2009年06月30日(火) |
「私は猫ストーカー」 |
「私は猫ストーカー」
不忍通りふれあい館にて特別上映であった。
星野真里主演。 星野真里は、好い。
本作品の舞台は、ほぼ全てが谷中・根津・千駄木、つまりは谷根千である。
であるから、公開前に先行して特別上映の機会を得た。
星野真里の無防備な姿。 それが警戒心と表裏一体のものであり、猫たちに通じるものでもあったりする。
街のひとたちが、無防備に映っていたりする。
星野真里が、うちの前の道を歩いている。 ああ、あそこはうちの裏だ。 腹ばいになってにじりにじりしているのは、あの路地。
繰り返しになるが、星野真里の無防備さ加減あふれるところが、好い。
上映後、鈴木卓爾監督と原作者の浅生ハルミンさんによるトークショーがあった。
撮影秘話を堪能させていただいた。
鈴木監督曰わく。
猫ストーカーのストーカー目線で撮りましたから。 女優さんのこんな姿ばかり撮った作品は珍しいですよ。
猫好きにはたまらない作品である。
星野真里にもまた、ヤられてしまうだろう作品でもある。
2009年06月29日(月) |
慈雨と「ロルナの祈り」 |
不忍池の植え込みの縁石に、ずらっと四角形の新聞紙やダンボールを石ころで押さえた列が並んでいる。
これは、炊き出しの列の順番取りである。
一日におよそ千人が、上野公園一帯各箇所各団体の炊き出しに集まる。
列の中には、わたしよりも若いだろう姿が目立つようになっていた。
保護施設へ向かうのかわからないが、湯島の街を彼らの一部が列になって歩いてゆく姿も、よく見る風景となっている。
施設の補助金の不正受取などの問題も騒がれている。 しかし、「屋根があるところで寝られる、飯もこづかいももらえる。それだけで天国だ」と彼らは口にする。
「山谷でみとる」
保護施設で彼らのひとりが末期ガンにかかり、それを家族の、実兄姉に何十年ぶりに連絡を、施設がとりつなぎ、何はともあれ会いにくる、ということになった。
「こんな姿じゃ、会えねぃよぉ」
面会を拒み、部屋に閉じこもる。 訪れた兄姉が、インターフォン越しに話しかける。
「来年、よくなったら自分から会いに行くからさぁ。今は会えねぃよぉ」
末期ガンである。 保護施設にかろうじて屋根を借りているだけの身分である。
一年後に、どちらも有り得ないことだとわかっている。
扉の向こうに、やっと、数十年ぶりに連絡がとれた弟に会いに、田舎から駆けつけてきた皆が、いる。
「会えねぃよぉ」
マイクに向かって、そう、むせび泣く。
「今こそ、こんな世界だからこそ、救いの手を、差し伸べられているのです」
炊き出しの前にスピーカーから「神の救い」について、熱く繰り返し説く。
行儀よく方形に地べたに座り、耳を傾けている。
これが済めば、飯をもらえる。
本当に神さんがいるなら、今から飯をくれるあんたたちだよ。 あんたらのいう神さんは、今の俺たちを作り出して、何も救っちゃあくれない。
あっちでも飯をわけてもらえっからよ。
炊き出しの物資が追いつかない。 地方からの寄付やカンパをかき集めても、なお。 週に一回だけの温かい飯。 パンなどのとっておけるようなものは、少しずつ日にちをかせいで食べることにする。 温かい湯気のたつ汁物は、そのすべてのあたたかさを忘れないように、両手で包んでゆっくり味わう。
余計にもらったりなどしない。
もらいそびれた者たち、炊き出しの情報を事前に知るすべをもっていなかった者たち。 にわかにこの立場になってしまった者たちが、溢れている。
どうしたらそれを知ることができるのか。 どこでどうしたらいいのか。
民間の部屋や建物を行政が借り上げて、シェルターを設ける活動も行われている。
見識者たちが、口角泡を飛ばして議論する。
あげあしとじそんしんの取り合い奪い合い守り合い。
派遣村代表者が、ただ自分たちだけではどうしたらよいのかわからず、誰をどこを頼りに訴えればよいのか、助けを求めればよいのか、それは誰だってどこだっていい、えらそうなごもっともな理屈や自己弁護や主張などどうでもいい、と戸惑っている。
じゃあ、明日、助けてくれますか?
無理な話である。
雨が彼らの背中を濡らしている。
さて。
「ロルナの祈り」
をギンレイにて。
これはなかなか難しい物語である。
お金を稼ぐために偽装結婚を繰り返すロルナ。 麻薬中毒の夫クローディアとは早く離婚手続きをすませ、次に待つロシア人と結婚をしなければならない。
「ヤク中はいずれヤクで死ぬ」
偽装結婚の片棒を担いでいる仲介のファビオは、クローディアをヤクで殺害しようとするが、ロルナの前の彼は、
「もう手は出さない。君の力を貸して欲しい」
とロルナを必要とし、心から頼る。 それにロルナは応えようと、ファビオには穏便に離婚を進めさせてくれと懇願するが、それは叶わなかった。
生まれるはずのなかった愛が、密かにロルナの中に芽生えていた。 それはやがて、ロルナの妊娠として芽吹く。
しかしそれは、現実が許すはずも、また認められるものではなかった。
ロルナは家族を、愛を、皮肉にも求めている自分のことを押し殺し続けていた。 愛するひとは、たしかにいた。彼はふたりのために共に金を稼ごうと、ロルナの偽装結婚に賛成していたのである。
ロルナは自分の中にある愛だけを頼りに、生きることを信じた。
生まれるはずのない愛
が、この作品の命題である。 明日を待つ理由は、まさにひとそれぞれである。
2009年06月27日(土) |
影、闇、虚無。そして有の証明 |
自分の影の、その縁どりの際のところの「うす影」が、だんだんに幅広くなろうとうちふるえている。
「うす影」は、影とそうでないところの境目であり、それはなるべく境界然としてなるべく細くあってもらわねば困るのである。
境目が曖昧模糊となってゆくと、それに乗じて茫と漠が拡大してゆき、中身が判然としなくなってゆくのである。
とっぷりと暮れきった帰りの道すがら、辿る灯りの下を通り過ぎるたびに、影は伸びたり縮んだり、追い越したり引き下がったりを飽くることなく繰り返す。
場合によっては、二匹も三匹も同時にけしかけてきたりもするのだから、いちいち相手にしていたらキリがない。
キリがないのだが、なかば茫と漠が滲み出して判然としていないのだから、キリリと引き締めて統制するには及ばないところがあり、うす影はそれを抜け目なくつついて、さらにほころばせようとしてくる。
ほころびを取り繕おうにも、波縫いに毛の生えた程度しか裁縫術を持ってはおらず、とてもではないが抗しきれないのである。
縫い目の粗いところからそろりと漏れ出して、暗闇に、ぷつり、ぷつり、とわずかずつだが確実に絡み盗られてゆく。
盗られたものは、もう取り返しようがないものばかりである。
思索であったり直感であったり、意識であったり記憶であったり、そしてそれらの境目であったりする。
わたしがわたしの境目を完全になくす、なくしているとき、それはあくまでも自らの意思によるものであったり、わたしの延長上にある、あくまでもわたしというフィルター、ファインダーを通した「内側の外界」との境目であり、わたしの内側なのだから当然そこにわたしがないのであり、少なくとも、「ない」と思っている。
そんなこと、つまり「境目をなくす」ことなど、物語を書いているときや、予測なしに描かれてしまっているときになど、頻繁に起きていること、起こしている、或いは起きてしまっていることなので、迷惑や、まして戸惑いといった類いのものを覚えることはない。
しかし、わたしによるものではないが、紛れもないわたしの内から滲み出てくるわたしの茫漠とした影となると、また別の話である。
影というより、それはもはや闇である。
いや。 闇であればまだよい。
闇であれば、まだ「見えるはずのものが見えない」という存在を証明しようとする根拠のようなものがある。 それすらも無い、いっそ潔いほどの「無」である。
いや「虚無」である。
虚無は常に背中合わせでぴたりと張り付いている。 だから振り向くことはしない。振り向かずとも、背から光を受ければ、正面にうす影となってちらちらと様子を窺う姿がみられるのである。
面白い。
無が無の有を主張しているのである。
いや違う。
有であるからこそ、ことさら無の存在が際立つのである。
つまりは日々、有るということである。
2009年06月26日(金) |
モガチエコ、塵芥とダサい文士 |
今宵は大森であった。
イ氏に、なにはともあれ開口一番、
「観ましたよ、テレビ」
当の本人は、「え。僕は観てないんだよ」と、なんとも気の抜けた反応である。 今日の付き添いは不死鳥さんではなく、うら若きヤスダケイ女子であった。
たいへん久しぶりである。
ヤスダさんは若いからなのか、もとより真面目だからなのか、わたしがイ氏と、まったく関係のない話を延々、滔々と話し出しても、脇椅子にちょこんと座って、耳と笑顔を傾けていてくれているのである。
不死鳥さんであったら、「どうぞお話を楽しんでくださいな」とにっこりと室を出てゆく。
さてなんのはずみだったか定かではないが、高村光太郎とチエコさんの話になった。
なっただけならよいのだが、わたしは高村光太郎がかのロダンの弟子であったことを知らなかった。
わたしは、「実はわたしは、高村光太郎の名前程度しかしらないのです」と謹厳実直にイ氏に告白したのである。
そうして、チエコさんは、なにで亡くなられたのでしたっけ。結核、肺病の類いかなにか。
と訊ねてみると、イ氏はすぐに笑って否定したのである。
「違うよ。あれは失調症だね」
ほう、と膝を揃えてみる。 ヤスダさんも神妙な表情をして膝に手を揃えて伺っている。
高村光太郎はね、そりゃあもう、チエコさんにあれやこれや、カラダを猛烈に求めてて、チエコさんはそれを拒んでたんだよ。
ああ、愛の裏返りですか。 そうなのかわからないけど、イヤよイヤよ、を省みずにいたら、たまらないでしょう、イヤだと云ってる女性としては。
「それで統合失調症になっちゃったんですか」
ヤスダさんがクリクリした目で、イ氏に訊ねた。 素の顔でなかなか好感の持てる訊ね返し方をする。
「それは僕よりも、女性のキミのほうがわかるでしょう。どうなの?」
イ氏が、ややもすればそれはセクシャルハラスメントととられかねない、とわたしを内心ハラハラさせることをヤスダさんに返す。
ええっ、それは、ちょっと、私には。
ごにょごにょと顔を赤らめて笑ってごまかす。
「チ、チエコさんって、素朴な感じの女性だった気がするんですけど」
わたしはイ氏に訊いてみた。
グーグル画像の出番である。 イ氏の手によって呼び出されたチエコさんのモノクロ写真が、皆の目を集める。
素朴、ていうか、けっこう「モダン・ガール」だったんだよ。 「モガ」ですか。 そうそう。
モノクロ写真のチエコさんは、今でいうところの「モった」髪ですました顔をして、こちらではないこっちのほうを見ている。
「作家や芸術家なんて、二十代三十代でどれだけ女にモテたか、ていうことを物言わせてるんだからねえ」
「はうっ」 「そんなの、訪れたことありません」
さきの「はうっ」はわたしが声に出した悲鳴であり、それに隠れるように漏れだしていたのは、ヤスダさんのつぶやきであった。
「太宰が亡くなったのって、三十六、七だったよね」
先日の二十三日だったように思う。
「あなたの歳からあと何年かしら」
どうなの。いいの書いてるのかい。 書いてますよ。その歳までに、どうにか「いい」と自分で思えるものを書けるようになりたいですね。 読むんだから、書いたら早く持ってきなさいな。 その前に、モテたいです。
はっはっは。
しまった。 ヤスダさんがいたことを忘れていた。 みっともないではないか。
女性にモテる前に、できれば文芸界の審査員に惚れこまれねばならないのである。
ストイックなこの姿を、孤高な姿勢を、見せねばならない。
文士は食わねど原稿用紙
である。
寝がけに、わたしはテレビの画面に目を見開いてしまった。 まごうことなきわたしの知るイ氏が、テレビの中でしゃべくっていたのである。
「ざっくり」いうと。
ゆうこりんことタレントの小倉優子さんがやっている「ざっくりマンデー」という深夜のタメになる疑問回答型のニュース・情報解説番組に、でていたのである。
冒頭コーナーの幾つかの疑問のひとつに、ビデオ収録によるものであったが、いつもの室でその疑問に、ざっくりとわかりやすく回答している姿があった。
いつもわたしと、
あれ読んだ、 あれはよい、 いやだめだ、 彼はこうだ、 実はこうだ、
と清談を交わしている同じ室で、である。
「居眠りしているひとが、急にビクッとなるのはなぜか」という疑問に、いつもと変わらぬ口調で答えていた。
日本睡眠学会において、それなりに実績ある御方でもある。
主な専門は睡眠時無呼吸症候群であるが、それだけの御方ではない。
太るときは目に見えてわかるほどはっきり、顔も腹もまあるくなる。
失敬。
知り合いがテレビのなかにいるということが、とても不自然に思えたのである。 まして、いつもと変わることなくしゃべくっていたのである。
緊張の影ひと筋すら見あたらなかったのである。 やはり取材やらなんやらに対する馴れのなせるわざなのであろう。
わたしも馴れるよう、演習しておかねばならない。
いつそんなときがくるのか、それはわからないものなのである。
わからないのであるから、やはり、わかったそのときあたりから演習をはじめることにしよう。 あまりに早く準備万端整えすぎてしまっても、くたびれてしまうだけである。
くたびれるのは勘弁願たい。
2009年06月21日(日) |
「ディファイアンス」 |
「ディファイアンス」
をギンレイにて。
もうひとりの、シンドラーがいた。
というキャッチコピーがうたわれた作品である。
監督の違い、主人公のユダヤ人が同朋のユダヤ人たちと共に同じ立場で戦い生き抜いた、という違いがあるので、等しくみてはならない。
しかし、このキャッチコピーは、いただけない。
二匹目のドジョウという冠を、自ら載っけようとしているようなものである。
別物、である。
心震える感動を、作品の中に求めてはならない。 史実として厳粛にこの物語、事実を受け止め、それを咀嚼し、各々で感ずるままに思うことを胸に留めておくべきものである。
毎週末の定番となりはじめていることがある。
昼過ぎに神保町へと向かう際に、いつもは家を出てまずは上野の方へと向かってゆくのだが、逆方向、つまり谷中銀座へと向かうのである。
谷中銀座で軽食をとって昼飯をすませるのであるが、「谷中メンチ」やら「元気メンチ」やらのテレビや雑誌でお馴染みの有名店の前は、目もくれずに通り過ぎる。
わたしが目指すは、
「取材、撮影、一切お断り」
を掲げている惣菜店である。
なによりも、 安い。 美味い。
有名二店にひけもとらない。 ふんわりサクッ、の野菜コロッケが一個三十円である。 メンチカツこそ二店に気兼ねして同じ百五十円ではあるが、他はみな、安いのである。
チキンカツなど、わたしの両の手のひらほどあるというのに、百八十円であった。 唐揚げも百グラム百円という、わたしには悪魔の囁きにしか見えない。
わたしは、メンチカツと焼きおにぎり八十円と焼き鳥のももとつくね六十円ずつを頼み、金三百五十円也。
それらをくわえ、頬張り、かじりながら夕焼けだんだんをのぼり、野良猫たちをかわし、日暮里駅へと向かうのである。
そうして、いつもは徒歩にて向かっているはずの御徒町にて下車する。
なんとも贅沢なことである。
贅沢ついでに、眼鏡を買うことにした。 べつに度が合わなくなったわけではない。
わたしは普段、立ったり歩いたりしているとき以外、眼鏡はかけていない。 であるからして、度が進むということはなかなかないだろうと思っている。 思うのは勝手なことで、それとはお構いなしに度のほうがほいほいと進んでしまうのであれば、それはわたしにはどうしようもないことである。
度はともかく、眼鏡のつるのほうが、どうにもしがたいほどに、ゆるゆるがたがたのぼろぼろになっていたのである。
そこで眼鏡屋に入ったのであるが、辟易してしまった。
棚に並ぶ眼鏡たちが、いっせいにわたしをみているのである。
眼鏡であるから、ことさらに、あちこちから、である。
三省堂にて文庫を物色するように、わたしに目を合わせてくるものを選ぶようにはゆかない。
なにせ、眼鏡たちは目そのものなのである。
目を細めているもの。 見開いているもの。 涼やかに様子を窺っているもの。 挑戦的に睨みをきかすもの。 色目を使ってくるもの。
さあ。 さあっ。
勧進帳ではないが、鼓の音が段々、激しく早くなってくる。
いよおぉっ。
ぽんっ。
ようやく決めることができた。 とはいえ、せいぜいが十分くらいである。
それを超えるようならば、わたしは買わずに出てゆくであろう。
買うときは長く選ばない。長くなるなら出直す。 それは、そのときに買うべきではないのである。
新調したレンズを通して見える風景は、いったいどんなものが映るのであろうか。
そのひとつひとつを、書きとめてゆくのである。
涙雨、である。
今朝は愛し麗しのネモミに会わずじまいのまま、出かけてしまった。
何かを忘れたような、しかし、財布も定期も、ノートパソコンも充電器も、しかと持っている。
ハンカチは、云うに及ばない。 紳士のたしなみである。 たとえアイロンがかかっておらず、ふやふやとした折り目なきものだとしても、である。
なおざりに携帯で天気予報のマークだけをみて、とろとろと出てきたのである。
さて帰ろうとして、窓の外をみたのである。
ややや、しまった。
雨がしとどに地面を濡らしている。
折り畳み傘は、玄関の傘立てに突き立てたままであった。
それを忘れていたか。
ネモミに会わんとしていれば、おそらく、いや、間違いなく、「傘を忘れずに」と声をかけてくれていたことであろう。
嘆きの雨が、わたしの撫で肩を滑り落ちてゆく。 引っかかるところがないわたしの肩は、容赦がない。
わが天運に賭け、傘など使わずに帰れる運びとなることを祈ろう。
品川から御徒町へ着くと、地面は塗れていない。 やはり天運か。 大したものである。
では、といつもの通り、しけ込むこととする。 しけ込んでいるうちに、本格的に時化てきたのである。
天運に安易に乗ずるべからず。 天からではなく、己によってのみ、与うるものは与うるべし。
深々と、頷いてみせる。
決して、悔し紛れではない。
のである。
閉店の時間となり、軒先へと身を縮こまらせる。 降りはまだまだ激しい。
すわ、と目の前の地下連絡通路へと、とりあえず飛び込む。
今春に新規に開設された、ありがたい地下駐車場と地下鉄とJRを繋ぐ、至極あまり知られていないものである。
地下鉄ならば、出口から軒先を、義経よろしく八艘跳びにて軒先を跳び、あまり濡れることなく、帰り着くことができる。
しかし、ここに繋がっている地下鉄は銀座線と日比谷線であり、わが千代田線ではない。
千代田線は湯島であり、そこまでまた八艘跳びを要する。 このままJRで日暮里までゆくのは、愚の骨頂である。
軒はない、ここから歩くと変わらぬ距離、傘を買うにしても店はもうとっくに閉まっている。
とりあえず。
上野の山の腹、京成上野から外を伺ってみる。
雨足は弱まっているようにみえる。
二十分弱。
それだけやんでくれていれば、よい。
いや。 それはどうも無理難題らしい。
たかが五百円のビニル傘を、買ってしまえばそれですもうに、と冷ややかに見られている気になる。
絶対に負けられない戦いが、ある。
わたしがそうして素直に、従順に傘を購入したときに限って、ぴたりとやんでしまうことが、これまでに、多分にあるのだ。
買って勝ったつもりが、負けなのである。
勝つために遠回りするなど、遠回りでもなんでもないのである。
遠回りが負けならば、我が人生に勝ちはない。
ふたたび地下に潜り、軒先を借りつつ跳び渡り、千代田線の湯島を目指す。
まるっきり我が人生そのままである。
しかし、さすがは、
我が天運也。
そうして千駄木の駅から出ると、ぱったりと雨足がやんでいるではないか。
これをただ、
「雨宿りの時間を稼いだにすぎない」
と思われるのは、はなはだ心外である。
ただ、ぼうっと待っていたのではないのだ。
金曜の帰り、駅構内のとある書店の店頭モニターで、発売された「ワールド・ベースボール・クラシックへの道」の映像が流されていた。
都内有数のターミナル・ステーションのひとつである。
会社帰りのサラリーマンたちが、腕組みあごをひき、黒山の人だかりを形成し、画面に食い入っていた。
わたしも及ばずながら、画面と画面に食い入っていた皆の姿をその末席にて観させていただいていたのである。
何事かとわたしの脇に紛れてきた若いカップルが、睦事のような口調で言葉を交わし合う。
ねえ、すごいひとだよぉぉ。まだ観てくぅ? いや、もう行こっか。 いいのぉ、観てかなくてぇ? このイチローが打ったら終わりだから、そしたら「どうせ」、サァーッとみんないなくなるから、今のうちに行こうぜ。
サラリーマンたちの肩が、ピクッと、揺れたような気がした。
「大将、後は頼んます」とベンチから川崎宗則が熱く見つめている。 まさに、感動の、あの場面である。
ウワァーッ。
画面の中に大歓声が湧き上がる。 それを観ているこちら側のサラリーマンたちからは、歓声が上がることはない。
すでに一度、その熱い感情と歓声は、吐き出してあるのだ。
大人の、企業戦士たるもの、ぐっと腹で堪えるべきである。
いや。 それだけではない。
先ほどの若者の発言が、皆の耳に、胸に、引っかかっていたのだ。 それだけではない。 それは皆の足までをも、地面に引っかかったままにしていたのである。
ご存知の通り、試合はその裏に日本代表、サムライジャパンが守備につき、守りきって、そうして万々歳、拍手喝采、雨あられとなるのである。
そのときを迎えるまでを、皆がむずむずしながら、固唾を飲んで見守っているのである。
絶対に負けられない戦いが、そこにはある。
やはり皆、サムライなのであった。
ベンチからサムライたちが飛び出す。
そして。
画面の前からサムライたちが去ってゆく。
「どうせ」と云われて、負けてなるものか。
負けられない戦いが、あるのだ。
2009年06月13日(土) |
「わが教え子、ヒトラー」と暇を耐え忍ぶ |
「わが教え子、ヒトラー」
をギンレイにて。
ヒトラーの演説指導者として収容所から突如連れてこられた元ユダヤ人俳優のグリュンバウム教授。 彼が、たったの五日間ではあるが、教え子として前にした男は、ただの孤独な男だった。
実話に基づいた物語、だそうである。
ユーモラスでウィットな作品であった。 そこかしこに皮肉が散りばめられ、御輿に担がれたものは、しょせん飾りであらねばならない。飾りたりえなくなれば、それをなんとかせねばならなず、ならなくばすげ替える以外にないのである。
真実の演出
なかなかの言葉である。
現代社会では、およそほとんどがこれを意識して日々暮らしている。
就活婚活などこれらにはじまる対人関係に関する演出のノウハウが、天気予報並みに流されている。 頭皮をめくってみると、おそらく皆が似たような出版社や放送局、著名人らの名前が、マーカーでひかれて書き連ねられていることだろう。
皆が同じことをやったとしたら、それは個性ではなくなる。 それは本末転倒の話で、実際には、演出はあくまでも演出。演出は本来の個性や主張があってこそのもの。 だから、自分を磨くこと、知ること、伝えたいこと、を、ご自分でいかにして見つけるかが大事なんです。 それを忘れないでくださいね。
との、関係者の発言もある。
演出もひと通り世間を一周して、素直に演出に驚き感動し、受け止めるようになっているのかもしれない。
演出を演出として恥ずかしげもなく演出してみせることは、素晴らしいことなのかもしれない。
しかしわたしは、丁重にご辞退申し上げよう。
恥ずかしくて、とてもではないが、想像すらできない。
さて。
暇である。
額面通りに受け取ってはならない。 暇であるということは、余裕がないということでもある。
余裕がないので、なにかやるべきところをなにもやる意識が向かない。 その結果、暇である、というところにゆきついてしまうのである。
それならやるべきことをやるべし。
との知慮遠望なるご意見をのたもうことなかれ。 ボタンひとつ押せばよいだけのものでさえ、押すどころか指をのばすことすらせずに、暇である、とのたまっているのである。
ねじまき鳥すら、鳴きはせぬ。
目が覚め、昼を回り、神保町へと向かう。 ぐいんの最新刊発売日であり、巻末に著者である栗本さんの訃報にかんする早川文庫からの何樫かが書いてあるかと思ったのだが、本人のいつも通りのあとがきがあるだけであった。
向こう三巻ぶんほどの原稿はあるらしいとの噂であったが、どうなるのだろう。
不安をまぎらわすために、ライスカレー「まんてん」にて胃袋をかわりに満たす。
わがこころのカレーである。
うむ、若干満たされたような気がする。 しかし、不完全である。 コンビニに寄り、ジャイアントコーンとフライドチキンを買った。
しゃくしゃくとかじったが、満たされない。
腹がくちくなるだけであった。
寝たい。 寝てはならぬ。
なるほど、そこのところの問題が積もり重なっていたようである。
こればかりは、もうどうしようもない。 うまく効いてないようなら、お手上げの日々を耐え忍ぶのみである。
あ、いたいた。
なにがいたのだろう、と顔をあげると、
にーさんっ。
わたしは嫁にいった姉がひとりいる弟であり、この年になるまで腹違いだの生き別れただののわたしの弟という存在を、ついぞ聞いたためしがない。
にーさん、お久しぶりです。
だからご無沙汰になっているような弟なぞいない、と否定したい気持ちをぐっと押さえ、代わりにあごをあげてみせる。
前の勤め先の後輩であり、今の勤め先では先輩である予行地であった。
やあやあこれはこれは、とご無沙汰の非礼を詫びる素振りだけを鷹揚にしてみせる。
いやいやこれはこれは、と気にすることなど微塵もみせずに、互いが互いを歯牙にかけることもなく、ひと通りの挨拶儀礼を投げやりあう。
なんの物件をやってるんすか。 えっ。 すごいじゃないすか、超話題物件じゃないですか。
言われてはたと気がついた。
なるほど、たしかにそうかも、とピントの合わない返事に、予行地はさらにたたみかけてきた。
前やってたやつだって、そうじゃないですか。
またまた、ふむそういえば、なるほどなるほどたしかにネーム・バリューだけはすごいかも、と感心してみせる。
しかし名前は出ないし、と口答えもしてみる。
いやあ、すごい出世じゃあないですか。
予行地よ、勘違いしてはならない。
これは皆、上司である津市のなさるわざなのである。
虎の威をかる狐
どころじゃあない、「鼠」だよ。
あっはっは、と共感の笑いをあげ、
明日昼飯いきましょうよ。
と誘われた。
すかさず「応」と素直に答えるのも釈然としない気がしたので、とりあえず、とぼけてみた。
とりあえず、は、とりあえず、である。
とりあえずだから、それがわかっている予行地はそれにとりあわず、
じゃあ明日、いつもの場所で。
と去ろうとする。
いつも、といっては、いつもに対して甚だ申し訳ないが、三度重ねればそれはもう、いつも、に対しての面目もたつだろう。
明日はその、いつも、の面目躍如とゆきたく思う。
池のみなもを渡る風がなまあたたかく、まるで猫の舌のように、ざらりとわたしを舐めまわしてゆく。
関東地方ももうひと晩ふた晩で、梅雨入りらしいことをネモミから聞いた。
裾が腿にまとわりつく、あの感覚こそ猫の舌のように思い、それが愛情表現ではない不快なものとして感じられる時候になりつつある。
猫のように足音を忍ばせて夜道を歩き帰っていると、思いのほか野球の素振りに励んでいる姿を目にする機会が多い。
それは熱心に、そして寡黙に、おそらく中学生のようだったり大学生のようだったり、それなのに皆一様にバットを振り回し続けて夜の一角をわがものとしているのである。
背後から素振りのタイミングをうかがいつつ、そっと通り過ぎようとしていると、彼は突然、バントの構えをしたのである。
一度ならず、二度三度、とまだまだ繰り返そうとしている。
片足をひょいとひき、ありもしない向かってくる球を、真摯に、丁寧に、包むがごとく受け止める。
膝はやわらかく。 しっかりと当たるまで、 目を逸らさない。
納得のバントができたらしいときには、彼は、うんうん、と、膝のやわらかいクッションを存分に発揮させてひとりうなずいていた。
うかがいつつ、うかがったままでどうしようもなくなっていた背後のわたしに気がついても、彼はそれをやめなかった。
ヒュォン、という懐かしい音を彼に期待するのをやめ、わたしは通り過ぎることにした。
彼はまだ、音のしない素振りを寡黙に、真摯に続けているのだろうか、静寂の夜の一角のなかで。
2009年06月07日(日) |
「Paris」と生きる輝き |
「Paris」
をギンレイにて。
心臓病で余命数ヶ月の宣告を受けたピエール。 ピエールの住むアパートから見渡せるパリの街で暮らす人々の「生きる」姿を、それぞれが交差しながら描く。
今を生きることと暮らすことは、同じであって欲しく望むものであり、 それは困難なことでもある。
生きることを望めば、 暮らすことを犠牲にせねばならない、
ことにもなりうる。
暮らさねばならないなら、 生きることは後に回さねばならない、
ことにもなる。
今を、とは云わない。
わたしはいまを生きている、と、云わねばならないはずが、思わず口ごもってしまう。
なんてもったいないことを、と。
生きているものは、みな輝きをはなとうとする。
玉磨かざれば光なし
あちこち転がっているうちに、角だけがすっかり落ちて、碁石ほどにも小さくなるだけなってしまっているようだ。
しかし、碁石ほどの小さきものでも、碁盤の上では宇宙の星ともなりて輝くこともできる。
黒星か白星かは、わからぬが。
願わくば、黒耀石のごとき黒星の光を放ちたいものである。
大森で、さまよってしまいました。
こんな本、渡しちゃ怒られちゃうかしらん。まあ、さらっと流し読んじゃってよ、とイ氏が挨拶もなしに、わたしに本を差し出したのです。
駒場で大学生時代、彼がヘルメットをかぶってたころ、僕は反対側にいたりしたんだけどね、とあたたかな苦笑いで鼻の頭を掻いていました。
さて、と話題を村上春樹氏の新作に水を向けようとしてみると、へえ、何て作品なの、とイ氏も知らなかったらしく、パソコンの画面をこちらに向けます。
ええと、村上、はるき、新刊、で出てくるかな。 おっ、これかな。
ふたりがんくび並べて、ググった画面をのぞき込みます。 トピックだけの画面で、うひゃあっ、すごいばか売れじゃないっ、とバンザイの格好でのけぞります。
いや、ほんとに凄い売れ行きらしいですよ。 上巻読んでから下巻買いにいったら売り切れで手に入らない、なんてくらいらしいですから。 へえ、そりゃあ何万部も初日で売れたみたいだから、そうなるはずだよ。スゴいねえぇ。
互いに一拍おいてから、 図書館に入荷したら、 文庫本になったら、
読もうかしらん。
と、頷き合ったのです。 あ、そうそう、とお借りしていた本をお返しして、またそれについてぼやぼやと感想を並べあい、さらさらと書付をすませ、はいそれじゃあ、と、あっという間に時間が経ってしまっていたのです。
ではでは失礼して、またこれをお借りしてゆきます、と室をでて、カウンターで清算待ちしていると、そういえばさ、とイ氏がふらりと再登場したのです。
るうあん、行ってみた?
るうあん、ルーアン、グインなんてイ氏が知っているはずは、と振り返り思い返してみたのです。
ああ、と手を打ち、
ここの裏のほうに、なかなかいい喫茶店が、あるんだよ。今度のぞいてご覧なさいな。
そうです。 大森のなかなか好い感じの喫茶店を、ちょいと、といってもふた月ほど前に、教えてもらっていたのです。
もちろん、すでにのぞいてありました。 なかなか、「本格的な喫茶店」でした。
ここの「本格的」という言葉は、こしきゆかしき「喫茶店」にかかっています。
イ氏曰わく、よぼよぼの爺さんがカウンターでゴリゴリとやっている、「王道」の「喫茶店」。
「カフェじゃなくてさあ、ほら、なんていったっけ、こういうまるいガラスの器の、がでてくる」
クリームソーダですか、いやパフェじゃないかしら、カウンター向こうの女子たちが首をひねります。 わたしも、じゃあサンデーですか、というと、
「ちがう、フルーツポンチだ」
イ氏はつっかえがとれたようなすっきりした顔になり、慌てていいつくろいます。
「フルーツポンチ、なんて若い女の子の前でいっても、おやじなだけだねえ」
くしゃりと顔を赤らめて照れています。
いやいや、フルーツポンチは、小学校の家庭科で習ったりしますから、とわたしは白玉だったかしらん、とのあやしい記憶を掘り返してみました。 そうそう、うんうん、とカウンター向こうの若い女の子たちも頷いてくれてました。
イ氏は気を取り直してくれたようで、室に帰ってゆく背中は少しだけ、ちょこんと丸くなるだけですんだようでした。
そんな話をしたせいでしょうか。 時間も夜の八時を回り、すっかり空腹だったせいでしょうか。
帰りの大森駅の改札に向かう途中、駅ビルのアトレを通り抜けてゆくのですが、そこは飲食のフロアなのです。
イートインではなく、ショップがぐるりとフロアに肩を並べ、ひしめき、輪になっておいでおいでをしているのです。
ベーカリーのカレーパンをショーケース越しに舌なめずりをしてすますだけならよかったのですが、外の路上をしとしとと濡らしてゆく雨のように、じんわりとわたしのなかにも染み渡ってゆくものがあったようです。
あ、あすこにはごでぃば、もろぞふ、ふろ、だいこくもあるるぅ。
ほかにも老舗の様々な店がエヘンと咳払いをしています。
ひとつひとつを丹念に、目を細めて、八の字を描きながら眺めて回ります。
タルトが、とてもとても魅力的な、まるでルビーを敷き詰めたような輝きを放っていたり。 ハムが、あやしくもムチムチとした身をてらてらとひかっていたり。 モンブランが、うねうねむにむにとかしこまって鎮座ましましていたり。
ふと気がつくと、おのおのが店仕舞いの支度をすっかりはじめていたのです。
わたしはそこでまた、あらたに気がついてしまいました。
改札につながる通路は、いったいどこに。
大して広いわけでもないフロアを小一時間もかけてさまよっていたので、すっかり時間と広さと位置の定規が合わなくなっていました。
ひとは、妄想だけでもそこそこ腹を満たす幸せを味わえます。
しかしわたしは、すっかりつかの間の幸せを堪能してしまいました。
妄想からさめたら、きっとどうなってしまうのでしょうか。 青い電車に揺られながら、うすら寒さにふるえていました。
2009年06月03日(水) |
「君は永遠にそいつらより若い」 |
津村記久子著「君は永遠にそいつらより若い」
先日、芥川賞を受賞した「ポトスライムの舟」の著者である。 そしてこの作品は太宰治賞受賞作品であり、デビュー作である。
大学卒業前、就職を前にして、いまだ自分が「経験ある女」ではなく「おんなのこ」であることに劣等感を覚え、悔やみ、悩み、全人類に「処女」という言葉を「童貞の女」「不良在庫」「劣等品種」等々に言い換えさせられないか、と、切に願い地味に布教活動するホリガイ。 そんな世間・社会での孤独を常に抱いている彼女を通して、彼女の周りに関わった、やはり孤独や異質や違和感を抱く人々を、描く。
原題「マンイーター」を発刊時に改題したものである。
太宰治賞の受賞作品は、いったいどういう傾向があるのか。
主題は必ず、「悲しみ」や「孤独」を孕んでいなくてはならない。「絶望」にまで孵らせているなら、なおよい。
それを際立たすために、主人公は「不器用」で「一途」でなくてはならない。文調に「粗雑さ」が現れていれば、なおよい。
「粗雑さ」の内に、固い言葉とその言葉をやや振り回し(回され)気味な感を印象付けること。しかしあくまでも「固い」のであって、「難しい」言葉ではない。
倒錯的なものであってもかまわない。それを社会の事象の中で位置付けさえしてあればよい。
といったところが、わかりやすく、且つ最低限の様式だろうか。
石原慎太郎氏などに、
なにをこんなくだらないことを、ご大層に。読むのも時間の無駄。この体たらく、嘆かわしい。
との、別の主催の新人賞での毎回恒例となっている審査評の類いをいわれようが、まずはそれありき、なのである。
そういうのであれば、太宰治賞に似合う作品を書いてみせるのが早かろう。
偉そうな口をきいてみせている手前であるが、わたしのいまの作風では、ちと隔たりがある。
秋までに着手し終えることができれば、まずまず、のつもりではいるのだが、まあまだわからない。
ぼんやりふらふらの世界に頭がいってしまっている故。
太宰といえば生誕百周年である。
様々な著書が棚に並べなおされている。 暗い、重たい、との印象は、じつは間違いであり、なかなか滑稽で愛くるしいものの書き手であるらしい。
まつなぎで、くすりとできる場面を見つけに手を出すのもよいかもしれない。
ねじは、かたく締めすぎると千切れてしまふ。 適度にゆるく、余りを持たさねば使ひ物にならなくなってしまふおそれがある。
わたしのやふに、ゆるみっぱなしも考へものであるが。
気がつかなかった。
「衣替え」
である。
クール・ビズという名の、ノー・ネクタイが許される期間がはじまっていたのである。
タイよ、さらば。
べつに、トム・ヤン君やナンプ等と親しい交流があるわけでもない。
くだらないことを、と思われただろう。
くだらないのであるから、のぼることにしよう。
さてどこをのぼるかというと、上野の山をのぼったのである。
ただのいつもの帰り道、と思われるかもしれないが、じつは、山自体は微妙に迂回してよけることがほとんどなのである。
上野駅が目的でないかぎり、まず山を越えて向かうことはない。
陽があるうちは、休日の大道芸をひやかしに寄ることがなくもないが、陽が落ちると、まず、寄る理由がなくなる。
とはいえ、時折、芸大前を通り、裏手から我が家に帰ることがなくもないのだが、足は早足が常である。
花見の時期以外は、どうにも長く留まりたい気にはならないのである。
知るひとも多いと思うが、上野の山は様々なものが積み重なってきた山でもある。
江戸の大火。 戊申戦争。 東京大空襲。
などの言葉にならぬ思いやら魂やらが逃れ集まり、折り重ねられ、天に手向けられた場でもある。
勘ぐらねば大したことなどない、水と緑と歴史の豊かな山である。
さわさわと、葉桜が手を振る。
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