2009年04月28日(火) |
ぐりーんきゃたぴらはんぎんぐつりー |
朝駅へ向かう途中の谷中霊園。
桜色のトンネルは今はもうすっかり緑と木漏れ日のアーケードとお色直しをすましている。
木漏れ日が目の前で、チカリと跳ねっ返ったので、おや、と目を細めてみる。
鉛筆の折れた芯の先ほどの小さな芋虫が、宙で身をくねらせている。
くにっ、くにっ。
じいっと見つめているわたしに構うどころではないらしい。 道の真ん中でもなし、しかし歩いていると胸の高さのところで身をくねらせているので、万事安全というわけでもなさそうだった。
彼の虫が向かおうとしている先を見上げてみる。
はるか高いところで枝葉がかぶさっている。だからといって、手ずから摘みとって大樹の幹に這わせてやるのもどうかと思った。 幹に張りついたとして、そこから目指す枝葉まで迷わずにたどり着けることはおよそ困難極まりなくなるだろう。
宙で真っ直ぐ上を目指せば自然にたどり着けたものを、いくつもの枝分かれした枝を選びながらゆかなければならない。 しかも、行きに通ったわけでもないから、目印も見覚えも、見当もつけられない。
ヘタをすると、たどり着くまでにさなぎになってしまうほど時間がかかるかもしれない。
わたしは、ただ無事に元の枝葉に上り詰めることができるよう祈るだけである。
そして、わたしは自ら地に下りて幹からよじ上っている芋虫のような気がした。
麗らかな春の朝に揺れる。
2009年04月26日(日) |
凛々しさに、歩いても歩いても |
ドン、チャン、パラパー。
表通りからの音に誘われて出ていってみると、マーチングバンドの御披露目でした。 京華女子中高等学校の皆さんです。
凛々しいです。
ムラムラっと湧き上がってきました。 今夏の「よさこい」イベントをみにゆくのを忘れないようにしよう、と。
代々木公園で毎年やっているはず、なのだけれど、池袋の「いけふくろう祭り?」でもやっていたはずなので、機会はあるはず。
ひとの前に立つ踊り子さんや、ほかにも役者にせよ演奏者にせよ、彼らの姿はわたしに大きな何かを分け与えてくれます。
わたしのなかのワタシを、ひとつ、壊すことにしました。
昨年末からひきずっている作品です。
赤を入れているうちに、書き直したほうがよいだろう、と気がつきました。
当初のプロットから、ずいぶん違うところに向かい始めているのです。 百枚前と今が、違うのです。 今に合わせるべきなので、昔は書き換えなければなりません。そうしないと、経歴詐称になってしまいます。
目から雫が滴りそうです。
なので、その雫を「銀の雫」にも注ぐことにしました。
視点や世界がひとつに凝り固まってしまい、疲れ目になってしまっているようです。
行きがけに赤札堂で確かめておいた食パン百四十八円が、帰りにはなくなってしまっていました。
「人生は、いつもちょっとだけ、間に合わない」
映画「歩いても歩いても」の台詞が流れてきました。
「間に合わないから、だから次へ、と進んでゆける」
わたしの回答文です。 間に合っても、次へと進めるのだけれど。
2009年04月25日(土) |
「ラースと、その彼女」 |
「ラースと、その彼女」
をギンレイにて。
雪降る田舎町にひとり暮らすラース。 隣に暮らすたったひとりの兄ガスとその妻カリンは、ラースのあまりのひとりきりの暮らしをとくにカリンが心配し、食事に招待したりしていた。 しかし、ラースの答えはいつも「ノー」。
極端に人付き合いを避けるラースを心配し続けていた兄夫婦のもとを、ある日ラースが「食事を一緒にしたいひとがいる」とドアを叩いた。
嬉しさと喜びに手を叩いたふたりの前にラースが連れてきたのは、「リアルドール」(等身大の人形)のビアンカだった。
人形のビアンカを人間同等に扱い、接するようになってゆく友人や町の人々。
ラースのいない場所にもビアンカは町の皆に受け入れられ、ブティックのマネキンのアルバイトや保険施設のボランティアなどで、ラースひとりのための存在ではなくなってゆく。
すべては、最初にラースがビアンカを紹介した兄夫婦が「話を合わせてやって欲しい」と相談した、教会に集う人々や町の人々、会社の仲間たちの、やさしさだった。
ラースは皆から、「愛され」ている人間だった。
しかしそれを気づかず、内にこもってばかりだったラースは、ビアンカを連れてゆくことで、友人の誕生パーティーに顔を出したり、兄とその同僚たちとボーリングを楽しんだりするようになってゆく。
しかし、ビアンカがラースの知らないところでボランティアに連れてゆかれ、ラースとの約束がキャンセルされてしまう。 一方的に怒るラース。 しかし兄嫁のカリンに、「なぜ皆がここまで真剣に、自分たちの都合をおいてビアンカにかまうのか、それは皆がラースを愛しているからだ」と教えられる。
それからやがて、ラースの心に変化が、ビアンカを通して訪れてゆく。
コメディだとしか思えない設定だが、なかなかどうして、じぃん、とあたたかい気持ちにさせてくれる、いたって真面目な、
「素敵な作品」
でした。
今朝、家元のおかみさんらしき方々が、鶯谷からがちゃがちゃと乗り込んでこられた。
わたしはその鶯谷で降りた客の後釜に、さっと座ったところだった。
目の前にはおかみさんたち。
ひい、ふう、みい、よおがとお。
数えてみる。
数えながら、わたしの尻はまだ温まっていない。
温まっていないのだから、接着剤が溶け出して貼り付いてしまってはいない。
しかし、わたしひとり起立して座を空け放したとして、ひとりのおかみさんしか座することができない。 するとおかみさんたちは、どうぞお構いなく、と辞するだろう。 辞されたところで、起立した時点ですでにわたしのなかはがちゃがちゃしだしている。
そうなることを見越して善行をはかってみた、と見られないでもないだろう。
万に一つ、わたしに続いて、居並ぶ紳士淑女ご令嬢の面々が、すっくと立ち、おかみさんたちひと通りの座を空ける、といったことがおこるだろうか。
それこそ稀有である。 杞憂である。
わたしは、煩悶した。
変わらずおかみさんたちは目の前でがちゃがちゃしている。 わたしのなかも、はやがちゃがちゃしだしている。
うえのぉ。 うえのぉ。
あら着いたわよ。 おります、おりまあす。 あら、ちょっ、はやくはやく。
ドヤドヤと玉突きあいながら降りてゆかれた。
山手線のたったひと駅かぎりだったのが、ぐるりとひと回り揺られたかのように思われた。
2009年04月22日(水) |
ウエノズーオーケストラ |
動物園の鳥たちが、やかましく鳴き散らかしている。
夜想曲のオーケストラでも発足したのだろうか。
くわくわくわ。 けっけっけっ。 ぐおぐおぐお。
タクトをひく。 しかし鳴きやまない。 燕尾服のみの特権を濫用するべからず、といったようすである。
一応、尻のところがふたつにわかれてはいるが、まるっきり長さが足らないようで、鳥目にも本物の燕尾と見紛うはずもないようである。
ばしゃん。
池の鯉も、やかましさに音を上げたようである。 散歩の犬が、そ知らぬ顔で主人に引かれて脇を通りぬける。
しかし、チューニングもハーモニーもあったもんじゃない。 バラバラである。
傍らではおそらく、キリンは長い首を襟巻のようにまきつけて耳をふさぎ、カバは水中に潜り込み、オカピは「そんなウマシカな」と跳ね回り、フラミンゴは片足で立ってもいられず、右に左に一団で見事によろめいているにちがいない。
歌うはピアフ(雀)のさえずりにかぎる。
昨夜、久方ぶりに超短編作品を書いてみた。
じつは、今回をもって最終回となる、とのお知らせが先月届いてから、よしきちんと書いて応募しよう、と思っていたのだった。
思っていたまま、ひと月が過ぎていったのである。
月日が百代の過客にしてあるならば、足音くらいはたてて欲しいものである。 足音もなしとは、サンマの塩焼きを七輪から掠めとろうとする野良猫のようである。
猫の話は本筋とは無関係なので、元に戻そう。
さて締め切りは深夜零時まで。 たかがのたかをくくって高楊枝でいるわけにはゆかない。
いくつかの断片は、寝かせてある。 寝かせたままであったのを、枕をひっくり返して目覚めさせる。
寝ぼけ顔がつらつらとがんくび並べて、隙あらばまた布団に戻ろうとするものもいる。
寝起きの顔は、どれもはっきりしない。 皆、それぞれのだらしない顔でのっぺりしている。
だらしなくのっぺりしているのだから締まりがない。
締まらないまま、それらの頭を並べてゆくのだけれど、締まらないくせにまぶたを閉めようとする輩ばかりが目立つ。
たかがの短い間くらい、こらえさせる。
しかしまるでモグラ叩きである。 こちらかと思いきや、あちら。さらに、あちらのついででそちらまで、といった具合で収拾がつかない。
これは、といったやつの首根っこをつかむ。
ふみゃあ。
子猫のようなやわらかい声をあげても、子猫でも、まして猫でもないことはわかっている。 しかしあくまでも子猫で通すつもりらしい。
爪を肉球に隠すことを覚えておらぬその前足をやたら振り回し、カリカリとところかまわずかき乱そうとする。
肉球はなかなか好きなものでもあるが、それより先に、やもすれば不本意にこちらが折ってしまいそうになるかあいらしい爪がじゃまをする。
しかし、乱されるまえに、すでに机の上はとっちらかっていたのである。
書き散らした紙切れを、かき集めたりより分けたり、丸めたり貼り合わせたりする。 こちらとそちらとあちらとどちらを角突き合わせてみたりするうちに、体躯ばかりが膨れ上がってゆく。 よくみると、頭がふたつあったり手が三本に足が一本ついてたりする。三本ある手もすべてが左手で、えらく使い悪そうだったりする。
そんなキマイラを、なるたけ雑種同士を交配させたていのものに毛繕いさせる。
そんな毛繕いをどうにかさせたものを、勝手を承知で品評してもらおうと、急ぎ優しき友人らに送りつけてみる。
やはり鋭い目には敵わない。
頭や左手の数や、その正体に関して、だまされることなく、ズバリと化けの皮を指し示していただいた。
この場をかりて、深く、感謝したい。
本番の品評会の正式な通達はまた後日、沙汰があったならばご報告させていただきたいと思う。
濡れそぼる肩を傘の下で丸め歩く穀雨の夜に。
――多謝。
なっちゃんこと石野田奈津代さんの曲を、いまさらながらようやくiPodへの取り込みをすませました。
ひとつ重大な問題が発覚。
「ひまわり」が、ない。
サインまでしてもらってあるやつが、ないのです。
パソコンのハードディスクが吹っ飛んだときに、データは消失しており、CDがあるからまた取り込めばいいだろう、とすっかり油断したまんまだったのです。
「温度」と「一等星」が聴けないのが、とても悲しいです。
さて、気を取り直して街へ出ました。
アイスモナカの甘味処・芋甚は相変わらずの大行列。
行列を見ると、気がそがれてしまいます。 すぐに断念しました。
不忍通りに出て、ふと店先に置かれた、フリーペーパーのタウンマップを手に取りました。
ええ、わたしは地元の人間です。 だからこそ、余所のひとに見せている街の顔、というものを知っているというわけではないのです。
手書きのなかなか見やすい地図です。
「おっ、俺が書いたやつを見てくれるなんて、嬉しいねぇ」
はい? 祭半纏羽織ったおっちゃんが、笑ってました。
「俺が、それ書いてるんだよ。ありがとうな」
片手をさっと挙げ、仲間と賑やかに去ってゆきました。
自分が書いたものを誰かが手に取ってくれる、見てくれる、気がついてきれる。
それって、やはり嬉しいことです。 ありがたいことです。
かなり前になりますが、御徒町のドトで、女の子に照れくさそうに、だけど誇らしげに、話していた男子がいました。
「CM決まったんだよ。シリーズものの」
おや、とさり気なくわたしは彼を確かめてみました。
普通の、ややもすれば線の細い今時の若者です。
「ぷちエヴァってシリーズで、一応ドラマ仕立てのやつなんだけどさ」
CMの彼を、見る機会があったのです。
おややっ。
「その格好はなんだ」 「ぷちエヴァ……」
「じゃあウチ来る?」 「え、だってそのぷちエヴァってやつでしょ」 「うん、だから」 「行っていいの?」
というやつです。 彼はアスカラングレーの格好に扮した主演だったのです。
そして。
わたしと同じ日に生まれ、血液型も一緒、という稀有な関係の小中学校の同級生が、きちんとした芸能関係から舞台の照明演出を、プロとして依頼を受けたそうです。
春もひと巡りすれば、それぞれが新しい一歩、さらなる一歩を踏み出してゆくものです。
沈んでる場合じゃあ、ありません。
石野田奈津代「春空」 そして「オリオン」
が、じん、と胸に染みました。
2009年04月18日(土) |
「画家と庭師とカンパーニュ」 |
「画家と庭師とカンパーニュ」
をギンレイにて。
パリから故郷のカンパーニュに戻ってきた画家と彼が出した庭師の求人を見てやってきた元国鉄職員。 ふたりは小学校の同級生だった。
かたや故郷を出てパリで画家として暮らしていた男と、故郷を出ることなく平凡で慎ましくささやかな幸せな日々を送ってきた男。
互いを「ジャルダン」「キャンバス」と、秘密のあだ名で呼び合う。
ほんとうに他愛のない男同士の雑談。 気取らない本音。
だから、昨日と今日でいってることが正反対だったりする。
元国鉄職員のジャルダンは、朴訥だがお茶目で妻をとても愛してる。 キャンバスは、妻を愛してるが浮気男で、それが原因で妻と離婚目前の別居中。
互いを批判したりはしない。口も出さない。
ただ、なんでもない互いのことを話しているだけである。
腹痛をこらえ続けていたジャルダンを病院へ連れてゆく。 しかし、既に手遅れだった。
残された日々を友と釣りにゆき、そしてまた、友に「自分の好きそうなもの」「妻の肖像画」を描いてくれと頼む。
黄色い長靴 妻にいわれてはいていた靴下 彼が友のためにつくった菜園 菜園の野菜たち
釣り上げた大鯉
じわっと、不意に、視界が滲んでしまいそうになった。
旧きからの友は、とても素晴らしい。
先日の「風に舞い上がるビニールシート」内で、仏像の修復士の物語があったのです。
子どもの頃に読んだ漫画では、そんな仏教の守護神やら菩薩様やら如来様やらの名前を目にする機会が、多くあった気がします。
少年漫画では、扱いやすかったのでしょう。
友情、努力、正義、の戦いに、うってつけですから。
しかし、実際はきちんとした知識として、身についていないのです。
いや、そんな本格的なものは望んではいないのです。
ですが、たとえばお地蔵様とは、石で彫られた坊主頭の仏像全般を指すのではなく、「地蔵菩薩」のことである、と知ったのが、たしか「仏ゾーン」とかいった漫画でだったりします。
菩薩と如来の違いだったり、三尊やら五大やらのそれぞれだったり、よくわかっていません。
インドや中国やもちろん宗派やらのそれぞれで、それこそなにがなにやら。
三浦じゅんさんや、宮本亜門さんらが、
「仏像は美しい。楽しみ方、ふれ方、それはどんなものでもいいから、まずは見てみること」
と時折発言しているのを目にすることがあったりするが、たしかにごもっとも。
旅先でかならず神社仏閣にゆくくせに、どの仏様もありがたみを十分にかみ締めきれていないのです。
重要文化財。 ふむふむ、ありがたやありがたや。 その……なにがし菩薩様ですね。 で、その右隣のなにがし、いや左隣だったかしら……いやここの前の違うとこで見たやつだったかしらん。 ……ま、いいや。 どれもありがたやありがたや。 さて、お次は、と。
といった感じです。
三十三間堂にいったときなんか、もう、パニックです。
仏像、ぶつぞう、ぶっつぞう。 どれが自分に似てるかなんて、そんな皆さんで一斉に並んでプレッシャーをかけないで……。 わきゃあぁっ。 みんな同じお顔ぉぉぉっ。
神さまの類いは、多少読みかじりました。 古事記で、ですが。
日本書紀は、国生みのあたりで座礁し、蛭子といっしょにわたしも海へ流されてしまいました。
沖をぷかぷかと漂ってます。
いつか泳ぎ戻りたいと思います。
和邇がはしけを繋いでくれないものでしょうか。
楽をすることばかり考えてると、ぶつぞうっ。
仏像がぶつぞう、なんて、古典的な落ちが着いたところで。
なんて長い下げだったのでしょう……汗
2009年04月15日(水) |
魚屋さんが驚いた。ぎょっ。 |
鯉が、口を開けていたのである。
橋のしたで、群をなして。ぱくぱくと。
濁った水面に、墨でひと書きしたようなその「入り」のところだけが、白っぽい輪が閉じたり開いたりを繰り返していた。
これが「鯉」の口ではなく、「恋」の口であったなら、なんてよりどりみどりなんだろう。
飽きもせず、意地になっているようすでもなく、ぱくぱくと繰り返している。
口の輪の中をひとつひとつのぞいてみると、うす暗く濁った闇がうずくまっているようだった。
薄いのや濃いのや、 白っぽいのや真っ黒なのや、 じっとしているのやもぞもぞ蠢いているのや。
指を入れてすくってみたら、きっともっとはっきりしたことがわかるかもしれない。
ポケットの中で、指がむずむずしてきた。
やめておこう。
鯉も、恋も、軽いお試し気分でひっかき回してみるものじゃあない。
だけど、指に吸いつかれた感触が、ざらりとした心地よさのようなものだったような気がして、なかなか捨てがたいようにも思えてくる。
ぶるる、と身震いをして、やっぱりやめておこう、と胆を決めた。
こっちの水は、ああまいぞ。
端から順に輪唱がはじまってゆく。
えい、やかましい。 ただじゃないことは、おおかたわかっているのだから。 魚心あれば水心。
ぎょっ。
と、図星にされた悲鳴が、また端から順に輪唱がはじまってゆく。
滝のようにうめき声が背中に降りそそぐ。
登ってやらいでか。
2009年04月13日(月) |
「風に舞い上がるビニールシート」 |
森絵都著「風に舞い上がるビニールシート」
直木賞受賞作品。
へへん、なるほど直木賞ねぇ。
と、さらさら読み進めていました。
なるほど。 直木賞だわ。
なにがそう思わせたのか、わかりません。 ひとつひとつは、他愛のない短編のように思えました。
きっと行間の空白に、見えない特殊インクでなんらかの暗示が記されているに違いありません。
ふ、う、うおぉっ。
と、衝動が、走りました。
だけど、どこが、なにが、いいのかはわかりません。
泣ける話でもありません。 笑いころげる話でもありません。
胸ぐらをむんずとつかみ、絞り込むような話でもありません。
なぜでしょう。
たまたま弱ってるそのすき間を突かれただけなのか。
それがわかれば、わたしも、すぐに受賞作品が書けることでしょう。
昨日、根津神社の境内で、「広島風お好み焼き」と銘打たれた屋台のお好み焼きを、買ったその脇でもしゃもしゃと頬張っていたのです。
ひとり立ち食いで。
さすが「広島風」の「風」の字、そばが入ってないじゃないの、キャベツはたっぷりだけど。
歯に青のりが着こうがお構いなしに、たっぷりとふりかけていたので、やたらと口の中でもさもさします。
「あのお。カギ、届いてませんか」
店のおっちゃんに、小学生くらいの女の子が、不安そうな顔で駆け込んできました。
「あん? 届いてねぇよっ。なんのカギだ」
焼く手を止めずに、女の子の顔すら見ずに答えてました。
「自転車か。通ったところ、ぐるっと回ったんか」 「回ってるんだけど、みつからなくて」
泣きそうな、消えてしまいそうなか細い声。
「も一度、ゆっくり回ってみな。見つけたらとっといてやっから」
はい、と女の子は顔を上げて、泣かずにまたきた方へと姿を消してゆきました。
泣いちゃうと、何にもできなくなっちゃうものね。
おっちゃんは、そう気を遣って、女の子にいったのでしょうか。 泣くヒマを与えないような、ぶっきらぼうな口調で。
「見つけたらとっといてやれよ」
手伝いの若い兄ちゃんに、そう、言いつけてました。
ぶっきらぼうな口調で。
2009年04月12日(日) |
まちのまつりと「未来を写した子どもたち」 |
せいや、さ。 せいや、さ。
部屋を出て、右か左か踏み出す足を決めあぐねていたところ、声が聞こえてきた。
夏のように、熱い。
今日は御輿の日であった。 芋甚でアイスモナカでも買い、それをつまみながら見物しようかと思いきや、芋甚は行列である。 それも当然。 目の前を御輿が通り、見物客のみならず、半纏姿の担ぎ手たちが、
せいや、さ。 せいや、さ。
と、声をあげている。
賑やかな近所である。
モナカは断念し、半纏姿の親子三人の後ろを通り過ぎる。
父に抱きかかえられた小さな女の子はぶかぶかのはちまきをしめられ、母にそれをぐいぐいと直されていた。
「まちのまつり」
である。
さて、
「巨人、大鵬、卵焼き」
およそ五十年前の子どもたちが大好きだったものです。
現代の子どもたちは、何が好きなんでしょうか。
「未来を写した子どもたち」
をギンレイにて。
インドの売春窟に生まれ暮らしている子どもたちが、写真を撮る楽しさに触れ、その中で才能が認められ、名もなく、明日もなく、夢もなかった毎日から踏み出そうとする。
世界の頭脳と注目されたりもするインドの光と陰。
光の世界で陰を見つけるのは、簡単である。 光に背を向け、己の影をみればそれで慰められる。
陰の世界で光を見つけるにはどうすればよいか。
誰かが一条でも光をもたらす以外、術はないのである。
陰の世界のものがどう足掻こうが、光を得ることはできないのである。
いや違う。 信ずれば、努力すれば光は得られる。
というのは、光の世界に住むものの己に対する慰めでしかないであろう。
与えられた光ですら、周りの手によって諦めねばならないことばかりなのが現実でもある。
出演している実際の子どもたちは、皆、妙に人生や運命を心得ているようにもみえることをいう。
国民性だろうか。 それとも、甘やかされる余裕なく、真摯に暮らしと命とを身近に見つめ合って生きてきたかどうかの差であろうか。
日本の子どもたちでも、どこか大人びたことをいうが、それには、なにひとつ、動かされるものは感じない。
所詮は受け売りの、かっこつけの皮肉にしか過ぎないのだから。
そうしてそのまま大人になり、受け売りだけの言葉しか言えなくなっていることに気づきもせずに安穏と、現実はねえ、だとか、さもわかっているかのようにつぶやく。
わたしは、さらにたちが悪い。
うそのことを、ひたすら本当のことに感じられるよう言葉を書き連ねている。
うそのことでも、そこにある感情だけは、生のものを感じるもの。
泥沼の底に湧く湧き水の一泡。
写真家が、
「幾千の説明よりも、一枚の写真」
というように、
「絵で感じとらせるしか術がないものを、言葉で描く」
ことができるように。
所詮はぬるま湯に溶けた砂糖水の世界にいるものだとしても。
ちいさな姉妹が、花びらの絨毯にうずくまり、両手ですくってはまき、すくってはまき散らして、うち興じていた。
春爛漫。
通勤電車に乗り込んできた女子の髪に、花びら二枚、絡まりあしらわれていた。
花薫る。
池の水面が、花びらで一面彩られている。 靴の先で、知らずに花びらをすくいとっていた。
春を、掬う。
2009年04月10日(金) |
春を掬う「墨東綺タン」 |
ちいさな姉妹が、花びらの絨毯にうずくまり、すくってはまき、すくってはまいてうち興じていた。
春爛漫。
通勤電車に乗り込んできた女子の髪に、花びら二枚、絡まりあしらわれていた。
花薫る。
池の水面が、花びらで一面彩られている。 靴の先で、知らずに花びらをすくいとっていた。
春を、掬う。
永井荷風著「墨東綺タン」
墨東とは、浅草から隅田川を渡ったすぐのあたりをさす。 そこの娼婦お雪となじみになり、そのおわりまでを街の風景や季節の移ろいなどを織り交ぜて描かれている。
荷風行きつけの店のひとつ、かしわ南蛮の浅草「尾張屋本店」になら行ったことがある。 なかなかふつうの蕎麦屋であるが、それは「誰々御用達」を掲げる店のどこでも、同じようなことがみられるだろう。
味ではなく、名前や由来で腹五分を満たすと思えばよいのだ。
作中に「尾張屋」は出てこないので、あしからず。
あらためて思うに、近所はまことに、文人と縁がある地に近い。
森鴎外は池之端、樋口一葉の菊坂、夏目漱石の本郷(東大)。 そして、神楽坂や小石川界隈には内田百ケン先生や、最近だと、色川武大(阿佐田哲也)さんなども彼の地で過ごし、それを作品にしたりしている。
いったい現代において、「某の街」となると、いったいどこの街になるのだろう。
そういわれて、ぱっと名が思い浮かばない。
ファックスやインターネットの普及や、匿名保護の必要性や、そこでなければならない理由が希薄になっている便利な御時世だからなのかもしれない。
それより以前に、現代作家で「文豪文人」といわれて、いったい誰の名が挙げられるか、ひじょうに難問ではあるが。
桜の花びら越しに月を見上げると、ピントが合いました。
耳元でかかった曲は「flower」
ああ♪ どんなに時が流れても♪ 繰り返し咲く花のように……♪
はらはらと花びらが、夜風に舞うように散ってます。
もしも明日、世界が……♪
だったらなんでしょう。 ミサイルが落ちてこようが、地震にのみこまれようが、わたしは書くだけです。
ふんっ、鼻息ひとつ吹き出すと、次にかかった曲が、
「bouquet toss」
です。
ブーケじゃなくて♪ その先の空に手を……♪
降ってくるものにわざわざ手を伸ばすなんて、待ってればいいわけです。 待っててこないなら、どうせなら、降りもやってもこない空に手を伸ばしてたほうがいいです。
へへん、と鼻を鳴らすと、次の曲が、
「ワザリング・ハイツ」 嵐が丘。
うへえ、と舌を出してしまいました。
ときどき、なんて素晴らしい曲順に再生してくれるのだろう、と感嘆してしまいます。
ランダム再生です。
あかあかと宴に興じるひとびとの顔が照らしだされています。
照らす月は十三夜月。
きれいなものです。
2009年04月05日(日) |
「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」 |
花満開。 谷中の桜に、 桜のサクラたち。
切なくも悲しい心中物語で焼失した五重塔跡地をもぐるりと囲み、賑やかしさでそれを知らずか埋め合わせ、謳歌している。
日々一日を存分に謳歌できればどれだけ素晴らしいだろう。
さて桜にちなんで、
桜庭一樹著「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」
先日、イ氏との会話で出てきた作品である。
じつは、イ氏から別の一冊を「あげるから読んでみなよ」といただいたのである。 だからといってというわけではないが、せっかくだから読んでみよう、と。
イ氏にいただいた一冊は、また後日、読後に触れることにしよう。
さて、本作「砂糖菓子〜」は、もとは富士見書房よりの発刊である。
だから、読みやすい。
我が友なら、名古屋から新幹線で新横浜に着く前に、軽く読み終えてしまうだろう。
いや。
もしかすると、とっくに読了し富士山を左手に悠々と眺めてしまっているかもしれない。
だからといって、けっして軽んじているわけではない。
なるほど、それらしく物語は進められてゆき、グッと、何か引っ掛けさせられるところが、ちゃあんと、ある。
それはこの作品ではかすかな、見逃してしまいそうな、こころもとなさげなもののようなものでしかすぎないのかもしれない。
さしずめわたしは、この作品でいうところの、砂糖菓子の人間、であるのかもしれない。
「闇の子供たち」
をギンレイにて。 宮崎あおい主演、梁石日の同名作品を映画化した衝撃的な作品である。
原作はすでに読んである。
タイの児童売春と違法臓器移植をテーマとした作品であり、
「我が国を侮辱している」
と、タイでは上映禁止とされたらしい。
なるほど、ショッキングさは表現しようとされているが、伝えきれていない。 原作を読んでいないと、なぜそうなったのか、なぜそうなのか、がわからない。
原作を是非、ご一読いただきたい。
いや。
こころやさしきひとは、やはり読まずに避けておいてもらいたい。
生活に苦しい家が、我が子を売る。 手にした金で、カラーテレビを買う。 子供は児童性愛者の玩具として仕込まれ、売られる。 気に入られれば、養子として、この地獄から連れ出してもらえる。 しかし、それはまた地獄の続きなのかもしれない。 それでも、不衛生で過酷で残酷な地獄に閉じ込められたままよりかは、よっぽどマシなのかもしれない。 ホルモン剤を性交のために死ぬまで打たれることも、 エイズに感染して、使いものにならない、と生きたままゴミ袋に詰められ、捨てられることも、 袋を破って瀕死の状態で村の親の元に帰っても、ここにいてはいけない子として、エイズの感染を防ぐことも含めて、戸外の家畜小屋にひとり寝かされ閉じ込められ、やがて死を迎え、屍体に虫がたかるまで放置され、小屋ごと火をかけられることも、 健康でいられても、臓器提供者として生きたまま、臓器を取り出され、それで死を迎えることも、
どれも地獄なら、どれを選ぶか。
我が子は臓器提供を受けなければ、半年も生きられない。 だから、正規のルートで移植を待っていたら、それは我が子が死ぬのをじっと待つこととかわりはない。 遠い国の見知らぬ子のために、目の前の我が子の命を、明日を、私たち家族の未来を諦めろというのか。
あなたには、子どもがいますか。
命の前の無力さ。 社会の力の前での無力さ。
己の、己自身の前での無力さ。
話題作ではあるが、ヒット作にはならなかっただろうと思われる。
ヒットしていたら、世界で少し、涙の量が減ってくれているはずだろう。
2009年04月03日(金) |
砂糖菓子の様な女子と醸し出す |
今朝は田町駅での人身事故の影響で、もの凄いことになっていた。
駅のホームは、扉を開けて停まったまま車内がスカスカの山手線と、向かい側の京浜東北線を待つあふれんばかりのひと、ヒト、人。
おくれてようやく電車がきても、それはもうすでに超満員状態。
わたしは辟易して、とうとう入ってきた改札から引き返してしまった。
谷中霊園の桜並木は八、九分咲きで、ゆるゆると桜のアーケードをくぐって、しみじみ眺めてなぞしてみた。
うん、そうか。 それじゃあ地下鉄で行こう。
なんだか、ゆるうい、一日の始まり。 なかなかよいものである。
さて、夜は会社帰りに大盛……いや、大森である。
血液検査(再検査)の結果が出た。まあ、やはりコレステロールは高いのはやむを得ない。 しかし、何もせずにいたのに二週間ばかりで下降していた。
それよりも楽しみなものが、今夜はあったのである。
「動脈硬化が短時間で簡単にわかる」
という検査装置を試させてもらうことになっていた。
「じゃあ、緊張しないで、ちょっと服をはだけて横になってくださいね」
田丸麻紀、保田圭似のうら若き女子が、わたしに微笑む。
手足を拘束され、はだけた胸元に手を入れられて、
「ぴゃっ」
と思わず声を出してしまった。 ふふ、と気にした様子もない。
しかし、わたしはもっとべつのことが気になっており、実のところ、革靴をぬぎたての、しっとりとしたわたしの素足が、あらぬ香りを醸し出しているのではないか、と心配だったのである。
なぜかわたしのほうが、息をとめてしまっていたりもした。
「楽にしていいですよ」
いや。 ここは大人の礼儀作法である。
嗅いで嗅いでおらぬふり。 嗅がせて嗅がせておらぬふり。
「はい、もう結構です」
そしらぬ顔で、そそくさと衣服を整える。 結果は出力して持ってゆくので、イ氏の部屋へどうぞ、とのことばに従う。
「いやあ、桜庭一樹。読んじゃったよ」
イ氏が満面の笑みで開口一番。
「ななかな、ななかか、なななか、ですか」
正確には「七竈(ななかまど)」と言いたかったのだが、舌が回らない。 それで諦めたのだが、イ氏には伝わったらしく、
「いやいや、砂糖菓子、のほうだよ。なかなか、面白かったよ」
「推定少女」が、直木賞を「夜の男」でとる直前の作品として勧められるが、
「いや、そっちよりも、砂糖菓子のほうがいいと思うねぇ」
そっすか。 そうだよ。 桜庭一樹って、タレントの千秋に似てませんか。 そうだね、そういえばそうかもしれないね。
感想を聞いていると、
村上春樹っぽい感じですか。 ああ、あのじれったい感じ、似てるかも。答えがわかってるのに、なかなか進めない感じ、かもね。
そんな話で盛り上がっている最中に、先ほどの女子が、じっとイ氏とわたしの間に腰掛け、話を聞いている。
このひとたちは、診察しないのかしら。
不思議に思っているのが、様子でわかる。
いつもこんなものです。 慣れてください。
「じゃあ結果は」
女子から渡された、先ほどの検査結果を唐突にしだす。
「いい血管だね。悪いところはまったくなさそう」
それはよかった。
じゃ、コレステロールの薬だすから、書類はこれに書けばいいのね、とスラスラ処理してもらう。
一時間半をとうに超えている。
長居しすぎである。
ふと動脈硬化の検査結果表をみると、
「年齢、四十二歳」
となっていた。
あぎゃ。
である。 やはりわたし素足が醸し出した香りが、女子の判断力を惑わせてしまったようである。
「あっ、すみません。入れ直します」
慌て機器の室に駆け戻る女子。
「すみません。入力し直しても、なぜか直らないんです」
生年月日は正しく直されていた。 しかし。 年齢は変わらず「四十二歳」のまま、それを上から手書きで書き直してくれていた。
惑わせたのは女子のほうではなく、直接素足に設置された機器のほうであったようだ。
どうしても認めようとしないらしい。
帰ったら、たわしでゴシゴシ洗ってみよう。 軽石でも、ガシガシ洗ってみよう……。
2009年04月02日(木) |
「蘆屋家の崩壊」と旅と食い物 |
津原泰水著「蘆屋家の崩壊」
幻想怪奇短篇集。 お馴染みの組み合わせの、落ち着いた第三者である男と語り手である頼りないが騒動の渦中にいつも巻き込まれる、いや、騒動の種を呼び寄せる男のデコボココンビ。
だからといって、騒動を解決したりはしない。
騒動から逃れる。 そこまで。
そこまでで、律儀に分をわきまえている。
ちなみに「蘆屋家」とは蘆屋道満の一族のことであり、道満とは、陰陽師の安倍晴明のライバルであったらしい。
もとい、デコボココンビのそもそもの発端は、
「無類の豆腐好き」
で、美味い豆腐があると聞けば、北海道だろうが沖縄だろうが、飛んででも食べにゆく、ことが奇妙にも見えるふたりの繋がりをもたらしたらしい。
豆腐でなくていい。
美味い「何か」を、たらふく食いたい気にさせられた。
さて。
品川駅のアトレの前で、その向こうにツアーの誘導手旗が人々の頭の上に、にょきっと突き出していた。
フランス国旗である。
近づいてくるにつれ、ツアー客の面相がわかる。 二十人ばかりの、おそらく全員がフランス人の御一行だろう。 年輩者ばかりだったが、並みの年輩者ではない。
御年八十から九十歳に容易に足を踏み入れているような方々ばかりである。
しかも皆、自立して歩いておられる。
なかには手をとってもらっている方もおられたが、それでも「手をつなぐ」程度のものであった。
車椅子も、杖さえも、誰ひとりついていない。 直角に背中が曲がってしまっていても、である。
想像してみよう。
そんな御年で、旅行にゆけるだろうか。 周りが悲しいかな、「心配だ」ととめるだろう。 まして海外、陸続きの欧州内ではなく、地球の裏側である日本へ、である。
旅行が文化・生活の一部であるのかもしれないが、驚かされてしまった。
もちろん、一部をみてそれがすべてだと、安易に決めつける気は毛頭ないが、しかしそれでも、である。
若輩者ではあるが、いやもはや「若」という歳でもないのだが、未熟ということにおいては十分「若輩者」であるのでそういわせてもらうが、旅に出て、何か食いたい。
諸々が許されるか、いつぞやのように衝動に駆られるのを、待とう。
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