西新宿で激安の昼ごはんを探している。
おにぎり三つで三百円強、を上回るもの。 できればワンコインで満足感を味わえるもの。
神保町で八百円前後だと腹いっぱい、な感覚なだけれど、さすがビジネス街の西新宿。腹八分、いやさ六分くらいのものになってしまう。
……やっぱり牛丼屋になてしまうのだろうか。
それはイヤだ。 ふつーの弁当を食べたい……。
それはぜーたくな願い?
やっと食卓に戻ってきてくれた徳用納豆をまぜまぜしながら、そう思った。
東国原新知事、芸名「そのまんま東」さん。 阿部首相の施政方針演説と比較されていた。 内容は散々批判されていたが、首相としての様々なしがらみを考えると、某コメンテーターの「阿部カラーがでていない」とのコメントには、いや、カラー「そのまんま」だったんじゃないのさ、といいたくなった。
阿部カラーって?
世論とはまったく関係なく、私個人の、あくまでも私的なイメージとして、と断っておくが、私が思っている「阿部カラー」とは……
「尻尾振るワンちゃん」
だと思っている。 組閣人事だって、関係各位へのご褒美だったと言われていたし、とにかく、皆の不興をこうむらないために、べーやんは、尻尾を振ってご機嫌をとる。 その尻尾が国民に向けられるだけの余裕が今の政界にないからではないだろうか? 本来、国民に対して千切れるほどに振るべき尻尾が、首輪の紐をキュキュッと飼い主の皆様方に締め付けられていて、「まずはこっちから!」とされているのではないのだろうか。 べーやんがあくまでも「美しい国」という言葉にこだわっているのは、現在国民がもっとも気にかけている問題に触れることにすると、政界がせっかく下ごしらえ(根回し?)しているものを覆すことになりかねないからなのかもしれない。 教育再生だって、政治と金だって、社会保険だって……ねえ? 尻尾振るご主人様たちに、噛みつかなければいけないことになるかもしれないんだもの……。 政治家は野良犬には、なれないでしょ? 野良犬には国民も肉をあげたりする気にはもちろん、ならないだろうし。だって、吠えるだけの力も後ろ盾もないこうるさい野良犬なんかより、身元の保証がされた、後ろ盾のある飼い犬になら肉をあげるきになるでしょ?
そう。 ここにも、吠えるだけは「ただ」な、野良犬が一匹……苦笑
2007年01月23日(火) |
私の頭の中の消しゴムの侵食? |
私(PC)の頭の中が、どんどん消えていってしまってます……。 デスクトップの外付けHDが、私の最後の記憶のありかが、真っ白になってゆきます……。 そこにあるのに、認識できません……。
そうやって、初期化されてゆきます。
はい、これでストックがまったく白紙に戻ります……。
真っ白になって、これまでの中途半端につけられていた色を塗りなおせるってなものです。 ……これを理由に、また作品の締め切りを延ばさないように、自分に言い聞かせるだけです。 あ、消しゴムが脳みその中をゴシゴシと……苦笑
……都合の悪いことをすぐに忘れるのが、私の特技です(笑)
2007年01月21日(日) |
なっとーくできないっ!? |
完徹あけで二次面接行って、昼過ぎに帰ってきて……。 で、ひと眠りして、
「腹いっぱいメシでも食うぞっ!」
と、夕方になって家を出たはいいけれど……。 おかず、いやさ、メインとしてあてにしていたものが、店に無いっ!
近所のスーパーを二、三件まわったけれど、そのどこにも、ない。 あるのは、「品薄のため在庫が切れがちになっております」のメッセージのみ。
そう、お目当ては「納豆」!! テレビの紹介ですっかり流行のものになってしまって、つねづね主食としてきたはずの「我が愛しの納豆」ちゃんが、遠くの世界へと扉を開いて出て行ってしまった……泣
納豆、食う、できない……。
もう五分ほど足を伸ばしたところのハナマサにはきっと置いてあるんだろうけれど、なんかそれも悔しい気がした。 たとえば、恋人とケンカして「今なら素直に謝ってやれるかな」と思い直して慌てて後を追いかけてみて、でも、交差点の信号が赤に変わっちゃって、そこまでして追いかけるなんて、なんか悔しいよね、的な感じ(笑)
はいはい。 妄想は限りなく翼を広げて羽ばたいてゆきますよ〜。
ドラマのコニタンを観て、妄想の翼を広げることすら忘れさせられてしまう。 やっぱり、さいこーです……。
重松清著「送り火」 を読んだ。
私鉄沿線に暮らす、ささやかな人たちのそれぞれのさまざまな日常をまとめた短編集。 やはり、感情、いや、想いを表現するのが、絶妙。 そうか、まさにそんな感じで、そういう感覚だよね、という表現が散りばめられている。たとえば……
自分の「家族」を思い描いてみてください、といわれたとする。 その「家族」 の中に、自分の顔はあるだろうか? 自分にとっての「家族」とは、自分以外の家族のことを思い、「家族」のため、と思うときには自分のことを考えないことがほとんどだと思う。 それぞれが自分のいない「家族」のため、と自分を犠牲にしていたら、そこには誰もいない「家族」という空の器があるだけになってしまう。 だけど、自分以外の「家族」のため、と考えなければ、ひとはなにも頑張れなくなってしまうのかもしれない。 でもそのせいで、あなたを「家族」と思い描いている家族の誰かの中のあなたが、勝手にいなくなってしまうことにもなってしまう……。
「家族」とは形にしようとすると、もろくて形にできないものなのだろう。 だからこそ、「家族」という言葉を口にするとき、「家族」という文字しか思い浮かべないようにしているのかもしれない……。
今日は 「12842」
三崎亜記著「となり町戦争」
を読んだ。 すばる新人賞受賞作品(?)とのことだったから、敵情視察みたいな感じで、ま あ、そこそこだった(苦笑) ただテーマは共感した。 ニュースや知らないところでの戦争、ということがもし、同じように自分の町で行われていて、当たり前のように受け入れていたとしたら、どうだろう。 あなたが仕事で関わった商品、例えば発注コードしか知らないモノが実は戦争の備品かもしれない。 自分の会社が開発した技術が、戦争において実に効果的な結果を導くものかもしれない。 自分の書き連ねた言葉が、戦意高揚に役立つものかもしれない。 そして、なんの自覚も意識さえもなく、戦争ということが自分にとっては、ま さに他人ごととしてしか存在していなくなる。 朝日新聞のジャーナリスト宣言のCMが、まさにそのことを唱っている。
むむむ……。 このテーマは、自分が次に使えないじゃないか!(苦笑) まあ、今のが整理ついたら、ちょっと社会テーマの作品でも検討してみようかしらん……。
今日は 「10737」
新年の抱負として、某有名政治家さんが揃って、
「猪突猛進」
という言葉を使っていた。 あんたら、おバカさんかっ!! 政治家がそんなことを言っちゃあ、こまるんだよ!
……干支にちなんだシャレのつもりなんだろうけれどさ。 猪突猛進って、わき目もふらずに、てことでいい意味だけだと思いきや、国の行く末を担う政治家が「わき目もふらずに」じゃ、ほかの一切の事には目もくれません、て宣言しているようなものじゃないのさっ! 政治家は常に、広い目で、より深く、全てのものごとを見ていてもらわなければ困る。 だって、目標のために、国民の意思をさえ無視して成し遂げる、てことになりかねないでしょ? ……て、今でも、どこまで政治が国民の意思を反映してくれているのかなんて、わかりゃあしないけれどね。
ああ、新年一発目の毒を吐いてしまった(苦笑) 今年は竹林で清談ばかりしてられないから、少々、毒を吐くのは控えようと思っていたのに、それは無理な気がする……笑
寛大な心で、皆さまお付き合いくださいませ。
2007年01月05日(金) |
丸の内、リライティング |
今日はランチタイムに丸の内へ。 ふっふっふっ……。 アリのようにビルから出てくる人間の姿! おそらく、けっして同じ世界にはいられないだろう、丸の内人たちよ、キリキリ働いて日本をよくしてくれたまえっ! などと、負け惜しみをあたりに撒き散らしてきました(苦笑)
……むなしひ。
などと思うことなかれ。 できる人ができることをやればよいのであって、自分が必ずしもそうでなければならないことは、なにひとつないのだから。 年末あたりから頭にこびりついているショートショートの風景が「いつまで私をほっといておくの」とべそをかき始めた。 はいはい、今しばらく待っててね(苦笑) もうちょっと、何かが見えるまでは、まだ、手をつけないから。
連休に、すっ飛んだネタのリライトに挑戦してみるつもり。 間に合えば、10日締切りのコンテストに放り込めるかしらん……。 ……やってみなけりゃあわからない。 ほかの誰にもできないことなのだから。
丸の内ランチのコストパフォーマンスの悪さに不服を唱えながら、今日も食う(笑)
今日は 「12030」
2007年01月04日(木) |
「トランスアメリカ」 |
「トランスアメリカ」 を観た。 性同一性障害の男が、一週間後に転換手術を前に突然の、息子と名乗るトビーの身元引受にきて欲しい、と警察から連絡が入り、身分を偽って引き取りにゆきロスまでの道中を共にする。 写真でしか知らない父親に突然会いにゆき驚かし、共に暮らしたいと打ち明けるトビーに、やがて男は自分が父親だと、手術を受けることも、全てを打ち明ける。
本来自分があるべきと思っている姿への変身ということと、突然の我が子の出現、しかもまだ男であろうと苦しんでたときに知らずに芽生えていた生命が、女としての道を決意しているまさにそのときに、父親を求めて現れること、という出来事があるのに、少し、何かが足りなかった気がする。 盛り上がりというか……苦笑
湯島天神でおみくじの引き直し。 ……中吉。 三度目の正直、しかも二回目の「中吉」ということは、信じてよいんだろう。 なかなかの駆け出し。
今日は 「15032」
おみくじをひいた……。 ここ地元の根津神社で……。
……凶。
これはまずい。 ここのおみくじの「凶」はよく当たるだか、数が多いとか、どのみち、このまま新年の運勢がよろしくないのは避けたい。 と、いうことで、そのまま南下して湯島天神へ。 えらい行列で、入場制限(?)までされていて、境内に入るのに三十分待ちだったので、入り口を冷やかしただけで、さらに南下。 で……、神田大明神へ。
……よしっ! 中吉!(笑)
引きなおしがどうのだとか、細かい事は考えない。 やっと正月気分の世間様を実感する事ができた、かしらん……苦笑
2007年01月01日(月) |
新年明けまして、「哀愁的東京」 |
明けましておめでとうございます。 本年も変わらずのご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。
さて、新年一作目は…… 重松清著「哀愁的東京」 です。 フリーライターでありまた絵本作家でもある主人公が、絵本を書けなくなり、ライター業で出会った人々を通じて「東京」をスケッチしてゆく物語。 東京という街は、何かを手にしてゆくよりも、失い懐かしむことが増えてゆく街、なのかもしれない。 手にすることがないわけじゃない。それこそ溢れるほどある街なのだろうけれど、手にする喜びは束の間になるほどに次々と溢れ、噛み締めるゆとりを見失いがちになる。だから、失ったときにだけ感じるものが殊更、色合いが強くなってしまう。
「東京」の片隅に束の間の茅舎を構えている身として、そんな街は厳しくも寂しくも、そして魅力的でもある。 まだ守るべきところには、ない。 だから、いましばらく竹林の隙間からこの街を見る者として、茅舎を構えていよう。 温かい場所に身を寄せるには、まだ、早過ぎる。それにまた、風の中に出てゆきたくなるのだろうから。
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