気がついたら昼過ぎまで、早速(?)這いつくばってました……。 何時間寝とってん、自分。 おまけにさぶいし。
本当の季節の変わり目、てやつかいな。この波を越えるまで辛抱や。
玄関を出て雨の中、下町散策に訪れるひとの姿も相変わらずある。
「○○てお店を探してるんですけど……」
えぇと、たしかこの道をフンフンフンと鼻歌を歌いながら行った先の、幾つ目の角を曲がって右側だか左側だかにあったな……という、感覚的な道順を説明していると、
「途中まで行くよ。ついてきな」
と、近所のおやっさんが登場。 配布してるマップだとどうしても概念的なものになってしまうので、ちょいと裏、などにある店は見つけにくい。
なんとかさんちの角を曲がる、なんてわかるほどの通にはなれてないのだもの、おやっさんにお願いしました……。
街角の掲示板に「まちづくりワークショップのお知らせ」が張ってあった。 都内ならでは、かもしれない。 おやっさんみたいな高齢のかたや、自分くらいの年齢のものや、その子どもたち。 そこに住む、住み続けている、過ごしているものたちが、自分たちが住む「まち」を見つめて、考えて、話し合って、「つくって」ゆく。
近所に計画されていた五階建ての大きいとはいえないワンルームマンションでさえ、取り止めとなった。
近隣住民の力。
が大きかったのだと、思う。
まちづくり、であって街作り、ではない。
形だけではなく、気持ちも、意識も、育んでゆくのだから。
2007年09月29日(土) |
「パレード」と映画「東京タワー」 |
川上弘美著「パレード」
「センセイの鞄」のセンセイとツキコさんの、とあるひと時。 一緒にそうめんを茹で、食べ、午睡を過ごす。 寝転び合い、ツキコさんの手を卓袱台の下で握るのではなく、ポンポン、と子どもを寝付かせるときのようにやさしくたたくセンセイに、子どものころの不思議な思い出を話す。
やはりこのふたりは、いい。
こんな関係が、とても、いい。
先日電車内で「ニシノユキヒコの〜」を読んでいた女の子を見かけたのは、川上弘美新刊の予兆だったのかもしれない……笑
「センセイ〜」も再発刊していたし、出版元が変わったのかしらん。
版権とか、どうなるのだろう。
それはさておき。
気温前日差マイナス十三(六?)て、どないやねん。 彼岸を過ぎたからて、寒すぎやっちゅうねん。
そして……
映画「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」
をギンレイにて。
どうしてかなぁ……。 テレビドラマ版では、普通に観られたのに……。
アカンと思うと、時々、ストン
と、陥ってしまう。 堕ちても、這いつくばるまでは、しちゃあいない。 這う前に、俯せで寝転がってる、だけ。
這いつくばるまで、やってみろ。
……などと、自分に説教たれてみる。
2007年09月28日(金) |
「妊娠カレンダー」と立つ |
小川洋子著「妊娠カレンダー」
芥川賞受賞作品。 妊婦である姉に、本人が欲しがるから、と農薬でたっぷりと消毒されたグレープフルーツと意識しながらも皮ごと煮詰めてジャムを作る。 なにひとつ、間違ったことをしているわけでは、ない。 むしろ、求めに応えているのだから、献身的とも思える。 知っているか、いないか、の些末な違いだけだ。
現実とは、ほぼ、同じような世界。
目の前、限られた知識、社会、と、その背後、知らぬ知識、社会ではなく世界、にシフトすると、たちどころに個人単位のものごとはたちゆかなくなる。
世界に平和を、と唱えるものが一切悪意や憤りを感じずにいられるか、ということ。
「お前さぁ、とことん性善説なやつだよねぇ。ダメだったら、てこととか、仕事に関しては考えて手配しておくようにな」
Kさんにかつて言われた。
違いますよ。 とことん善のようで、そして逆に悪でもある、んですよ。
だから、小川作品がさらりとくるのかもしれない。
いい、も、悪い、も、語らない。 だから、それはある意味で、「酷」である。 「酷」だからこそ、わかりやすいものにからめとられてしまう。
わかりやすいものは、全体のほんの一部にしか過ぎず、そして全てを内包するものの真実の「ひとつ」である。
真実はまた、さまざま存在する。
こちら立てればあちらが立たず。
それは対象同士の視点に立つから当たり前。 全ては、立ってしまうのである。
選べ。 そして選ぶな。 立つ場所、を。 立てるもの、を。
今日はふと、会社帰りにドクのところへゆくことにしました。
いざ、首相官邸(の裏)から東京タワー(の近く)へ、夜間歩行です。
ビルの隙間に白く光る東京タワーを目印に、てけてけと。
冬用のライトアップに変わるのは、十月からかしらん。 キン、と音が聞こえてきそうな、白く鋭い姿から、淡く柔らかい橙色がキャンドルのように揺れているような姿に変わるのは、ちょっとした楽しみでもある。
愛宕神社、プリンスホテルを過ぎて増上寺。
ヤバい。
完全に徒歩圏だ。 三十分かからん。 上野から家までと変わらん……。
あ、着いた。 原稿用紙一枚分も書かないうちに到着です。
ということで、ドクとレッツ・ザ・ツダン(雑談)!
こんなイメージの作品なんですけど、何か知りませんか。 ううん、あれとかこれとか、かな。 あれとこれですか。ありがとうございます。 あれといえばその作者は、云々……なひとなんだよ。 げっ、イメージと違う。 でしょ。もとは云々のひとだから、面白いもんだよ。 ほうほう、うへへえ、あらら。
などと、話に華を咲かせる。 帰りの山手線、さすがに徒歩で帰るはずもなく、隣に座った女の子が読んでいた本が川上弘美さんの「ニシノユキヒコの〜」だったことがなんだか嬉しくて、ニヤニヤしてしまった。
襟巻きネジネジの中尾彬さん命名(といわれている?)「夕やけだんだん」を一段ずつ、主である野良猫たちを脅かさないように、おりてゆくその先には……。
店は全部閉まっちゃってるやん。
メンチカツ買って帰ろ思ったのに。 一時間、遅かった……て、遅すぎ(汗)
谷中銀座、よみせ通りを抜けて、団子坂を背に、乱歩を曲がって、おうちに帰ろう。
月は丸いし、団子も美味し。
なんや、ちょっとした観光みたいやないのん。
うおっ、てか、まぢ、月がきれっ……汗
2007年09月25日(火) |
「CANDY」とキックダウン |
今日はちょいと贅沢(?)して、銀座で途中下車して映画をば。
映画「candy」
をシャンテシネにて。 箱入り娘のキャンディがジャンキーのダニエルと恋に落ち、彼女もその道に堕ちてゆく。 ダニエルは職につかず、ドラッグのために盗んだものを売って稼ぐが、やがてキャンディ自らが体を売って稼ぎはじめる。 それでもふたりは愛し合い、やがてダニエルの子どもができたことを機に、ドラッグを止めようとふたりでアパートの一室に籠もり、禁断症状と闘うが、その闘いの中で出血し早期流産してしまう。 病院のベッドの上で、息せぬ我が子とダニエルと寄り添い眠るキャンディ。 ふたりの生活はふたたびドラッグの生活に舞い戻ってしまうが、ダニエルは田舎に引っ越し、ドラッグはやめよう、と働き始める。 仕事から帰るとキャンディは近所のドラッグを持っていた男と一緒に、ドラッグに手を出していた。 そしてある日、家中の壁にダニエルとの出会いからの想いを書き連ねて姿を消したキャンディが、精神病院に入院した、と彼女の父親から連絡が入る。
お前がどうなろうとしったこっちゃない。 お前ができるすべてと、娘に必要なことを、しろ。
真面目に料理屋の皿洗いで生活をはじめたダニエルのところに、退院し、出会った頃そのままの美しい姿でキャンディが訪れてくる。
ダニエルができるすべてのこと。 キャンディに必要なこと。
長く熱いキスの後、流れる涙を止めることもできずに、ダニエルはその答えをキャンディに告げる……。
とことんダメ男のダニエルと、それでもとことんダニエルを愛しているキャンディの物語。 ダメ男のダニエルが、最後に救われた男になれることを祈りたい。
昨日の今日でなんなんだけれど、ガソリンがもちっとで貯まりそうな、でも、もうあとほんの少し足りないような感じ……汗
キックダウンしてでも、エンジンを早くかけなくては。
2007年09月24日(月) |
「セックスボランティア」と「しゃべれども〜」 |
河合香織著「セックスボランティア」
以前ドキュメンタリーで観た 「身障者と性と社会の意識」 を取り上げた、ルポルタージュです。
年始に文庫化されていたのに気づかず、タイトルさえ覚えていなかったので、棚から一冊、無造作に平台に倒れていたのを見つけたのは、まさにこれ「天命」とでもいうべきものだろうか……。
身障者にだって性欲はある。 性の話はタブーである。 介助者は口にしないが当然、ない問題ではないわけではない。
知識も与えられず、機能だけは成人として機能する。 指はおろか腕も体も動かず、処理ができない。 妻(夫)、恋人をもつことを自ら否定してきた。 夫婦(恋人)となり、どう関係してゆく(いる)のか。
身障者専門の風俗店を経営し、そこに勤めるひと、求めるひと。 個人的に応える(性交までもあれば、自慰の介助のみ)ひと。
皆、同じ「人間」であり、「ひと」である。
気持ちがあっても、伝える術がわからない。
たとえば子どものように。
泣く、叫ぶ、癇癪をおこす。
たったひとつしか「術」を与えられなければ、それしか知らずに、成長してしまう。
「触れてはいけない」
など……。 基礎知識を教えても、応用や過程は教えない。
伝える。応える。手を握る。触れる。キスをする。思いやる……。
三十分のドキュメンタリーでは見えなかった細部(自身の想像力の足りなさ故)や背景、そしてそれぞれの物語を見ること……そう、まだただ「見る」程度のことだけれど、できた。
ナニをナニしてナニするとナニになる、なんて簡単なことじゃあ、ない。
簡単じゃないことは、難しいことじゃあ、ない。 だけど、難しい。
「わかる」ことはできないだろうけれど、「知る」ことは、できる、だろう。
知ったから理解しろ、何をしろ、とはいえない。 だけれども……
目を伏せずに、いたい。
そして、
映画「しゃべれども しゃべれども」
をギンレイにて。
佐藤多佳子原作の作品。 原作を読んである手前、どうしても歯がゆさが残る。 国分太一演じる三つ葉と香里奈演じる十河五月の、互いのぶきっちょなやりとりが、もそっと欲しかった(笑)
よし、来年のほおずき市は誰かと行くぞ、と決意したくなるような。
さて……。
視点がどーの、文体がどーの、なんて、しのごのぬかしてぐだぐだしてるやつぁ、どこのどいつだぁい?
あたしだよっ……。
いったいいつから、小難しいことを並べ立てて、さもそれが本当なら自分にはできることなんだ、てな勘違いのスットコドッコイになっちまったんだい。
書け書け書け。 ただそれすらもできない野郎には、あたしゃ用はないよっ。
マスかいてるヒマがあったら、マスを埋めなよっ。
て、オチはシモネタかよぉっ!
……と、なぜかにしおかすみこ風で自分の尻を叩く、いやその実際にというわけではなく、鞭を、いや、あの、そういう意味じゃなくて、カツを入れる今日このごろでした……汗
2007年09月23日(日) |
「人間失格」と、考える葦である |
ということで、安直な作品に手を出してみました。
太宰治著「人間失格」
漫画デスノートの作画をされていた方が表紙を描いていたので、レジに持ってゆきやすかったです。
ううん……違う。
絶望だかしらないが、要は感性、感受性、次第だろう。
かわいくて、素敵で、どうしても自分も同じネイルをつけてみたい。 だけど、短くて丸っこい指の自分には、どうしても同じようにはならなくて、試してみたサロンの店員には「まあかわいい!」と、ネイルのみを見て言っているのがあからさまにわかってしまい、どうしようもなく自己嫌悪に陥ってしまう。
てなことと、大して変わらないのじゃないかしらん……。
太った体型をお洒落にごまかしたくて、B系の服にコーディネートしてみたら、プライベートのお相撲さんと間違われて、お年寄りにすれ違いざま背中をポンポンとたたかれて拝まれて、否定できずにそそくさとその場から逃げ出した。
という出来事でも、十分、絶望たりえるだろう。
読みが浅いだけなのだろうか……汗
それほどまでに、自分を見つめたことがないからなのだろうか。
見つめたところで、たかが知れてるじゃないのさ。 だって、自分で自分を見つめるのだもの。 自分の求める自分は果てしなく遠く、自分の思う自分は限りなく都合のよい(良しにつけ悪しきにつけ)ものだから。
ううん、哲学……笑
2007年09月22日(土) |
「薬指の標本」とまだまだ |
小川洋子著「薬指の標本」
捨てるのではなく、手元に置いて眺めたいでもない、そんなものを標本化して封じ込めたい人々が訪れる標本室に事務係として勤めることになった彼女は、前に勤めていたサイダー工場で薬指の先を機械に巻き込み失ってしまう。 ほんの少しだけ欠けた薬指。 標本技術士の彼に惹かれてゆく。頬の火傷の跡を標本にして欲しいと訪れた少女に触れる彼を見て、彼女もそのように彼に触れてもらいたい、そして眺められたい、と思い、彼の作業室の扉をくぐってゆく……。
とても穏やかで、とどまるところなく、綺麗で、透き通っている。
……綺麗すぎる。
いや、作品自体は素晴らしいのだろうけれど……
今はもっと…… もっと、深くて、濃くて、どうしようもなくて、そんな作品が、いい……。
じゃあ、自分で描いたら?
……頑張ります。 てか、描けたら、苦労しません。
いや。 まだまだそんなレベルなわけです。 まだまだなわけです。
まだまだ、から、まだ、へ。 そしていつか、まあまあ、から、ふむふむ、ほほう、となり、やがて、……、となるように、励もう。
さて……。
先日、今日が昨日に、明日が今日になるときを見計らって、「断ベルト式」を行った。
厳かに。
穴ひとつぶん、のところにはさみをいれ、
「さらば」
と、指に力をいれた。 文具用の普通のはさみだったので根元のほうに深く挟んだせいか、
シャリ、シャリリリ……バツンッ
と、ざらついた気持ちをわざと胸の奥に残すような音だった。 ぶつん、と床の絨毯の上に転がり落ちた切れ端が、なんだかとてもわたしの目を引きつけて、すぐにでもその切れ端をごみ箱に放り込まなければならないような気持ちにかられた。 ごみ箱、というところに放り込まなければならないのが、とてもせつなく、とてもそうすべきことのように思われた。
焼きゴテで焦がしてしまったように、そして目を離したら物陰にささっと逃げ去ってしまう生き物のように、黒い切れ端は絨毯の上に転がっていた。 質量を感じさせないその黒いものに向かって、目をそらさずに、そっと指を伸ばす。 触れようとした瞬間、その刹那に消すことのできない黒い染みに変わってしまうか、捕まえることなど到底できない素早さで逃げ去ってしまう生き物になってしまうかと不安になり、思わずためらってしまった。 引っ込める先など考えていなかった指先は、ためらいを振り払うように勢いをつけてふたたび伸びはじめる。
あっけないくらいに、わたしの切れ端はごみ箱の中へ放り込まれ、丸めたちり紙やコンビニのビニル袋の隙間に落ちていった。
ざらつきだけが、名残惜しげに胸の奥に残っていた……。
昼飯、とある丼屋にて。
丼が出てきたはよいが、箸やら紅生姜のトレイが目の前になく、隣のひとに、ちょっとすみません、と断って手を伸ばそうとしたそのとき……。
(スッ……)
と無言で隣の親父さんがわたしに箸を取って差し出してくれた。
違う意味の「すみません」を返して箸を受け取ると、こちらを向くこともなくもくもくと自分の丼をかき込んでゆく。
粋だねぇ。 痺れちゃうねぇ。
あんなふうに、振る舞いたいねぇ。
「スマート」
ではなく。
「粋」
で、ありたい。
まだまだ、遠いねぇ……
2007年09月19日(水) |
「刺繍する少女」とこじつけの縁 |
小川洋子著「刺繍する少女」
絶望的な透き通った物語(?)が十編。
小川洋子作品というと、なんだか、そう、病室、をイメージとして思い浮かべてしまう、そんな印象。
綺麗で、静かで、揺るぐことなく、淡々とそこにある。
実際の病室なんてものはそんなもんじゃあないのだけれど。
アクがあるわけでもない。 楽しいわけでもない。
ただすっぽりと、切り抜いたような世界。
そう。
切り抜いたから、見えないその切り口が突き立っているように感じたり、こちらとあちらをスッパリと隔てているようだったり、いつこちらがあちらとなってしまうのかということをごく身近に感じさせられたり、だけどやっぱりあちらとこちらであったり……。
てか、この方も百ケン先生とちょっとした繋がりがあるのね(汗)
こじつけだけれども……。
どうにも、岡山県との縁が増えてきたような気がする。
さあこじつけ劇場の開演(笑)
読みは違えど同じ名前の犬養毅は岡山市出身。 球界では我が大先輩である星野仙一監督、犠打世界記録を決めて我が人生の犠牲バント(?)の後押しした元巨人元中日の川相昌弘さんも岡山県出身。 作家では、重松清さん、内田百ケン先生、小川洋子さんが岡山県の出身。 百ケン先生のファンであり、強く影響を受けた作家に川上弘美さんがいる。
真友の奥様も岡山県出身だし。
さあ、ほかは何がでてくるだろう。 楽しみだ……笑
2007年09月17日(月) |
「さつき断景」とあちら側とこちら側 |
重松清著「さつき断景」
1995年から2000年の五月一日を過ごす主人公たちの物語。 現実に起きた当時の事件や世相を重ねて物語られている。 サリン事件に、たまたま一本早く乗ったおかげで巻き込まれずにすんだサラリーマン。阪神淡路大震災の復旧ボランティアに、今の自分を変えるきっかけにしようと思い参加した男子高校生。定年を目前にして娘を嫁に出そうとしている父親。 一年ずつ時が経つなか、事件のPTSDから回復しつつあったり、やっぱり変わりきれない自分と目指すものを見つけ歩んでいる恋人を比べて悩んだり、定年後はふたりで温泉に行こうと約束していた奥さんがガンで急逝してしまったり、それぞれの「そのとき」を切り取って描いてゆく。
「こちら側」と「あちら側」という世界で考えると、その境界線は、限りなくすぐ隣にあるものだと気づかされる。
昨年の夏、今でも私が毎日のように歩いている不忍池でホームレスが殺されていた。犯人は捕まっていない。当日たまたま一本向こうの通りを選び、その時間に不忍池を回っていたら。
結果、今は「こちら側」にいられる。
何度も高速道路で意識が飛びかけて、それでもまだ、「こちら側」に踏みとどまっているのだから、可能な限り「あちら側」へ近づくようなことは避けるべきだろう。
気づかないだけで、境界線は常に一歩のところに引かれているのかもしれない。
「こちら側」と「あちら側」が結果的にどちらが正しい、という判断はできない。
が、
人生すべてを振り返った最期のとき、「あちら側」も「こちら側」もなく、ただ「己の」人生だと思いたい。
それか、
振り返ることなどないように、たとえば、目が覚めたらとんかつ食いてえなあ、とか思いたい……。
「そう言ったんだから」と近所の蕎麦屋に出前を頼んで、なぜだか「カツ丼」を用意するようなことを想像してしまう。 「とんかつ定食がないそうだから、しょうがないだろう」 とかいいながら(笑)
この場合のベターな回答は、
「じゃあ、とりつね自然洞の親子丼(特上)を食いに行く、ってえのじゃあだめかい?」
です。
「グッド・ジョブ」
きっと、親指を立てて答えるでしょう(笑)
2007年09月16日(日) |
ヱヴァンゲリ、オ、ヲン? |
「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」
を観ました。 「うおおぉっ、すげっ!」 てな感想はないです(笑)
十二年前のTV作品を映画四本に分けて上映します、という開き直りのせいか、エンドロール後に予告編がついているという潔さ。 てれびじゃん、これ(笑) TVでは枠を取れないから映画でしか出来ない。 映画にすると、まったく書き換えてしまったら、全盛を知っている層の支持を得られない、といった個人的な裏読みをしちゃいます(汗)
こんな気持ちも、残りの三作品で覆してくれるのかもしれませんが……。
「おおっ、懐かしいっ」
というのと、
「宇多田ヒカルの歌、じっくり聴けたぁ」
という印象でした。
そう! いうなれば、
「時をかける少女」的なリメイク(?)であることを祈ります。 角川映画の実写作品をアニメ化してさらに、アニメでしか出来ないような物語の展開があって欲しいです。
だってなんだか、私が前に書いた作品を「リライトしました」なんていってみせて、誤字脱字や文章構成をちょちょいと直してみせた的な印象。そして、「まだまだこの先にサプライズがあるんだよ」と。
こまかい作品の薀蓄はしりませんよ。
だって映画の看板が「新たなファンのために」作っているとあるみたいですしね。
だから当初の公開スケジュールを見てみると、劇場のキャパが、どん、としたものではなく、予想以上の反応に嬉しい悲鳴てなところじゃないのかしらん?
マンガ・アニメ世代といわれているわたしたち世代が、あきらかにマーケットのターゲットになっているからね。
ドル箱のパチンコ・スロットのキャラクターしかり、テレビ番組でも「ガンダム」やら「BOOWY」やら……。
だって、懐かしさのためだけでいいから、という気持ちで手をだしてみたくなるもの……笑
個人的にそういうものは、マンガ喫茶で楽しみます(汗)
2007年09月13日(木) |
「いとしのヒナゴン」(上)(下) |
重松清著「いとしのヒナゴン」(上)(下)
吸収合併を目前にした田舎町。かつて「ヒナゴン」と呼ばれる幻獣発見でひと騒動があった町に、ふたたび目撃情報が。 現町長は小学生のガキ大将だった当時、連れを率いて捜索隊を気取って逆に遭難してしまったが、救出される最後の夜の闇に黒く光る謎のふたつの光に助けられる。合併を前に類人猿課を立ち上げ、Uターンしてきたわたしと、将来よりも損得ばかりな旧体質の町の有力者たちと、真剣に町の将来を考える若者とを巻き込んで、最期をかけた町長選挙を前にする。 ヒナゴンと故郷の市町村合併と東京にまだ夢のやり残しがあるわたしとの、春を迎えるまでのふるさと物語。
矢沢永吉を崇拝する現町長、イナゴのイッちゃん。 痺れる。 奥さんの理恵さんも、ほんの数ページしか出てこないのに、憧れる。
そんなことじゃあ、ない(笑)
ふるさと、への思い。
幸いにも、わたしのそこは病院に行くのも隣町に行かねばならなかったり、唯一のバスが廃線になってしまったり、ということがなく、だから親ひとりをほっぽらかして東京にまたひとりでいられたりもする。
親孝行的な問題や健康やらの問題は別として。
故郷に骨を埋める、なんてことを軽々しく口にしちゃいけないんだ。 埋める前に、わたしたちはしっかり生きてかなきゃいけないんだよ。
故郷にかぎらず、しっかり生きているのだろうか。
生活のため働かなきゃならない。働かなきゃならないから、時間や余裕がない。
などと、しっかり生きているとは言い難いかもしれない。
しっかり、生きよう。
雨の切れ目の湿気を含んだ空気を吸い込む。 緑の匂いが鼻の奥をくすぐった。 池の向こうには、オレンジに照らされた弁天堂が浮かんでいる。 ふう、と吐き出された空気は、混ざるのを拒まれているかのように白く揺れ、すぐにかき消されてしまう。葉を渡る滴の音がかぶさるように降りそそぐ。 首をすくめて待ってみたが、いつまで待っても落ちてはこない。 「へへっ……」 首をすくめたまま、ごまかすように笑ってみせるが、誰が見ているでもないことはわかっていた。
いや……。
茂みのブルーシートの向こうで、息を潜めて聞くでもなく耳を澄ませているホームレスには聞かれていたかもしれない。 目を凝らしてみると、鮮やかなブルーが目に焼き付いてくるような気がした。 目をそらすことを忘れかけていた背中のすぐ後ろを、シャーッ、と音が過ぎる。 びくっと背中が震え、慌ててブルーから逃れることができた。
逃れる。
そうなのだろうか。 魅せられてはいなかったのだろうか。
振り払うように首を振る。
茂みの奥のブルーに、いまだ瞳の奥で見つめ続けている自分に。
さて、会社帰りの上野(湯島)ドトールにて。
「帰りたいヨ。ワタシ」
笑顔で明るく、拗ねてみせる。
「仕事サボって帰るのか?」
白ゴマ髭の角刈りオヤジが聞き返す。
「違うよ。フィリピンによ」 「そりゃあダメだ。俺が困る」 「どして? サビシいから?」 「そうじゃあ、ねえ、けどよぉ」 「カオ、赤いヨオ」 「ばっか、んなコト、ねえだろ!」
チラリとわたしと目が合ったオヤジさんは、赤い顔を怒らせて、ぷいと反対に顔を向けた。
男ってヤツはぁ、いくつになってもぉ、こんな生きモンなんです……笑
こんなオヤジさんに、なりたいです。
着実に、近づいているかもしれません(汗)
傘を忘れて引き返すこともしばしば。 理屈でばかり考えて、行動しないことも多々。 情報がないと、まっさらから想像することもできない。 かわいいコを見かけると、鼻の下をでれんとさせることもしばしば。
シャンとせんなぁ、おい!
叱咤する(笑)
東京で最も地下深くにある駅はどこでしょうか?
……。
答えは、
「霞ヶ関駅」
です。 その隣駅から帰ってます。
深夜に台風直撃とのことで、辺りのビルはもう、防潮板を上げて対策してました。防潮板とは、入り口の前にある、浸水しないようにせり上がってくる簡易堤防のようなものです。 入り口の前に土嚢を積む代わりのものです。
地下鉄の階段の入り口のところの、壁の足元のほうに、なにか板でも挟んで立てるのかしらん、というような溝があります。膝くらいまでの高さがほとんどですが、それがそうです。
以上、豆知識でした……。
台風接近のため、早めに閉店させていただきますので……と、ネタ書きしていた店から追い出されてしまいました。
素敵な強風雨です。
ぺろんぺろんになってしまったビニル傘をぶら下げて走ってゆく男の子とすれ違いました。
素敵な夜になりそうです。
2007年09月06日(木) |
ラッシュそして責める? |
じつは今月、バースデー・ラッシュです。
先陣を一日に実父が切り(笑)、二日遅れておいらが。そして……。 これまた二日あけてakdが続いた。
おめでとう!
地元のメンバー内でさらに続く人もいるし、他の友人にも、また九月生まれの人が、いる。
実家のお向かいさんの同級生も、たしか九月だった。
九月生まれがこんなに周りに集まっているのに、なぜだか、アンチジャイアンツファンばかり……。
「正負の法則っていうのよ。おっほっほ……」
美輪さん、江原さんの声が聞こえてくる(笑)
江原さんの名前が出たところで……。
痩せたせいでベルトの穴がイチバンきついほうの穴でちょうど良い加減になっている。 普段は、「ひとつ」きつめにしておいて、食事の時だけひとつ緩めていた。 それが、「ひとつ」きつめにしようとすると、今はもう、穴がない……。
……切って短くしてしまうか。
そうやって、自分をさらなる高み(?)へ誘うべきなのか、もうしばらく様子を見ると称して、逃げ場をつくっておくか。
逃げ場をつくっておいて、敢えてそこへ逃げ出さないようにして、自分を責めて楽しむか……?
西新宿へ向かう途中、ちょいと一服と寄ったコーヒー屋にて。
嘘か真かわからぬが、隣席のとある旦那様の思い出話。
私は航空士官学校出で、戦後はM商事の社長だった。 戦時中の中国で上官からのリンチを受け、死んだら地元民に襲われたことにするよう倉庫に放り込まれていた。 以前、地元のごろつきたちに強姦されそうになっていたところを助けた地元の女の子を助け、身寄りを戦争でなくし仕事もないなら兵舎で給仕として住み込ませてやって欲しい、と上官に頼み込んでそうしてもらっていた女の子が、こっそり手当てや食事を運んできてくれて、よしもうくたばったに違いない、と一週間くらい後に様子を見に来た上官を扉の前で待ち受け、すっかりピンピンになった姿で扉を開けた上官に敬礼を返してやった。 元通りに復帰させるわけにもいかない上官が、無理矢理シンガポールに配属先を決めて、所属も決まらないうちに現地に行かされた。 所属が決まっていないのだから、ヒマだった。 飲み屋やダンスホールに通い始め、そこでF銀行の副頭取と懇意になり、ゴルフ三昧の毎日になった。おかげで一ヶ月でシングルプレーヤーになった。
終戦後、職業軍人は大学を出直さなければ就職はできなかった。 そして通った大学で仲良くなったアメリカ人の留学生がいた。就職後、アメリカの航空会社の日本支社で働いていた知り合いの女の子がアメリカ本社へ転勤になり、知らぬ土地で言葉や生活が不安だと相談を受け、それなら深い付き合いだった知り合いがいるから、ともうとっくに帰国していた留学生に連絡し、安心していなさいと彼女の肩を叩いてあげた。 すると彼と彼女は結婚することになり、私に仲人をして欲しいと頼んできた。彼の家族に招待され、ともかく現地に向かった。 学生時代、彼は生活費の為に土方のバイト三昧で講義にろくに出られず、ノートを貸し借りしてやっていたが、私の知り合いの家に住まわせてやってバイト三昧から解放されて安心してたりの生活だった。 さてどんな家なのかと思っていたら、迎えに来たのが巨大なリムジン。 見たことのない大きな門扉を抜け、森やらテニスコートやらをいくつも通り過ぎてやっと着いたのは、宮殿のような家。 なんと彼は、自動車会社フォードの息子だった。
戦時中、軍隊で剣術、柔術を修めると剣道や柔道において高位の段を修めるのと同じことらしく、それをもとに私も空手の道場(清心流)を開いた。 西新宿の飲み屋街で若いごろつきに絡まれても返り討ちにして、新宿警察によくお世話になっていた。 私が直接世話にならないようになっても、門下生のとある若者が世話になることがよくあるようになり、身元引受人として呼び出されることが度重なり、「こんな様子じゃあ、お前は道場に顔を出すな」と言いつけた。 その後数年、若者は姿を現さず、やがて「熊殺し」で誌面を賑わせた。 海外赴任していた私が定例会で帰国していたそのとき、道場から「道場破りがきました。K館長は遠方に外出されてて戻りに時間がかかるそうで、ようやく他の方で連絡をとらせていただきました」と連絡があり、道場に駆けつけると、汚らしいボロボロの道着に伸び放題生え放題の髪と髭の彼が待っていた。 彼は名乗らずにいたがすぐにわかった。 着替えるのも面倒と上着を脱いだだけで対面し、立ち合った。 やがて私が彼を吹っ飛ばし、彼が「参った」とネを上げた。 「何が参っただ。お前はそんなタマじゃあないだろう、大山!」 自分も道場を開きたいが資金がないし開き方もわからない、という彼に、五軒続きの長家を世話してやり、そこを改装して道場にしろと資金と場所を用意してやった。 流派名を「北斗七星」や「北極星」のような名前にしたい、という彼に、「それなら『極真』なんてどうだ」とアドバイスした。
嘘か真かはわからない……。
けれども、充分楽しいお話だった。
そうそう。 退役後、本国には断りなく勝手に(?)今の日本の基礎を築いたマッカーサーは、当然、仕打ちを受け、厳しい暮らしを独りで送らされた。家族も彼から離れてしまい、駐留時に彼とその通訳らと親交があった「私」は、自分の会社に話をつけ、資金と住居を用意し、家族で住み込みで働ける者を募集し、面接までした。
らしい。
嘘か真かは、わからない……。
いや、その、まあ、ね(汗)
裏を取ろうと調べてみると、人名は確かなものだけれど、背景やら事情やらの辻褄が合わないようです。 大山倍達は「熊」ではなく「牛」だし、道場だって旦那さまのいう「清心流」との繋がりはないようにみえる。K館長というのは確かなものだけれど。 そしてマッカーサーは、晩年レミントンランド社会長となっているし。
いや、楽しい話(作り話だとして)を聞けただけ、得をしたと思う。
2007年09月04日(火) |
博士の愛した数式的考察 |
さて、昨日無事(?)「3」のぞろ目歳になりましたが……。
「3」という数字には、こじつけだが縁があり、それに関係して出てくる数字同士にもまた縁がある。
博士の愛した数式的にいってみよう。
生年月日の全ての数字に「3」は含まれる。 「月日」は3の3倍の9月と3日。 「生年」もS49年で、この因数は1と7と49の「3」つである。 西暦でも四桁を足し合わせると21となり、これは3に上記の7をかけたものである。
小学校は田喜野井小学校第一期一年生として入学し、この学校は、前原小学校、薬円台南小学校、二宮小学校の「3」校より分離し、田喜野井小学校が新設された。 そして小学「3」年から少年野球を始め、初めての背番号は5「3」番。
中学校は「三」田中学校で、高校は受験科目がそれまで5科目だったのが私の年から「3」科目になり、おかげで入学できた。
高校の軟式野球部でのポジションは「三」塁手。 部活帰りはキャプテンと四番と私の「3」人で同じ津田沼駅まで一緒に帰っていた。
大学の付属高校は我が校合わせて「3」校あり、建築学科への推薦枠が8人の内、「7」人目だった。
理工学部の生田キャンパスは川崎市多摩区東「三」田1−1−1にあり、一年から院卒までの6年間通った。「6」は「3」の二倍。
最初に就職した会社は英字名が「3」文字であり、最寄駅のJR大塚駅の住所は豊島区南大塚「3」丁目。
次の会社、といっても「三」ヶ月で社員になるには部長になるまで待たねばならない上に、交通費の支払いが遅延していたりするということに危機感を覚えて、アルバイトだけですぐに辞めてしまったが、その会社も千駄ヶ谷「3」丁目にあった。
そして次の会社も文京区白山「3」丁目にあり、退職のときに所属していたのは設計「3」部。
前の会社も今の会社も今の出向先も「3」階のフロアにあり、最初の会社は「7」階だった。
私の本籍地は台東区「三」ノ輪であり、今の住所は谷中(やなか)だが、この辺りは「谷根千」と呼ばれ、谷中、根津、千駄木の「3」地域を総称して全国的に知られている。さらに我が家の番地は「3」である。 そうそう、実家の最寄り駅である津田沼駅も、主な町村であった谷津、菊田(久々田)、鷺沼の「3」文字の合成地名からなっている。 実家の住所の数字を足し合わせると12であり、「3」の倍数である。
個人的に忘れちゃあ、いけない。 akdの田喜野井の実家の部屋番号は「3」0「3」である。 その近所に建ってしまった私の我が子(?)であるデイサービスセンターの番地も「3」である。
ここまでくると、こじつけ放題である。
もともと「3」という数字はいろんなものに関連付けさせやすいものだけれど(笑)
しかし、私は気がつくと「3」ごとにものを数えていたりする。3、6、9、12……と。
ここまでくると、「3」のゾロ目の歳になる今年は、何か大きな転機が訪れて欲しい気がする。
転機ばかりの人生だけれど(笑)
おっ。
携帯番号も090以下の番号を全部足し合わせると「3」0だった(笑)
ついでに、実家の電話番号も、市内局番から足し合わせると「3」0に! 市外局番から足し合わせると45で、これも「3」の倍数。
どうか33(散々)な年になりませんように……。
2007年09月03日(月) |
ドラえもん誕生日おめでとう |
本日、流れる時を押し止めることもできず、ぞろ目の歳となりました。
さあ、気になるカウントダウンの結果。
約三.八キロ減
でした。 ひと月で苦もなく四キロ痩せた、といってもいいでしょうか。
いや。 苦はありました。
大盛りを頼みたい自分を、必死で見て見ないふりをしたり。
寝る前に襲いかかる空腹を、えいやと寝てしまってやり過ごしたり。
ネタ書きするときの店で、セットがだんぜんお得なのを「おとなぶって」ドリンクのみで三時間過ごしたり。
苦じゃあ、ないって?
運動もしてました。
帰りは毎日ふた駅手前の上野から二十分強の帰路を歩いたり。
その間に、携帯でネタ打ち込みや、この日記を打ち込んでいたりしてますけれど。
ベルトの穴がひとつ絞まりました。
体重は成り行きで減らしてゆきます。
残るは、目には見えない血の中身が問題です。 週末教えてもらいます。
年内あと四キロ、体重は落とせるかしらん……? 誰か私を肉に誘って!
そうか、来月の篠原さんのバースデーワンマンにakdが来れないのは、来てしまったら私が「肉っ!」と叫んでしまうのがわかっているから、涙をのんで行かないことに心を決めてくれたのに違いないっ!
おおっ、友よっ!(涙、そして笑)
2007年09月02日(日) |
「コンビニ・ララバイ」と脂肪滅亡 |
池永陽著「コンビニ・ララバイ」
幼き我が子を事故で亡くし、妻までも後を追いかけるようにして事故で亡くした男が経営する、商売っ気の全くないコンビニに関わる人々の物語。 早朝に何故息子が路上で遊んでいたのか。 妻が残した遺書のようなメモ書きの「……幸せでした」の「……」に隠された妻の思いは何なのか。 体が弱かった息子に「缶蹴り」を教えて友達と遊べるようになって欲しいと思っていた。息子はうまく缶が蹴れない悔しさに、毎朝一人で練習をしていた。 「あなたが缶蹴りなんかを教えなければ」 妻が一度だけ夫にこぼした言葉がずっと旨に突き刺さっていた。支えを失った妻と常に一緒にいてやりたいとの思いで会社を辞めてコンビニを始めることにする。 「賑やかだけれど、乾いているから……」 妻のたっての希望だった。 妻の「……」は自分への恨みつらみではないかと、悔やみ続ける男に、実は想いを寄せるバイトのベテラン女性店員が答えを伝えてみせる。 「『……』の部分は、『それでも』ですよ」
そんなコンビニに集まるそれぞれの悩みを抱えた人々が、それぞれの解決への糸口を見つけてゆく。
糸口を見つけてゆくだけで、作中では解決まで描かない。
どこかで似たような作品をよく読んでいる。
やはり……。
「重松清と浅田次郎を足したような小説。二人の傑作のエッセンスをシェイクしたらこんな小説になる」
との評をえた作品とのことだった。
たしかに、雰囲気は似ているし読中の感覚は似ている。 浅田次郎的要素が入っている分、ぐっとくる感覚は弱く感じたが、それは私の限定的な感性の問題。
他の作品も読んでみようか……。
さて、今日は地元上野近辺でのんびりしようと思っていたら、
「行くべし」
本能の声に突き動かされ、神保町へ。 向かうはもちろん三省堂。 今週はまだ顔を出していないので、たしかに、なんだか気持ちが悪かった。
それだけではなかった。
重松さんの新刊(文庫)が出ていた。
我が本能、恐るべし……笑
そして本能のひとつでもある食欲との戦い。 本日で最終日となりました。
目方に乗るのは今夜と明朝、その二つの両方の値をみることにします。
本日、脂肪滅亡予定……。
2007年09月01日(土) |
「夕凪の街 桜の国」「純愛」そして超問題作品と滅亡まで…… |
本日の映画一作品目から、これはヤバい……です、とりあえず。
「夕凪の街 桜の国」
田中麗奈主演ということで、一日の始まりは爽やかに、と選んだのが、大間違いでした。
これ、大豆ですから。
これ、ヤバいですから。
広島の、原爆の被爆者であった伯母と、その姪、二世代の二つの恋物語。 とはいうものの、恋はただ全体を繋げるための要素に過ぎず、原爆の恐ろしさを押しつけるようなものでもありません。
せつなく、くるしく、こみあげてくる。
そんな作品です。
立っているのがやっと。 ふとした弾みで、膝の力がカクンと抜けてしまうかもしれません。
言葉にしようとすると、それは全て陳腐なものになってしまうような気がして、それではいかんだろう、とやっきになろうとしてみたところで、やっぱりできなくて、呆然としてます。
ガードレールに腰掛けて呆然としている私をよそに、それでも当たり前のように、雑踏は流れてゆきます。
早く立ち直って次に向かわねば……。 ということで夕方までに立ち直って二作品目、
「純愛」
戦後の中国残留婦人の愛の物語。制作に八年だそうです。中国に小学校を建てようというプロジェクトだそうです。 舞台挨拶がありました。
見放されて逃げ延びようとしている日本人開拓団の新婚夫婦が、山奥の村に辿り着く。 匿ってくれた老婆とそのひとり息子と暮らすことになり、やがて日本に帰ろうと列車に乗り込もうとするが二人は失敗し離れ離れに……。
とあらすじを書き始めたらだめです。 ぴあの満足度ランキング一位だそうですが、私には通じませんでした。
一作品目の「夕凪の〜」が、やはり相当胸を占めてしまったのでしょう。
今日のテーマが見えてきました。
今さらですが、
「愛」
です。
「恋」は妄想できても、 「愛」はそうはいきません。
さあ、最後の作品に向かいます。
この作品も、ある意味「愛」を描くもの、らしいです。とびっきり、アングラな……。
敢えて三作品目のタイトルは伏せます。 「愛」ではなく「狂気」でしたから。 約二十年振りのリマスターされての公開、その初日だったとのことで、舞台挨拶がありました。
こんなに舞台挨拶に出くわすなんて、初めてです(笑)
タイトルを伏せているせいではなく、内容も感想も伏せさせてもらいます。
やはり約二十年とはいえ時代のギャップがあり、そのギャップを感じさせないだけのものではなく、またギャップが活かされているまでのもののようには感じさせられませんでした。
……。
ネットで調べてみました。 この作品を。
どうにも、申し訳ないっす。
そんなに超名作、超問題作、だったとは。
故寺山修二さんも脚本をみて、「これが映画になったら事件だね」と親交のあったこの作品の監督と雑談の中で話していたそうです。
毛色が私に合わなかっただけなのかしらん……? 狭量なだけ?
さて……。
終電間際の渋谷、というより表参道。
てか、地下鉄の最終電車に乗りました。 久しぶりです。
いつも徒歩圏内でしか行動してませんから。 銀座までがかろうじてその範囲に入れてしまえるのが不思議だけれど、私の 徒歩圏とは、
徒歩六十分
ですから(笑) 車社会との縁が遠くなり(遠ざからざるをえなくなり?)、すっかり定着してしまっています。
徒歩でも、朝、と、毎日、は遠慮させていただきますが(笑)
映画のはしご、ということでペットボトルのお茶ばかり飲んでました。 なので、本当はせっかく渋谷くんだりまで出てきたので思いっきり食を満喫したかったのですが、そうはいきませんでした……。
目方は落ち着いた数値を刻み続けています。 質量的にはここらをキープさせてゆきながら、成分的に危険値を減少させてゆく方向へシフトしてゆきますか。
脂肪滅亡まで、 あと、一日……。
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