2009年01月31日(土) |
「子犬のように、君を飼う」と「イントゥ・ザ・ワイルド」 |
今日で東京タワーも見納めである。
サラサラと肩を湿らす霧雨が、やはり前方のタワーの姿をも、ぼんやりかすれさせている。
この次からは、大森へと馴染みが変わる。 なんやかやともう四年も世話になったのだから、年月の足並みも早いものだ。
今日の話題は、「志ん生」と「志ん朝」である。
つまり、
縁台で茶飲み話の延長で「まあちょいとこんな話があってね」と「噺」を聞かせるのが、「志ん生」
であり、
高座にあがり、皆の前で落語家として「噺」を聞かせるのが、「志ん朝」
なのだろう。
わたしは、とくにこれまで落語をきちんと聞いたことはない。
作品のために少しだけ桂枝雀を調べたことがあるだけで、そのときにも、直に高座を聞きに近所の演芸場に行ってみようか、と思ったのだが、そのままになっている。
だから話の最中に「だんし」と出たときにも、てっきり「立川談志」だと思い、やがてそれは「桂談志」のことだと気がつき、ややこしいことになった。
わたしの住まう谷中や根津は、「立川談志」師匠と多生の縁がある町なのだから、仕方がない。
さて。
大石圭著「子犬のように、君を飼う」
マカオで出会った売春婦の少女と日本人中年の、純愛物語。
純愛なのか。 明日、いや今日を生きるために、未来におそらく恐ろしい結末が自分を待っていることはわかっていても、体を売り続けなければならない彼女ら。
ここから逃げ出したい、もうあの地獄には戻れない、だから、わたしをここに置いてけぼりにしないで日本で子犬のようでもいいから飼って、と願う。
男は、
耐え続けること、望みは常に思い続けるもの、だから地獄でも生きてゆける、
はずだった少女を、
耐えなくてすむこと、望みはかなえるものだということ、
という世界に、自分の一時的な幸福のために、引きずり出してしまったのである。
男はやがて日本に帰らなければならない。 それまでの間ずっと、恋人であり娘であるかのように彼女と過ごした。
彼女は、愛であってもそれはまさしく「拾われた子犬が飼い主に抱く愛」にしかすぎないに違いない。
もう、あの地獄には戻れない。 戻れるはずがない。 そんな自分にしたのは、この拾い主である男なのだから、ポイと捨てないでくれ。
純愛なのか。
少女(児童)売春の現実や深刻さやら切なさやらを、もし知りたい、知っておきたいと思うならば、梁石日著「闇の子供たち」が優れている。
映画化されたが、某国では上映禁止とされたほどの作品である。
禁止となった理由は、容易に想像がつくものと思う。 描写や表現ではないところにあるものが理由だ、ということであろう。
知らずにいることは幸せなこと、と考えることもひとつの考えだと思うにはよいかもしれない。
そして。
「イントゥ・ザ・ワイルド」
をギンレイにて。 家族にも環境にも恵まれた青年が、大学の卒業とともに一人旅にでる。
身分証もカードも焼き捨てて、己の身ひとつで見知らぬ土地を旅してゆくのだ。
やがてアラスカの地を目指し、その荒野で、ひとりで生きてみることを目的とする。
この作品は話題作でもあっただけあり、至るところに、考えさせられる場面や言葉がある。
いかに物に囲まれて生かされているか。 それに依存しているか。 断ち切れぬ存在か。
「すべてを失った」
と口にすることが、どれだけ甘ったれた考えなのか、ということである。
つまりは、この作品は「反面教師」として大きな意味をもっているように思える。
親も金も社会的なものを毛嫌いし、背を向けたはずの彼は、やがて最期にその己の愚かさに気づく。
遅すぎるほどの、現実世界への思い。
「幸福が現実になるのは、それを誰かと分かち合ったときである」
旅の間、ずっと偽名を名乗り続けた。
しかし最期のメッセージは、本名で記す。 そして彼は、最期を迎えるのである。
2009年01月30日(金) |
御用聞きのコンクリイト塀 |
今月に入ってから、ずうっと、ほぼ毎日、束の間眠りこけてしまっている。
日中は大丈夫だが、ちょうど日が沈み、帰路につき、途中の馴染みの店で一服つきながら、本を開いたりペンでこめかみを突っついたりしている頃に、こけている。
自転車にようやく補助無しで乗れるか乗れないかくらいのときを思い出す。
ハンドルを固定することができず、こきざみに右や左にぷるぷる揺らしながら、次第に横の塀だったり側溝だったりの方へとすり寄ってゆく。
たとえば右にコンクリイト塀があるとしよう。
道の真ん中からこぎだしたはずなのに、ぷるぷる暴れようとするハンドルを止めるのに必死で、まだ平気と放っておく。
右に、三回。 左に、一回。
くらいの行ったり来たりを繰り返すうちに、塀がすぐ隣にまで、駆け足ですり寄ってきている。
こちらには塀に用はないというのに、まるで酒屋の御用聞きが、
「空き瓶はございませんか」 「醤油は切らしてやいませんか」
留守を任された子どもに、慇懃無礼に詰め寄り、勝手口から靴を脱いで上がり込もうとするような勢いで、コンクリイト塀が迫ってくる。
右ではない、左だとわかっているのに、いっこうに左に行けない。 行けないから、せめて真っ直ぐに、と思っているのに、塀の方から寄ってくる。仕方がないから、やはり左、と思っても、行けないのだからさらに仕方がなくなる。
コンクリイト塀で体の右側をしこたま擦り切って、そうしてからアスファルトの地面に転倒してさらに痛い思いをして、コンクリイト作とアスファルト作の擦り傷を、ふたつ、こしらえるか。
それなら初めからアスファルト作の擦り傷だけの方がまだましだろう。
そう思い、言い聞かせようとしてみるが、どちらも痛いものは痛い。血も出る。服も破けるかもしれない。 消毒液がしみる痛さだって、たまらない。
そう、まさに八方ふさがりになってしまう。
あとはぷるぷる揺れるハンドルと御用聞きのコンクリイト塀に聞いてくれ、となるのである。
そうして幼いわたしを乗せた自転車はコンクリイト塀に、今のわたしはぷつりと何もない、存在感すらない眠りへと向かってゆく。
せいぜいが五分か十分程度だが、空白が挟まった記憶をつなぎ直すのは、労を要する。
わたしは、なるだけ労とは疎遠でいたい。 だから困らないかぎり、ばらけていようが何かが挟まっていようが、そのままにしておく。
わたしの中でばらけていようが何かが挟まっていようが、外から見たらただのわたしに変わりはない。
そうであれば、無用の労はなるだけ避けるべきなのである。
職場で靴から室内履きのサンダルに履き替えて、ふと、目が合った。
つつましく、ぽつんと空いた穴から、親指の爪がのぞいていたのだ。
「ああ、爪がずいぶん伸びてるじゃないの」
そう思って、今朝、出がけにパチンパチン切ってきたところだった。
「ひと足遅かったね」
いや、足の爪なんて、ふだんあまり気にかけていないし。
せいぜい、体を洗うときに、かかとや足の裏を軽石でこすって、カクシツをカクジツにこそげ落とそうとしたり、足指のマタに指をねじ込んで、ぐいぐいともみしだいたりするだけだし。
「ツメが甘いね」
なんだかウマいことを続けて答える親指のツメ太郎を、ふふんとつれない顔をして取り合わないようにする。
ツメ太郎は、なんだか自分が恥ずかしくなったみたいだ。
「穴があったら入りたい」
穴、空けちゃってるじゃん。 とっくに穴のなかにいるし。
ツメ太郎には手がない。 足の親指の爪なのだから、もしも手があったらたいへんだ。 手がないから、顔を隠そうと思って穴をふさぎたくても、ぽつりと空いた穴の口を、閉じて押さえてふさいでおくことができない。
穴のなかで、もじもじと身悶えしてみたりしている。
わたしだって、ツメ太郎の存在を周りの気がつくひとに見せびらかしたりはしたくない。
だいいち、顔をのぞかせていたら、いちいちツメ太郎がうるさくて気になって、仕事に集中できないにきまっている。
裁縫セットを持ち歩いていないから、ちくちく縫い合わせるわけにもいかない。
わたしは、ぐいっと、靴下のつま先を引っ張った。 たるんだつま先の分だけ、ぽつりと空いた穴ていどなら目立たなくできる。 穴の口が少し遠くになったので、ツメ太郎は少しだけ奥に隠れることができた。
ツメ太郎もわたしも、その場しのぎだけれど、つかの間ひと安心、と胸と腹をそれぞれなで下ろした。
帰ったら、忘れないうちにちくちくやろう。
穴が空いたから、とすぐに捨ててしまったら、きっとツメ太郎が自責の念にかられて、ふさぎ込んで、巻きヅメになってしまうかもしれない。
そうなったら、こまるのはわたしだ。
ツメ太郎や次郎や三郎やら、それぞれが爪らしく、まっすぐにのびのびと伸びてもらわなければ。
今日は健康診断だから、検査が終わるまでは朝食や菓子、ジュースの類いをとってはならないと達しがきていた。
それは当たり前のことではあるが、さらに朝食をとらないのもかまわない。しかし、ガムまで不可と書かれていて困った。
わたしは勤務中、常にガムを口に含んでいる。
唾液が渇いてしまわぬよう、口中に何かを含ませていたいのだ。 何も含まなければ口が渇く状態になり、不快に思うことになる。口中が渇くと、最初のひと声がうまく発音できない。
もし、名前を呼ばれて返事をしなければならないことになると、返事ができない。
渇いて貼り付いた咽喉をこじ開け、ようやく声の通り道を広げたところで、天井にやはり貼り付いた、機敏とはいえない舌を、もそもそと邪魔をしないところへよけてやらなければならない。
機敏ではないから、なかなかよけようとしない。
そうしてよけるのを待つうちに、「んむむ」とタイミングを逸してしまうのだ。返事がないがために来ていないものと思われ順を飛ばされてしまってはたまらない。
だから、ガムは含んでおこう。 診断の前に捨てればよい。
いざ診断となり、検査会場と書いた紙が貼られた講堂に入る。何十人、いや百を超えるかもしれない人数の大人が、行儀よく静かに並んでいる。 検査内容ごとに分かれて、その前に順番待ち用の椅子が、ずらずらと並べられ、それに皆が腰掛けているのだ。
ひとり呼ばれて、ひとつ椅子が空く。 空いた椅子に、となりの椅子のものがずれてまた腰掛けてゆくのだ。
この光景は、最初、何かと似ていると思ったが、ようやく確信がもてた。
まるで、缶詰め工場のベルトコンベヤアのようではないか。
粛々と順は流れてゆく。 中身はサバであったり、アサリであったり、またはコンビイフだったりと、ばらばらの缶詰めなのかもしれないが、それはそれでよいだろう。
順調に工程をこなし、いよいよ採血の番となった。
わたしもだてにそう何度も採血をされてきたわけではない。 シャツの袖をまくり、手のひらを上にして親指を握り込む。
これは、京都の黒髪の乙女いわく「おともだちパンチ」の握り方らしい。
しかしその拳は、今は愛と情を伝えるためにこしらえたわけではない。婦人医師、看護士かもしれないが、彼女の消毒綿が、わたしの青い血管を撫でようとする。
「あら、こっちのほうにしようかしら」
いつも選ばれていた血管ではなく、もっと外側の横のほうの血管に、やにわに白羽の矢が立てられた。
わたしは驚いた。
まさか、そんな横のほうの、たしかに浮き出てはいるが、それが選ばれるとは思ってもみなかったのだ。
わたし以上に、血管たちも驚いているようだった。
選ばれなかったほうは、せっかく万事怠りなしと身構えていたのがあてが外されてしまったので、さあ自分に来い、とぴくぴく主張している。
選ばれたほうは、まさかと完全に油断して、思うままに浮き上がったりしていたのと、今まで経験したことがないことを、突然、しなければならなくなったので、ぴくぴくと動揺している。
わたしは、最初に驚きはしたものの、注射針を右に突き立てようが左に突き立てようが、結局針をちくりとされることに変わりはないのだから、とうに観念している。
ぷすりと、動揺覚めやらぬほうの血管に針が突き立てられ、とくとくと注射器の試験管に、血液がこぼれてゆく。
ワインではなく、しっかりと熟成されて最後の一滴まで搾られた葡萄ジュウスのようだった。この果汁の成分分析の結果が、いったいいかなるものとなるか。 結果がわかるまでは、どうしようとわたしには知りようもないので、余計な心配はしない。
わたしから出ていったものは、たとえ血液だろうと、どうしようもないのだ。
すべての検査工程が終わり、待ちきれないわたしの胃袋が、くう、と鳴いた。
いや、
「食う」
といったつもりなのかもしれない。 昼休みまでのあと少しが、待ち遠しかった。いつもとさして変わりないはずだが、いつもは、身体に入れることはあっても、本来なかにあるべきものを外に出す、といったことはしない。
何もないところに何か入れて満たそうとするだけでなく、なくしてしまったものを取り返そうとする意欲が、激しさをましている。
たかが小指三本分ていどのことで、なんとも大げさなことである。
わが胴を見よ。
ことさらに動揺することなく、淡々としているではないか。 出張ること控えめに、楚々とたたずんでいる。
胴、ということなく泰然自若としている姿は、慧眼に値する。
2009年01月26日(月) |
やわらかく抱きしめる |
寒さで指先もつま先も、なぜかあごの付け根まで、じんじん痛いくらい冷えきっていた。
車がわたしの横を通り過ぎるたびに、襟元を引き締め、恨むような目でその一台一台をひとにらみせずにはいられない。
にらんでも、それで引き返してきて謝ってくれるわけでもないのだから、なんのなぐさめにもならないとわかっている。
だけどそうせずにはいられず、やるだけやって、そしてかくかくとまた歩き続ける。
ようやくたどり着いたいつものお弁当屋さんは、いつもらしくないくらいにひとがひしめいていて、それぞれがそれぞれのお弁当ができあがるのを、肩やひざをゆすったりしながら待っていた。
わたしはお店のおばちゃんの「ごめんね、だいぶ待たせちゃいそうなのよ」といいたげな目に、「いいですよ。背に腹はかえられませんから」と、目でかえす。
どうやら調理担当の女の子が新人らしく、段取りやら勝手やらに慣れていないようだった。さらにこの次から次へと舞い込む注文に、彼女自身がキッチンのなかでくるくる舞い回ってしまっていた。
ほら、これが先でしょ。 こうしておいて、次はこっち。
おばちゃんはベテランなので、レジに押し寄せるお客さんたちを、ひらりひらりとさばきながら彼女にアドバイスをおくっていた。
そう、それでこれには唐揚げも一緒だから忘れないでね。 ほら、急いでも忘れたらだめになっちゃうんだからね。
そういわれている彼女の頭上に、あたふたあたふた、という文字が見えてきそうだった。
砂時計の砂が、たとえひと粒ずつでもやがて落ちてなくなってゆくように、ひとりずつお店のドアからできたてのお弁当を片手に出て行く。
わたしは行列に並ぶのは嫌いだけれど、冷たい外の風でかちこちに固まった指先やあごの付け根が、あたたかい店内でじわじわとほぐれてゆくのは気持ちがいいので、しばらくじっとほぐされていたいと、よく思ったりしている。
とろんと身体だけでなく、視界までとけだしてしまいそうになったとき、
「お待たせしました」
おばちゃんの声が、とけだしてだらしなくなりかけていたわたしを、わたしの身体にすくって戻してくれた。 身体のなかで、まだふるふるとさざ波をたてているわたしに、
「はい、どうぞ召し上がれ」
「召し上がれ」の言葉が、最後のひと波にもぐりこむ。
「いただきます」
わたしは「召し上がれ」をやわらかい、ふるふるしたもののなかにそっと閉じ込め、崩れてこぼれ落ちてしまわないように気をつけながら夜道を早足で帰る。
ちょっとくらい駆けたって、きっとだいじょうぶ。 寒さでまたかたまりかけてるから、それはこぼれ落ちたりしない。
だけど両手で、温かいお弁当といっしょに抱え込んでしまっているから、やわらかくなってしまうかもしれない。
だけどだけど、そのぬくもりは両手で抱えずにはいられないんだもの。
この軒先をくぐれば、もうすぐ。
2009年01月25日(日) |
「落下の王国」と谷中雑談 |
「落下の王国」
をギンレイにて。
色々な意味で衝撃的であり幻想的であった作品「ザ・セル」のターセム監督作品。 やはりその世界は生かされ、さらに万人に受け入れやすくなっていた。 「アリス・イン・タイドランド」や「パンズ・ラビリンス」のファンタジー色をグッと抑え、心理世界に塗り替えたように思えた。
スタントマンのロイは恋人にふられ、そして撮影中の事故で足を怪我をして入院していた。 自暴自棄の絶望に落ち込んでいたロイは、そこで同じく入院していた五歳の少女アレクサンドリアと出会う。 ロイは、調剤室から自分が自殺するための薬をアレクサンドリアに取ってきてもらおうと手なづけるために、「愛と復讐の叙事詩」の物語を即興で聞かせ語りはじめる。 その物語はやがて、ロイひとりが作り出した絶望的な物語ではなく、アレクサンドリアとのふたりで作り上げてゆく希望のある物語となってゆく。
「ニューシネマ・パラダイス」のようでもある。
「ボンジョールノ! プリンチペッタ!」
こんな台詞が頭に蘇った。 第二次世界大戦下のイタリアで、ユダヤ系父娘が、娘に戦争の酷さを見せまいと、「これはみんなでやるかくれんぼだ。一等賞をとらなくちゃだめだからね」と最後まで言い聞かせていた感動の物語「ライフ・イズ・ビューティフル」の少女と同じで、かわいいとはまさにこのことだ、と思わされる。
ロケ地で数多くの世界中の世界遺産の地を用い、想像の世界というものの在り方のひとつを考えさせられるものでもあった。
話者の力。
でもあろう。
難しい話ではない。 衝撃的な話でもない。
十分に楽しめる作品だと思う。
さて。
近所に、自転車で鞄の移動販売にきている女性がいる。 平日はわからないが、土日休日はこの界隈を回っているようである。 手製ののぼりに「かばん屋えいえもん」と書き、古着のどてらにニット帽を被っている。
かばん屋といっても、手提げ鞄、ポウチ、根付けなどの小物までハンドメイドのものがずらりと並ぶ。
よく見かけるので、一方的にだが、親近感を覚えてしまう。
覚えてしまっているので、ふと目が合うと思わず会釈をしてしまった。 別の婦人と話をしていた彼女は、つかの間きょとんとし、慌ててかえしてきた。
うむ。 これはいかん。 気をつけなければならない。
以前にも、新規開店してから数回訪れたことのある程度だった近所の古書喫茶店があり、そこの若主人に店の外を通った際にガラス越しに目が合い、また同じようにして、きょとんとされたことがあった。 きょとんとしても、すぐ返す。
それはそれで悪くないものである。
不忍池のベンチで、外国人の婦人が地元の老紳士と世間話をしていた。 見た目はまさに「マム」といった風貌で、貫禄と愛嬌がたくさん詰まっているようだった。 その「マム」の口から流れ出す会話の言葉遣いは、目を閉じればただの地元上野のおっ母さん、であった。
それもまた、悪くない。
そして帰りの夜道で、わたしの横の足元を併走する黒い影があった。 黒猫である。 やがて、にゃあにやあと鳴き始め、わたしがふと足を止めると足を止め、すり寄ってきた。
そして足元を、股の下をくぐりながら八の字を描くように、ぐるぐると回りだす。
歩き始めると、歩いている股の下を、やはり器用に八の字を描くようにくぐりながらついてくる。 そうなると、こちらの歩くペエスが好きなようにはいかなくなる。
いつまでたっても猫はやめようとしないのである。
やがて足元ばかりを見て歩いているわけにもいかないので、ふと前方を確認しようと顔を上げたとき、
にゃうんっ
と鳴き声が前方に向かって飛んでいった。 二、三歩先に黒猫が着地し、脇に跳びすさるのが見えた。
足を止め、しばし見つめ合う。
ネコや、だいじょうぶか。
駆け寄ろうとしたが、これで必要以上にかまってしまっては、百ケン先生になってしまう。
ネコはだいじょうぶなようだ。
みゃあみゃあと鳴き声をあげたまま、わたしが駆け寄るのを待っているようだった。
いかん。
わたしは肩をそびやかし、背を向け、歩いてゆく。 離れるほどに、鳴き声は大きくなってゆく。
ネコや、許しておくれ。かまうわけにはいかないのだ。
さて朝、目覚める。
部屋の都合上、わたしの足元のほうでTの字の形で友が寝ている。
ごそごそと彼が起き、だからといってわたしも起きなければ、という気持ちはあったが、そうはいかない。
しかし、わたしの携帯が目覚ましの振動をあげはじめた。
起きぬわけにはいかない。
テレビをつけ、TBSに合わせる。番組最初のブックコーナーに間に合った。 そうして気がつくと昼になり、食事と買い物をしに出かける。
友はその足で帰るため、大荷物をしかと肩から下げている。
買い物というのも、友がパソコン関係の機器を購入したいとのことだったので、我が家がある谷中から秋葉原まで向かうことにした。
我が家から秋葉原にゆく場合、まず日暮里駅に歩いてゆくのと、上野、御徒町駅に歩いてゆくのは、五分程度しか変わらない。 御徒町からはすぐ秋葉原のビルが見える。
であれば、歩いてゆこう。
ということにした。
重い大荷物を、友は肩から下げたままである。
「駅の階段を上り下りするのを考えれば」
ありがたい言葉をもらい、背を押してもらった。 押されずとも勝手に歩いてゆくのだが、やはりありがたいのは心強さをもらえる。
森鴎外住居跡を、塀の隙間から、ちらとのぞける道を回り、上野から秋葉原へとぬける。
途中トイレに寄った際、その間に荷物を持つくらいの、ささやかすぎるくらいの手助けはさせてもらった。
そうして秋葉原の某量販店にて品物を物色し、会計時にわたしのカードを使ってもらった。
支払いは友自身のカードだが、付録をわたしのカードにつけてもらうという、厚かましい願いを聞いてもらったわけである。
しかし、一緒にいるとつい、こちらも買い物をしたくなる。
会計の列に並ぶその直前までいってしまったが、なんとか思い直すことができた。
危うかった。 列が長蛇でなかったならどうなっていたかは、容易に想像ができる。
せっかく友につけてもらった付録は、大切に有意義に、使わせてもらおうと思う。
そうして友は、そのまま、愛する妻子が待つ家へと、急ぎ足で改札を抜けていった。
急ぎ足で帰りたくなる家がある友の背中は、小躍りするように、じれったさに急かされるように小刻みに揺れていた。
その背中が他の背中に紛れて見えなくなると、わたしはようやく、名も無きただの背中のひとつになってゆく。
名も無きものが名を持てる。
友は、よいものである。
先日、真友から仕事で名古屋から東京に来るとの連絡をうけ、それでは、ということで宴席を設けることになった。
年末年始にわたしが風邪で寝込んでいたために、本来会っていたはずのその機会を逸していた。
今回、それが彼の方からの誘いであったので、きっと、それを埋めようと思い立ってくれたのだろう。
そのような気遣いすら、じつは彼との間には無きに等しいのだが、あった方がもっともらしく思われるのでそのようにしておく。
さて連絡をとり、西日暮里ホルモンにて炭を囲むことにした。
彼は出張帰りの途中ということで、いつも通りの大荷物である。 さらに、その日は一日中、仕事で歩き回っていたそうで、千葉県は野田から埼玉、神奈川県は座間までを回り、すっかりくたびれ果てているはずだった。
しかし、とりあえずはホルモンをまんべんなく食すことに集中する。
テッポウ、ガツ、タン、ハツ、カシラ、ギヤラ、ミノ、センマイ、ナンナン、レバ刺し、壷漬け一本ホルモンなど、品書きの上から下までをあらかた注文した。
唯一、一も二もなく注文したかったが品切れになってしまっていたハラミをいただけなかったのが、最大の心残りだった。
網の上で舞い踊る煙。 旨そうにしたたる脂。
どれが誰のということおかまいなしに、ひょいひょいと口に放り込んでゆく。
舌の上で脂の絨毯が広げられ、噛むたびにその上に、さらに脂が広げられてゆく。
まるで、のみの市の大盤振る舞いのようで、それよりもずっとありがたい。
とにかく食った。 満たされた。 最後の客になるまで、存分に食った。
まずは舌鼓を打ち、その後、ポンと腹鼓を叩いた。
結局、三時間ほどだらだらと食い、しゃべくったのだが、なにをしゃべくったのかは、肉の席ということで、ここでは煙に巻かせてもらおう。
あんなことや、こんなこと、そして、そんなことである。
そうして店を後にして、我が家に向かう。 くたびれ果てていたはずで、さらに大荷物であった彼を慮かって、わたしが荷物運びを多少なりとも手伝ったのかといえば、彼とは気遣い無きに等しい間柄である。
大事な物が入っているかもしれない鞄を、いくらわたしとはいえ、おいそれと手を出しては申し訳ないだろうと思い、自ら早々に辞退する旨をつたえておいた。
いわずとも、そこのところはくみ取ってもらえていただろうと思う。
部屋に着き、そして荷物を置くなり、ふたりそろって服を脱ぎ部屋着に着替えはじめる。
珍妙な光景ではあるが、気遣い無きに等しい間柄である。全裸になって着替えることがあったとしても、つと互いに背を向けて着替えるくらいの分別があるか、見て見ぬふりをわきまえている。
そうして、なんということがないが、ないことが当たり前の一日が明日を今日に変えるために、昨日へと変わってゆく。
肉と友は、よいものである。
ひたすらに、旨いものをたらふく食いたい。
そして、悔いたい。
月末に、健康診断があるそうだ。 今までの考えで、てっきり健康診断なぞというものは夏頃にあるもの、と思っていたのが、組織が変われば勝手も変わるということをすっかり失念していた。
健康診断で気になるものといえば、血液検査である。
体重なぞ、気にすればいつでも、どうとでも現在の加減がわかるので、心配するようなものではない。
目に見えぬものこそ、強敵。
かかりつけ医のところで、そろそろという頃合いに血液検査だけはしているのだが、今回はその「そろそろ」の機会を、先方の転院の話や時期もあり、うかがえぬままだった。
告白しよう。
年末年始の風邪から復帰後、「健康的」な食事ばかりしてきている。
食いたいものを食う。
量や回数は、何も変わらない。 しかし、中身が、分別がない。
昨日はコレを食った、だから今日はソレにしとこう。
ではなく、
昨日はコレを食ったが、今日もコレを食おう。
選択肢がある唯一の飯、である晩飯だというのに、様々な意味でとても勿体ないことをしている。
百ケン先生が、
「腹に何も入れてないのだから、減ることはすくない。なまじ腹に入れた(同行者のヒマラヤ)山系のほうを思うと、昼飯をここでとってやるべきかもしれない」
食わずに減るより、 食って減るほうが、 くるしい。
とんちんかんな物言いに思えるが、興があるように思える。
食いたいとき、 あるから、食うのだ。 なければ、食わない。 いや、食えないのだ。
食らわずば、食えず。 食わずば、悔いず。
食い、悔いず、そして、食らう。
存分に。
先日、郵便受けに出版社から通達が届いていた。
なにより驚いたのが、わたしの名前がまだ先方の送付先のひとつに引っかかっていたことである。
その出版社とは、先頃「血液型別、自分の説明書」シリーズでヒットセラーを出したB社である。
かつて短編コンテストに応募し、選外ではあったが、出版企画部の方から直接の電話があり、
「もしも別の作品があれば、是非、拝読してみたいので郵送してもらえないか」
とのことであった。
だから、と、うかれ舞い上がることなかれ。
これは、「自費出版」の誘いへの入り口なのである。
丁重に、自費出版する意志も資金もないことをつたえ、お断りしたのだが、せっかくだから読むだけ読みましょう、との先方の好意、もしくは諦めの悪さかもしれないが、それにそうことにし、短編をいくつか郵送した。
先方から封書ではあるが、感想が送られてきた。 それとともに自費出版の案内も同封されていたのだが、以来連絡は途絶えていた。
内容はやはり、コンテスト開催とそれへの応募の誘いだった。
先の「血液型別」シリーズの好評を記念して、応募作品のなかから、無料で出版するというのだ。 短編集の体裁でも可、とのこと。
他社の選にもれた作品でも送ってみるのもよいかもしれない。
なにせ、審査の視点が違うのだ。
出版はせぬが、なんかしらの賞をもらえる可能性は高いだろう。 もちろん、何万点中の数点より数百点中の数点で、という意味でだが。
ちょいと受賞させれば、自費もしくは共同出版させる客となりえるのだ。
先生、ではなく、お客様、ということだ。
久しく短編という文量を書いていない。 現在の作品を書き上げたら、短編、超短編の類いを、まめに出してゆくようにしようと思う。
背後で、男女が声高に熱く話し合っていた。
違う。そうじゃない。それはまだわからなくていい。 それなら、ここでようやくヒントらしきものをにおわせよう。 いいね、それ、いいよ。
舞台か映画のシナリオか、ミステリのプロットを考えているようだった。
わたしは、どうしようもないほどの、わがままだ。
どれくらいどうしようがないのかというと、わたし自身でも持て余してしまうくらいである。
彼らのようにアイデアを出し合い、つなげてゆき、化学反応を起こしてゆくような、物語の作り方などできやしない。
そもそも、わたしは物語を作ったという記憶はほとんどない。
作ろうとして崩壊したことなら、幾度かある。
外的なものをビリヤードの玉のように突き、連鎖させ、ポケットに落とすようなことは、できないのである。
すべてはわたしの見えない内にある。 その諸々であったり、すべてであったりするものは、外的なものの侵入を頑なに拒んでいる。
しかし、内の深奥にあるものを浮かび上がらせるために、そのきっかけとして外的なものの力を借りることはある。
そこで肝心なのが、あくまでも「借りる」にしか及ばないことである。
外的なものはあくまでも外のものであって、内にはないものである。 さらに、内的なものではないのである。
わたし自身が見えていようがいまいが、すでにそこにあるものに、外部から手を加えることはできない。
内的な世界では、わたし自身ですら、外的な存在ですらある。
そうであるから、わたしは常に、ただ見者たらんとすることにつとめるしかないのである。
外的なものに依って化学反応を期待するのだとすれば、わたしは燃焼爆発してしまうだろうことが目に見えている。
まだ、外的なものを受けて飲み込み、それに応えるだけのものを、わたしは持っていない。
揺らぎなきものを持たない限り、外的なものをそれでよしとできるだけの支度ができていないのだ。
誰かが思いつくことを誰もが使う言葉で物語るくらいであるならば。 わたし自身の言葉で物語るほうがその結果が良しにつけ悪しきにつけ、よっぽどましである。
しかし、それはわたしが存分にわがままな思考の持ち主であって、それ以外を、否、としているのではない。
かくいうこの文調も、やはり何処の何樫の模倣、拝借といわれればそうであるのかもしれない。
2009年01月19日(月) |
自動の照明もしょうもねい |
自動点灯照明を自作し、その効果についてそろそろ整理しようと思う。
その前にまず、いささかの前置きを要すると思われるので、しばしお付き合いいただきたい。
わたしは、さあ寝るぞ、という覚悟や準備を万端整えて眠りにつけるわけではない。
皆もまたそうでないことは承知であるが、その皆と似たような範疇にもおさまらないだろう。
以前述べたように、ふとんに潜るところまでの準備、支度は万端整える。
しかし、もぐってからは、そうはいかない。 わたしは古代エジプトのミイラでもなければ、涅槃像でもないのであって、右を向いたり、うつ伏して枕を抱えたり、パソコンをのぞいたりもしているわけだ。
やがて力尽き、ぷつりと意識がなくなる。
そうして、またぱちりと意識が回復すると、それが目覚めになる。
さてそこで。
まぶた越しに光で視床下部を刺激し、そうして、やれ朝だ起きろ、と脳みそに命令を送る仕組みで、今回自作したのだが、わたしはくどいようだが、ミイラや涅槃像ではないのである。
電球は頭上からわたしをのぞき込むような位置に設置してある。
わたしは、うつ伏して寝ている場合が多いようなのである。
もちろん、枕に顔の左右のどちらかを預けて、である。
寒さをしのぐに、うつ伏しているほうがよいだろうと判断を下しているようだ。 また、うつ伏していれば、とっさのときにすぐ行動がおこせる。
そんな理由があるのかはわからないが、とにかくそうなのである。
そうなると、せっかくの電球の眩しい光はわたしの後頭部をむなしく照らすだけに終わることが多々あるようなのである。
なんともいかない話である。
わたしの週末のいきつけの店に、神保町「徳萬殿」がある。
この店は、野菜摂取が乏しくなりがちな食生活のなかで、これでもかと野菜を供してくれるありがたい店である。 また、超特盛りの店として紹介されたりもする、一部の間では名が知られた店でもあり、慣れぬひとは定食を頼む際、まずはご飯少なめで頼むのを勧めたい。
歯抜けではありながら、わたしはそこに、かれこれ三年ほど、週末のみだがお世話になっている。
かといって常連ぶる顔をすることはない。
黙々と本を片手に野菜山盛りの皿をつつき、てんこ盛りの白飯を突き崩してゆく。
わたしが注文する品も、いい加減店員にも図り知られているようである。
茄子肉炒め。 レバニラ。
概ね上の二品なので、知られるもなにもないかもしれない。
超特盛りのうち、野菜が九割、レバーや肉(豚)は残りの一割程度である。 皿自体は、おそらく三人前といっても過言ではないと思う。
わたしは混雑が好きではない。 したがって、それを過ぎた頃合いを見計らって店に行くのだが、どちらかが品切れになってしまっている場合があったりする。 どちらかはあるのだからいいではないか、と思われるかもしれないが、そうはいかない。
上野は谷中から、神田は神保町までの間に、てくてくと歩きながら、茄子肉なら茄子肉、レバニラならレバニラ、と思いを固めていたりするのである。
もちろん、それは店に入ってどちらにするか突然決まる、ということも往々にしてあるから一概にはいえない。
しかし、ないものはないのだから仕方がなく、あるほうを食べなければならない。
それがイヤならば、品切れになる前に、もっと早く行けばよかろう、というのが正しいのだが、混雑がイヤなものはイヤなのだから、そっちのほうが仕方がないのである。
わたしが顔を出し、いざ注文を、という段階で、
「今日は茄子あります」
どうやらわたしは茄子のほうを頼む機会が多いらしいことに、我がことながら気づかされつつ、じゃあそれで、と注文する。
厨房に注文が入ると、たまに
「それで最後です」
と声が返ってくることがあり、それが聞こえると心なし得をした気分になる。
先日、まさに注文を取りにきたその直前になって、ふと口を突いて出た「レバニラ」の言葉に、わたし自身が驚いた。
店の扉を開けるところまで、茄子でゆこう、と思っていたのだ。
すると店員は「そっちできたか」という顔で伝票に走り書き、厨房に持ってゆき、そこで、
「それで最後です」
との声が聞こえてきた。 山盛りのニラとモヤシとほどほどのレバーをつつきながら、口の周りをてらてら光らせて舌鼓を打ち、栄養素と満足感にしっかりと満たされることができた。
わたしの体内に、獣性が足りていない気がしている。
言葉が、表現が、感情が、草食動物のように大人しくなりすぎているのだ。
そろそろ肉を食らわねばならない。 健康診断なるものが控えていることを考慮せねばならないが。
2009年01月15日(木) |
「まほろ駅前多田便利軒」 |
三浦しをん著「まほろ駅前多田便利軒」
直木賞受賞作品。 便利屋をやる多田が、高校の同級生だった行天と偶然再会し、なぜか行天が住み着き共に便利屋の仕事をすることに。 しつこい男と別れたい、子供の塾の送り迎えをしてほしい、バスが時間通りに運行しているかたしかめろ、などの大したことではない依頼が、行天が来てからはとんでもない騒ぎになってゆく。
さらりと読める。
三浦作品は「格闘するものに○(まる)」が既読だが、軽い筆調でさらさら流れてゆき、ふと、あたまに引っ掛けさせる言葉が置かれていたりする。
ぐいぐい引き込むものではないが、肩の力を抜いたまま、そのままで読み終えてしまえる。
よいのかわるいのかは、わからない。
エンタテインメント。
であるが、おいそれと軽んじることはできないと思う。
折りに触れて話そうかと思っていたのだが、その「折り」というのが、山折りなのか谷折りなのか、そもそも折れているのか、などとせっかく折り上げた鶴をわざわざ解いて開いてみたりするうちに、はたしてこれは鶴だったのかヤッコだったのか判別がつかなくなってしまった。
よい機会なので、折ってあろうがなかろうが、紙は紙なのだから、そのまま開いて広げてみようと思う。
わたしの原稿を預けたままの制作会社が、どうにも連絡がとれなくなっているようである。
おそらく折からの経営危機にさらされ、起業してもまだ心許なく、世界の荒波に飲み込まれ、翻弄され、身ひとつでなんとか沈むまい、と踏ん張っているのかもしれない。
対外的なものなど差し置いて、内部の屋台骨を支えるためには致し方ないのかもしれない。
波間に漂う紙切れは、それではわたしが回収しよう。
権利が今のところ先方のものだという根拠が見当たらず、では、わたしのものへと返してもらっても文句は言うまい。
原稿料を持ち逃げされたわけでもなく、そんなものはそもそもはじめからないのだが、べつに構うまい。
今さら返されて困るのかといえば困るわけでもないし、さらに返せと後々いわれてもそこでやはり返したところで、いっこうに構わない。
いってしまえば、これは過去のものだ。
過去は過去であり、過去は過去のなかでのみ漂うにまかせるだけである。 明日にはみ出てきては、それこそ困る。
余計にはみ出ないよう、過去は過去にくさびを打ちつけておくものである。 だから、今日や明日にその影がチラつくこともなく、晴れやかに進んでゆくこともできる。
期待を外してしまった諸兄姉には申し訳ないが、また別の機会に期待願たい。
新装開店、心機一転、試して合点。
合点はいかないが、立ち止まるつもりはない。 ゆるいカアブでゼロを描きながら、ときにはスウイッチバックをしながら、天を目指す。
親不知の痛みも、もはや峠を越したようである。 年末年始の進められぬ筆さ加減が、一番のストレスとなり、ひいては免疫力の低下につながったように思える。
ようやく竹への切り替わりの勝手を思い出してきたようで、ポツポツと見え始めてきたようである。 なにせ、しばらく空白のままであったため、空白の向こうにあったはずのものを、目を凝らし耳を澄ましてとらえようとしてゆかなければならない。
それはひどくもどかしく、ギプスを外したばかりの足で歩き出すようなものなのだが、空っぽだったところに徐々に満たされてゆくようなもので、ほどよい心地よさを覚える。
心地よさは、ストレスを払拭し、やがて免疫力の回復を促す。
小休止や寄り道と捉え、それもまた必要なことであったということであろう。 たまにはスポッと竹として空白があったとしてもよいであろう。
食欲の求めにも存分に応じることができるようにもなり、ありがたいことだ。
今月末に健康診断があるとの知らせがあったのだが、あまり気にしないようにしようと思う。
十六夜に、そう思う……。
2009年01月11日(日) |
「ああ、結婚生活」と肉饅再び |
親不知がジンジンと痛んでいた。 疲労やストレスによる免疫力の低下が為す災いであることは、とうにわかっている。
しかし、それ以外には何もない。 ないのだから、どうしようもないのである。
歯医者に行ったところで、炎症を起こしている箇所に消毒液を塗り、痛み止めの薬を処方してくれるだけ、ということもわかっている。
切開して親不知を除去することは、歯科医としてあまり勧めることはできない、と診断されたことがある。
地元で評判のいい、歯科医院での話である。
免疫力といえば、短絡的にビタミンの類いを補給するべし、と思い込んでいるところがあり、だからその類いが多分に含まれているとうたわれた飲料をいつもの珈琲の代わりに飲むようにしてみた。
もし明日になっても痛むようなら、千駄木のいつもの歯科医院にゆくことにしよう。 担当はいつも、うら若き女性医師のはずだ。
あごの外側から歯茎越しに、その炎症を起こしている内部に真横に向かって生えている親不知の辺りを強く押さえ、膿の類いを口中に吸い出すようにして過ごした。
さて今朝。
効を奏したのか、痛みはほぼおさまりそうな気配だった。 これでわざわざ歯科医院にゆくのも、なんだか惜しい気もする。
治療よりも栄養補給である。
賢明な判断力をもってして、わたしは家を出た。
色気より食い気である。
本郷、小石川を抜け、神保町へ向かい、本を物色す。
さて。
「ああ、結婚生活」
をギンレイにて。
五代目ジェームス・ボンドをつとめたピアース・ブロスナンが出演していた。 わたしは彼を贔屓に思っている。
「隣に眠るパートナーの本音は、誰にもわからない」
本音なぞ、そう簡単にわかってなるものか。 わからぬからこそ、わかろうとしあいながら共に生きてゆこうとするのであろう。
内容よりも、作中に流れるトランペットとベースの音楽が、とても心地よかった。 つまりはジャズというものだったりするのだが、むろん、それだけではない。ただそうとわたしが思っただけのことかもしれない。
ここ神楽坂まで来たのだから、先日の積念を晴らすべきと思い、「五十番」で肉饅を買い、行儀が悪いと思いながらも、ひとつだけ食べながらの蒸したてにしてもらった。
北風が冷たい。 だが、肉饅は温かい。 溢れ出る肉汁に気をつけながら、色川武大氏もかつて過ごした神楽坂界隈を抜けてゆく。
色川武大氏とは、戦後「雀聖」と呼ばれ、またその経験をもとに「麻雀放浪記」を執筆した阿佐田哲也氏のことであり、奇縁なるかな、わたしと同病相哀れむ、という方でもあった。
脱線してしまったが、色気より食い気を選んだことが、吉とでるか凶とでるか。
肉饅の肉汁をすすりながら考える。
内田百ケン著「第二阿房列車」
「阿房列車」分冊版の二巻目である。 百ケン先生は、やはりいい。
「……汽車が走ったから遠くまでゆき、そしてまたこっちへ走ったから、それに乗った私が帰ってきただけのことで、面白い話の種なんかない。 そもそも、話が面白いなぞというのが余計なことであって、何でもないことに越したことはない」
そんなことを、堂々とその紀行文である作中にいってのけてしまう。
たしかに、これといった珍事、感動が書き述べられているわけではない。 何とか線の何時発に乗り、どこそこへ向かった、だとか、旅館で一献設けた、だとかの、「どこ」かであることの必要性をほとんど感じさせないことばかりが描かれている。
しかし、読まされてしまう。
途中下車をする気にはならないまま、ついつい気がつくと終点、または乗り換え駅にまで、我が身が運ばれてしまっているのである。
目的地はあるが、 目的はない。 だから、予定もない。
阿房列車の所以である。
「みんながみるものをみて、なにが面白いのか」
だから観光地には行かぬ。 温泉地に行っても温泉に入らぬ。 しかし、風呂が温泉なら、わざわざ入らないてもないので、風呂には入る。
このような面白味のある人間になりたいものである。
正月の間にみた、夢ではなく、妄想のようなものだろう。 しかし、あまりにも現実味あふれた感覚だったので、ここに記してみる。
百ケン先生がいた。 百ケン先生とわかるのに、顔がはっきりしない。なのになぜ百ケン先生だとわかったのかというと、漱石先生のことを思うとたちどころに、むずがゆそうで居心地が悪いような、そうして居住まいを正すような、そんなふうに振る舞うからだ。
しかし、百ケン先生は何も話さない。
ただぼうっと縁側の外を眺め、もしやノラの帰りを待っているのか、はたまたそれとは関係なく、酒肴をどこでありつこうか考えているのかもしれない。
わたしはそこに、形をもっているのかいないのかわからない。
わたしが言葉を口にすることなく先生の居住まいに影響を及ぼすことや、先生が全くといってよいほどわたしに無頓着な様子から、形をもっていないほうがありうるのかもしれない。
いや、阿房列車におけるヒマラヤ山系氏のように、相手の存在を歯牙にもかけない態度をとることは、先生には息をするに等しいことでもあるので、たしかではないかもしれない。
ひとつ、忘れていた。
もしかすると、先生は借金するための目的とその相手をどうするか思案しているのかもしれなかった。
「芥川は……」
先生がぼそりとこぼした。 どうやら借金の思案ではなかったようだ。先生が芥川氏に借金を申し出るわけがない。
では、名が売れた芥川氏に対するぼやきだろうか。いや、それも違うような気がする。 歯に衣着せぬ弁舌の持ち主ではあるが、妬みや嫉みからその舌をふるうようなことはない。
芥川氏の人気が云々というよりも、氏の細い面持ちが妙に気になって思い出し、思わず氏の名前をこぼしてしまったに違いない。
「まるで……のようじゃないか」
何のようだといったのか、聞き取ることができなかった。 まったく聞こえなかったのなら気にすることもない。なぜなら聞こえなかったのだから。
しかし、わずかでも聞こえてしまったのだから、残りが気になる。
もう一度こぼしてはくれないかと、耳を澄まし息をこらして待つ。
同じことを二度ぼやくなど、そうあるはずがなく、こらしたまま、わたしは薄れてゆく。
そうして、はっと目をしばたいたら、わたしはここに形をもって歩いていた。
三四郎池が塀の向こうの遠くに佇む脇を抜けてきたから、それのせいなのかもしれない。
いつも通る道だというのに、特別なこともあるものだと思った。
上野不忍池を、熱々の肉饅にはふはふ唱えながら歩くのがよい。 しかしその肉饅はコンビニエンスにて購入したオーソドックスなものだから、小振りですぐに胃袋に収まってしまう。
こうなると、神楽坂「五十番」の肉饅を所望したくなる。
あれほどボリュウムがあり、かつ絶妙の味の肉饅は、なじみがあるとはいえ横濱のもののなかにもそうは見当たらないだろうと思う。
しかし、いくら絵に描こうとここは上野であり、けっして神楽坂ではないのだから「五十番」があるはずもない。
とはいえ、今手元にあるものをないがしろにして、わざわざ興を醒ます必要もないので、黙ってはふはふと唱えながら頬張ることにする。
不忍池に浮かぶ八日月に、かじり欠いた肉饅をかざし並べてみる。
湯気がもやもやと立ち上り、なんだかそれが、とても勿体ないように急に思えて、雲中に隠れるより早くかぶりつく。
あの月のように、いつまでも満ち欠けを繰り返す肉饅はないのだろうか。
もう嫌だ、御免蒙る、と口を背けても、いつまでも目の前でなくならない肉饅があったとしたなら、わたしは鍋をかぶせて見ないことにするだろう。 自分勝手と指さされようが、そうすることに間違いはない。
だから、欠けて満ちてしまう前に、すべてを平らげなくてはならない。
胃袋に収めてしまえば、やがて酸によって溶解されるのだろうから、それでやっとひと心地着くというものだ。
ひと心地着くと、そこでさらに腹が減る。 腹が減るから、さっさと帰る。 飢えと冷えは密接に関係づけられた生理現象でもある。
寒夜行……。
2009年01月04日(日) |
「沼地のある森を抜けて」 |
梨木香歩著「沼地のある森を抜けて」
この作品は、ためらいなく手を伸ばした作品でした。 わたしは梨木を選ぶとき、いつも慎重に、においを嗅ぎ、指先ですくってひと舐めしてみてから、手にとるようなところがありました。 異文化に対するようなもの、なのかもしれません。
……よい作品でした。
読みやめるのが、いつも惜しく思えていました。
ぬか床と酵母と生物と生命と……。
宮本輝氏の人間讃歌と帯書きされた「輝ける大地」などよりも、この「沼地のある〜」を読むべし。
と、声を大にしたくなります。
専門知識云々の収集を好むなら前者を選ぶもやぶさかではありませんが。
この作品は、物語の構成上、若干村上春樹色を感じるところがあります。 現実世界と観念的世界の収束するところ、収束などせず、常に二元平行状態であり続けるか、相対的に同一である、というのであるか、考えさせられ、また同時に楽しませてもらえます。
お薦めです。
2009年01月03日(土) |
なむなむと「グーグーだって〜」と覚え書き |
ちょっとの外出にも熱はぶり返さず、風邪に関しては問題ないようになった様子です。
さて。
初詣に行ってきました。 まずは氏神様である、根津神社へ。
おさらいです。
根津神社の御祭神は、ざくっと有名なところで……
素戔嗚尊(スサノオノミコト) 大国主命(オオクニヌシノミコト) 菅原道真尊(スガワラノミチザネノミコト)
です。 菅原道真公といえば、ちょいと足を伸ばしたご近所にある湯島天神ですが、わが家から徒歩五分のこちらでも、かろうじて拝めるわけです。
毎日、道一本向こうを闊歩して帰っているなら、不精せずにお参りせいと言われそうですが……。 ちなみに根津神社をひらいたのは日本武尊(ヤマトタケルノミコト)だとか……なむなむ。
さあ、おみくじです。
「夜は短し〜」の黒髪の乙女よろしく、なむなむ、と小槌を振りました。
末吉
……。 なむなむ、と唱えながら左手でわたしの一年のやる気を消沈させんと目論む、やんちゃな神様のいたずらがきを、もやいつけました。
冗談の振り方をよくわきまえていらっしゃいます。 さすが力のスサノオ様と智の天神様のコンビネーション。
さあ、種は蒔かれました。 その収穫に、たいそう迷惑そうな顔の大国主命が主祭神でもある、江戸総鎮守の神様「神田神社」へ向かいます。 いつもは歩いてゆくのですが、根の国にちなんで地下鉄です。
地上を歩いていたなら、途中の湯島天神にてリベンジならぬ真意を問うこともできたかもしれません。 しかし地下にもぐってしまったのだからそれも叶いません。途中下車するなど、わたしのワクワクに水を差すような行為に等しいものです。
たったひと駅で降りるなんて、なんて勿体ない。
代わりに、ちゃんと直近の地下のあたりに差しかかったところで、なむなむ、と手を合わせることは忘れませんでした。
さあ、地下深くから、ゴウンゴウンと機械の音と共に地上に現れ、神田神社へとまずは神田川を渡ります。
聖橋
なんておめでたい名前の橋でしょう。 この橋の上から川にレモンを投げ入れ、見えなくなるまで見届けることができれば願いが叶う、という昭和の言い伝えがあるそうです。 そのレモンを購入できたであろう唯一の古くから続いた果物屋さんが、対のお茶の水橋側の通りにあったのですが、二年ほど前から小綺麗なケーキ屋さんに変わってしまっています。
川へのポイ捨てを憂いた結果なのかどうかは預かり知らぬところです。
さあ、環境破壊と背中合わせの淡く甘い追想はグッとこらえ、いざ参らん。
さあ。 さあさあ。
おごそかに参拝をすませ、目の前のちびっ子が「大吉」をひいたらしく跳んで喜んでいる姿を横目に、わたしは巫女さんから籤箱を受け取り、まずは深呼吸します。
なむなむ。
籤を巫女さんから受け取り、開封せずに列を離れます。 あらためて深呼吸をして、おもむろに籤を開きます。
「小吉」
なるほどっ。
天を見上げて、アッハッハッ、と小槌を構える大国様の石像を見上げました。
アッハッハッ。
わたしもつられて愛想笑いです。
左手だけではプルプル震えてしまい、両手でしっかり、もやってきました。
あの親にしてこの子あり。
しかしひねりが足りません。 足りない分は、こちらで足しましょう。
なむなむ。
暗雲立ち込める不況下で、世も「末」と嘆くことなかれ。 大事の前の「小」事と、やがて吉参らん……。
※文中の「なむなむ」とは、「夜は短し歩けよ乙女」作中において神仏宗派を超えた万能の唱え文句として引用されているものです。
さてさて。
「グーグーだって猫である」
をギンレイにて。 ギンレイにおける新年第一号作品が、素敵な女優さんの主演作品だなんて、なんて素晴らしき采配なのでしょう。
実は本当の新年第一号が録画した「メゾン・ド・ヒミコ」だったとしても(汗)
もとい。
小泉今日子さんは、癒されます。 昨年末に観た「転々」でもそうですが、観ていて安心させられる存在感があります。
ストーリー云々を求めてはいけません。
彼女と猫に、ただ癒されてください。
「先生の作品に、すごく勇気をもらいました」
とのファンの言葉に、そっと漫画家先生はつぶやきます。
「あなたほど私は自分の作品からは何ももらってません」
絶妙です。
作り手は得てして、自ら作り出したものからは、大したものは与えられません。
なぜなら。
自らに何かを与えるために作った、または生み出したものではないからです。
自らの内面に湧き出るものを外に形にして出しているのだから、たとえ与えられたとしても、プラスマイナス・ゼロ、です。
では、なぜそんなことをしているのか。
食事のようなものです。 必要な栄養素を摂取するだけなら、調理に手をかけたりする必要はありません。 摂取し、排泄するだけなのですから。 それなら、とレトルトだけで済ませることもできます。
食わねば生きられぬ。 だから、食う。 腹いっぱいになって、もう食えん、となるときもある。 しかし、また食う。 食わずにいられない。
だから、書く。 書かぬことは食わぬこと。 書かずとも生きられる。 しかし、書きたい。 だから、書こう。
書いても食えぬが、食えずとも書ける。
年始の覚え書き……。
2009年01月02日(金) |
明けまして、モウ……。 |
新年明けましておめでとうございます。
年の瀬の瀬、まさに崖っぷちに、ほうほうの体で上野の老舗スーパー「吉池」で、三が日の食料をどうしようかしらん? と悩んでいたところ……頼みの近所のオリジンが二日までお休みなのです。おばちゃんに「ごめんなさいねぇ」と深く頭を下げられました……鼻をズズッとさせ、ぼうっとお節料理セットを眺め続けていたそんなわたしを気にしていた売り場のおばちゃんが、声をかけてくれました。
「お兄さん、お買い得ですよっ」
お客への単なる呼びかけのひとつ、だったのが、
風邪なんす。 あらら。 ひとりなんす。 あらららら。
「ちょっと早いけど、半額にしたげるわよ」 「えっ……?」
値札には「六千円」の文字が輝いてます。 一食千円に分けて六食分には高すぎる、と悩んでました。
……お節料理は保存食(日持ちする)の色合いが濃い料理です。
三食三千円分なら、高くはありません。
「こ……ズズっ、これを半額でいいんすかっ?」 「いいわよ、いいわよ」 「じゃあ、いただきます……ズッ」
わたしのそれを機に、残り全品半額セールが始まったのか、ちょうどそのタイミングだったのかわかりません。
「なます」も入ってます。 「海老」もお頭殻付きです。 「田作り」も「伊達巻き」も「里芋煮」も入ってます。
ここまできたら、あとは「お雑煮」です。
いかさま料理アイデアがありました。
百円ショップで「切り餅」と、「お吸い物(松茸風味)」のインスタントパックを買いました。
我が家のお雑煮は、醤油ベースの味付けでした。
餅を焼いて醤油をひとかけ回しかけ、「お吸い物」のなかにぽちゃんと落とせば、出来上がりです。
寒い台所に長く立っている必要もありません。
枕元に、お節の箱とリモコンとポットとコーヒーセットそしておやつのバナナ。
物に囲まれ、人に助けられ、ありがたいことです。 m(_ _)m
風邪自体は、ほぼ治りかけてます。 ご心配くださった皆様、ありがとうございました。
ただ、これだけ睡眠のリズムが普段と違う期間が長くなると、日常生活にも影響が出てきます。
初詣も兼ねて、リハビリをしなくてはなりません。 面倒な身体です。
大吉続きだった昨年のおみくじ。 今年はいったい何を引き当てるか……。
昨日(過去)の自分に絡め執られず。 明日(未来)の自分に向かって一歩ずつ。
本年も、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
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