2005年09月30日(金) |
グレて、可笑しくて、切なくて…… |
週末の夜。 先週から密かに続く体調不良……。 不良? ……グレた? 膝が笑う。 可笑しくも無いのに、可笑しいくらいに。 笑いの神に憑かれた? ピンポイントすぎる。 笑顔で会話。 そうでない時、冷めた自分が仮面を剥がそうとする。 ……仮面じゃない。
光に当たるほど、影は色濃くなる。 影を切り離すことは出来やしない。
希望を抱けば、それを失う絶望も背負う。 良い事だけなんてニセモノだから。
表と裏で、ひとつ。 裏の無い表なんか無い。
影に後ろ髪を引かれながらも、 眩し過ぎる太陽に眼を細めながらも、
裏に興味を惹かれながらも、 二分の一の確率だとわかっていても、
大空に向かって、コインを投げよう。
光も影も、 表も裏も、
全部で、ひとつ。 ひとつは、ただのひとつにしか過ぎない。
全部を抱き締めたまま、歩いてはいけない。 腕の中を擦り抜けていったとしても、 まだ、その腕の中に残っているものを大切にしよう。 今はまだ、気付かないとしても。
2005年09月29日(木) |
健康診断、運命の結果は…… |
健康診断を受けた。 まあ会社では「自分が不健康である事を確認し、みんなで健康になれるように仕事を頑張ろうな」と、慰めあうきっかけとなる日。 去年忙しくて受診出来なかったので、二年振りだった。 数値的には、ほぼ二年前と同じ。体重は二キロ減っていた。 しかも、検診から帰ってきてふと、最近になって話をするようになった同僚から、 「顔、細いッスねえ……。しゅっとしてません?」 なんて言われた。 太った痩せた、がエラのところにすぐに出る。 前までのチームだと「痩せた」というより「やつれた」という「適切」な表現ばかり使っていたので、新鮮だった。 「痩せたんだよ〜。二年前にキツかったスーツがスルッと入ったしね」 その分、見えない所の脂肪がどんどん増えてるけどね。 その余りにもショッキング過ぎて笑うしかない現実は、ナルコの検査の時に「おまけ」で知ったから、さほどショックでは無かったのが慰め……(^^;; 体脂肪は十何%はキープしてるんだけどね。 まあ、それ以外の検査結果は、ほどよくバランスが取れた状態だったから良しとしておこう……。
久し振りに、そう、それこそ何年ぶりかに、現代モノの文庫を読んだ。 一応、直木賞やら色んな賞を受賞してきた作家さんの作品。 今までは、名古屋の真友にまんまと嵌められた?栗本薫さんやら京極夏彦さんやら、ちょっと特徴的な作品に、それこそまんまと思うつぼのように、ずっぷりと嵌まって、それ以外……いや、リングや螺旋の鈴木光司さんもか、は進んで読んでみようとは思っていなかった。 勿論、昔は読んでた。小中学校かな?赤川次郎さんの「三毛猫シリーズ」を姉に借りて、文庫本の手軽さに惹かれ、高校大学頃に田中芳樹さんのクセに気付かずに、しばらく読んでたけど。やはり、クセに気付いて、以来読むのをやめてしまっていた。 そのクセがまさに曲者だった。 シリーズの連載がまず滞りやすい。「お、やっと出たか」と思うと、前巻からはや数年経っていたり……。売れっ子さんだから、いろんな作品書いてて大変なんだろう、とは思いつつも、僕の中であっさり「プツン」と糸が切れた音がした。 それに、よくよく考えると修飾が長い、回りくどい、と感じるようになってしまったのが原因だろう。 今のしゃべり方が回りくどかったりするのは、これの影響でしょう。(笑) 栗本さんなんか、幾つも同時進行してたり、舞台だ何だと駆け回っているのに、小説でだよ? 月間で出したり、隔月が当たり前で、一つのシリーズを何十年も書きつづけている。本編で全103巻! 外伝が20巻! かれこれ23年間たった一人で書き続けている! この記録はギネス申請中だったかな、たしか。違ったっけ。 もとい。 で、本のブローカーたる真友が名古屋に発って以来、問屋の無い商店は開店休業。 地道に中国歴史書に手を出して、食いつなぐ。「封神演義」「三国志」「反三国志」「水滸伝」「西遊記」「十八史略」「史記」「荘子」、他に「マクベス」「オセロウ」「リア王」「レ・ミゼラブル」。「日本書紀」「古事記」「遠野物語」……は、途中挫折したっけ。この羅列って、過去の文学作品だら外れは無いだろう、という安直な選び方が眼につくね。 そう、当たり外れ。それを避けてベストセラーなんて、流行ものの、時間が経てば「そんな本あったっけ?」となりうる可能性があるものには手を出さずにいた。 気が付けば、最近の一般的な文調ってどんなのかが、思い出せずにいた。これはやばいと、冒険してみた。 来月ロードショーの映画の原作だった。 感想は…… きっと、馴れれば、うん……。 映画は、キャストが小泉今日子だし鈴木杏だし板尾創路だしソニンも出るし。 監督さんがちょっと問題起こしちゃったけどね。 それに、全く関係無いけど、テレビで京極夏彦さん曰く、「原作と映画は別物。作家自身、自分のものだと思っていない」ものだったりするから、重みのある、考えさせられる作品になってると思う……。 もっと色んな作家さんを読みふけってみよう……。
マリアナ海溝を素潜りしているような気分。 気を抜くと、と言っても、抜けるほどの気力なんかありゃしないけど、 とにかく膝から下なんか崩れ落ちそうなくらい、全てが重い。 悲哀の全てを背負っているかのようにしているクセに、人と話してる時くらいは、高笑いを上げて見せたりする。 でも、話し終わればまた直ぐに海の底に逆戻り。 でも…… 他愛のない、ほんの片言のやり取りで、 たちどころに海面に急浮上。 笑っちゃうね。 単純だね。呆れちゃうね。 ほんの一時的とは言え、これだから、まったく。 Stand and Fight!!
……レッドゾ−ン。 悪夢に足を突っ込んだままな気分。 朝、抗う事すら出来なかった。 いったい何が? 季節の変わり目で、しんどいにしても度が過ぎる。 体が、重い。頭が、真綿で締め付けられる。 気持ちが、上がらない……。 また、休み。 自分が、悲鳴ではなく歯ぎしりをあげている。 今までは、こんな事はほとんど無かった。 夏前までは、無理をきかせる事が出来た。 夏には、誤魔化す事が出来た。 今は……。
でも、やらなくちゃ、いけない。 やれなくちゃ、いけない……。
夢は、一夜にして消えてしまうから、夢たりうる…… 素敵な夢を見て、目が覚めてからもう一度その夢を噛み締めたい。 そう思っても、思い出そうとするほどにその記憶は、 ぼろぼろと崩れ落ちていってしまう。 あれほどに心に刻み込まれたはずの想い。 夢……。 心の谷間にこそ見た夢だから……? 忘れないように、形に記す。 でも、想いを抱き締めようとするたびに、崩れて消えてしまいそうになってゆく。 歯欠けになってしまいつつある夢達の欠片を、 少しでも失うまい、と手を伸ばす。 触れれば崩れてしまうかもしれない怖さと共に……。
「キャパシティがオーバーしているから、受け止めきれない」
そう、らしい。 あれも、これも、それも、どれも……。
「なまじわかってるから、わからなきゃいけない、としてしまう」 「わからないことをわかろうとする。わからないと言う事を自覚してても、それ自体を罪に思う。だから、キャパシティなんかすぐにあふれてしまう」
そんな悪循環がたぶん、ずっと続いてるんでしょ? もっと、楽に、いこうよ。
「これ以上楽に考えようとしたら、すごいことになっちゃうから……」
すごいってどんな? 一度でも、そうしてみたことないでしょ? ま、冗談だけど、それ一度どん、とやってみたらどう? 一ヶ月とか、何にもしない、やりたいことしかやらない、とか。 そんなことは、なかなか出来ないだろうし、勝手に勧めることも出来ないけどね。
出来るわけ、ない。
そうだよね、そりゃそうだ……。 笑いながらその人は、肩を軽く叩いてくれた。
流れてゆく勇気に憧れ、流されまいと石にしがみつく。 手を離してみれば、救われるのだろうか……?
流れてゆく後ろ姿こそが勇気。 その背中に、届かぬ手を、伸ばす……。
雨がシトシトとアスファルトを湿らせている。天気予報では、台風が近付いているらしいとの事だった。ひんやりした空気は、このまま夜になり、きっと蒸し返るようにはならないだろうと思った。 今夜のライブ──春以来の半年ぶり──の開場時間になり、ハコの中にゾロゾロと背中が流れ込んで行く。自分も、その背中の中のひとつに加わって流れて行く。 今回はいつもとは違う、本人曰く七年振りの、バンドを付けてのライブ。 「アタシが立って唄うんだから、聴く方も立って聴く、まぁその、フィフティ・フィフティって関係?」 と言う潔いポリシーで、オールスタンディングだった。 最近はソロでピアノの弾き語り、と言うスタイルになっていたので、客席にも「お客様にも、特に女子には優しく」をモットーにイスが並べられていたものだった。 そう、今回は違う……。
「Stand and fight」
今回のテーマ。 開演まで、今か今かと色んな想いが渦巻き、ボルテージが高まって行く。 照明がスーッと落ちる。そして、幕が上がった……。 センターのスタンドマイクの前で、深々と、でも軽快に頭を下げる。そしてイントロが流れ……
01「HERO」 02「30's blue」
を唄い上げる。 一発目の「HERO」は、慎重に、大切に、と緊張気味な感じはしたけれど、逆にその緊張感が、曲のイメージを膨らませる。「30's blue」は、三十路街道まっしぐらな自分のお気に入りの一つ。軽快なビートと、歌詞本来のものとは違う「今日のライブを迎えられた喜び」のメッセージが伝わってくる……。 そして「この曲を唄える事に……」と、想いを込めて、
03「flower」 04「Dear」
と続く。 実は「flower」と言う曲の最後の「明日もしも、世界が……」と言う歌詞。自分がそうありたい、といつも思っていながら出来ずにいる、思い入れのある曲。「Dear」はもう、普段の自分のテーマソングになりつつある、好きな曲。 そして「また新しく月を唄った曲」と紹介されて、
05「白い月」 06「アスピリン」 07「HOPE」 08「最後のドアを閉めて」
と続く。 最新アルバム「us」からの四曲。「白い月」を春のライブで聴いた時「ありゃりゃ、これはやられた!」と、CDで改めて聴いて「……!」声にならない声が胸を突いて、言葉にならなかった。「アスピリン」は、もう、今一番口ずさんでいる曲かもしれない。「HOPE」「最後のドアを閉めて」なんかもう、切なさを力を込めて切々と唄われた日にはもう、脳内マヒなっていた。 そんな個人の勝手な都合とは関係なく「マラソンランナーの曲です」とのMCに、思わず「夜明けのランナー」か? と余りにも短絡的な予想を見事に裏切り、
09「風の背中」 10「Split」 11「loop of smile」
やられた……。「風の背中」は、「Dear」とのツートップをがっちり組んでる不動のポジション。「split」は、仕事についてちょいと考えてしまう曲。「loop of smile」なんか、大切に思う人の笑顔を思い浮かべながら、自分もその笑顔の一つでありたい、なんて最近常に意識している曲。 もうこの時、全体の半ばまで来ているなんて、全く、思っていなかった。まだまだ序盤戦、だと思い込んでいた。
12「ジレンマ」 13「Down」 14「名前の無い週末」
実は「ジレンマ」と言う曲、初めてライブに連れていって貰った時、確かクアトロでのライブだったと思うけれど、その時のオープニングだった曲。 その時の事が一瞬にしてフラッシュバック。あれはもう、衝撃だった。あの時から、いったい何年の月日が流れているんだろう? さらに、出会ってからは、本当にどれだけの時間が流れてきたのだろうか……? ちょっと懐かしめの三曲を噛み締めると、とうとう、この曲が来た!
15「ひとり」
この曲「一度だって上手く歌えたためしがない」と、春のライブでポロリとこぼした事もある、一番思い入れが強く、向き合って大切に、一緒に歩いてゆきたい曲。今回は、バンド演奏ということで、唄う事だけに専念。
……最っ高だった!
いつ聴いても、何があっても、本人が唄うこの曲は、紛れも無く、最高なんだけれどね。 16「秒針のビート」 17「Journey」
もう、どうしてくれよう! この高揚感! 気が付けば、実はこれが最後の曲。「Journey」で、間違いなく「私達」を確認し合い、会場内はまさに「ひとつ」であることを刻み込んだ。
そして、本人は袖へ下がる。 鳴り止まぬ拍手。 そして、 アンコールへ……。
18「422」
この日付は本人にとっても大切な日付。メジャーからインディーズに歩みを変えた、思いの込められた日付。「好きなものを好きと、嫌な事は嫌と……」軽快に、本音の大切さを謳い上げ、
19「満月」
これはもう、最近月とばかり会話を繰り返す日々を送っている自分にしてみれば、最高の曲。「跳ね返される問い掛けがそのまま答えだと……」のフレーズは、痛いほど日々、身にしみている。実際この曲、十年前に発表されていて、今のこの時にも、こんなに胸の中に染みてくるなんて、すごい曲だ。
20「Time will tell」
今の自分にふと疑問を感じた時、この曲にどれだけ励まされた事か……。今でも励まされてるんだけどね、実際。まかれた種は、確実に今、芽吹き、果実へとなっている。そんな気持ちを抱き締めながら……
21「Stand and Fight」
最後の最後に未発表曲! KOパンチを、ガツン、とくらった。小気味良いリズムでジャブを喰らい、あっという間にストレートを打ち込まれた感じ。 マットに口付けた満身創痍のボクサーは、すでにピクリとも動く気配は無く、本人が最後に袖に下がってしまってからも、何故かこのリングから立ち去る気分になれなかった。 拍手は未だ鳴り止まない。アンコールが終わったと言う事で、退場してゆく同胞達の姿も見え始めていた。 それでも、まだ続く拍手……。 と、その時!
予定外の、アンコールのアンコール!
バンドは連れず、下げられていたマイクを拾い、センターへ。 まるで、登場に対する拍手を制するように、ア・カペラでマイクを振り絞る。
(22「S」)
途中、音が無いために、曲の入るタイミングを掴み損ねてしまったのか、一瞬、間が空く……。客席に向けて、突っ伏してしまう。「ひとり」じゃない「ひとつ」に、「私」ではない「私達」は、誰からでもなく、次を口ずさみ始める。 突っ伏していた本人も、面を上げ、再びマイクを握るコブシを握り直す。
「Stand and Fight」
立ち上がり、闘い続ける。 まだまだ続く。 途中、スリップやダウンがあるかもしれない。 カウントはまだ大丈夫、まだやれる、まだいける。
きっと知らない人達には、知らないままで終わってしまう、名前の無い週末なのかもしれない。でも、紛れも無く、この週末はこの胸の中にずっとずっと、在り続けるだろう……。
外はまだ小雨が残っていた。 連休の真ん中、しかも台風が近付いている夜。かつて本人は、同じ様な三連休真中の雨の日と言う状況の時のライブでこう言っていた。
「まったく、こんな時にこんな所に来てくれるなんて、本当に変わりモンよねぇ、キミ達は。まさに、愛おしい『雨の中のバカ』っていうか……」
まさに、「fool in the rain」達の最高の週末だった。
季節の変わり目。夜がとても涼しい。 エアコンをつけて寝るなんて、とても信じられない考えなので、いつも、窓を開けて扇風機のみ、で寝ている。勿論、タイマーで切れるようにして。 でも、気温差に体がついていけていないのか、朝がしんどい。 思い返せば、今週は本当にばてていた。 連休のおかげで、朝にきちっと起きなくて済むのが、とても助かる。 目覚まし四つ鳴りっぱなし(一時間ずっと)でも、起きない。 起きても、目覚ましを止めるところで意識が無くなる……。 本っ当、情けないくらい、だらしがない! 朝が起きれないなんて、気合が足りない! ふざけるなっ!
……と、普通の人に言われるのは当たり前のお話。 でも、ふつーじゃないんだもの、仕方が無いじゃない。 今までずっと「だらしない」と責め続け、朝の約束はしないようにし続けて。 やっと(?)、それは君だけの責任とは言い切れないんだよ、と救われて。 普段の出社時間こそ、ギリギリ守れている日々の中。たまに現場の式典で、早朝起きなければならない時は、三間しか寝れない時なんかはわざと寝ないように朝を迎えたり、四、五時間寝れそうな時なんかは、重役さんよりも遅く現地入りしてヒンシュクを買ってしまったり。 やっぱり、誰かに蹴ってでも起こしてもらえる環境の方がいいんだろうか?
今日も約束の時間に起きれず、大ヒンシュク。 今週ずっと調子悪いとはいえ、そんなのは相手にとっては、全く関係ないし、迷惑をかけたのは現実だし、理由を知るわけでもないし、話しても決して、全く、理解をしてくれはしないだろう。 夕方にやっと、外に出てはみたけれど、やっぱりしんどくて、駅前のファーストフードで果ててた。コーヒー一杯で一時間以上いるな! しかも、起きてるんだか寝てるんだかわからない状態で! と、いう感じ。
鳴子の警鐘が鳴ってる。 愚痴グチ、ぐち愚痴……。 鳴らんくなったら、もっとヤバイか……。
実はこのHP、この九月で五周年を迎えた。 で、そもそもの、ココの始まりをふと、思い出してみた。 最初の会社を退職する時、次の仕事を決めていたわけではなかった。 かれこれ、五年……そう、ちょうど五年前の九月にここを立ち上げたんだった。 いわば、退職記念。 まさか自分が、転職なんて思い切ったことを出来る人間だとは思っていなかった。 投げ出すことなんか簡単じゃん、と思うかもしれないけれど、投げ出すことへの怖さの方が、自分にとっては勝っていた。 それをまあ、ほとんど親にも相談もせず、自分の中でもう答えが出てからの事後報告のような形で親に話し、もっと考え直すように言われるかと覚悟はしていたものの、理解をしてくれた。 まあ、元来他人に話す時には、ほとんど答えが出ている状態、というのをわかってくれてたんだろう。 で、まあ、時間が出来て、ココに何を載せてゆくか。 小学二〜三生の頃、クラスで漫画を書くのが流行って、自分も書いてたなぁと。で、四年生の頃には、同級生が読切りの中編小説を書いていて、自分も真似してみたけれど、全っ然書けなくて、すぐ書き飽きちゃって、さじを投げた思い出があった。 で、再挑戦。何も考えずに、ショートショート(今でさえこう言えるけど、当時はシステム手帳のメモ四ページくらいにしか考えてなかった)を書き始めた。ほんと、何も考えずに……。 で、ちょうど一年間、ちょこちょこと書いていて、一旦お休み(「place」の頃)。 新しい仕事に追われる日々が始まっていて、やっと、思い出したように再開したのが、ほぼ二年半後。 うん「路傍の花」からだね。まあその間は、「日記」があったりするけれど……。 自分で読み返すと、恥ずかしい内容だね、こりゃ。 今でもおぼつかないのに、なんなんだいこりゃ? といった感じ。 そうそう、最初の頃は起承転結や、ストーリーの骨組みやらを一度書いてから、本編に取り組んでいたんだね。それが、今はどうだい……。 つい最近の長編に挑戦するって時になって、やっと流れだの登場人物だのを書き出すようになったときたもんだ。 ま、そのおかげで(?)締め切りが過ぎても、じっくり書けるんだけどね……。 って、駄目じゃん。 さてさて、次の目標はでっかく「十周年」! そこまで続くのだろうか……?
2005年09月21日(水) |
blue,red feel'n day |
今日は失敗…… 朝起きて、頭が重い、体が重い。 ちょいと遅刻してでも、ひと休み……というか、時間を置けば大丈夫かと思いきや。 もう、駄目駄目! 三連休の谷間の、貴重な平日の仕事の時間とは言え、体が起きない、頭が起きない、のアンバランス状態。 遅刻を取消して病欠に、と会社に連絡。 病欠? んー……風邪とも違う、でも、普通の人には理解できないだろうから、こう言うしかない。 間違いじゃあ、ない。 ま、でもそんな事を考える余裕も無く、起きてるんだか寝てるんだか、中途半端な状態でしばしお休み。 こういう時、実は一番辛い。 風邪の時もそうだけど、普通の人にとって「寝る」べくして寝るのとはわけが違うから。 いっそ、いつも通りBRに頼ろうとも思いつつ、でもせっかくだから、自力で一日を過ごそう、と決意だけはする。 うだうだと、昼が過ぎ、このままは流石にマズイと思い、一旦駅前に出る事に。 だるさと重さは相変わらず。コーヒーショップで、ぼーっとコーヒーをすする。 カウンターに肘をついたまま、一瞬、飛ぶ……。 こりゃ、ヤバイヤバイ、とレッドな気分に突入した段階で、そうそうに帰宅。 体自体が、依存してしまってるんだろうね、きっと。 寝る時、起きてから後、とやるべき事をやるべくしてやらなければ、自分の心も体も使い物にならない……。 自分自身のやっかいさに、いつもながら手を焼く一日だった……。
今、キミはどこに立っているの? 過去? 未来? 現在? 思い出の中? 夢の中? パラレルワールドに、迷い込んでしまったのかい? ふわふわと、心許ない足元に不安を感じながらも、 今、キミが立っているその場所こそが、 今、キミがいるべき場所だと、信じているのかい? そこじゃない場所から、 キミは思い切って、そこに飛び移ってきたんだものね。 そこだと信じた自分を、また疑うのは怖いものね。 だけどほら、そんな心許ないところが、 キミの信じる場所で正しいのかい? ボクは知らないよ。 そんなことはキミ自身が決めることだから。 ボクはただ、こうやってイチイチ、 キミに尋ねてみてるだけだからね。 ボクは答えなんか知らないよ。 何が正しいのかなんて、 知らないよ……。
三連休の第一弾最終日。 ぶっちゃけ、本当は会社に行ってちょいと済ませておいた方がいい仕事があったんだけど……、野暮用でお休み! 用を済ませてアキバこと秋葉原に行ってみた。 みよちゃんはなちゃん、もとい、ミーハーとは思いながら、行ってみて驚いた! 筑波エクスプレス開通辺りから、再開発の様子は聞いていたけど。ヤッチャバ(野菜市場)跡から電気部品街、某流通会社の配送センター(学生時代バイトでお世話になった)が、こうなるとは……。 駅前は正直、手をつけかねていた感じがあったのが、駅前広場やロータリーの整備ができていた。 アキバ系と言われる人達以外の進出は間違いないね。ストリートミュージシャン、ダンサーなんかが集まりやすそうな場所がたくさんあった。 別の意味で眠らない街になりそう。 大手家電店の進出も気になる所。 銀座の客層を狙った某店は、おそらく違和感無く定着を狙えそう。 アキバは違う。細かく分けられた客のニーズと購買価格。特殊な世界。 ポイントサービスだけじゃ満足しない客達。 やっかいな商戦地区。 価格破壊が当たり前だからねえ。イロモノでの勝負が大手にできるかどうか? ちょっと思い出のある地の行く末を案じて見る……
再会。 そして、 束の間の胡蝶の夢――。 飾らない、力まない、他の誰でもない、自分。 本当は多少格好くらいつけるのもいいのかもしれないけれど……。 言うのも、言われるのも、あけすけなく、言える。 場所も時間も、関係ない。 ただそこに、そういう相手がいれば、それだけで、いい。 何かを求めるでもない、何かをするでもない。 ただ、同じ時間を過ごし、過ごした時間の破片を集めて、話すだけ。 そうして過ごした時間を糧に、また、ひとりずつに戻ってゆける。 胡蝶の夢――ではない。 紛れも無い、今、のひとつ……。
2005年09月17日(土) |
東京タワーとあたたかい沈黙…… |
今夜の「彼」は、ただじっと、立ち尽くしていた。 神社の大祭で繰り出された「お神輿」と囃子の音が「彼」の代わりにつぶやく。 目の前を通り過ぎながら、 「彼だって、キミ一人のものじゃないんだよ? 今夜は僕だって、街のみんなにかつがれてる。彼は毎日、東京のみんなの夜空の下で明かりをともしているんだ。キミの問い掛けの答えは、そのまま答えだと本当は気付いてるんだろう? 一年ぶりに外に出ると、喋り過ぎちゃっていけないや。僕も今夜はもう一回りしなきゃいけない。かついでくれてるみんなの顔をご覧? それが今夜の答えなんじゃない?」 ハッピにねじり鉢巻き。お酒か興奮か、それとも両方か、紅潮した顔が笑ってる。 じいちゃんもばあちゃんも、 おっちゃんもおばちゃんも、 おとうさんもおかあさんも、 ボクもおじょうちゃんも、 みんな、みんなこの場所で暮らしてる。 ここは、あたたかい。 あたたかい、場所。 特別にあたたかい場所。 「ここはなんてあたたかくて、 優しい気持ちになれるのだろう。 今はただ眠ろう、きっといつの日か……」 風の吹く中に出て行くために……。
あ〜あ、またやってしまった…… 話しをしていると、天ノ邪鬼が顔を出す。 話しを振っておいて、わざと自分の本音じゃ無い、相手に話させるような事を話してしまう時がある。 わざと違う意見をして、反論させて、最後には「へぇ〜、なるほどねぇ」なんて、ほざいて見せる。 たぶんこう言ったら言い返されるだろうな、とわかった上で、反応してもらうことを楽しんでいる。 きっと、誤解されてるだろう。口先だけで言葉を転がしてるだけのヤツだと。 確かに薄っぺらいヤツ、ではあると思う。語彙が足りない。本音を自分でも掴めていない。 形にならないものを、出来る限りそれに近い表現を出来るようになるために、もっと、もっと、言葉で語らなければいけない。 言葉にする度に、形にならないものの姿を見失いそうになって、本末転倒になってしまっても、言葉を紡ごう。 「あ」のひと言が、まぎれもない「あ」として伝えることが出来るように……。 ビリー・ホリデイの歌声を追い掛けて。
坂道を登る時、坂のてっぺんを見ながら登る? どこまで続くかわからない急な坂道。 ひょっとしたら、数メートルで終わるかもしれない。 でも、ひょっとしたら、何十キロも続いているのかもしれない。 だから、いつも坂道では足元だけを見て登る。 右、左、右、左……。 自分の足が一歩ずつ、着実に前に進んでゆく姿を確認しながら、 坂の終わりの事は考えない。 ずっと続くつもりで登ってゆけば、きっといつかは登りきれるのだから。 時々、本当に終わりが来るのか不安に思って顔を上げてみたりはする。 ふと振り返ると、気が付かない内にこんなに進んでいたの? と、それまでの道のりに驚かされる。 気が付けば、ずいぶん遠くまで来たもんだ……。 行く先はどこ? 道は間違えていない? 登り道はまだ続く? 登ってきた後ろに、道は出来ている???
ふと、時計を見上げる。 時計の針は、10時を回ったところだった。 昼に一個だけ買っておいたまんじゅうをほおばる。 淡々と机に向かう。 時計は0時を指そうとしていた。 そういえば、終電もうすぐだな……。 一本前に間に合うように会社を出る。 改札に向かう足取りは悪くない。 ま、こんなもんかな……?
傾眠の瞬間のあの最悪な頭痛が最近めっきり無くなってる。絶え間ないキリキリする頭痛も無い。 二人三脚の足並みの揃え方がつかめてきた、て事なんだと思いたい。それでもたまに、一瞬視点が飛ぶ?時がある。 まあ、それも愛嬌でしょう。その瞬間を見た人は、何ぼーっと見てんのさ、と思うだろうね。目の前で、ふっ、とそんなことされたら、不愉快だろうから気をつけられるなら気をつけたいね。出来るもんならね? まあ、普通に一日を過ごす為に何がなんでも、気をつけなきゃいけない事もわかってきたし。 「私」から「私達」へと、改めて仕切り直すようにも、そろそろしなきゃラチがあかない。 鳴子坂もコツさえ見失わなければ、上ってゆけるさ。
2005年09月11日(日) |
発言には責任を持て?! |
最近テレビを観てて(深夜帯)思う事。 政治家や財界人など、それなりの立場にいる人達が番組に出て色々話をしている。 プライベートな事や真面目な事や、本当に色々と。 もちろん、全ての発言に対するシナリオを書いている人物がいるんだろうけれど、それでも昔に比べれば、かなり露出が増えているのは確かであって、発言の幅も広がっている。 ぶっちゃけ党内の誰と親しいかだの、誰々の事をどう思っているのかだの。 ところが、マイクを向ける人間が変わったとたん、そんな発言は許されなくなってしまう。 ふた言目には「不謹慎だ、軽率だ」と些細な事で揚げ足の取り合いが始まる。 政治家に限った事ではない。 例えば、あるトップ女性アーティストがライブの中で、ホントに盛り上がろうという善意のつもりで「座ってるみんなも、立って盛り上がろうよ!」と言った事があった。 それがどうしたって? 観客の中に招待した車椅子のファン達がいて「彼らに大して不謹慎な発言だ!」と、どこかのテレビでそう言われてた。 親しみを持ちたい持たせたい、と観る側も観られる側も色々やっているのに、どうしてこう、揚げ足の取り合いが好きなんだろう? 公共の場での発言、というのは確かに難しい、と思う。立場によるそれぞれの影響力の強さだってあるわけだし、ただ好きに話せば良いわけではない事もわかる。 靖国参拝問題だって、首相だからこそあれだけ問題になるのであって、個人が勝手に靖国神社に行ったって、誰も問題にはしない。 じゃあ、どこに境目があるの? 昨日までの考え方が、明日になったら別の考えに気付いて変わったところで、周囲はそれをあっさりと認めてもらえるの? 発言に対する責任? 責任に縛られて、その拘束から解き放たれるのはいつ? 責任を持って発言しなければいけない事は大切。 けど、ふと、こんな疑問を感じていた事があったのを思い出してしまった。
金曜日はいつもより早く家に帰る。 とは言え、普通の人なら「遅い!」と思う時間の23時。 ネタ書きに苦しみつつ、米を炊き、晩御飯を済ませて就寝。 土曜日、本日。 飲まずに寝たおかげで起床にてこずり、起床後(11時)もしばしボーっとする。昼バラエティをテレビで垂れ流す。 昼過ぎ(14時頃)にようやく回復。散髪に出かける。 舛添要一さんが選挙の応援演説に来てたのを道すがらにちらっと見かけ、それに群がる人達の、あまりにも滑稽に見えるその光景に呆れた顔でわざと最前列を、横切る。勿論、演説に背中を向け、群がる顔をねめ回すように眺めながら。 駅前に到着。いざ散髪。 案の定、散髪中の八割方眠り込み、洗髪、顔剃りのその時々しか記憶が無いまま無事? 終了したのが17時。 ネタ書き用の店(池袋某所)に向かい、到着。ワンコインでしばし、いや、気の済むまで滞在。店員が帰りを促すようにテーブルの周りを掃除し始めたので、やむなく? 帰宅して家に帰ったのが22時頃。 消化不良のネタと格闘再開。炊き残りで晩御飯を済ませ、書けないもんは、書けん! と、壁にぶち当たって諦めたのが0時過ぎ。
……と、まあ、こんな一日を過ごしたんだけれど、休みはこれだけで充分! 明日の日曜が休日出勤で良かった! と、妙な安心感を感じてしまった。 ワーカホリック(こんな表現でわかる人がいるのだろうか?)というわけではないけれど、予定を埋めてくれる仕事に反発しながら、依存してるんだねぇ……。
2005年09月09日(金) |
だるまさんとかくれんぼと…… |
モチベーションが上がらない。というか、頭の中がフリーズしてしまったような感じ……。 別に大した事じゃない。 日常の思考は逆にシンプルに活動しているので、問題は無い。 問題があるのは、実生活には何の問題も無いところで使う頭の中身? 妄想が沸かない……。 これは健康的なこと? いや、自分にとっては大問題。 頭の中で動いてくれない。もとより、沸いてくれない。 ゆゆしき事態だ。 本命のネタではない、別のは出来上がったけれど、それで妄想力が燃え尽きてしまったのか、文字が一文字すら浮かんでこない。 HPには、前に書き溜めていたのをアレンジしたものをアップしては見たものの……。 昼休みに眩しいお日様を見上げてみても、帰り道にお月様とにらめっこしてみても、駄目。 長編一本(本命)も、この調子じゃ締めに間に合わない。まあ、焦って間に合わせるよりも、別のところに出せるように書き上げる方に目的をシフトしているけれど。 気分転換、ストレス解消のはけ口でもあるこの行為が滞ってしまっているのが、自分的にはちと辛いかも。 多少、病んでる時にこちらの方のモチベーションが上がっているのは常々わかってはいたけれど。 この状況は、実はすこぶる健康的、と言うことなのかもしれない……? 我ながら、扱いの難しいやっちゃな、自分。 自分の中身が自分ひとりしかいない状況に、戸惑いを感じつつ、息を潜めている別の自分達とのかくれんぼ。 「そこっ! そこに隠れてる! みーつけた!」 さて、何人見つける事が出来るやら……。 だ・る・ま・さ・ん・が……転んだ! ……振り返っても、誰も動いていない。 早く動いて、俺の背中にタッチしてくれー! などという、くだらないことなら妄想できるんだけどねえ……。
A「見返りを求めてはいけない」 B「答えを急いではいけない」 A「目に見えるものだけを求めてはいけない」 ※「じゃあ、何を求めればいいの?」 A「目には見えなくても、そこにはきっとそれ以上のものがあるはず」 ※「目に見えないものを、どうやって確かめる?」 B「ことさらに確かめようとする必要がどこにある?」 ※「確かめられない、見えもしない、そんなものどうやって毎日を過ごせばいい?」 B「ことさらに急いで、形ある答えを求めて、自分で心を疲れさせることはない」 A「自分がこうしている、と言う事だけで、自分の心は満足できないのかい?」 ※「自己満足なんて、何の根拠も無い、誰にもわからない、まやかしだ」 A「まやかしでも、嘘でも、それがそうだと知らなければ、それこそが君にとっての現実なんだよ」 B「そう。恋に恋するなんて、よく言われてるじゃないか」 A「無償の愛、なんて素晴らしい言葉」 B「恋する自分に酔って、夢見る自分に溺れて、それで誰かに迷惑を掛けなければ、それこそ素晴らしい世界」 ※「そんな風にはなれない。世界は自分ひとりしかいないわけじゃない。自分以外の誰かと誰かと誰か達だっているんだ。答えが求められないなら、せめて、手応えくらい、欲しがったっていいじゃないか」 A「欲だね、欲。エゴ」 B「金が全てじゃない、なんて言いながら、こいつはきっと金を捨てる事が出来ないね」 A「そうそう。捨てないね、絶対」 B「小者だね、こいつ」 ※「小者だっていい。聖人君子なんかにだってなりたくなんか無い」 AB「開き直ったね、開き直り」 ※「世界中が平和でありますように、なんて大それたことは願わない」 B「偽善の仮面を投げ捨てたよ」 A「嘘でも、言わなきゃいけない事だってあるのにね」 ※「自分と自分の身の回りが幸せで、その事が少しだけでも実感できる手応えがあって、その相手が目の前の誰かだったら、なおさら嬉しい。」 A「目の前の誰かだってさ」 B「誰か、なんて、それこそ抽象的だね」 A「話にならないね。退散しよう」 B「そうだね、時間と労力の無駄だね。退散しよう」 AB「そうしよう、そうしよう」
振り返ると、その日、その日があっという間に過ぎてゆく。 一日二十四時間の内のほんの数秒間を過ごしただけで、 残りの何十時間なんて、どうでもいい。 その数秒を、幾つも幾つも、重ねてゆきたい。 そうすればきっと、一生何十年分の数年の時間は、 一生の全てを、「良し」としてくれるに違いないから。
鏡の前で笑ってみる。 誰もいない洗面所で、一人。 どこかぎこちない。 メガネを外して、再挑戦。 ピンぼけの私は、きっとまだうまく笑えていない。 鏡ににじり寄って、そんな私に舌を出す。 アッカンベェー!!
過去の自分が、淋しげな眼差しでボクを見ている。 ボクはボクの背中を追い掛けながら、足を早めてゆく。 時折背中を振り返りながら、ボクはボクを追い掛けながら、ボクを置き去りにする。 追い掛ける背中はひとつきり。 置き去ってゆくボクは、時の数だけ増えてゆく。 振り返らない。 きっと、キリが無い……。 淋しげに見えるのは、今が違うから……。 追い掛けるのは、今それが見えるから……。 捨ててしまうんじゃない、置いてゆくだけ。 忘れ去るんじゃない、ただ見ないだけ。 いつも背中を感じながら、追い掛けるだけ……。
2005年09月03日(土) |
not me,but us |
ありふれた言葉 だけど、口にする人によってそれはたちどころに 「特別な言葉」に変わる 今日はそんな言葉の洪水攻めだった 一人一人が特別な人、特別な言葉 特別な笑顔…… not me,but us
人間とは、単純なもの。 そして、不可解なもの。
自分の中で、何か数を数える時、カウントを取る時、どうやってる? 普通に「一、二、三……」と数えるだろう。 勿論、本当に数えた数が必要な場合はそうやって数える。 でも、数ではなく、タイミングの方が必要な時、私は違う。
どんな時?
例えば、水をゴクゴク飲む時、飲み込むたびにタイミングを取るように数える。 そんな時、何故だかわからないけれど、こう、数えている……。
「三、六、九、十二……」
三とびで数えている。 勿論「六十六、六十九……」までは数えず、大体が「三十」までで、後はまた「三」から数えなおす。
こう数えるようになったのは、いつからだろう? 「三(サン)」の、「ン」の韻が好きなのかもしれない。
自分でもはっきりわからないのに、何故か変わらない。
人間は、単純で不可解だ……。
2005年09月01日(木) |
伝えたい言葉は……? |
ふと、何かを感じて携帯を鳴らす。 留守電に繋がり、メッセージが流れる……。 ちゃんと、届くだろうか? かんじんな言葉に限って、思いつかない。 いつもと変わらぬ口調と言葉を並べて終わる。 とても簡単な言葉を、いつも見逃してしまう……。 知らない振りで、誤魔化してしまうこともある。 いつになれば、言葉にできるのだろうか……?
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