浅草へ!!
上野を通ってゆくのだけれど、いつものように根津方面から不忍池をぐるっと回るのではなく、裏から、東京芸大方面から上野を抜ける。 ちょい入谷方面に立ち寄ってパン屋(釜焼きパンで、けっこう美味い)でブランチ用にパンを買い、食べ歩きながら合羽橋へ。
六割がたシャッターが下りている。
そうか、祝日だからね。しょーがないね。 食品サンプルの店で売っていた携帯ストラップ一個と中華鍋(片手持ち)の値段が大して変わらないことにショックを受け、どちらも買うことを断念……。
目的は浅草じゃあ、ないか。
ということで……国際通りに到着。 正味五十分弱、かな。 神保町行くのと変わらない。
もちろん、徒歩で。
目的のランチの店へ足を向ける。
天婦羅・そば「尾張屋本店」
浅草と言えばとんかつ、天婦羅でしょう。 今回はちょいとリッチに(?)天婦羅にしてみた。 この店、じつはかの文豪「永井荷風」いきつけの店だったらしい。
知ってる?
知らなくてもいいや(笑) 荷風先生は鴨南蛮をよく頼んでいたそうだけれど、今日の陽気でカレーは暑い。それに、天婦羅を食いに来たのである。 この店のお勧めは天婦羅蕎麦とのことでもあるのだから、それを馳走にならずにおくものではなひ。 客足はまことに繁盛しているようで、一人客の小生は相席となってしまったが、それはそれ、なかなか気持ちのよい壮年の男性が向かいに陣を取った。 「よろしくお願いします」 むむ。 たかが相席だけで、よろしくとは、これ、いかなる事なり。 「むむ、こちらこそ」 と軽く礼に応える。 注文を済ませしばしのち、盆に載せられた天婦羅蕎麦が小生の面前に運ばれてくる。 「お先に」 小生とて多少の礼を払うくらいの心は持ち合わせている。 すでに向かいの男性は冷酒に舌鼓を打っておった……。 ぞぞっ。
粋な蕎麦の食べ方とは、これすなわち、音の妙技にあり。
二尾の海老の天婦羅をはふはふと千切りながら、細麺を咽喉に流し込む。
あっという間、とはこのことであろう……。
箸を収め、席を立つ。 そのときも礼を忘れることなかれ。
「お先に」
男性に軽く声をかけ、勘定を済ませる。
ふむ……。次回はしかと、南蛮を馳走になることにしよう…… 。
……むむ、なにやら語調がおかしくなったけれど(笑)、なかなかだった。
仲見世通りをぐるっと回って、花屋敷裏の千束方面を冷やかして、お目当ての名前だけしか知らなかったいきたい店をこの目で確認もできたし、まあ、なかなか有意義だった。
2007年04月28日(土) |
「幸福な食卓」と日本映画 |
映画「幸福な食卓」
をギンレイにて。
……北乃きい、いいじゃないですか。 かわゆいし、素朴なあのかわいらしい演技力を感じさせられたし。 てか、すでに色眼鏡かけた目でみてしまっているのかも(笑)
最近、日本映画界が活発化している。 アニメではない。逆にアニメ映画のほうが、危機に瀕しているようにも思える。 テレビシリーズの人気にあやかった作品。ただただ有名クリエーターが手がけたというだけの作品。CGを不必要なほどにごてごてに盛り込んでただただそれだけの作品。
……かなしい。
いっぽう一時期の黎明期を乗り越え、若手監督の台頭著しい実写作品(?)は、確実に監督だけではなく、実力派俳優に若手といわれる世代が台頭してきている。
……一時期は一アイドル一タレントでしかなかったものが、力を付けて返り咲きしている姿もみられる。
ひさしぶりに、口にしてみて口元が緩んでしまう言葉。
「役者さん」
そういいたくなるような俳優(女優)さんたちが、いる。 見た目だけのかっこよさではなく、「演技」しているその姿のかっこよさ。
ありえないくらいにくだらない登場人物だったとしても、それでも見る側に納得させてしまう演技と存在感。
逆に、こんなに素晴らしい役者を起用しているのに、そのすべてをダメにしてしまうような演出がなされている映画作品もままある。
……むずかしい。
川上弘美著「おめでとう」
を読んだ。
なぜだろう。とてもいとおしい気持ちにさせられる。 誰をとか何をとかではなく、ただなんとなく、曖昧模糊としたものを、である。 この感覚をわかってくれるひと、求む(女子であればなお嬉し。笑)
本を読んでいるとき、頭の中で文字を思い浮かべてから情景を思い浮かべているのだろうか。それとも、自分の回想として文字も絵も何もなくダイレクトに感じるものとして読んでいるのだろうか。
私は、私として情景を思い浮かべるのが苦手である。 誰かまたは誰でもない第三者としてのことが多い。 そのくせ、それ相応の感性とでもいうべきものを発揮できないのだから、困ったものである。
重松清著「愛妻日記」
を読んだ。 ……この作品、帯にも書いてあるけれど「官能小説」です。 重松自身が匿名で週刊誌に連載したものだそうで、そんな小説を朝夜の通勤電車の中でえいっと開いて読んでいる自分の姿に、ちとドキドキしていました(笑)
でも……。
たしかに重松作品なんです。 ストーリーは夫婦の性生活のさまざまな場面を描写しているものなのだけれど、そこに、微妙でなかなか言葉で掬い取りづらい感情や想いを忍ばせている。
うん……やっぱり重松さんはスゴイっ!
官能の次はまた少し妖しげでアクのあるそしてクセのある世界の作品を手にしてみる……。
2007年04月23日(月) |
「BEAT OF RAIN」と秒針のビート |
親知らずのうずきがだいぶおさまってきた……。
ということで、まずはまあなにをおいても、篠原美也子春のワンマン
「BEAT OF RAIN」!!
もう、さいこー……。 なんというか、こう、今までとは違った感じでいられた。 とにかくもう、すべて美也子さんに呑み込まれてしまって、ただもう、気がつけばボー然とライブが過ぎ去ってしまっていた感じだったのが、今回、向かい合って聴いていられた。
てか、今回発売のアルバムのジャケット撮影で使っていた銀髪のカツラを買いに、篠原さんが日暮里の繊維街に来ていた事をMCで知らされて、「うおっ、なぜに出会えなかったんだろう!」と、自己中なショックを受けた(笑)
自分が篠原さんに惹かれているわけ、ひいては、学生時代にとくに小劇場の舞台に惹かれていたわけにもつながるけれど……。
そこに立っている自分が、とにかく自分自身にたいして胸を張って誇らしげに立っている姿。
自分はいったい、どこに立っているときが、そうなんだろう……? 何をしているとき?
あなたはどんなとき、どんなことをしているとき、自分自身が胸を張って立っていられますか?
スポットライトがあたっているから、輝いているんじゃ、ない。 輝いているから、ライトが追いかけてくる。 ライトなんかがなくっても、誰一人気がつかなくっても、自分で自分に胸を張って立っていられるステージを、目指したい。
2007年04月17日(火) |
「蹴りたい背中」と、どっちの強さ? |
綿矢りさ著「蹴りたい背中」
を読んだ。 「インストール」で芥川賞をとって一躍有名作家の仲間入りをし、その第二作目。
……おこがましいけれど、さぞ辛かっただろうと思う。
二作目を書かなければならない、作品として商品として書き上げねばならない。 しかも、芥川賞作家という重すぎる肩書きを背負って。 たかが十代の女の子が。
……きっとそれらの経験や想いをふまえて、最新作「夢をあたえる」が生まれたんだろう、と思わされてしまう作品だった。
何をどう描けばよいのか、いや、描きたいのかが、皆目わからなくなり、見えなくなってしまう。
……はかるべき物差しを疑いの思いを抱いた目でしか見れないことが、ままある。 自分の意思なのか、第三者的な意思なのか。 自分をほかの何よりも信じきる強さと、信じようと思う意思のつよさは、似て非なるものであり、また同種のものでもある。 無謀と勇気とが違うように、些細なことで一瞬にしてそれが入れ替わるように、ひとはそのどちらかを結果的に選んでゆく。 今は……
信じる強さ? 信じようとする強さ?
どっちだろう……。
思いっきり、背中を蹴っ飛ばしたい。
2007年04月15日(日) |
桜花繚乱とふっ飛べ! |
篠原さんのニューアルバムが届いた……。
グッ!(ガッツポーズ)
篠原美也子の新しい言葉を彼女の声で耳にするたびに、こんなにも胸が熱くなるのはなぜだろう。 ありふれた単語を並べていることに違いはないのに、コトバとして胸に響く。
『その先の空に手を伸ばしていたい……』
伸ばせるだけの力を手にできるまで、じっとその空を見上げ続けることを、今は忘れずにいよう。
「すべては、あるべくしてそこにあるのであり、 すべては、なるべくしてそうなっている」
のだから。
嘆いたって、呪わしく思ったって、明日はただ当たり前のように変わることなく訪れるのだから。 受け入れの中に、まだ諦めの気持ちがくすぶっていた自分に言い放つ。
「ふっ飛べ!」
2007年04月08日(日) |
「トンマッコルへようこそ」そして「トリップ」 |
「トンマッコルへようこそ」
をギンレイにて。 登場人物のほとんどが、なぜか日本人俳優に見えてきてしょうがなかった(笑) キム兄に真田広之に……出演者は皆、韓国の方たちです。
この作品、くすりと笑わされて、じん、とこさせられる。
ちょいとまえの「ラップランドの妖精」と舞台設定的には似ているのだけれど、どうしてなかなか、やられてしまった。 いわゆる朝鮮戦争の最中、人民軍(北朝鮮軍)と連合軍(韓国軍)のそれぞれの兵士が戦争がおこなわれていること自体を全く知らない小さな村に逃げ延びてばったりと顔を合わせ、そして奇妙な共同生活が始まる……。
まあ、本当に小さなことがらを、さもたいそうに描写してみせてくれて、面白い(笑)
イノシシに追いかけられて、それまで反発しあっていた人民軍兵士と連合軍兵士が助け合ったり、捕らえたイノシシを村人は食べずに埋葬してしまったのを、人民軍兵士がこっそり掘り起こして焼いて食べようと夜中抜け出してきたら連合軍が先に丸焼きにして食べようとしていて、肉を分け合って交流を深めたりとか。
なにげに、お勧めします。
で……。
角田光代著「トリップ」
を読んだ。 このひとも、自分の中ではすっかり唯川恵さんと抱き合わせのような感覚で、脳みそに刷り込まれてしまっている(笑) なぜだろう? 二人ともすばらしい作家さん、のはずなのに、一冊読み終えると「次の作品こそは」という気持ちにさせられてしまう……。 いっそ、手を伸ばすのをやめてしまえばいいのに……。
そう、読んでいるときも、読み終わったときも、さらりと流れていってしまう感じ。
そうそう、ぐいんの新刊がやっと出た。
よかった……。
しっかし、隔月刊で出版されるのが当たり前のような感覚の読者ばかりの作品をこのハイペースで書き続けている栗本薫という作家は、まさに、人間じゃあ、ない(笑) ギネスが認めないと言おうが、我々読者は、栗本薫の、世界で誰一人築くことが出来ていない、世界記録の更新を、熱い眼差しで応援しております。
ぐいんが完結するまでに、自分も春を迎えてやる……笑
だって、第一巻発刊から、いったい何十年経ってるっていうのさ……。 その間に知り合って結婚して、子どもまで生まれて、社会人になりました、てなひとだtっているのだもの(笑)
2007年04月01日(日) |
「蟲師」と「物語が、始まる」 |
映画「蟲師」
を観た。 今日はサービスデーで一本千円。 大友克洋監督、オダギリジョー・蒼井優・江角マキコ主演の、原作コミックを実写化したもの。
この『蟲師』という作品、前の会社の徹夜明けで帰ってきてつけたテレビで偶然やってたのを観て、その物語や音楽に引き込まれて、ビデオに録ったりしてたんだよね。 そのあと、原作コミックを見つけて、無職時代、マンガ喫茶で読みふけったりしてて……。
できれば、アニメを観て、そのよさに触れてもらいたい。そして原作を読んで、その世界観や、個々の物語の深いものを読み取って欲しい……。
実写映画は……。
どーもイマイチだった気がする。 VFX駆使して、『蟲』という、人間でも動物でもない、ただの「生命の塊」という幻想的な存在を表現してあるのはよいけれど、なら、アニメのままでよかったじゃん、とも思う。 主役のオダギリジョー演ずる『蟲師ギンコ』は、よいのはよいけれど、ハスな感じがもうちょい欲しかったし、我が(?)蒼井優演ずる『蟲を文字として封ずる探幽』も、とても愛しかったけれど、もうちょい、陰のある強さという雰囲気が欲しかった。ギンコ誕生のもととなった江角マキコ演ずる『蟲師ぬい』は、イメージもよかったけれど……。
で、
川上弘美著「物語が、始まる」
を読んだ。 これはまた、しっかりと川上作品です。 よいです。 (笑)
川上作品的な世界の物語を、描いてみたくなる……。
秋に向けてしっかりと描いてみようかしらん(笑)
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