってたのよ!ありがとう!」 「・・・。」
大阪の売店のおかん(?)のたくましさと、人情味を体感した。
ちと辛気くさいかな? 映画「戦場のピアニスト」を観た。戦争の中での命の軽さ・重さ・尊さを考えた。 同日、栗本薫のとある小説の後書きを読んだ。 「死を受け入れてゆく歳」について語られていた。 正直、怖くなった。
「生は死の始まりであり、死は生の始まりである。何故、殊更に死を恐れることがあろう」
荘子の言葉。
今は何がなんでも、「死」から逃れたい。どんなにぶざまだろうと、ひとりでも自分を待っててくれる人がいる限りは・・・
一年経った・・・ 色々な意味で、正確では無いにせよ一年経ったのだ。
そして今日、ある人に会いに行った。
帰り。なぜだかわからないが、やっと、スタートラインに立った、立つことができるような気がした。
でもまだ、けじめをつけなければいけないことがあるような気がした。
自己満足、ナルシズム、自己卑下・・・
あの時、自分の気持ちに向き合うためにやろうとしていたこと。
今からでも遅くは無い。もう一度、本当に逃げずに見つめるために、もう一度再開しよう。
「改札を抜けて、階段をのぼる」 終電間際の地下鉄を降りる。人の流れに呑まれながら、改札を抜ける。 「前をゆく人のかかとをみて」 ヒールの音、紳士靴の音、靴音に負けじと、その音の元をにらみながら後に続く。 「顔を上げれば、見知らぬ背中が緩やかに続いてる」 圧迫感からか、顔を上げる。何をいきんでたんだろう。自分もまた、前に続く背中達のひとつじゃないか、何に負けまいとしていたのか。
神田川にかかる橋を渡る。ふと、橋の中程で足を止める。 川面に写る灯かりが、ゆらゆらとにじむ。 幾つもの月のように街を照らしていた。
ポツポツと雨がさを叩く トボトボと夜みちを歩く
ポタとしずくが前をおちる はたとおもいが前をよぎる
しずく きづく
あまだれの音が、ばかたれに考えさせ しずくが地にくだけるまでだけの間 刹那のてんさいに変える
その刹那の出来事を書き留められるものは少ない
凡非凡の境は目の前にいつもころがっている
いままた目の前に、きづくことなく「しづく」が垂れてゆく・・・
|