行間に余韻がある作品は、いいですねぇ。
こうである、そうである、的なものが続いていたので、しみじみ楽しんでます……。
……。
ひとのふりみて、我がふりなおせ……?
さて世間では、なにかと気になる話題が。
橋本府知事誕生、東西横綱優勝争い、ガソリン国会つなぎ法案提出、ハンドボール五輪予選やり直し、中田翔高二時に既に打撃理論の極みの感覚に目覚めていた……など。
さらっと流します(笑)
先日、隣のテーブルのお婆さん(七八十歳くらい?)が小銭を落とし、わたしの足元に転がってきた百円玉を拾って、
「はいどうぞ」
と渡したら。
「ああすいません、ありがとうございます。ナンパしなくちゃいけないですねぇ」 「あ……いえいえ」 「百円じゃあねぇ」 「とんでもない……」
ナンパ、とはわたしがする、のだろうか、される、のだろうか……。
とまあ(笑)、若々しい、というか、お茶目、というか、朗らかな御婦人でした。
負けちゃあいられないですね。
シャレ……お洒落です。 ダジャレは得意なのですが、洒落はちょっと……なので、心がけるようにしたいと思います。
……自力じゃ無理かしらん?
コーディネートは、こーでねーと、と。
やっぱり無理らしひ……笑
2008年01月27日(日) |
「AMEBIC(アミービック)」と感慨 |
さも意味ありなん、な前振りをしたけれど……汗
金原ひとみ著「AMEBIC(アミービック)」
「蛇にピ〜」「アッシュ・ベ〜」に続く長編三作品目の文庫化。
はっきりいって、彼女の作品はかなり特殊な世界・作風で、好き嫌いがはっきりわかれると思う。
イッちゃてる
と、毛嫌いされているやもしれない。
わたしより、九つも若い。 芥川賞を受賞したときは、二十歳を過ぎた頃という若さだった。
このアンダーな感覚、ディープな感覚、は圧倒的。 そして、
刹那な切なさ
が、理由もわからず、じんわりと、こびりつかされてしまう。
隣のテーブルで、カップルが結婚指輪のデザインについて、デザイナーの女性と打ち合わせをしていた。
「石をつけるか……」 「シンプルだけど……」 「イメージに近い既製の……」
クロッキーノートにホルダーの鉛筆でひと書きしたり、雑誌の付箋を開いたり……。
「そこらへんは、おまかせで……」
おまかせで、て、オーダーの意味がほとんどなくなってんじゃねーの? ほら、デザイナーさんだって、微笑みながらなんか困った様子だし。 ま、そんなの幸せなふたりにはなにもかんけーねーって?
反対側の隣のテーブルは、日大の建築科生がノートパソコン開いて、
「そのテクスチャー、ちょーだい?」 「内装かっちょよくねー?」 「断面展開、二面でごまかすべ」
やいのやいの……。
落ち着きあるテーブルと騒がしく若さ弾けるテーブルに挟まれ、このテーブルはかつてそのそれぞれを辿ったことのあるという感の波に揺られ、漂っている。
どこに辿り着くのか。
それとも、
流れ着いてしまうのか。
そのどちらでも、いい、のだと思う。
辿り着いた岸で、何ができるのか。 辿り着けなくても、何をしたのか。
ただそれだけ、でいい。
2008年01月26日(土) |
「オリヲン座からの招待状」と直感と遠くても |
「オリヲン座からの招待状」
をギンレイにて。
……やっぱり、いいですねぇ。
髪型のせいもあるやもしれませんが、宮沢りえさんが夏目雅子さんにだぶって見えてしまいました。
名画座が舞台の映画を名画座で観る。
感慨もひとしおです(汗)
加瀬亮さんが永瀬正敏さんにも見えてきそうでしたが。
しかし、手を繋ぎたくなる、映画でした……笑
さて、次の、と三省堂を二周三周して、どうにも手が伸びてゆかない。 重松さんの文庫コラム本(?)は、手にしてみても、
なんか違う
とわたしが呟く。 とはいえ、無手ではいられない。 と、四周目に突入……笑
ちっ、隠されていやがった。
平台の隣の本がかぶせられて、ひっそりと待ち続けていた一冊が……。
仏の顔も三度まで
四度目に、です。
ふだん、どうして?
と思うほどに腰が重いわたしですが、なにげに直感的猪突猛進型、です。
たぶん、今読むべき一冊として、待っていたのでしょう。
……それほど期待できるものではないのかもしれませんが(汗)
神田雪だるまフェスティバル
を見かけました。
なんだか不思議な感じです。 雪が降り積もったわけではない神田の街に、雪遊び広場(公園)ができあがっていて、そこで家族連れで楽しげに遊んでいる姿が。
……遠い世界?汗
まだ遠くていいんです。
その前に近づくべき世界があるのですから。
負け惜しみじゃあ、ありませんので、一応(汗)
2008年01月23日(水) |
「グロテスク」と髪を掴むなら…… |
桐野夏生著「グロテスク」(上)(下)
当たり前だけれど、女性作家が女性の内面を描く、というごく普通のことなのだけれど……。
今まで読んだほかの作品も当然、同性が同性の物語を描いている。
だからこそ、読み手が同性の場合に共感や裏切りを抱いたりしてひきこまれてしまうのだろう。
だとすれば、自分のは結局どちらのでもない、異性の一方的な誇大妄想であり、どちらつかずの半端モノにしかなりえていないのではなかろうか、と、省みたりする。
でも……
しょうがないじゃん。
と開き直ったり(笑)
このあと「魂萌え」にも手を伸ばしてみようかしらん、と思っていたけれど、別の機会にします(汗)
この作品を読んでいて、なぜか「横浜メリーさん」を思い出しました。 彼女は、映画でしか知らないけれど、たくさんのひとにそれでも愛されていたのだろうことに、今さらながら振り返させられました。
「遠ざかる後ろ姿、 あれは二度と、 戻れぬ春。 あのときたしかに、 永遠を、 見ていた……」
前髪しかない神様なんて、掴んだらちぎれちゃいそうで可哀相じゃない?
やっぱり、ポニーでしょっ。
ん? なんか、最後に壊れた?笑
2008年01月21日(月) |
「精神分析入門」と有閑倶楽部と接するということ |
ジークムント・フロイト「精神分析入門」(上)(下)
勢い、最後までいきました。
「ひとつ山越しゃ、 明かりが見える♪ ふたつ山越しゃ、あとすこし♪」
武田惣角先師が鼻歌まじりに会津のならず者たちを、ばったばったと放り投げたように……笑
あ、武田流合気柔術の開祖です。
真面目に学ぶ方々には申し訳ないほどに、流し読み(汗)
読んだ、とはとても言い難いかもしれません。
が。
こんばんは、りビドー・グランマニエです(はあと)
これが言いたくて、たまらなかったです。 ドラマはとっくに終わってしまいましたが。
内容にちょこっと触れて話しますと……まあ、ご存知の方もいらっしゃるやもしれません。
性的欲望こそ、すべてじゃあ! 幼児期こそ、すべてじゃあ!
と、甚だ乱暴な表現を(笑)
いや、これにはきちんと深い理由や意味がありますので、誤解なきよう。
エディプスやらイドやらエスやら……。
イドと言われると、遠きノスフェラスの谷を思い出してしまうのは、ぐいんファンのサガでしょうか?笑
まあ、分析には弁証法的手法(?)を用いたり用いなかったりして、個々の古き記憶や体験を追いかけてゆく、といったことでしょうか……?
まあ、エディプスコンプレックス云々のところはわからいでもなく、そんなもんなのかしらん、と徹底的に他人ごとでした。
簡単図解シリーズの別本をユングやらとあわせて立ち読みしたので、まあ、もう心理学的なものはしばらく遠慮しようかと(笑)
重松さんのコラム本が文庫で出てたんだよな……と、記憶の三省堂を振り返る。 買っておけばよかった、と後悔。
まあ、読みかけがあるのだけど……汗
そして。
先の内容に関連して……。
罹患者と医師の間におこる傾倒云々、というところがある。 このとき、とあるドキュメンタリーを思い出した。
知的障害をもつ少年少女に、友達として、仲間として、そとの社会、つまりはわたしたちが何気なく過ごしている社会にでて過ごそう、とひとりで活動している男性。
家族以外の、まして自分だけを自分のために、そとに連れていってくれる彼を、とある少女(とはいえ、二十歳以上だったと思うが)はまさに、「恋人」のように、外出から自宅に、家族のもとに送り帰して別れたあと、泣きじゃくり、窓から彼に向かってガラスを叩き、
「あした、会えるの? どうして、会えないの?」
と、彼女をなだめようとする母親に問い詰める。
それでも、また翌月、彼への信頼と娘の楽しみと社会へ触れるためにと、彼のところに依頼する。
彼自身、これはあくまでもボランティアではやりきれないのでビジネスとして料金を、必要経費プラス気持ち、だけ頂戴している。 少年のときもあれば、障害をもった仲間たち、というときもある。
彼は元保育士だったらしい。 個対個で接しえる限界に悩み、組織を飛び出すことにしたらしい。
踏み出した勇気、義気、は素晴らしく、信頼を得られる活動を続けていることも、尊敬する。
「セックスボランティア」を読んだとき、やはり同じようなドキュメンタリーを観たときの切な叫びも、まだ耳にある。
ひとと接する、ということは、無意識にできているものこそ、尊いものであるのだと思う。
だからこそ、それはうまくいかなかったり、うまくいったりするのだけれど。
2008年01月20日(日) |
「題名のない子守唄」とロケーション |
「題名のない子守唄」
をギンレイにて。 昨日の「マレーナ」に続いて、ジュゼッペ・トルナトーレ監督作品。 はい、不朽の名作「ニューシネマパラダイス」の監督です。
「マレーナ」のインパクトが尾をひいて、良かった、とは思ったけれど……汗
昨日は映画「電車男」がテレビでやっていて、ラストの告白のシーンを観ました。
おお、ツー・トップに若松(浜田だっけ?汗)電器じゃん。
と、ロケ地と中谷美樹さんの
「わたしも大好きです」
という台詞に魅入ってしまいました。 そしてビデオをなんとはなしにつけると、いつだかに録画してあった
「七月二十四日のクリスマス」
が……。
運命。
でしょうか?笑
大沢たかおさんへの告白のシーンに、またもや魅入ってしまいました……汗
佐藤隆太さんの
「夢に恋してるだけだろ」
に、うむむ、夢でも恋してるなんて、そうかめっきりぽっきりすっかり、縁遠くなってるなぁ、と……。
今週の王子様いやお姫様ランキング、始めてみようかしらん?
と、布団の中で、さらに遠くなる意識の中で、考えてみました。
そうそう、小栗旬主演ドラマ「ボンビーメン」の小栗旬さん演じる主人公のバイト先のCOCO'Sって、秋葉原というか天神下のCOCO'Sだったのね。 さらに、わたしが見かけた撮影現場にいた女性は、山田優さんだったようです……。
もっとしっかり見ていればよかった(笑)
「見るんじゃなくて、眺めてるだけ」
Kさんにかつて注意されてました。
「「眺める」んじゃなくて、頼むから「見る」ようにしてくれ。眺めるだけなら、お前なんかに任せないで、ほかの誰にでもだって頼めるんだから」
……。
やっぱり、Kさんはすごいひと、だったことをたびたび実感します。 ひとによっては、求めることのレベルが高すぎる、と懸念するけれど、応えられるレベルを伝えてわかってもらうのは、自分以外の誰でもない。
要求が理想形だったとしても、じゃあ現実はこうしましょう、こうなっちゃいます、ということは共通認識としてもっておかなければならないのだから。
それが周りに欠けてる場合、しんどいんだよね。 今は「まずそこから」という意識のあるひとたちの中にいるからいいんだけど(汗)
「マレーナ」
をギンレイにて。
少年が街イチバンの女マレーナに恋をする。 マレーナの夫は出征し、やがて戦死したとの報告が届く。 街中の男たちのみならず女たちまでからも常に好奇と嫉妬に満ちた視線と噂にさらされるマレーナ。 少年は、
ぼくがおとなになるまでの数年だけ、待っててください。 ぼくが一生、守ります。
とひとり切に願い、祈りをかけるが……。
この作品。
とにかく
甘酸っぱく、 ほろ苦く、 切なく、 苦しく、 目を覆いたくなりつつ、
だけどやっぱり、
甘酸っぱい。
物語です。
「名作」
だと思います。
ラストに少年が青年になり、姿を見せずにマレーナに声をかけます。
「ボンジョールノ……」
一生ではないけれど、まさに彼はマレーナを守り、救いました。
感動です。
ほんと、
グッと、
きました。
ロードショーの予告編を数年前に観たときには、軽くみていて、観にいきませんでした。
ちっせぇ。 ちっせぇな、俺。
出逢うべきものは、出逢うべきときにかならず出逢う。
これも、ある種の出逢いだったのかもしれません……。
甘酸っぱい作品。
書けるのでしょうか……?汗
2008年01月18日(金) |
アナログとデジタルと |
電話しているとき、受話器はどちら側の耳にあててますか?
左耳にあてている、というひとは、「アナログな人間」らしいです。 受話器にコードがついている時代、右にあてているとコードが邪魔をして右手でメモがとりづらい。 コードレスのこのご時世に、邪魔するものもないのについ左にあてるひとは、時代の流れについてゆかず保守的である、らしいです。
電話でメモとるのなんて当たり前で、右利きが多いのだからそんなの普通じゃん、と思うのですが……。
あ、友人関係からの電話では、わたしはメモをとりません。 必要な場合、その必要な友人に、べったりお任せしてしまうので……。
「時計」
は、デジタル派とアナログ派のどちらでしょうか?
携帯電話の普及で、腕時計をしないひとが増えています。 部屋の時計も、暗くても見えるように、ということで「デジタル」時計が多いのではないのでしょうか?
ひとりの狭い部屋なら、それこそビデオのデジタル表示だけで事足りてしまうでしょう。
わたしは、やはりアナログな人間なのでしょう。
デジタルは、どうにも本来の「時計」として見ることが苦手なのです。
苦手というのは、携帯やビデオで時間を確かめたとしても、どうしても、壁に掛かっている時計や腕時計の針で、時間を確かめずにいられないのです。
電波時計だったり正確な時刻を教えてくれる時計というわけではないのに、です。
「時」を「計る」ものとして、わたしはそれに用いるのはデジタルではないだろう、という概念を持ってしまっているようなのです。
デジタル表示では、当たり前のことですが、過ぎていった時間を表示しているのであって、あくまでもそれは計っているものではないように思うのです。
アナログ時計のそれは、過ぎていった時間をではなく、今が過去と未来のどのあたりにいるのか、ということをあらわしているように思え、今の位置がわかるから、未来のことも読むことができる。
そう思ってしまうのです。
とはいえ、デジタルがきらいなわけではありません。 むしろ、好きです。
ただ、デジタルの進歩の早さに、ついて行きにくくなっているだけなのです。
デジタルとアナログ。
「太陽が冷たい朝もあって、 闇があたたかい夜もある」
どちらがどちら、というわけではありませんが、どちらもどちら、ということは言えるように思うのです。
神田川はお茶の水の聖橋。
「撮影でお邪魔してまぁす。ご迷惑をおかけしまぁす!」
「あしたの喜多善男」で、秋葉原よりの万世橋のシーンがあったよね。
てことは!
小日向さん、松田さん、もしかしてもしかして……こ、こ、こ、コケッコォ!
「申し訳ありませんでした!」
ファーにあごをうずめたすらりとした女性に、腰よりも低く深く頭を下げている赤とオレンジのダウンを着た男性。
ひとめでわかる。 小西さんじゃあ、ない。 男性も坊主頭じゃあないから、違う。
「はい、チェックはいりまぁす!」
ダウンのあの色といえば、ねえ? あのひと、あのドラマしかないでしょう!
あ……やっぱり。
小栗旬。
さんでした。
背ぇでかっ。 俺より頭ひとつ上じゃあないかしらん?
妻夫木聡さんを見かけたときより、ハッとした。
マイブラザー!
……身の程知らずの口を叩いたのは、この口かっ!
「身のほど知らずさと、誰かが言っても……♪ パレットには、作り損ねた青……♪ そして、わたしは……♪ 海になれない青……♪ 海に、なりたい、青……♪」
ちゃん、ちゃん♪
(笑)
2008年01月15日(火) |
「夢判断」ジー組む、んと……? |
どうやらまたこの男は、役に立たせることができるかおそらく混乱させて邪魔なものにしてしまうだろうことに手を出し始めたようです……笑
理解なんて本当の意味ではできやしないのに、知ったつもりでそれを振りかざそう、と。
ジークムント・フロイト「夢判断」(上)(下)
めちゃくちゃ、傍若無人なほどに斜め読み(汗)
本来は「精神分析〜」から読むべきなのかもしれなかったが、三省堂の棚にそっちがなかったのだもの。 斜め読みだったので(汗)、大枠なところだが、いわゆる一般的な「夢占い」たるものはあまり信じてしまうのはよろしくない、ということかもしれない。
あまり、というところが肝である。
あ、あくまでも彼が正しい、という前提のもとに。
意識無意識の構造やら、歪曲検閲云々は端折るとして、夢とは過去に見聞きした限りの素材による構成物である。 個人におけるあるひとつの現象事物をそのまま万人のものと同一視して判断することは誤りである、らしい。
○○を見た、と夢辞典にくびったけになってはいけない。
辞典に書いてある○○の示唆することは、本当にあなたに当てはまるとは限らない。
辞典はあくまでも、統計的に多数派であることを掬い上げているにすぎない。
○○に対する個人のもつ経験やイメージ、背景を網羅し、そこではじめて○○の示唆するところがわかるらしい。 皆が共通認識しているイメージであれば差し支えないが、何故それがそう示唆するのか、それを納得できるのであればよし。
ただ、ここで問題になってくるのが、いわゆる「刷り込み」である。
純粋に己が経験した結果得られた記憶やイメージではなく、後から見聞きし植え付けられたものとの判別が難しい。
とまあ(笑)
一番の、根底にあるのが……
夢は願望充足
ということ。 これは面白い。
否定的な夢であっても、それを嫌悪否定するということで、願望充足させる。
夢を見る、ということが持つ意味を噛み砕くと、見ることによって何かを発散解消するためのもの。
発散解消してしまっては、困る……。 ネタに書き連ねるためのその何かが解消されてしまってはならない。
そうか、だから夢を見ないように、大元のところで「願望充足」しているのか……。
深い。 フロイト先生が空から見下ろしてる。
これは京極夏彦の「狂骨の夢」だったっけ……?笑
勢いもう一方も読んでしまわなければ……汗
夢をほとんど見ていない人間が、夢判断とは、皮肉なことやねぇ(笑)
2008年01月14日(月) |
世界名作劇場よりカラ……? |
所さんの番組「あらすじで楽しむ世界名作劇場」で、「カラマーゾフの兄弟」がとりあげられていた。 先週から始まった小西真奈美さんのドラマでも、カウンセラーが読んでいた本が、やはり「カラマーゾフの兄弟」だった。
新訳本が本屋の平台にずっと並べられていたけれど……。
ドストエフスキー
じゃん?
わたくし、洋モノは苦手なんです。 根本的に文化が違うから、微妙に観点が違うし、だから、へえそうなんだ、と矛盾も葛藤もそのまま受け止めざるをえない。 それと……カタカナの名前がどうにも抵抗があるんです。
ぐいんは、別、です(笑)
まして、ロシアですよ。 舌を噛みそうな名前やらどう発音すればよいかわからない名前やらがあるに違いないと、警戒していまうんです。
でも、雑誌「ダ・ヴィンチ」の特集にドストエフスキーがピックアップされていたので、避け続けるのもいかん、とも、まさに葛藤してたりします。
いや、過去にシェークスピアやデュマのいくつかは読みましたよ。 シェークスピアは、「しぇーっ」と言いたくなるくらい、良さがわかりませんでしたけど(笑)
もとい。
「カラマーゾフ〜」は、東大教授陣が新入生に読ませたい作品、らしいです。
どうなんでしょう……?汗
2008年01月07日(月) |
たなごころをさされる |
「今日は早いけど帰ります」
そう言って定時三十分前に、皆帰ってゆきました……。 タイムカードもなにもないので、そのへんはけっこう融通がききます。
年始回りやら社内挨拶で、出向(?)組で構成されている社内は人気もまばら、いや、終始静かでした。
わたしは、ええ、ええ、もちろん定時過ぎまでいましたとも。 皆より三十分遅く出勤したとは、大声では言えませんが、小声でなら(笑)
さあ、ドトで、とカウンターで注文を。
新年の挨拶はとうに済ませてあるので(笑)、すぐに注文を……
「アイスにしますか? 温かいほうにしますか?」
たなごころを指すように、ぴたりとわたしの揺らぐ心を読み取る。
外が寒かったけれど、中は暖かいしなあ、としばし宙をみつめ、にっこり微笑む店のひとと目が合うと、
「アイスで」
アシのひとが、用意してましたと、すぐにサーブ……笑
あかん。 読まれてる。
たぶん宙をみつめている間、「あ」の形に口が開いていたのかもしれません……
あぁぁ……と(汗)
ペンの滑りが、 よいのか、
脳のすべりが、 よいのか(笑)、
脳内ドップラー効果……?汗
久しぶりな感じ(笑)
2008年01月05日(土) |
「プロヴァンスの贈りもの」 |
「プロヴァンスの贈りもの」
をギンレイにて。 ラッセルクロウ主演、リドリースコット監督作品。 やり手のトレーダー、マックスが叔父の遺産として、プロヴァンスのワイン畑を相続することになり、即売却しようと現地を訪れるが……。
叔父との遥かな記憶、古き友との出会い、叔父の隠し子という従姉妹の出現、そして叔父との記憶のなかで出会っていた女の子が魅力的な女性となって、そうだとは知らずに恋に落ちてゆく。 マックスはやがて決断する。 それは、誰をも信用することなく仕事と金に埋没する日々か、叔父がとりもった素晴らしい人々とののびやかで幸せな日々か……。
ラッセルクロウが、サッカーのトルシエ元監督に見えてきてしまいました(笑) うぅん……こんな出逢いは、やはりプロヴァンスあたりにまでゆかなければないのでしょうか……? すくなくとも、近所の谷中霊園あたりではありえないのか、機会があったら挑戦してみます(笑)
2008年01月04日(金) |
「残虐記」とうそのほんとと、一番、だった男回顧録 |
桐野夏生著「残虐記」
新年一作目がこのヘビーなタイトルとは……汗 桐野さんの作品はミステリ&サスペンスと、やむなく、分類されているらしいけれど、たしかに「やむなく」なところに共感した。 すくなくともこの作品だけに限ると、深く首を横に振りたくなる。
深い世界、な作品。
小学生の頃に誘拐され、まる一年間拉致監禁され犯人の男と共に過ごした少女が、小説家となり、結婚し、最後に当時のことを告白する物語。
小説家は「うそつき」です。だから、ゆるせません。
獄中の犯人から送られてきた、小説家となっていた彼女へのメッセージ。
川上弘美さんも自らの作品を「うそ話」といっていたりする。
わたしも「うそ」の世界の中に、「ほんと」に通じるなにか、を紡いでゆきたい。
たとえ些末なことであっても……。
そして……。
今日、東京ドームで新日本プロレスによる「レッスル・キングダム」なるものが興業されていた。
わたしはプロレスファンではないけれど。
四五年前、終電帰りが毎日のころ、ふとチャンネルがあった番組で、アメリカのプロレス団体(WWE)の番組があった。 あのエンターテイメント性、バカっぽいけれど徹底したシナリオ、個性的なキャラクターに惹かれていた。
会長でありヒールでもあるビンス・マクマホン、不気味で圧倒的な存在感の墓堀人アンダー・テイカー、小柄ながら目まぐるしいスピードでリングを飛び回るレイ・ミステリオ(?)……。 とりわけ気に入っていたのが……、
エディ・ゲレロ
だった。 モットーは「騙してズルして、盗み取れ」というスタイルで、たとえば……
セコンドに注意するためにレフェリーが背を向けると、そのレフェリーをパイプイスで後ろから殴る。 殴ったパイプイスを、ほらよ、と対戦相手にパスをし、受け取った相手がキョトンとしているそばで自分はもんどり打ってひっくり返り、マットの上でもがく。 ショックから立ち直り振り向いたレフェリーは、パイプイスを持って立ち尽くしている相手を反則負けにする。
という、お決まりでおバカな必殺技を駆使する男。
陽気なラテンのよく喋り散らす男。
痛快だった。
エディは新日本プロレスとも縁があったらしい。 ブラックタイガーや獣神ライガー(?)をつとめていたらしい。
脳梗塞か心筋梗塞で突然亡くなられたらしく、とんと離れていたわたしがそれを聞いたとき、たしかにショックを受けた記憶がある。
当時日本人レスラーの田尻選手や芸者姿の妻ヒロコをつれた……名前が出てこない(汗)……選手がいた中で、それでも「ズルして、騙して、盗み取れ」な男、
エディ・ゲレロ
こそが、わたしの一番、だった。
WWEは今の日本でいうと、見たことはないが高田延彦、いや総統の「ハッスル」のような世界なのかもしれない。
……大晦日に見逃したのが、とても、痛い(笑)
「結局「中」かいっ」
台の上に三つ並んだ黄色い箱。 前のひとが順々に取っていって、ついにわたしの番になり、目の前には十五センチ角くらいの直方体の黄色い箱が置かれており、上の面にはそれぞれ、
(中)
と書かれていた。 「大や小もあったってことでしょ。みんな同じ大きさの箱だったみたいだけど」
ふと目を離した隙に、右はじにあったはずの「中」の箱がなくなっていた。
「ぐずぐずしてたら追い越されて持ってかれるって、おいおいそりゃ冗談じゃない」
慌てて右の箱……元は三つの真ん中だった箱……を手に取る。わたしは三択の場合、大概真ん中か、少し気分を変えたときには右を選び、とことん自分の意思に反しようとするとき、直感がはたらいたときにしか左は選ばない。だからまあ、結果的に順当な選択だったのかもしれない。
とはいえ、半ばを自分の意思によってではなくなってしまった選択に、苦笑いを浮かべながら「(中)の箱」を胸の前に掲げながら振り向いた。
箱は軽かった。
揺すってみると、カサカサと音が聞こえてきそうだった。 間違いなく、からっぽではなさそうだったが、中身の見当がつかなかった。
「中身が引換券か何かで、どこかの交換所で交換するのかしらん」
もう一度、小さく揺すってみて、中身は間違いなく紙切れが一枚だけ入っているのだろうと確信すると、ダンボールの箱の中で所在なさげにカサカサと右左している紙切れの姿が脳裏に浮かんできた。
「にしても、「中」って……」
箱だったはずが、子どもの砂遊び用のプラスチックバケツのようなものに変わってしまったような気がしたけれど、目で見てそれを確かめる気にはならなかった……。
……。
わたしの記念すべき初夢らしきものは、そんな感じの内容でした。
黄色い箱だったのを、せめて初夢なんだから、とバケツというよりコーンのような形にすり替えて、「山みたいだけど「富士山」じゃねえじゃん」と、作為的に夢をいじくってしまった自分に対して苦笑いを浮かべたような気もします(笑)
黄色は金運の色、ともいうので、今年は金運がよいのでしょうか……?
それを切に願います(笑)
あ。 それとも、
「幸せの黄色いハンカチ」
って?
待ってるひとがいねえって(笑)
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