2008年06月30日(月) |
白紙と余白とスゴイこと |
「見えるものが限られていればいるほど、それはたやすいこととなる」
これは、わたしが実感していることのひとつです。 ひと通り書き上げた作品を、紙に出力して赤を入れてゆくときと、パソコンの画面のなかで推敲しようとするときの違いについて、です。 わたしの場合、画面のなかだと一行一単語程度という、限られた範囲での推敲になり、すらすらと進めてゆけるのです。
一方、紙に出力した場合、余白がある限りすべてを書き直したくなる、ということになりかねず、下手をすると筆がピタリとそこで止まってしまうことにもなるわけです。
どちらが良いのかは、みなさんおわかりだと思います。
時間がないときは前者。 時間があるときは後者。
ですね……。 自分自身に揺るぎなくそうであると思うなら、そのままでもよし。 そうでないなら、自分のそんなものにとらわれず、自分のすべてを白紙にして書き直す。
余白に赤を入れることさえいつも躊躇ってばかりいる、自分を白紙にしたがらない頑固者のわたしです(汗)
さて、今のわたしの冷蔵庫が、スゴいことになってます……。 ほとんど空っぽに近い状態が常だったのに、納豆があふれてます。
……。
思えば昨日、三パック九十八円の納豆をふたつ買っていたのです。 今日の帰りになんとなく……いえ、昨日赤札堂で買い物したことをすっかり忘れて(汗)、昨日買ったものと同じものを、今日も買って帰ってしまったのです。
いや……正しくは、納豆だけは昨日より十円安かったです。
日にちの感覚が、おかしくなってます。 若年性痴呆笑、いや症? 納豆食って、血をサラサラにして、脳みそ周りの血の巡りをよくして、気をつけます。
……なんや、それを見越して納豆買い貯めしたんなら、どこもおかしくなんかないやん(笑)
さあ、今日はジューン・ブライドの最後の大安吉日。
神田明神では、一組の夫婦がはじめの一歩を、踏み出していました。
はぁ、じぃ、めぇ、のぉ〜…… いぃ〜……っぽ!
だるまさんが何回転ぼうが、 坊さんが臭い屁をここうが、
始まりは、始まりです。 握った手を離さず、ときに離してしまったとしても傍らから離れず、今の思いを大切にし続けてください。
重松清著「きみの友だち」
ちょっとだけ。 のつもりが止められず、最後まで読み切ってしまいました。 連作短編の形をとったひとつのお話です。 各話全てで、泣きました(笑) 大の大人の男がひとりで、まったくもう、みっともなく……。
ヒロインとその弟とそれぞれの「友だち」の、それぞれの物語。 まだ本当の「友だち」というものが実感としてわかっていないまま「友だち」として互いに関わり合っていた頃。 人生をそれぞれ歩み、過ごし、だからこそ、本当に「友だち」だったとわかる今、ヒロインがその「友だち」のそれぞれの話を打ち明ける。 そしてそれらの話を語るのは、ヒロインの夫となるしがないフリーライター。
物語の最後は、ふたりの結婚式を舞台として締めくくられる。
いや、くくられるのではない。
ヒロインの「友だち」として招かれた彼らだけではなく、これからも出会ってゆくだろう、もしくは既に出会っているかもしれない「友だち」も含めて、物語は続いてゆくのだろう。
同じクラスだから「友だち」なのではない。 好かれたい、嫌われたくないから「友だち」なのではない。 優しくしたい、されたいから「友だち」なのではない。
だけれども、結局それらの全ては間違いなのでもなく、「友だち」は「友だち」なのである。
この年齢にもなってくると、「友だち」ということばの使い方が、ある意味難しくなってくる。
同期、同僚、知人、仲間……。
表現の幅が姑息にも増えてしまっている。 そんなことを考えてるうちは、ほんまの「友だち」ちうもんをわかっとらん証拠じゃけえ。
そう諭されそうです(笑)
2008年06月27日(金) |
文字と記号とことばと「注文の多い料理店」 |
さあ、たいへんです。 どうしましょう。
書き連ねる文字が、ことばに見えません。 文字が文字のまま、なのです。
「あ」と書いてみても、いつまで経っても、どこから見ても、「あ」という記号としての文字でしか見えないのです。 記号であれば、その後に続く文字など何ひとつありはしないのです。 いや、何だって構わなくなってしまうのです。
「あ」がことばであれば、その後に「い」が続いて、それは「あい」ということばの連なりになり、「愛」なのか「藍」なのか、意味をもったものへと変化してゆくものなのです。
色々と書いてみました。
「あ」や「ア」を大きく書いたり小さく書いたり並べてみたり、丁寧に書いてみたり崩してみたり、丸文字や釘字みたいなのや、点線で書いてみたり。
ますます、記号にしかならないのです。
今こうして、こんなにダラダラと書いてるじゃないかって?
これはこれ、です。 いわば、まあ、こうしていること自体が、記号にしか過ぎない文字をことばにするためのリハビリのようなもの、なのかもしれません。
携帯の予測変換機能はとてもありがたいものです。 一文字入れるだけで、勝手にことばらしき文字列を羅列してくれるのですから。
試してみませんか?
ノートでも、チラシのうらでもかまいません。 一文字だけ、それも何だってかまわないので、大きく書いて、その一文字と「にらめっこ」してみるのです。
あれ、こんな字だったっけ? てか、これって文字? 記号?
と、何やら不思議な気持ちになったら、大成功です。 あなたはもう、ことばとしての文字が書きづらくなっているはずです!
……て、実際に試さないでください(汗)
てか、文字はそもそもが記号だったのを、長い歴史の中でことばとなっていったのですよね。 なんだ、ちょっと故郷帰りしただけじゃないか……笑
そして。
宮沢賢治著「注文の多い料理店」(新潮社新編)
ぜんたい、宮沢賢治作品というものを、わたしは知らずと避けてきたように思います。 彼の作品を読もうとしてみると、文字がことばとして入ってこようとしないのです。
そうか、これが原因だったのか(汗)
彼の作品の多くは、「未完成」です。 彼の没後、やおら世間が注目し、そうして世に広まったという経緯もあります。
それよりなにより。
「未完成こそ完成である」
という彼の思想もあります。
遠野の縁でとうとう宮沢賢治作品の扉の把手を握り、すこうしだけ中を覗いてみました。
もう一歩、踏み込んでみる?
このままだと、なんだか少しだけ、悔しい気もするし(笑)
そう。 このモヤモヤした感が溢れているところこそ、わたしが思うある種のイーハ・トーヴなんだろうし……。
すっきりキレイ過ぎるところは、嘘くさくてかなわん(汗)
我にそれほどの知識常識整理処理能力があるとは思えねど、こうして話し聞いてみすると、大概の的は外れてはおらぬと思ふことがあるのです。 選ばんとすものが多岐に渡らんと見えど、その実は数少なであることに気が付くものです。
自分の口ではなく、他人の口からそれを聞き出すことによって、それを確かなるものへと形を変へてゆかせるのです。
ああ、やはりさうであったか。
とひとり胸の内にて頷くことが、万事に、とりわけ他人の心模様に及ぶことが出来るのであれば、それはなんと素晴らしひことであろうか。
皆が皆そのやうであったならば、さぞ住みやすひ世界となるのかもしれなひ。 いや、それは間違いだらふ。 そんなものが良い世界であり続けられるはずが無い。 全ては繰り返しの業の中にあるものなのだから……。
なぜに文語調(しかもエセ)かはわかりませんが、迷い、舞い踊っているように思えているのは、実のところ、大概は自分自身によるものによってそう思えているだけにしか過ぎないことが多いのです。
全ては絶対なる一に帰する
一だけじゃ寂しいから、二にも三にもしたっていいじゃない。
そうやっているようなものです(汗) 一の一たらんとするわたしが、いったいどんなわたしなのか。
ひたすら子鼠のように、カラカラと輪を駆け回すだけです……笑
天気予報通りの雨模様。 だからといって、部屋で腐っていられるわたしではありません。
たとえ台風だろうと、四十度の熱があろうと、わたしは街に出ます。
根津から東大をぐるりと回って本郷、そして東京ドームシティを抜けて神楽坂へ。 裏表をぐるぐる回りながら、軽くしか食事を取っていなかったものだから腹が「ぐん」と減ります。
肉まん食いてえ。
わたしにとって神楽坂といえば、紀之善でも茶寮でも鳥茶屋でも不二家でもありません。
五十番です。
降りしきる雨の中、冷えかけている身体を温めてくれるほっかほかの
「五十番の肉まん」
は、好きです。 ホクホクと食べ歩きしながら帰りました。
雨垂れが地面を叩く音は、ときには煩わしくも聞こえますが、好いものです。
人間が作り出したものではない音
だからかもしれません。 目を閉じて耳を澄ましてみます。 心洗われるようなつもりになりながら。
水道橋から引き上げて帰ろうと外に出ると、セパ交流戦・巨人ソフトバンク戦が巨人のサヨナラ勝ちをおさめた直後でした。 東京ドームから水道橋駅に向かう連絡橋はもの凄い人の数で一方通行状態です。
わたしが帰るには、ここを逆流しなければなりません。 橋の手すりに張りつくようにして、たったひとり、突き進みました。 試合終了直後ということで、九割がソフトバンクファンのようでした。巨人ファンは、ドーム前広場で余韻に浸っている模様……汗 わたしは「隠れ巨人ファン(一応)」です。 どちらのファンにも、刺激されないように隠れながら彼らの隙間を通り抜けました(笑)
気のせいか、ソフトバンクファンの女の子たちにきれいなひとが多いように見えてしまいました……汗 そんな妄想の一端で、子を持たずに老後を過ごしている夫婦の姿を思いました。
互いを、何と呼び合っているのだろう? あなた、おまえ? 名前で? じいさん、ばあさん?
それとも、
父さん、母さん?
……わかりません。 それぞれで、もちろん違うのでしょう。
わたしの周りでは当たり前のように、お父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃん、と呼ばれ方が変わってゆくのを見てきました。 名前で呼び合う、というのが自然なのかもしれません。 世相や環境や関係の違いこそ、そこにあるのかもしれません。 名前で呼ばないことこそ、実は最強の愛情・意思の疎通が成り立っている関係、と思われることもあるのですから。
子を持たずに、お父さんお母さんになれるのか。 そう呼び合う二人には、どんな思いや歴史があるのか。
向かい合わなければなりません。
「なんもないよ。ただなんとなく呼び始めてみたら、そのままこの歳になっちゃっただけだよ」
と答えられることになったとしても。
思考が停滞気味のとき、「おい、ちょっと待った」とわたしが追いつけないのをいいことに、こうやって断片的に投げかけてはすぐ引き下がる、ということがままあります。 彼らの会話や日常の中から、それらを拾い集めてゆきます。 できるのかあやしくはありますが(汗)
2008年06月19日(木) |
「シュガータイム」と揺らぐ |
小川洋子著「シュガータイム」
読みながら常につきまとっていた違和感があった。 読み終わり、初版年月日や解説等を読み、その正体がようやくわかった。
小川洋子が小川洋子たるものになろうとしている過程の、初期の頃の作品だったから、わたしはそのように感じたのだと思う。
冷たくも温かくもあるサラサラした白砂のような世界。 指のあいだを滑り落ちてゆくような心地良い感触とともに、手のひらに残されるザラザラとした感触を併せ持つ世界。 押しつけるでもなく、突き放すでもなく、寄り添うようにそこに佇む世界。
否応なく取り巻き引き込みぐるぐると目を回させるでもなく、フッと胸の真ん中のとこを掴んで握り締めて揺さぶるでもない。
いずれにせよ、それらはひとつの道筋の延長線上にあり、揺らぐことなくさらにその先へと続いている。
揺らいでばっかりやないのん。 揺らげるうちに、目ぇいっぱい、揺らいでやる。
学校施設の天窓からの児童転落事故。
悲しくて、とても悔しい事故なのだと思う。
教師の監督責任ということを槍玉にあげるかもしれない。 学校の施設管理責任ということもある。
そして、児童の行動管理責任、というものはないのだろうか。
子どもなのだから、そんなことはできるはずがない。
「危ないことはやってはいけません」
との普段からの教育・しつけができていれば、この事故は防げたのだろうか。
おそらく、防げなかっただろう。 どれもこれも皆「詭弁」にしかならない。
天窓の製作メーカーは設置の際に、
「危険喚起として防護柵等の設置」
をお願いしていたという。 しかし、
「そもそもが通常立入禁止のところなのだから、出入口を施錠してしまえば誰も来ない」
と、それを敬遠する。 施設設計の段階では、しごくまっとうな思考だと思う。 ところが、施設運営・管理の段階に移り、当初の思惑とは違う使われ方をするようになる。 これもまた、好ましくはないのだが、仕方のないことなのかもしれない。
通常立入禁止の屋上。
屋上には、原則的に転落防止の柵を廻されている。 しかしそれは外に向かってのもの。 屋上利用を禁止する施設もあれば、鳥かごのようにフェンスで囲み、使用できるようにしている施設もある。特に校庭を十分に確保できない施設などはそのようにしているところが多い。
立入禁止にしてあるはずの屋上に児童を連れて、いくら授業の円滑な進行のためとはいえ使用してしまったという過ちは、ある。
しかし。
報道の伝え方に踊らされていることがあるのかもしれないが、
「安全であるはずの学校に、子どもを通わせることができなくなる」
と、おそらく誇張された意見だと思うのだけれども、それを聞いたときにわたしはやるせなくなった。
例えば憩いや遊びの場であるはずの公園で、その遊具が原因で事故が起こり、それらがいっせいに撤去されてしまうこともあった。 天窓の周りに、転落防止上必要な堅固な柵が、今後は設置を義務付けることのなるのかもしれない。
それが嫌なのではない。
危険に対する対応の仕方が、最近の社会ではどうにもずれてきているような気がしてならない。
結果のひとつひとつを、対処療法的であるにも関わらず、極端な形で対処することを望む声ばかりが聞こえるように思える。
根本的な原因というものを見ようとすることなく、解決する姿勢。
それは効果も目に見えてわかりやすく、安易なものだと思う。
「危険なものは、それが危険なのだと教える前に排除してしまえ」 「危険の原因だと判断したならば、根絶してしまえ」
その声に、共感するだけならまだしも、その感情に我がことのように酔いしれる。
危険がないにこしたことはないが、そうして危険の全てが根絶・排除されてしまった環境の中で、人は果たして「人」として生存してゆけるのだろうか。
今回の事故のことをのみ指しているのではない。
これはこうすると痛いよね。 こうすると壊れちゃうよね。 だから、こうしちゃいけないんだよ。
と、危険や痛みを知ることなく育てられてしまうかもしれない幼な子たちを、わたしは想像する。
「危ないかなんて自分じゃわかんないよ。書いてなければ危なくないんじゃないの? もし危ないんだったら、書いてないやつの責任でしょ」 「刺したって死なないんじゃないの? だってほら、ゲームやテレビじゃ簡単に死なないじゃん」
さらりと、笑顔で軽く答える人々。 自分が与えられた痛みを、例えばちょいと鞄の角が当たった程度で、
「いってえっ! てめえ、やり返してやる!」
と、相手のその鞄を奪って、力加減もわからず全力で殴りつける。 そんなことが当たり前の感覚しか持ち合わせていない世界。
それらの全てが。
わたしの偏った妄想の中だけのお話であることを、願う……。
2008年06月17日(火) |
「なぎさの媚薬〜」と打ちのめされて |
重松清著「なぎさの媚薬4 ねえさんの浴衣」
地方の造り酒屋の次男と、家を継がなければならない長男とその嫁。 嫁は跡継ぎを産まなければ意味がない、という厳しい目でしか見られることのない世界。
子ができず、最初の嫁はそれを苦に自ら命を絶った。 ふたりめの嫁。 子ができぬ原因が己にあると知ってしまった長男。 それでも、そうと打ち明けることのできなくなっていた己の立場。 そしてそれを知りながらも応えよう応えなければならない、己がこの家にいるためには、と苦しむ嫁。
なあに、種が残ればええんじゃ。妾に産ませて本家でひきとりゃあええんじゃ。
親戚の声。 それも無理な話だとわかっている長男。
ずっとずっと、兄のせいでねえさんが苦しめられていたと思っていた次男は、そんな田舎が嫌で東京に出て二度と田舎には帰るまいと決めていた。 そして家を持つことを恐れていた。
すっかり中年男になりきった頃、「娘の結婚式じゃけ、どうしても出席してほしいんよ」との兄を断れず、恋人を連れて故郷に久しぶりに戻ることに。
兄の娘。 ねえさんが苦しみ、思い悩み、弟である次男の部屋に夜中に訪れ交わったこと。
兄とねえさんと自分と家との辛く苦しく続いた日々。
なぎさの力によって過去のすべてのことがわかり、次男は切に願う。
みんな幸せになってほしい。 自分の今は何ひとつ変わらないとしても、兄もふたりのねえさんも、姪っ子も。
自分以外の過去を変えるため、彼はあのとき選ばなかった道をなぎさの助けによって選び直す。
そして彼らの未来、つまり現在は、幸せなものになったのだろうか。 彼が選んだものは正しかったのだろうか……。
重松さんの作品は、戸惑い、後悔、不安、願い、希望、幸福、それらを結果としての形には決してしないで物語を描く。 簡単に答えなど出るはずもなく、出たとしてもそれが永遠に変わることなどない、だから戸惑い、悔やみ、望みを抱き、明日を思って今日を生きる。
久しぶりの重松さんの作品は、胸を揺さぶられました。
やはり、素晴らしい作家さんです。
おこがましいことかもしれませんが……。
プロのそのトップに位置する方のその力に……。
打ちのめされて、立ち上がって、構え直します。 設定や表面的なものではなく、内のものを掴めるものを描くために……。
2008年06月15日(日) |
手を離れ、潜水服は蝶の夢を見る? |
原稿を送ってしまいました。 もはや既に我が子ではなく、彼らの子となったというわけです。
オーディションの応募受付が始まったようです。
「……親子(小学校以下)役」
……書いてありました。 やってくれるのね! 本当に! 監督さん、ありがたうっ!
そうしてもらうつもりの原稿を送ったとはいえ、ちょっぴり嬉しかったです。
さあて、と午後はすっきり出かけることにしました。 今日は本郷は菊坂(樋口一葉の)下を抜けて後楽園へ。
ラクーアで憩う人々を眺め、ウォータースライダーが上げる飛沫に、笑顔と歓声がキラキラと輝いてました。 そしてメリー・ゴー・ラウンドに、ふと目に止まった風景が。 二歳にならないくらいの子を馬の背に座らせ、父親は隣に立って支えようとしていました。 それでも不安なのか、チビは父親にすがるように手を伸ばし、じゃあ、と後ろに一緒にまたがってみようとするも、きちんとまたがれるほどの広さはなく。 結局、隣に立って抱えるように腕を回して支えることに。 さあ、木馬たちが回り始めました。 わたしは、その親子が一周してこちらに戻ってくるまで待って見届けなければならない気になっていました。
そして、やってきました。 馬の背ではなく、父親に抱きかかえられて、大泣きしながら……。
怖かったんだね。 隣にパパがいてくれるとはいえ、ひとりぽっちで馴れないものに座らされて、ぐいんぐいん振り回されて。
しかし、女子の数がやたらと多いと思ったら。
嵐のライブ「DREAM ALIVE」がドームでやっていました。 開場は夕方だというのに、昼過ぎからこの熱気。
おなごじゃ、おなごじゃぁ!
と鼻孔を広げ、香りを堪能……するわきゃあ、ありません。 するりと通り抜け、飯田橋はギンレイへ。
「潜水服は蝶の夢を見る」
観たかったんです、この作品。 感謝デーで他作品とのはしごがうまくゆかず、泣く泣く見送った作品でした。
わたしが夢を見てしまいました。 というか、途中で落ちてしまいました……。
最悪です。 また観直します。
うかつでした。 来週、リベンジです。
映画中のシーンの影響のせいか、なんだか無性に、牡蠣を貪り食いたいです。
殻に口をすぼめてくっつけて、じゅるるっと吸い込む。 ムニムニ、キュキュ、としごくように噛み絞り……。 やおら、ンゴクンっと呑み込む。
かはぁ。 食いてぇ……。
2008年06月14日(土) |
災いを避くる男と、許さない? |
いまのわたしは、
「災い避くる男」
そんな気がします。
今朝方、目覚まし代わりの携帯のバイブレーションに起こされ、テレビを観て一瞬、驚きました。 しかしすぐに落ちてしまい、再び点けっ放しだったテレビを観て、
なんだまだ九時過ぎくらいか。
と、同じニュースにそう勘違いをしていました。 それにしても、他局もまるで同じ様子で、ふと時計を見て、
昼過ぎてるじゃん。
気づくと同時に、ニュースの内容をようやく理解しはじめ……。
えらいことになってる。
と、あらためて驚かされました。
宮城岩手内陸地震
ぶっちゃけます。
衝動にのっていなかったら、わたしの遠野行は、この土日になる予定でした。 ホテルの一番安く空室がある日を待たず、多少高くても、と強行したのです。
遠野と言えば岩手県の南にあり、すぐに宮城県。
先週の秋葉原の事件といい、なんだかほんの一歩の違いで、災いから救われているような気がします。
土曜の昼下がり。 不忍池、上野公園を通り抜けながら、家族連れ、恋人たちとすれ違い、追い越し、めんどくささが和らいでゆきました。
こんなにもたくさん、この世界には物語があふれている。
と。
これをひとは、現実逃避、というのかもしれません。
そして、再び秋葉原の現場を訪れました。
そうしないと、神保町に抜けられないものですから。
歩行者天国は、事件以来しばらく中止されてます。 献花台には、まだまだたくさんのひとが手を合わせていました。
だけれども……。
一部の、ほんの一部の、感情的な方が、叫んでました。
「絶対に、許さないっ。 絶対に、死刑だっ」
わたしの頭に、血が集結しそうになってしまいました。
あなたこそ、命をなんだと思っているの?
死刑に関しては賛否両論あり、かなり微妙な問題はあります。 それに、悲しみや怒りを表すための他の言葉を思いつかなかったから、そのようなことを口にしたのかもしれません。
が、
恐ろしく、不快です。
裁判員制度がはじまり、もちろん、選抜の面接等がありますが、命を扱うかもしれない案件に関わるかもしれないのです。
もちろん、最終的な判断の物差しとして裁判官がついてはいますが。
命を奪ったのなら、命を差し出せ。
これを声を大にして言えるのは、奪われた本人だけ。
なのではないでしょうか。 せめて、本人に次いで家族。
それでも、できるのならば……。
命を差し出させる。
のではなく、
命を賭して、報いて欲しい。
であって欲しいです。
もしもそれが法的に正しくても、道義的に誤りでなくても、命を奪った報いとしてその命を奪うことになったならば……
わたしは、わたしもまたその奪ったものと同じ、「命を奪ったもの」となることに、耐えられないだろうと思います。
これもまた、偽善、なのかもしれませんが。
2008年06月13日(金) |
いじの意字、カウント無いん? |
いじ、イジ、意地、維持、遺児。
みんな、異字です。
もしかすると、そのすべてがわたしの「意字」なのかもしれませんが。
ただいま、どんどんハードルを下げております。
エピソードだけ書き並べて、あとはよろしくお願いします、でいいじゃねぃか。
あと三十六時間、どちらの意地が勝つものか楽しみです……。
なんだか、メンドクサイゾーンに踏み込んでしまってきています。 不忍池の畔の枝垂れ桜の枝陰で、ぴったりむちゅうの恋人たちがいます。
めんどくせぃ。
お巡りさんに自転車で呼び止められ、質問されながら腕組みして知った風な口調で答えているおそらく素朴な男子学生。
その口調、めんどくせぃ。
ぼうっと熱くなり、眼球にじわりと溜まってくる涙を瞬きしてもまた開けるのも、めんどくせぃ。
下ろすために持ち上げる足も、めんどくせぃ。
これだけ「めんどくせぃ」を連発しておけば、
「それでも、しゃああんめぇ」
と、起き上がれることでしょう。
カウントはセブン。 どうする?
めんどくせぃから、カウントはナインまでくたばったふりをしておこう。
それで起き上がれば、いいんでナインの?
……汗
事件現場を、訪れてみました。
悲しいけれど、そんなことがあったからといって道が封鎖されているわけでもなく、賑やかしい音楽とアナウンスと喧騒が、何事もなかったように、そう振る舞っているかのように、満ちています。
献花台と、そこに群なす人々の姿だけが、その記憶を目に見えないものに刻むかのように、佇んでいました。
悲しいけれど。
直接関わった人々以外、マスコミによって思い出させられるそのときまで、その記憶は呼び起こされないものになってしまうでしょう。
悲しいけれど。
わたしは、自分勝手で、そういう資格がなく、なぜならわたしも、きっとそうしている類いのやからだろうから、だけれども、携帯でその写真を撮っている姿に、嫌悪感を覚えてしまいました。
こんなことを口にしても、それは偽善だということもわかっています。
なぜなら、真剣な面持ちで、きちんとしたカメラを構え、神妙にシャッターを切る姿であったとするならば、それは容認してしまうだろうからです。
ただカメラか携帯かの違いなだけなのに。
携帯のカメラは、イコール誰かに流すためのもの、という固定概念、いえ、偏見を持ってしまっているだけなのかもしれません。
携帯電話のカメラ性能の向上と普及で、誰もが目撃情報を画像や動画で記録できるようになり、それを貴重な情報として警察機関が広く求めることができるようにもなりました。
そして。
素人とは違う映像、技術、それらの差別化、というわけではないのかもしれないけれど、マスコミの情報の伝え方に異論を唱えたく思えてしまいます。
伝え方ひとつで、焦点の当て方ひとつで、その喉元に突きつける刃の先を選ぶことができます。
加害者。 被害者。 家族。 友人。 知人。 社会。
あなたは、誰の喉元にその切っ先を向けようとしているのですか?
無関心であることも悲しいけれど、煽られることも、また、悲しいことに思います。
だからそれが、必ずしもいけない風潮なのかどうかはわかりません。
しょせんわたしも、都合のよいように「うそ話」を描いている人間ですから……。
とことん、天の邪鬼。
なのかもしれません(笑) 「いいじゃん。原作は原作で、演出の都合でシナリオが変わるのは仕方なくて、それに合わせて原作を書き直すなんて、なんか違うんじゃない?」 「そのために脚本家だっているんだし。その作業に費やす時間と労力を、もっと向けるべきものに向けたほうがいいんじゃない?」
昨日の時点でtake4は、そう結論を出していました。
さあ、そうと決まると、
「馬鹿やろう、なに言ってやがる」
と竹が黙っちゃあいなくなるのです。
このコンコンチキがっ。全部書き直すまでしなくても、骨子ぐれぇ「この流れで」てぇくれぇ書いて渡さねえと、口が避けても「原作者です」だなんてこたぁ言えねえだろ。 てか、俺が言わさねぇ。 面を上げられねえくらい、恥と自己嫌悪に叩き落としてやらぁ。
と(笑) やっとその気になってくれたね、ワトソン君。 そうなることを待っていたのだよ。
キーとなる舞台や設定、アイテムが別のものになってしまう時点で、それは本来の物語ではなくなってしまいます。 だから両手を挙げて、知ったこっちゃねぃや、と投げ出してしまいたくもなるのです。 それもまた、ひとつの手です。 が、そうせざるを得ないなかで、それでも「わたしが描きました」と言えるだけのものを、最低でも書きたいじゃないですか。
人の手が加わって、もっと素敵なものに化けてくれる。
それを信じなくて、自分だけの、ひとりよがりの井戸のなかでゲコゲコ鳴いていられるほど、それほどわたしはスゴいのか、と。
スイッチが入れば、書き直し二十枚なんて四時間で済みます。
これがあとみっつ。 土曜日まで。
なんだ楽勝じゃないか、と言い聞かせつつ、でもそれは、かつてKさんが仕事のアップに間に合いそうもなく目が泳いでいたわたしに言い聞かせるのと同じものだとわきまえています。
だってそれとは別の、新作のことをいったん棚の上に上げといて、ほぉら、とりあえずこれだけをまずやってから、その先はその先で考えればいいんだからな? 今それを一緒に考えて、同時にやろうとしてパニクって共倒れになったら、一個も形にならないままで、何をやったのか、誰も、自分までもわからなくて、時間をそれこそ無駄にするだけだろ?
と(汗)
2008年06月08日(日) |
「やわらかい手」とまち談義と秋葉原事件考 |
「やわらかい手」
をギンレイにて。 なんとも微妙な作品でした。
孫が難病に罹り、海外での治療しか残されておらず、お金がもうない状態でいったいどうやって、と悲嘆に暮れる両親と祖母であるマギー。 ひょんなことからマギーが見つけた仕事はなんと風俗嬢。体を売るのではなく、男性の自慰を手で助けるという仕事だった。最初は戸惑うマギーだが、やがて彼女の天性のものである手の柔らかさが評判を呼び、ナンバーワンの座になる。孫の治療費である6000ポンドを稼ぎだし、息子にわけは聞かずに使ってくれと手渡し、渡航の用意を始めるのだが……。 大金である治療費をマギーがどこから手に入れたのかを疑問に思った息子はこっそり後をつけ、マギーが風俗店で稼いだものと知るやいなや、軽蔑し「金は自分がすべて返す。だから店を今すぐ辞めろ、辞めるまで孫には一切会わせない」と詰め寄り、店に電話をかけさせるのだが……。
日本式だ、と風俗店の店長がマギーの職場を見せたのが、壁に穴がひとつ空いているだけの部屋。その穴から男性の息子がこんにちはをし、どうぞよろしくとマギーが握手をするわけですが、その滑稽さに場内の皆さん(男女共に)笑ってしまいました。
しかし、そんなことだけではありません。
祖母であるマギーがこれほどまでして治療費を稼ごうとしているのに、養親はいったい何をしたのか。 何もしてません。 ただ、銀行の融資課に融資のお願いをし、断られただけ。 父親である息子は妻が呆れるほどのマザコン具合で、そのせいで母親がマギーを最初から邪魔者のような接し方をしていたりします。
だけど、この母親とマギーのふたりのせいで、少しだけ女性というものに対して嫉妬のようなものを感じさせられてしまいました。
「親は子どものために命さえ捨てる。その意味を私は教えられたわ」
意地を張ってあてもないのに治療費を突き返そうとやきになっている父親に対して、これまでマギーに対して距離を置いていた母親がそういうのです。 渡航に付き合うつもりがなかったマギーに、母親が治療費をありがたく受け取ることと、深く感謝していること、自分がマギーのことをずっと誤解していたことを伝えに家を訪れます。 そして、マギーの分の飛行機のチケットを手渡すのです。 だからといって、すべて打ち解けあったわけではありません、きっと。
ただ、男というものは結局どこかいつまでも子どもなところがあり、女性にはかなわないのだ、ということです。
女性だってそんなにすごいことばかりではない、ということもあるとは思いますが……。
ただ、この作品。 ラストの結末の見せ方が不満の残るものでした……。 それが残念です。
ここまでは前日のお話でした。
そして今日は……。
急遽、とある中学の同級生(女子)と会うことに……。 地元の友人たちのひとりで、彼女とは皆が年単位ですっかりご無沙汰という、会うことはとても困難な存在(笑)
雨でも降るんじゃないかしらん?
と、思わず空を見上げてしまいました(笑) 待ち合わせを……。
北千住
でしました。 忙しくて、なかなか外に出かけられない彼女にとっては最大限の譲歩、でしょう。
北千住は我が家の菩提寺があり、知らぬ街ではありません。 商店街をぶらりと歩きながら時間をつぶしていると、和服屋になぜか目が止まり、ふらりと店内へ。 店先の、谷中でお馴染みの「いせ辰」の品物が目に入ったので、というのが、強いての理由かもしれません。
そして着物姿の旦那と、しばし雑談……。 はじめは、この年齢にしてお恥ずかしながら袱紗をわたしは持っておらず、店に入ったはいいがさてどうしよう、と思った矢先に「袱紗はどちらにありますか」と口をついて出ていたのです。 それをきっかけにして、いせ辰のこと、谷中に住んでること、藍染のこと、と話が広がり、そして……。
まちづくり
のことで、品物そっちのけで話し込んでしまいました。
ある意味「職業病」なのでしょうか(汗) 北千住といえば、宿場町からの下町です。 谷中は、寺町からの下町。ただし、良くも悪くも「ブランド」としての色合いやこだわりや、外部を意識した特殊な性格を持ち合わせていると、わたしの個人的な意見ですが、そんな一面があります。
私「ブランドとしての谷中を守ろうと、肩肘突っ張らなきゃならないとこもあると思うんです。専門家を外部から呼んで、コンサルタントについてもらったり、自分たちの生活だけのことじゃないことまで、ある意味取り入れて、古きを守らなければならない、というか、神経質にならざるをえない、とか」 旦那「そうですね。でも、新旧うまくバランスをとって、共生できてるのではないでしょうかねぇ。ここ(北千住)は宿場町だったから、というのはあれかもしれませんが、よそ者に対して排他的な地域性もあったりしますよ」
案外「地域性」というボーダーを忘れがちだが、なかなかどうして侮れないものなのです。 知らずに専門家ぶって足を踏み入れると、
「てめえんちに土足で上がり込むんじゃねえっ」
とどやされてしまいます。
さてそうしてたっぷりと時間を過ごし店を出ると、
「松戸まで出てきてくれませんでしょうか……?汗」
との、待ち合わせ相手の彼女からのごめんなさいメールが(笑) 彼女を待ってたら年が明けてもまだ来ない、というのは、地元メンバー全員が納得のこと(笑)
松戸まで行きました。 お詫びのしるしにおごります、いえ、おごらさせていただきます、との彼女の言葉に応と答え、久しぶりのコーヒーとケーキを頼みました。
ケーキって、そう、こんな味なんだよなぁ、と感慨に舌が打ち震え(?)ました……笑
彼女は相変わらずのいっぱいいっぱいな日々らしく、なんやかんやと互いの近況だとか愚痴だとかぼやきだとかをぶちまけあい、結果、おかげさまで思わずポンと手を叩くことができる話をすることができました。
まず、何があるのか。 そして、それはどんな意味があるのか。 その先に、何があるのか。 そのためには、どうするのがよいのか。
自分がゆこうとする道と、その道を辿ろうとするときに何が必要で、何にどれだけの重きを置く必要があるのか。 自分のゆこうとする「道」と、そこに自らが立てる必要があるだろう「道標」を「知る」ことの必要性。
そして……。
秋葉原で起きた無差別殺傷事件。
今だから言えることがあります。 あの被害者の中に、確実にわたしが含まれていた可能性があるのです。
わたしにとっての毎週末のこと。 不忍通りから中央通りをまっすぐ抜け、神田川を渡ったところで神保町方面へ向かう、というルートを使います。 そうなると、事件が起きた秋葉原の歩行者天国を、そのまま通り抜けるということになるのです。
といっても、最近では歩行者天国の人ごみを避けるために、もう一本お茶の水側の通り(湯島天神や神田明神の入口側)を通ることの方が多いのですが……。
もしも、の話です。
昨日のうちに神田明神に寄っていなかったら、おそらく、歩行者天国に通じる道を選んでいたでしょう。 そして朝昼兼用の食事を取るため、事件が起きた時間帯に、まさにあの場所を目当ての店を目指してスタスタと歩いていたことでしょう。
もしも、突然の中学の同級生だった彼女からの誘いの連絡がなかったら、事件の起きた時間帯に、家で「ウチくる」をぼんやりと観ていたりしてませんでした。
ニュース速報のテロップが画面の上に流れた後、姉から「まさか巻き込まれてないよね?」とのメールがすぐに送られてきました。 わたしの行動範囲やパターンを知っているからこその心配、だったのでしょう。 軽く「まだ家にいるから大丈夫」と返事をしてさらりと流しておきましたが、「ここでだけ」だからこそ言えます。
大袈裟かもしれませんが。 本当に、
彼女からの誘いがなかったら、ほぼ確実に、あの時間、あの現場、もしくはあの現場付近にわたしがいて、目撃者か被害者になっていたかもしれないのです。
よりによってのあのタイミングでの突然の誘い。 そして、事件現場とは逆方面の街での待ち合わせ。
夕方の待ち合わせだったとしたら、わたしは昼飯を済ませにあの時間帯に現場を通りがかっていたでしょう。 わたしの悪運が強いだけなのかもしれません。 後顧の憂いなく思うことを思うようにできるように、知ってか知らずにか、周りや関わりあるひとたちによって守ってもらえているのかもしれません。
明日は、当たり前のようにくるのではない。 当たり前のように思える明日を迎えるために、見えるところ、見えないところ、見えるもの、見えないもの……。 それらによって、しかるべくそのように思えるように、明日を迎えさせてもらっているのかもしれない。 そのための今日を、送っているのかもしれない。
2008年06月07日(土) |
やぁなんか猫の手も? |
土曜昼日中の谷中銀座は、大賑わいです。 久しぶりにゆっくりと、この界隈をひと回りしました。 いつもは逆方向、上野や本郷のほうばかりを歩いて神田神保町や飯田橋神楽坂にぬけているものですから。
雑貨、小物、江戸千代紙、藍染古布、着物や骨董などなど冷やかさせていただきました(汗)
こう考えると、わたしはなんて便利なまちに暮らしているのでしょう。
先週の遠野とのギャップを改めて感じました。 ぶらりと歩くだけで、こんなにも魅力的な場所を回れるのですから。 ぶらり、の範囲が、谷中根津千駄木(いわゆる谷根千)だけにとどまるわけではありません。
上野、駒込、小石川、本郷、水道橋、飯田橋、神楽坂、九段、神保町、神田、丸の内、秋葉原、浅草。
も少しだけ足を伸ばせば、
銀座、日比谷、霞ヶ関、赤坂、六本木、麻布、芝、四谷、大塚、巣鴨、と、このあたりまでなら、片道徒歩九十分で着けます。 地下鉄使って三十分、しかもその地点だけを目指して、に比べたら歩くほうが途中の街を楽しめる分、断然にお得です。
車生活ではないからこそ、言えるのですが……。
御徒町の事務用品が安い店でA4用紙を段ボールひと箱買ったときだけ、車だったらどれだけ楽か、と思ったことがあったくらいです。
もとい。
いつものごとくいつもの街に向かいました。西日暮里を回ってからですが。 神田明神に、一応、ドラマ原作採用結果のお知らせを……あまり関係ないのですが、まあ、三ノ宮の将門公の「勝守」にちなんで(笑)
あとは一ノ宮の大己貴命(おほなむちのみこと)……大国主命(おおくにぬしのみこと)、大黒様、繁栄縁結びの神様で出雲大社の主神……様に縁結びと、二ノ宮の少彦名神(すくなびこなのみこと)……大己貴命と国づくりをしたといわれ、恵比寿様と一緒にされたりもしているが、医療薬学の神……様に、ナルコの根的治療の発見を願うくらいです。
街を歩くのは、竹がいろいろ整理するために不可欠なことなのです。
ねこねこやなか、やなかねこ。 さかにねのくにゆうやけだんだん。
ひゃっけんほんごう、めいどにとんねる。 ねこにこばんに、こんばんみ。
ねこねここねこ、ひょうあたま。
ひょうあたま?
ぐいん最新刊が出ました。 ほかにめぼしいものがなく、ひと安心です。 遠野で買ってきた本がたんとあるもので、書いて読んで考えて手が足りないものですから。 まさに、
猫の手も借りたい
です。 かわりがききやしないのですが……汗
……眠気のベールに包まれたままの一日でした。 意地を張らずに飲んでしまえばいいものを、天の邪鬼なわたしですから、
「てやんでぃ、ちっくしょうめぃっ」
と、ふわふわふらふらのまま乗り切りました。 その足で、なぜかアメ横からちょいと外れたとこにあるジーンズ屋に……汗
閉店間際です、もちろん。
お兄ちゃんと話し込んでしまいました。 買うわけでもないのにサイズまで計ってもらいました。
八キロ減、のサイズなんてわかりやしませんので。
「ウェスト、計ってみてもらってもいいっすか?」 「いいですよ。ええっと……」 (ゴクリ) 「服の上からなので、差し引いて……73くらいですね」
それが細いのか、喜んでいいのかわからず、サイズでいうといくつになるなのかと、
「29ですねぇ」
それを聞いたところで、またしても判断がつかず。 その数字は……家に帰ってから気づきました。
今、履いているジーンズ……学生の頃(十年前!)に買って、ずっととってあったヤツ……と同じサイズでした。 あまり嬉しくないです。 履けるようになった喜びは、既に味わってしまってますから。
昔と最近のライン(?)は違う、ということがあるとは思いますが、その同じサイズでもちょいゆるなので、もうワンサイズ下、を今度試着してみようと思います。
2008年06月05日(木) |
晦(つごもり)あければ |
今回、谷中というまちに感謝しようと思います。 遠野に行って物語と出会い、行く前に描いていた物語とは違うものとなり、我が谷中に帰ってきてふと、気づいたのです。
東大モトクロス
いや、
灯台下暗し
だったと。 実際のモデルのようなものがある物語を描いたことは今までないのですが、今回はモデルとまではいかないけれど、参考にならできるじゃないかと。 ドラマ「おせん」で、谷中銀座がしょっちゅう出てきてることですし(汗)
ドラマのリライトは、やはりまだ竹が首を縦に振ってはくれず、わたしではまともな日本語すらままにならない状態になってしまうことに気づきました。
いいから、もうちっとくらい待ってくれや。 昨日の今日で、そんな都合のいい人物なんて見つかりゃあしないんだからよ。
……ごもっともです。 事務的にスケジュールを気にするわたしと、その通りにはいかない竹。 どっちが力が強いとなると、そりゃあ、描くほうに関しては竹なわけです。
やっかいなものです。
酷使してやる、なんて宣誓はどこへいったのやら(汗) ちょいと調子にのってるのかもしれません。
ちょいとどこかで、早いうちに、キュキュイと締めてやらねばならないかもしれません……笑
朔も終わり、徐々に満ちてゆくだけになるわけです。 そうなれば、あとはもう……。
2008年06月02日(月) |
わたしの遠野物語拾遺〜付記〜 |
昨夜、遠野駅前発のバスに乗った直後のことでした。 背もたれを少し倒そうと、後ろの席の爺様にひと声かけるべく振り向いたところ、前に屈み込み、じっとうずくまっている様子。
「背もたれ、倒してもいいですか」 「……」
ピクリとも動きません。 気分でも悪いのか、胸患いか、はたまた耳が遠いだけなのかと、
「どうしました、だいじょうぶですか」
つと爺様は顔を上げ、
「入り込んじゃった」 「え……」
まるで純真無垢な子どものような目で、助けを求めるようにわたしを見つめ返してきました。
入れ歯でも飲み込んでしまったのかとも想像しましたが、
「入り込んじゃって、とれないの」
わたしの座席の下を指差してました。
ああ、そっちか。
よくよく見ると、爺様の足はスリッパが片方だけ。 座席の下をのぞき込むと、なるほどそれらしき影が見えました。
はい、どうぞ。
ゴソゴソと手を突っ込んでスリッパの片割れを抜き取り、爺様の足元に履きやすいように置きました。 爺様は足があまりよろしくないようで、スリッパの口に足を向けるのにも苦労している様子。
「ああ、ちょっと待って」
爺様の向けられたつま先に、そとスリッパを履かせてあげました。
「どうも、ありがとう」 「いえいえ。じゃ、背もたれ、ちょっと倒しますね」 「え?」
倒しちゃ、だめですか……?
「背もたれ」 「ああ、はいはい、どうも」
伝わっているのか不安だったので、振り向きながらゆっくりと、ちょっとだけ倒しました。 爺様はおそらく釜石からの乗客で、ひとりで宮沢賢治の世界を楽しんできたのでしょう。
イーハトーヴにはまだまだ早い。 こっちでもっと楽しみましょう。
「カハァ……クハァ……」
爺様は寝息でそれに答えてくれたようでした。
早朝の不忍池はどことなく澄み、また違った様子でした。
そしてまた、日常がすぐに始まります……いえ、始まりました。
まさに「胡蝶の夢」のようです。 しっかり食べてきたというのに、体重わ変わらず、体脂肪率が十一パーセントだったものですから……。
2008年06月01日(日) |
わたしの遠野物語〜どんどはれ〜 |
目が覚めて、ちゃんと遠野郷に自分が来ているということを確かめました。
何やら夢を見ていた感覚が、頭のなかに残ってました。それでも疲労感も不快感もなく、思わず疑ってしまったということなのですが。
遠野の不思議な力のおかげなのでしょうか?
天気もよく、チェックアウトを済ませて、さあゆくぞと。 今日は駅前周辺の施設を回りながら、語りべさんたちの話も聞いて回ることにしていました。
その前に、まずは
「とおの昔話村」へ。
昨夜のホテル内での語りべさんから聞いていた「遠野物語研究所」があり、ちらとのぞいてみることにしました。
迎えてくれたのは副所長さん。
「こんな資料もありますよ。あ、ではこちらで、お時間がよろしければお茶でも飲みながら。すぐ淹れますので」
所内には他の方がいなかったので、それでは、とお言葉に甘えて色々なお話を聞かせていただきました。
そうそう、こちらの資料にはこんなことが書いてありまして。 へへえ。そうなんですか。 こちらのは、もう絶版になってしまっていてコピーしたものしかないですけれど。 うぐ、手に入らないんですね。 神田の古本屋街あたりなら見つかるかも知れませんが。 神田なら毎週末足を運んでます。近所なんです。 それじゃ、冊子名とか、メモされますか。 ええ、ええ、ぜひお願いします。
あれやこれやで、飛び込みだったにも関わらず、さらに脈絡のない質問やらの連続に快く答えていただきました。
副所長様、本当にありがとうございました。
ここでぷち情報です。
「座敷わらし」は、ほとんどこの「遠野」でのお話しか伝えられていないということを知ってますか?
なんとなく東北地方ならどこにでもいるのかしら、と思われているかもしれませんが、九割九分が岩手県において、そのうちのさらにほとんどが「遠野」におけるお話なのです。
貴重な資料やらの説明の時間を頂戴して満たされた後は、忘れてはいけません。
今日の初めての食事です。
「田舎定食」なるものをいただきました。 山女(ヤマメ)のざっこ煮と山菜三種とひっつみ汁のセットです。 山女はとてもやわらかく、頭から尻尾までまるごと美味しくいただきました。
わたしは魚も好きです。 そんな魚より、肉が好きなだけなのです。
さあ次へ行きましょう。
「昔話語り部館」へ。
ツアー客を主な相手としているため、さすがに個人的な話を聞くことはできませんでした。 が、一緒に話を聞いていたツアーの方々は山形からこられており、「オシラ様」の微妙な違いのことを実際に知ることができました。
さあさあお次は、
「観光案内所」です。
昨日自転車を借りたところの隣で、「いろり火の会」の語りべさんたちが、いつでも話を聞かせてくれるのです。 昨日ホテルでお話を聞いた語りべさんもこの会に所属されていて、
「明日なら、お昼過ぎがいいですよ。午前中だとひとりしかいないのが、午後からはふたりになって、それぞれから話が聞けますから」
と教えていただいていたのです。 語りべさんふたりと、聞くのはわたしだけ。
なんて贅沢!
私、上野の不忍池とか行ったことあるんですよ。 わたしは毎日そこを歩いて帰ってます。 そうなんですか。いいところですよね、東京なのに騒がしくなくて。 動物園から鳴き声なんか聞こえたりして、なかなかいい町ですよ。
もうひと方は、
板橋のほうに行ってきたんですよ。語りではなくて、ひっつみや蕎麦やらの体験講習に招かれて。 板橋ですか。練馬や川越のほうではなくて。 蕎麦のつけ合わせに、練馬大根やらの葉っぱをおひたしにしましたよ。 へへえ、そうなんですか。
そんなこんなの雑談を交え、おふたかたから、またもやなにものにもかえられない、とても重要な話と閃きを、いただくことができました。
遠野に来て、本当に、よかった。
といえる、このためだけにここに来たのだ、とまで思えるものです。
胸がいっぱいになったら、さあ腹をいっぱいにしよう、ということでジンギスカンをふたたび頂戴いたしました。 昨夜とは別の、こちらもまた有名店です。
美味かった……。
外はもう雨が降っていました。 別れを惜しんでくれてるのかしらん、とまたもや自分勝手な感慨にふけってしまいました。
さあ、あとはもうバスで帰るだけです。
駅の待合室で発車時刻まで過ごし、明日の朝には東京です。 遠野から上野へ……。
この旅で、たくさんの方々にご協力をいただきました。
衝動に駆られて飛び出したことは間違っていなかった、と実感しております。
こうしてわたしの遠野物語はいったんの幕を下ろしますが、その先にまた新しい物語が待っております……。
とまあ、こんなお話があったずもな。 こうして新しい物語を紡いでゆくことになったとさ。 どんどはれ。
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