2011年03月31日(木) |
ひとりで伝えようとするばかりのそれだけの日々じゃない。 |
ああ、木曜だから大森にゆこう。
と思っていた。
それなら七時過ぎにここを出なければ、と時計をみると、はや七時半になろうとしていたのである。
薬の残量は、五日分ほど、まだあったはず。だから週が明けてからもらいにゆこう。 だから週末は、飲まずに過ごせたらいい。 それは無理か。
しかし、仕事が残っている。
それを残したままだと明日が辛くなる。
八時半を回った。 そのとき、携帯電話が鳴った。
「もしもし、竹さんですか」
なんと電話はイ氏からだった。
「来なくて大丈夫だったの?」
ほら、もうなくなる頃だし、地震があったし。
「何かあったのかと、思ったよ」
イ氏はわたしひとりだけをしか診ていないわけではない。
それを。
気に掛け心配し、わざわざ電話してきてくれる。 そんなイ氏は、父と同じくらいの年齢ではあるが、ありがたい。
じん、とさせられてしまった。 不意討ちだった。
気に掛けられるというのは、やはり、嬉しい。
「週明けに、伺わせていただきますから」
ああそう、大丈夫なのね? それじゃあ。 それじゃあ。
前回の大森から三週間が過ぎ、二週間分と残りも尽きる頃。 忙しいことを理由に、それを改善する意思より先に薬に頼ろうと甘えかけたところを、ぴしゃりと叱られた後であった。
だからきっと、またすぐ、今ごろ不足して無理してるんじゃあないかという心配をしたからなのかもしれない。
残量は毎回申告し、きちんと管理するよう義務付けられているから、イ氏にもだいたいわかるようになっているのである。
モディが尽きれば、残るは緊急時、やむないとき用に頂いてあるリタ錠しかない。 それがいやだから他のはないか、だのと言ったわたしが、前回の発端にもなっている。
無理して飲まずにいる方を、そうでないならその負担を、イ氏は慮ってくれたのである。
とかく最近は、余裕がない。
だからこそ、投げなくとも向こうから投げてきてくれる。 しかも、投げ返しやすい右肩のあたりに球をくれるキャッチボールの心地よさを、思い出させられる。
大事なとこでの悪送球に定評があるわたしだったのだが、それは忘れることにしよう。
腹から、声を出したくなる。
「おぉ〜っぜいっ!」
と。
桜が、咲いていた。
上野公園の寒桜は狛犬のように、すでに見事に花開いていたが、ほかはさっぱりだった。
靖国神社も大鳥居のあたりでは、まだまだつぼみが、そういえばぷっくりしていたかもしれない。
その翌日、
「開花宣言」
が出されたのである。
なんだか、悔しい。
やはり鳥居をくぐって中まで観に行ってみれば、三粒ほどのサクラの花が観られたかもしれない。
震災による自粛の風は、上野の桜祭りも取り止めにし、すっかり寂しい上野の山である。
四月を前に、人事の移動が忙しい時期である。
ご多聞分に漏れず、わたしも他人事ではない身分であった。 出向の身だが、ちょうど三月いっぱいでその契約期間が満了となるのである。
我が社から出向してきている同期でもある大分県と、ふたり揃って本社に戻る、いや戻す、と会社は考えていたのである。 現在出向してやっているBIM物件も、あらかたの区切りはついてきている。
その培ったBIMツールの知識と経験を、本社に戻って展開させよう。
いい加減そうせねば、パンクして火を噴いて、火の車になる。
しかし、我々ふたりが抜けると、出向先のBIM作業者がいなくなる。
妥協点で、ひとりだけ残す。 もしくは、ふたりとも期間延長せずに帰して、外注として事務所に発注するようにする。
この二者択一になるだろう。
どうやらふたりとも帰すことになる予定だったらしいのである。
荷物整理やらデータ引継ぎやらを、残り二、三日でやらねばと思っていた矢先。
「竹くん、あともう半年、お願いすることになったから」
担当課長の利休さんが席にやってきて、告げられたのである。
大分県も、ですか。 ううん、竹くんだけ。何々のBIM物件をちょいちょい手伝って欲しいからさ。 ああ、なるほど。
大分県に掛け持ちしている仕事はなかった。 わたしのほうが彼より半年以上こちらに長くいる分、その間にやってきた関連物件が、ちらほらあったりするのである。
我が社からここの他の設計部に出向している者たちは、皆本社に戻ることになったのである。
つまるところ、我が社で出向しているのはわたしだけ、という状況になる。
振り返れば、わたしは正社員だった稲を退職してから以後、ずっとそのときどきの所属会社から出向という立場が繰り返し続いているのである。
なんとも不思議なものである。
桜は接ぎ木をして花を咲かせてゆくが、わたしは咲くことなく次へと接がれ続けているようなものである。
まあ、それもよいだろう。
春はまた来る。 花を連れて。
電車の窓越しに見た桜は、 今年もまた花をさかせる。
過ぎ行くのは景色ではなく、 過ぎ去ろうとしている自分。
螺旋階段は一点を中心にし、ぐるりと大きく回っている。 何周目の、果たして同じ景色なのか、少しでも高みに上っているのか。
季節だけが流れているだけなのではないのか。
同じ桜を見上げ、自問する。 答えは、たぶんわかっている。
三浦しをん著「きみはポラリス」
様々な形をした「恋愛」を集めた十一篇の短編集である。
「格闘するものに○」「まほろ駅前多田便利軒」以来の三浦作品である。 「風が強く吹いている」を先に読みたかったのだが、三省堂で気付くと本作を手にレジに並んでいたのである。
「ポラリス」とは「北極星」のことである。 遠く昔から、道しるべとして旅人を導いてきた。
タイトルと同名の作品は収められておらず、つまりは、恋する相手こそがポラリスである、自分が目指し、また導いてくれる存在だ、ということなのである。
それは一見して他人にはわからない形をしたものであっても、決して姿を見失うことなく天に瞬いているもの、なのである。
例え年齢、性別、信仰、生活環境、それらが違っていても。
十一篇もあれば、様々な形をした「恋愛」がある。 なかでもわたしが最も共感したのが「優雅な生活」である。
ライターの彼と同棲中のOLの彼女が、同僚らの影響で「ロハス」な生活をしはじめる。 玄米ご飯に無農薬野菜にヨガにと、勿論共に暮らしている彼も付き合わされることになる。
やがて彼は「ロハス」な生活に協力的になり、むしろ積極的になってゆく。
はじめ、こんな場面がある。
「妊娠するかもしれない不安を抱えてセックスするのは、あまり気持ちよくはないんだよ」
ゴムを面倒くさがる彼に言うのである。
そしてすっかり「ロハス」に染まった彼がやがて、
「これだけ自然にこだわっているのに、この一部分だけ化学製品があるのはどうかと思うんだが」
とつぶやく。
それとこれとは話が別、という冗談だが、実は彼女は「ロハス」に飽きがきていた。
ロハスはセレブがお金をかけて楽しむことからブームになった。 ただの毎日を生きているだけで、十分生きている。
自分が言い出した手前、止めようなんて言いづらい。 彼はますますロハスにはまってゆく。
彼女はとうとう打ち明けるする。
「あなたと、ちょっとだけでも一緒に何かがやりたかった」
仕事で部屋に籠もり、朝夜不規則、自分は規則正しい仕事で、ふたりの時間が合わない。
だから。このくらいなら、一緒にやってくれると思って。
想像以上にはまってしまっていた彼も、彼女に打ち明けるのであった。
わたしは、おそらく誰かのポラリス(北極星)にはなれないだろう。
見守り、指し示すだけなど、そんな大人な人間ではない。
ただ。
同じ星を見て、共に目指し、共に迷い、共にいることを常に感じ合ってゆきたい。
ただでさえ、自分ひとりですらままならぬ歯痒さを味わうことがあるのである。 甘えなのだろうが、感じられる人影すら見えぬならば、ひとりの方が自分の影だけを向き合って相手にしてゆけるから楽なのである。
楽を求めて暮らしているのだから、代わりに手にできないものが多々あるままなのは仕方がない。
しかし。
しばらく足元の砂に足をとられ、わたしの北極星を見上げる余裕すらなかった日々に、言い訳にしか過ぎないことはわかっている。
ようやくぽつぽつと「日記」に指をかけられるようになってきた。 ページはもはや完全に乾ききり、パリパリと危うげな音を立てている。
砂嵐の夜でも、そこにあるはずの北極星を、いつも目蓋の向こうに。
2011年03月20日(日) |
「ソフィアの夜明け」と月にカケル願い |
「ソフィアの夜明け」
をギンレイにて。 ブルガリアの首都ソフィアの、そこで今、生きている若者たちの現実と苦悩、絶望と希望を描いた作品である。
主演のフリスト・フリストフ自信の人生を描いたといってもよい、らしい。
ドラッグ中毒の治療をしながら木工所で働くフリストは、木工アーティストとして才能があった。 しかし、なかなかその機会に出会わず、ドラッグのかわりに酒浸りの日々を過ごす。
弟がネオナチの集団に引き込まれ、観光で訪れていたトルコ人家族をトルコ人排斥活動で襲い掛かった現場に居合わせてしまう。
襲われたトルコ人家族の娘とフリストは淡い心を通わせはじめるが、
「この国のやつらと関わるな」
と、トルコに早々に帰国させられてしまう。
命の恩人であったはずのフリストでさえ、「やつら」に含まれてしまう。
別れの言葉も交わせぬまま、ふたりは引き裂かれてしまう。
報われない国、社会、現実は絶望ばかり。
政治家がネオナチ集団のスポンサーをし、なんのチャンスも、ない。
そんな絶望ばかりの現実に、フリストは、明けはじめた朝の街を、歩く。
明けない夜はない。
とのメッセージを込めて。
フリスト・フリストフは、不慮の事故で撮影中に亡くなった。
東京での国際映画祭で本作品が図抜けて高評価をえたそのとき、彼はいなかったのである。
これは、「RENT」のジョナサン・ラーソンとも同じである。
フリスト・フリストフに捧ぐ。
作品に添えられたメッセージである。
彼の人生を、実際の街、場所、恋人らと再現した作品であり、この作品がある限り、彼の人生もまた繰り返し観られるのである。
さて相変わらず赤札堂では牛乳やパンの棚ががらんどうである。 その他の野菜やらは、通常通りに流通しているのか、きちんと揃っているのである。
これは、血が牛乳で肉体がパンで出来た人間でない限り、大した問題ではない。
わたしには京から心強い救援物資も送っていただいてあるのである。
まだ大きな余震が北関東で起きたりしているが、おそらく収束してゆくだろう。
最後にドン、と花火を打ち上げようとしない限り。 周辺のプレートがあれだけ解放しているのに、集結部が何もないのが、少々気にはなる。
どうせくるならば、まだ皆がした準備と気持ちが切れない今のうちが、ありがたい。
いややはり不謹慎なことは言わないでおこう。
それにしても、月が見事だ。 最も地球に近づく日らしい。
これなら、エルシーなしに飛び越えられそうな気になる。
Jump over the moon!
ダイエット・コークしか飲むことを許されないサイバーランドなんか、御免蒙りたい。
I'm Mr.no-sleeve!
真冬の夜に、コートと暖をとれる屋根の下を与えてくれるAngelはどこに。
孟宗竹ならぬ妄想竹は、根を張り大地にしっかと立たなければ。
2011年03月19日(土) |
compass rose |
冷たく澄んだ夜空に、美しい月が浮かぶ。
春を目前にして一転、しばれる冬の寒さに身を締めつけられる。
さて、大地震から一週間が過ぎた。 相変わらずコンビニやスーパーの棚はがらんどうだった。
ここは東京である。
余震でコンクリートの壁がガラガラと崩れ落ちたりしたのは比較的古い建物が多く、電気・ガス・水道が壊滅的に被害を受けたわけでもない。
なのになぜ。
地震後三日以内に、同規模の大地震がくるかもしれない。
米だ、牛乳だ、日常品だ、電池だ、懐中電灯だ。
原発が、放射能が、北風だ、これはヤバイ。
いざ、西へ。
新幹線の切符が、ホームが、改札が、群がるひとの背中で埋めつくされる。
電力不足による計画停電が、あるのかないのか、電車が運休か、本数削減か。
それでさらに大パニックである。
「品川駅に、すごいひとが溢れてゆきますよ」
ビルの足元から、蟻よりも濃く太い筋が連なっている。
それはもう、地震を恐れてではない。
帰れなくなることを、恐れてである。
飲食店に入れば、食事はできる。 弁当屋にゆけば、たいがい普段と変わらぬ様子で、買うことが、できる。
流通の、底力の、賜物である。
無論、各店の努力の賜物であることをまず第一として、というべきだとしてである。
そしてようやく、空になっていた食料品棚にも、数量限定ながらも、品が並びはじめているようである。
買い占めに対する道徳的批判の声に、ようやく冷静に耳を傾けることができるくらいに、気持ちが落ち着いてきたのかもしれない。
それでも、まだ不安がなくなったわけではない。
地震の騒動と、やにわに舞い込みだしたBIMの仕事のマネジング、というのは口幅ったいが、それらでてんてこ舞いになっている。
二崎さんの担当となるBIM物件の打合せで我が社へ向かう道すがら、
「満月って、なんかヤバイんじゃないの」
先日、社内結婚の電撃報告をすましたばかりの二崎さんである。
「やなこと言わんといてくださいよ」
カツカツと靴音を強く鳴らせながら、わたしは二崎さんをひとにらみしてから、月を見上げたのである。
まだ金曜夕方の五時半だというのに、そのときもまた、月は美しかった。
体制もシステムも未整備なのに、はいはいといい顔して根拠もなく仕事を受けている、いや受けなければならない皺寄せが、きている。
経験者がいない。 かろうじてのわたしと大分県のふたりは、出向していて、口しか出せない。
まったく、いい加減にして欲しいよ。ホントに。
二崎さんが、心底、こみあげて溢れだした本音をこぼす。
ホントにゴメンね。 竹くんに言ってもらわないと説得力ないし。 わかってくれないんだよ。
これもまた、本音の、絞りだされた二崎さんの言葉だった。
説得力あるかわからないが、なんとか社長と火田さんらを、真っ向にして、現実を説明し、理解を求める。
親会社の方針だって、進め方だって、まとめ方だって、決まってない。 なのに短期間で、ソフト初心者だけで、従来の二次元と同じ成果品を出すのは。 百パーセント。 無理です。
ゴール地点までの道筋が見えないのを、手探りで、素人が、プロと同じように辿り着かなければならない。
それを聞いたところとて、仕事として、たとえ現実を知らない者同士だとて、受けてしまったのだから、仕方がない。
結論は大体予想通りである。
わたしが先方のところに行って、我が社の体面を損ねないよう、そして何より「BIM」の可能性を決して閉ざさないよう、ご説明して差し上げなければならないのである。
「竹さんの口から、BIMのいいところを聞いたことがないから、心配だなあ」
火田さんが、疑わしげにわたしを見る。
あなたはBIMの何をやった事があって、いいところ、を知っているのですか。 うまく運用が出来ず、どれだけわたしらが苦労してきているか。
それを常にわたしはあなた達、ホイホイBIMの仕事は私どもに、と、やむなし嬉々として言って回っているのを、釘さし続けてたのに。
恋をしたことないひとが、恋は素晴らしい楽しいだけのものだと夢見ているのとは、違う。
夢だけで、仕事は出来上がらないんですよ。
夢を見させるのは大事なことだが、見せる相手と同じ夢だけ見て、実現できるわけではない。
自らの首が締まって、ようやく言葉が届いたようだ。
立場上「出来る」と言うのを真に受けてはならないことくらい、その立場にいる方なのだから、わかってくれるだろう。
compass rose
碇を上げ、帆を張れ。 辿り着ける場所などなくても。 それが道を照らす。
真藤順丈著「地図男」
第三回ダヴィンチ文学賞作品である。
助監督をしている「俺」が、ロケハンで街を巡っていたときに出くわした不思議な男。
いつも地図帳を抱え、そこには余白もなく、付箋だらけで、それらにはびっしりと細かい文字で何かが書き込まれている。
そのそれぞれは、地名や場所にまつわる物語の断片だった。
物語が場所を移れば、その場所の地図の余白、付箋、レシートの裏、あらゆるメモに書き繋がれている。
はじめは、条件をあげればそれにピッタリの場所をそらですらすらと教えてくれる便利な男、と思っていたのが。
地図男の書き込んでいる物語こそが、気になってゆく。
誰に見せるためでもない。
しかし。
誰かに読み聞かせるように、それらは書き込まれている。
東京二十三区の区章を奪い合う、アンダーグラウンドの熱い地元愛に燃える区民達。
天才的な音楽の才能を発揮し、地名に含まれた数字をもとに作曲してゆく家出した三歳の男の子。
破壊することでしか自分の存在を感じることが無かった少年と、じっとしていることは死んでいるのと同じことと、常に動いていなければ気が済まない少女が出会った西東京。
この二人の地図物語が、やがて、泣かされてしまう。
大した演出がなされているわけではない。
芸術的な文章で描かれているわけでもない。
一文一文にかっこよさとか関係ない「力」が込められているようである。
地図男がその地図の余白に、地名の上に、無心で物語を語り書きするのと同じように。
地図男は、何のために、誰のために、物語を描いているのか。
地図帳を持って、街に出よう。
街には、誰に語るでもなく物語が、あふれている。
さて日曜。
正直、果てていた。
いったい何をしたらよいのか。
うすらぼんやりした頭では、何も働かない。
ああ。 三省堂に、行ってない。
そうだ。 行ってないじゃないか。
行こう。
こんな事態だというのに、きちっと開いていた。
きっと書籍の類いは、すべて棚から暴れ落ちただろうに、それを微塵とも感じさせない。
目ぼしいものは特になかったが、それでもどこか、日常に帰ってきたような心地になる。
三省堂を裏から出て、細い路地をゆくと、途中にある「喫茶ラドリオ」がある。
しかし。
入口脇の外壁レンガがボロッと剥がれ落ちていた。
名友も来たことがある店だ。
店内は大丈夫そうだったが、他にも、
「落下するかもしれません! 下に近づかないで!」
と張り紙に、立ち入り禁止ロープを張ってあったところもあった。
神保町も、なかなか古い街である。
歴史的景観建物に指定された古本屋なども、ある。 しかし、そこにある建物やひとや街は、入れ代わりたち替わりしてるにせよ。
江戸の時代から、地図にその名を残してきたのである。
地図男になろう。
街の端々に、語り書こう。
朝、いつも通りに目が覚める。
テレビは原発関連のニュースで全て塞がっていた。
ついつい見入ってしまう。
電力依存生活をしつつも、原子力には不快さを抱えているという矛盾するわたしである。
街は、普通の日常を取り戻しているように見える。
しかし。
テレビ画面と、鉄道の運休、運転見合わせの知らせだけは、非常時を突き付けてくる。
気付くと昼を大きく過ぎていた。
洗濯をしておかなければ。
思い出して、洗濯機を回しはじめる。 着替えも何も、一日分しか、ない。
買い物もしておかなければ、とそこで、寺子屋からメールが来ていた。
「赤札堂。カップ麺、パン、水、売り切れてる」
しまった。 水やカップ麺は昨夜から予想はしていたが、そうかパンまでもか。
おそらく、いや確実に、食材や生活消耗品のすべてが、高騰するだろう。
我が身を、我が家族を、我が子らを優先するために買い占めようとする気持ちは、当然であり、仕方のないことである。
勿論、流通の上流で、配送すべき優先順位は確保されているだろうが、それだけでは足りないことは、火を見るより明らかである。
買い占め、やがて余分だと気付いたとき。
できれば早いうちに被災地支援に預けるなり、無駄にならないようにしたい。
わたしが寝ている間にも、何度も大きな余震が襲っていたらしい、と知った。
わたしは一度も、起きなかった。
どうやら。 わたしは寝たまま寝たきりになる心配があるようだ。 それはそれで幸せなことなのかもしれない。 しかし、それでも寝覚めはよろしくはない。
土日は休薬だと決めていても、今はそんなことをいっていられない。
万が一の準備よりも、今日明日、一週間分の買い物を。
しかし、目ぼしい主食材は、ほとんど売り切れである。
「パンがなければ、お菓子を食べればいいじゃない」
一般的に、世間で誤解を生んでいるこの王妃の迷台詞。
彼女が指している「お菓子」とは、甘く豪勢なスイーツの類いではない。
彼女の祖国で食べ親しまれていたパンケーキのようなもので、当時小麦やらの純粋な穀物粉が手に入らないなら、他に手に入りやすい別の穀物粉を混ぜて焼いたそれならば、少しでも庶民に手が出せる。
それが、後々の彼女を印象を痛烈に面白可笑しく伝えるために意訳され、伝えられてしまったらしい。
それに倣おう。
代わりになるものならば、パンでなくともよい。
小麦粉なら百円ショップでも、十分きちんとしたものが手に入る。
お好み焼きなり、チヂミなり、とりあえず焼けば生地になる。
水だって、貯めといた水道水を煮沸するなりすればいい。
カセットコンロは、ある。
大人ひとり。
ホームレスの方たちは、今でもなお、生きて暮らしている。
わたしはあれば、あるものがあることに依存しきってしまう。
ペットボトルに水が八本あれば、八本ともどうにか持って行こう、とするだろう。
靴を履くことも忘れて。
街を歩く分には、至って平常である。
しかし。
予断は許されないはずの状況である。
断層がどうの、というのが今回の地震の原因ならば。
長野といい。 茨城沖といい。
富士山を抜けて房総半島の先まで、要因となりうるものがある。
以前、フジテレビの深夜アニメ枠「ノイタミナ」で放送した「東京マグニチュード〜」を、思い出す。
あの物語は、切なかった。
やられた。
小さな姉弟が、たしか有明から世田谷かどこかの自宅まで、帰る。
その道中が、目が離せない。
レインボーブリッジか何かが、崩落する。 波に救助艇が転覆する。
東京タワーが、倒壊する。 芝公園に避難した人らを巻き込む。
そんな、余震による追い打ちや。
避難所である学校の花壇の花に水をやり続ける老人。 恐怖や不安が少しでも和らげば、と。
とにかく、切ない。 そしてそれが、アニメによる作りものではない、現実に起こったことと、今は思える。
まだ、東京が壊滅的被害を受けるような地震は来ていない。
しかし、近いうちにくる可能性はもはや否めない。
生も死も紙一重である。
その紙一枚の表裏は、誰にも、等しく選べない。
生きる本能に、愛に、力に、かけよう。
現実味が、わかなかった。
なにせ、打合せのために五時起きし、嵐のような午前中を送り。
ようやく落ち着いた午後であった。
「古墳さん。縦に揺れてますよね」 「んあ。やっぱり縦に、だよね」
建築をしているものら皆が、それぞれで顔を見合わせる。
地上二十数階のオフィスである。
わ、わ、わ。
うちのビル、免震だっけ? いや、制震じゃなかった?
三分ほど揺れ続け、やがてそれが宮城県三陸沖を震源とする大地震の余波であったことを知る。
館内放送がやがて流れたのである。
エレベーターは全てストップしています。 業務を停止して、所内に待機していてください。
被害はゼロ。 外に出ると危険です。 ビル内の方が安全です。
マグニチュードは八.八に修正されたが、それらの被害状況を、社内の至るところで、ワンセグで、インターネットで、会議室のテレビで、知ってゆく。
窓の向こうに、テレコムセンターの黒煙が、見えた。
「なになにとかれこれの母ですが。 はい、電車が全部止まっていて。 迎えにはまだゆけないのですが」 「もしもし、あれ、繋がってますか?」 「それ、一般回線? 一般回線にかけなよ」
少しずつ、安否の連絡を取ろうとする声が聞こえはじめる。
ゆらゆらと、まだゆっくりと揺れている。
制震構造の高層ビルは、揺れをゆっくりと吸収し、逃がす。
「ああ、なんか酔ってきた」 「俺もなんか気持ち悪い。釣り船から丘に上がったときみたいに、なんかゆらゆらしてるみたいな」
代休をとっていた大分県からメールがきた。
「こっちは大丈夫ですが、そちらはどんな感じですか?」
「EV全部停止。防火扉も開いて、貴重な姿を見られてる。 EVホール全部のガラスのガスケットが外れてて、びろんと垂れ下がってる。 これには驚いた(汗)」
と返す。
やがて引っ越した先の我が本社ビルにいる馬場さんからもメールがくる。
「この後の対応方針が、まだ何も社長からないんだけど。 ちび(子どもさん)たちも心配だし」
電車が止まっていて身動きできない。 ここではないビルとはいえ、ヘタに外に出ると連絡がつかなくなる上に混乱に巻き込まれたり、また危険でもある。
ああ、しかし。
「子どもを迎えにゆけるのは、親だけ、なんだから。 自分から社長に言ってみ?」
と、返しておく。
さあ、ビルのカーテンウォール(サッシュ)は、相変わらず、ミシミシ、鳴いている。
隣の楕円形した高層ビルは、ねじられながら、ゆらゆら揺れていた。
余震は度々、続いている。
「こりゃあ、明日から東北へ行け、て皆に通達出るかもね」
設計部の上司である利休さんが、隣の誰かにこぼす。
「ボランティア、ですか?」
誰かが答える。 違う。 被害調査で、に決まっている。
案の定、利休さんが誰かにそう答える。
「もちろん、災害復旧のボランティアにゆくのもいいけど。 自分たちもそれどころじゃないでしょ」
品川駅港南口前の広場には、沢山の人だかりが。 周りのビルからも、避難して外に出てきたひとたちが。
バスやタクシーはすでに何時間待つのかわからない様子であった。
「レンタカーの空き、ありませんか?」
電話の声が、聞こえた。 なるほど。 だがしかし。
「トラックまで一台もないそうです」 「トラックぅ? そりゃあ道路交通法にひっかかるだろぅ」 「シートかぶって、支援物資のふりすれば……て、駄目ですね」
徐々に、建物のすぐ外である周りの世界もただ事ではないことになっている、と実感しはじめたひとらが、ここにきてさらに増えてはじめる。
館内放送が、逐一、内外の状況を伝えてはくれていたのである。
「JRが、本日中は運休することを伝えました」
潔い判断。 皆で何故だか喝采する。
「毛布、耐寒用のアルミシートを用意しました。 人数を調整して、ご利用ください」
そういえばさ、と斜向かいの修造さんが、言う。
「誰々が今日、建材展に行くって行ってたけど、無事なんかな?」
デズニーの駐車場だかが水没する動画やニュースをチェックした後であった。
会場は国際展示場。 埋め立てバリバリの地である。 液状化も、ありうる。
そういえば、その誰々とはちがうが、寺子屋も建材展にゆくとか言っていた。
「めっちゃ揺れて、展示会も中止になった」
と残念そうな返事が返ってきた。 とりあえず歩いて帰る、とも。
わたしもそらで、品川から家までの道のりを試算する。
とんとんである。
歩いて帰るのは、別段、抵抗はない。
かつて、池袋駅から東京駅まで、徒歩で行った経験がある。
二時間半程度だった。
東西の次は、南北、である。
微妙に中心をよけてはいるが、それはそれである。
「じゃあ、わたしは歩いて帰ります」
隣席の古墳さんらに、宣言する。 時刻は七時を指そうとしていた。
「二十階下りてくのん?」
階段でまず、下りなければならない。 ましてその先、家までゆけるの?
そんな顔で見上げてくる。
「陸続きですから、大丈夫です」
親指を立てて返す。
階段を下りてゆくと、帰宅を諦めたひとらが食事の買い出しなどから帰ってきた姿と何度もすれ違う。
二十階分、である。 皆、キツいわ、しんどいわ、とこぼしていた。
わたしはそれを聞きながら、帰り道を考えてみる。
品川からまずは田町。(20分) 田町から東京タワーに真っ直ぐ向かって芝公園。(30分) 芝公園からまた真っ直ぐ行って日比谷公園。(30〜40分) 日比谷公園からまた真っ直ぐ行って神田。(30分) 神田からすぐに秋葉原で、上野、根津。(40分)
だいたい上記のような二時間半くらいだろう。
なんせ、それぞれの道筋を、わたしは実際に歩いたことがある。
大した距離じゃあない。
品川駅構内を抜けて、わたしはまず、田町経由で東京タワーを目指す。
「改札内はシャッターを降ろして閉鎖します。 改札は閉鎖します。 列車は運行しておりません」
アナウンス通り改札はシャッターが降りていた。
バスロータリーは長蛇の列すぎて、どこが尻尾だかわからないほどで。
「港区に勤務、お住まいの方々は……に、……で、……下さい」
安否の報告か何やらの窓口案内のようなものが、スピーカーからひび割れて聞こえてくる。
えい。と歩きだす。
歩行者が車道の端に溢れて歩いている。 車はもはや慢性的な渋滞に近く、
「緊急時に車は使ってはならない」
というまさにそれを実感する。
わたしがゆく方向は本流とは逆方向の少数派で、一列でしか進めない。 しかし、早歩きでゆける。
すれ違う方々は、ヘルメット、地図を手にしている姿が目立つ。
都内の甘木ビルであった外壁崩落のニュース映像が、脳裏に浮かぶ。
大丈夫。
根拠が無い自信が溢れだしている。
コンビニに入り、道すがらの補給用に、お茶とプリングルス(ポテチ)を買う。
おにぎりも、 パンも、 弁当ももちろん、
棚は空っぽだったのである。 だから、やむを得ない。
プリングルスの筒を抱え、バリボリ鳴らせて歩く姿に、緊張感もくそもない。
そのせいでか。
「あのぅ、すみません」
初老の男性が、わたしに話し掛けてきた。
品川の駅は、こちらでよいのでしょうか?
二十分ばかり、わたしは歩いてきた。
「皆の後についていって、だいたい、三十分くらいかかると思いますが。 左側にあります」
ああ、そうですか。ありがとうございます。
ペコリと頭を下げられ、わたしは恐縮する。
凄いひとになってますから、お気をつけて。
またペコリと頭を下げられる。
するとまた、
「すみません」
と、後ろから声をかけられる。
またまた、おじさん、であった。
どうせなら、うら若き女性が声をかけてきてはくれないのか。
「恵比寿からずっと、歩いてきてるんですが」
田町駅は、まだでしょうか?
わたしはここで左に折れて、まさに東京タワーに向かうところだった。
「もう少しまっすぐゆけば、右側にあります。たぶん、十分くらいです」
そうですか。 ありがとうございます。
ありがたいことなど、一切していない。
わたしは、バリボリとチップスを噛み砕く。
向こうに、光の矢印が、道を指し示している。
東京タワーである。
先端のアンテナ部がねじ曲がった、というニュース画像を見た。
それは暗さと逆光で確認することが出来ない。 足下を通り過ぎながら、見上げてみる。
すると。
矢印に寄り添うように、月が穏やかに、浮かんでいた。
さあ、すぐに愛宕山、である。
ここは、
「出世の階段」
で有名な、急勾配の石段がそびえ立っている。
そう、まさに「そびえ立って」いるのである。 さすがに夜闇の中、そんなところに近づく者の姿はない。
ボリボリとチップスを砕き、ゴクリとお茶で咽喉を湿らせる。
左手に国会議事堂、霞ヶ関である。
日比谷公会堂、日比谷公園から、ふと有楽町側に道をずらす。
東京タワーを過ぎたあたりからそこまで、人の流れは少なくなっていたが、有楽町側にずらしたことで、また逆流状態になる。
しかしやがて丸の内。 早くに勤め人らは帰路についていたのか、さほどではなかった。
しかしよく見ると、ビルのアトリウムに、寒さをしのぐためにか、人々らの姿が見られた。
高速バスターミナルは、もちろんひとがごった返していた。
やがてすぐに神田須田町。
そして秋葉原は万世橋。
前鉄道博物館があったところである。
このあたりになると、普段のと区別がつかない人波になっている。
しかし、頭や手にはヘルメットが。
つい先日ひと話題になった防災グッズや防災マップが、皮肉にも役立ってしまっているようだ。
上野までくると、もう普段の夜、と錯覚する。
チェーン店が臨時休業しているのを見て、ああそうか、と思うくらいであった。
我が街谷中は、古い街並み、木造建屋や住宅が軒を支え合うように密集する街である。
街は、無事だろうか。
わたしが昼間いたのは、立派な高層ビルである。 普通の住宅がどれだけ揺れたかが、わからない。
父に連絡したときには、引き出しから棚から物が飛び出したり倒れたり大変だった、ということだった。
街は、どうやら大きなところで大丈夫だったようである。
しかし、外壁が崩落している家や、瓦が落下した家の姿が一部で見られた。
そして、我が家は玄関を開けてみて、驚いた。
「なんじゃこりゃあっ!?」
松田優作ではない。
文庫がみっしり詰まった本棚は、みっしり加減が幸いしたのか被害はなかった。
が。
台所の流し周りに並べ立てていた調味料の棚が、一切合切、崩れ落ちていた。
大した調味料を揃えているわけではない。 しかし、醤油差しや酢やラー油や中華出汁の素「味覇」らが、見事に散乱していた。
さらに。
テレビは後ろに倒れて、重くはない棚の上のものらが崩落していた。
棚自体が、十数センチほど移動していた。
まるで小人たちが勝手に模様替えをしようとして、
「邪魔なものは、ポイ」 「重っ。やっぱり止めようぜっ」 「止めよう、止めよう」 「腹立つから、こいつらも、ポーイ」
と、散々、蹴り散らかして帰っていったかのようだった。
ご近所の寺子屋から有明から、無事完歩して帰宅をすました連絡をすでにもらっていたので、こちらも現状を伝える。
顔見知りがあまりない地でのいざというときに、近き知り合いがいるのは、気が楽になるのに役立ってくれるだろう。
2011年03月10日(木) |
takeX4,Mr.Nosleeve in Omori |
take,take,take,take...
世の中、「give and take」とよく言うが。
わたしは「give」した覚えがほとんどないような気がするのである。
today for you, tommorow for me!
ならぬ、
today and tommorow for me!
の日々である。
これではAngelに、スティックで袋叩きにされるか、マンションの上から落とされるか、コートを片袖すら残さずに剥ぎ取られてしまうだろう。
そして、
アイム、ミスター・ノースリーブ!
とわたしは叫ぶのである。
いや、意味が違う。 本来の意味を知りたい方は、どうか「RENT」を御覧いただきたい。
意味は違うが、
「ない袖は振れぬ」
というところは合っていたりするのである。
久しぶりの大森で、叱られてしまったのである。
「あなたねぇっ。無いものは、それを埋めることなんて出来ないんだよ?」
イ氏が、おそらく初めて、わたしに声を荒げたのである。
とはいえ、普段よりも、少しだけ強い口調で。
そして、わたしの目と目を合わせないように。
普段は穏やかで、どれどれと瞳を覗き込むようにして話しているひとが、慣れないことをしている様がありありと伝わってくる。
隣では、田丸さんが両手を膝に置き、肩をちぢこまらせて、床をずっと見つめていた。
「リタ嬢に代わる、短時間効果の軽いものはありませんか」
わたしのそれが、発端であった。
リタ嬢の効きのよさとたちの悪さは重々知っている。 だからそれを避けるために、しかし本来はモテ男だけで一日を乗り切るのが最善なのだが、そうはゆかないときがある。
モテ夫はおよそ十二時間。 朝の八時から夜の八時までが最長で、慣れや体調もあるのでそれ以下だったりする。
あと四五時間だけ集中して仕事をしなければ。
と予定外に、やむを得ずなったとき、つまりは、夕方にこれからのピークがきたときに、モテ男は使えないのである。
耐えて耐えられるものならば、それはナルコではない。
現在、ひとつのデータを、複数人で同時に編集・作成する業務形態の仕事をしている。
それは、元データを自分のところにコピーして作業するというわけでなく、元データそのものを、常に、それひとつしか正しいものはない状態を保ち続けるために、そうしているのである。
わたしは、落ちる前後で自分の言動が確かか不確かかの判断がいっしょくたのときが多い。
これは、大問題である。
自分がここまでやったかどうか、やったつもりになっているだけなのか、やったのか、違うことをやったと知らずにやったのか。
そうならぬよう、効いてるうちに出来るだけ、で切り上げるよう毎日を努めているのである。
それでも「仕事」はやらなければならない。 常識として。
だから、対策がたてられるならば、武器を持てるなら持てるだけ、持っておきたいのである。
強力過ぎる武器は身を滅ぼす。 だから、滅ぼさない程度の、武器を。
「ボクはねぇっ。あなたにそんなことのために、それを出したりしませんよ。出さずに、仕事を辞めろ、と言うからね」
こういうところが、わたしがイ氏を信頼し続けていられる由縁である。
「口外したって、何の得にもならない方がほとんどだからね」
それも重々承知している。
だから、わたしはばれぬように、一線を引き続けている。
「お前は、人と疎遠になろうとしてばかりいる。もっと会社のひとたちと……」
父にたびたび言われるが、親しくなり、一日の長い時間や休養に貴重な休みを過ごすようになれば、ばれてしまうのである。
普通に一日を、一緒に過ごせないひとなのだと。
「今回の忙しさは乗り切ったんだから。 だけど次も乗り切れるとは言えないし。 だけどだからといって、われわれはあなたに何かをしてそれが出来るようにすることは、出来ないんだからね」
切った張った、再生させた。
ということが、不可能なのである。 これが、生涯続くのである。
「奇跡」を信じたり求めたりしたら、駄目だからね。
この言葉に含まれているイ氏が言いたいことは、ようくわかっている。
出来る限りのなかで、出来る限りのことだけをするようにする。
「ない袖は振れない、なんだからねっ」
後ろ向きに聞こえるが、前をしっかと見つめ続けているために必要な心得なのである。
しかし、奇妙な光景である。
還暦を越えたイ氏に、強く叱られ諭されているわたしは向かいに座り、穏やかにうなずき、共感し、応え。 かわりに、イ氏の視界には入らぬ横の椅子に、しゅんとうつむき肩をちぢこまらせて座っているうら若き女子の田丸さん。
いったい誰が悪いのか、わからない。
誰も悪くはないのである。
これだけをみると、なんてこと、と思われるかもしれない。
しかし。
「わたしたちは、手伝いや手助けはできるけど、救ってあげることはできない。 それはあなた自身があなた自身に対しても同じ。 だから、手助けの一線を越えたものをはじめから求めなければならないようなことは、しないように」
普通を振る舞い続けようとすることで。 やがて確実に、 代わりに失ってゆくだろうものやことを。
わたしは浅はかな甘えに依ることによって、見失いかけていたのかもしれない。
「だから早く、筆一本で稼げるようになりなさいよ」
一本もなにも、稼げるだけの筆を振ったことは、ないのである。
川上弘美著「ざらざら」
様々なカタチや関係の恋愛、恋心を選り集めた二十三の短編集。
川上弘美の世界は、いごこちが、いい。
現実のそこかしこに、現実的でないものが手を振り声を掛けてくる。
しかし、「だったらなにさ」と、文句をつけようとする現実に向かってすずやかに、そよ風が吹いたかのようにさらりと答える。
「いえ。なんでもありませんでした」
とそちらが間違ってましたと頭を下げてしまいそうなほど、それらが存在しているのである。
だからといって、しつこくまとわりついたりなどしない。
頃合いを図ってか図らないでか、さっとそれらは去ってしまうのである。
これはつまり、本作品に語られる「恋」たちと通ずるのである。
帰り道の夜の公園で踏ん付けた蛇が、翌日、きれいな女の姿になって、踏ん付けた女の部屋でさも昔からのように同居し暮らしはじめたり、アパートの隣人の熊と淡い恋をし、「冬眠前の季節になると、万が一であなたを食べようとしてしまうかもしれません」「いいよ、ひとかじりくらいなら」「女の子がそんなことを言ってはいけません。万が一は、万が一もおこらないようにするつもりですが」とやたら紳士的な熊だったりする。
どう考えても理不尽極まりないのだが、なぜかそれを受け入れてしまうのである。
本作品に収められている物語は、前述のような理不尽なものは現れない。
しかし、様々なカタチの「恋」が十分に、それらを満足させてくれるのである。
年の差、異性同性、不倫、とにかく、それぞれの、一見理不尽な恋が、ポッと雨後のタケノコならぬえのき茸のように生えてくるのである。
好きかもしれない。 好きにちがいない。 いいや、大好きだ。
そこに理由などをくどくど語らず、ああ好きなんだ、と納得させられて、そのまま読んでゆく。
ゆるいのだか、ぬるいのだか、わからない。
わからないのだが、癖になる。
この不可思議な温度の世界は、秀逸、である。
物語のなかにあるもの、そして物語自体にも、「角」がない。 角がないから、ころころしている。 ころころしているから、不安定そうなたたずまいで、そこかしこに点在している。
触れてみると、ビー玉のように、つるりとして見えるが実は「ざらざら」していたりする。
つるりと手にもつかないものではなく、そんなわずかに「ざらざら」したものこそが、我々の生きる日常でもある。
久しぶりの川上作品だが、まだまだ楽しみにしている文庫化されていない長編作品がある。
早くそれがかなうのを、待っている。
2011年03月05日(土) |
悩みではなく問題である |
「悩み事」はありますか?
ありません。
わたしはそう答える。
しいていえば、悩みが思い浮かばないことが、悩みである。
深夜の甘木アイドルグループの番組で、
「悩みではなくて、それは解決してゆくべき問題で」
というコがいたのである。
わたしは、崖っぷちでカラカラと足下の破片が落ちてゆく音まで聞こえた。
しかし。
親友だと思ったメンバーから「そうじゃない」と返事されたコがいたのである。
わたしはそっちの崖っぷちから、ガラガラと岩と一緒に落っこちていったのであった。
もとい。
悩みの話である。 わたしが悩みがないということは先のコが言ったとおりであり、解決する術が見当たらないと思ったら、それは直ちに、後で見つければよい、と割り切るからである。
つまりは、すべてが自分自身のみで済ませられる範疇にしか、わたしがいないからこそ出来ることなのである。
これがおそらく、家族、伴侶や子どもやらを持つようになり、自分自身のみでは済ませられないところで暮らしているひとらは、そうはゆかない。
解決法はみつかるが、その通りにはいってくれない。 いってくれるまで待ち続けるわけにもゆかない。
ある意味。 わたしはまだまだ甘い日々の中を暮らしている。
問題。
先日、その大問題が浮き彫りになった出来事が、あったのである。
緊張や無理から半ば解放されたような状況で、身体が勝手に油断してくれている最近なのである。
飯田橋駅のホームを、歩いていたのである。 ギンレイの帰りで、いつもなら歩いて帰るのだが、どうにも、保ちそうにない。
ホームは線路に沿って大きく弧を描いてある。 列車との隙間が、すぽんとひとが落っこちてしまいそうなくらい空いてしまっているところがあるくらいである。
ああ、眠い。
まだ列車が来ないホームを、ほよほよと先頭車両の乗り口の方へと向かっていたところ、
列車が到着します
おぉ、はじを歩いてたらいかん。
右に三歩寄れば、線路に落ちる。 黄色の「注意換気ブロック」の上を、歩いていたのである。
あぁ、左へ。 ブロックの左へ。
右肩が下がりだしたのである。 自然、右へ進むことになる。
違う。 違う。 左だ。
抵抗するも、結果、直進するのが関の山。
ホームは、進行方向左へ、大きく弧を描いてある。
足下から、ブロックの不快感が、消えた。
視界は、しっかりと、自分がどこに向かっているかを、とらえているのである。
おいおいぉぃ。
なら、止まれ。
止まれ止まれ止まれ。 ひだりひだりひだり。
ひた……。
……。
うむ。 こうやって、死の直前まで、死ぬこと自身への恐怖に怖れおののくことはなく、ただ生きよう、と思うしかしない。 これは、死を前にしようとした人間の、まだほんの一面にしか、すぎない。
まだまだ、他の面だって、ある。
わたしは、車にはねられたり、事故に遭ったことがないのである。
轢かれた瞬間、痛みは感じるのだろうか。 すぐさま真っ暗になるのだろうか。 それを味わおうとするには、列車はデカすぎる。 賠償金とか、誰が払える。 払えるわけがない。 しかも身体が満足で残るはずがない。 納棺の際に、できればきれいな姿でありたい。
「ゥ、フアァーン!」
わかっとるがな! 危ないのは!
はっ。
第三者からの刺激には、反応しやすいのである。
右肩が、軽くなる。 背中が伸びる。
おっとっと。
つい、と左に、白線の内側に、足を進める。
「危険ですので、黄色い線の内側を、お歩きください」
アナウンスに首をすくめる余裕まで、取り戻す。
貴重な、体験であった。
わたしは少なくとも、死ぬことを目指していない。 生きることを、明日のことを、目指している。
ということをも、同時にいえるのである。
普段からそのようなことを考えたこともないのだが、だからこそ、それもまた貴重な体験、なのである。
この問題は、解決のしようが、まさにないのである。
あるとすれば、普通の仕事をする生活をやめることになる。
それはさすがに、まだ無理な話である。
今週、舞姫に手を出す隙すらなく寝てしまうこと半分。
当然、支障なく日中を過ごすのは難しいのである。
であったから、土曜は気をつけなければならない。 やらねばならないことを、やっておかなければならないのである。
日曜は、保険にあてるわけにはゆかないのである。
というはずだったのが。
舞姫どころか、明かりも忘れ、寝てしまったのである。
午前零時過ぎから八時過ぎ。 十二時前後から夕方五時過ぎまで。
それ以外の時間しかないのが、わたしの問題ということなのである。
解決法は、ある。
山火事が燃え広がらぬよう、樹を切り倒す。
そのような方法しかないが。
消火ヘリコプターでは大火の火元を消すことが出来ないのが、道理なのである。
「わたくしごとで申し訳ないのですが、この度、結婚することになりました」
先週木曜だったか金曜だったか、昼休みが終わって席に戻ってみると、斜向かいの席の松田さんが驚いた声をあげた。
「なんだよ。昼休みの間に、こんなことをしれっとメールで報せるなよ」
振り返った松田さんは、ふたりを交互に見つめる。
「おめでとう」
舞子ちゃんと有木くんは、そろって首をすくめて、きわめて静かなリアクションを返した。
ふたりが結婚することを、社内メールでこっそり同じ部署の方々にだけ報せたらしい。
なんと控えめなんだろう。
ふたりとは、わたしも少しだが仕事をお手伝いしたことがある。
若く、有木くんはやさしくて謙虚で、舞子ちゃんはほわりとしてて、そしてがんばり屋だった。
「っつうかさ。村木くん、その席、仕事しづらくね?」
松田さんが、あはは、とやにさげながら、村木くんに向かってつっこむ。
村木くんはふたりの間にばっちり挟まれた席だった。
ええ、まあそうかもしれませんけど。
村木くんは、あははと生真面目な彼らしく、照れ笑う。 そんなのどかな風景をみやりながら、
そうか。 有木くんがなんとなく舞子ちゃんを思っているような気配を感じはしていたが。 そうなっていたのか。
そうして週末が明けた。
わたしは連絡会のため自社を訪れた。 連絡会はつつがなく流れ、さて終わった、となったそのときである。
他に連絡事項はありませんか?
火田さんの締めへの言葉を聞きつつ、ガサガサとファイルや予定表やらをテーブルでまとめだしていた手は、とどまらない。
「あの、ちょっとよろしいでしょうか」
二崎さんが、ちょいと手を挙げた。
「わたくしごとで申し訳ありませんが。 この度、私と令子さんが結婚することになりました。 えー、業務には支障ないようにしますので、どうかよろしくといいますか、お知らせさせていただきます」
二崎さんの隣にいた令子さんは、「いま言う?」という顔をはじめはしていたが、最後には帳尻を合わせるよう、二崎さんと一緒にペコリと頭を下げた。
なにやらはにかんだふたりの照れ笑いが、わたしの瞳を透過し、網膜に跳ね返る。
「おめでとうございます」
皆が口々に祝福する。 もちろんわたしも、手を叩いて祝った。
しかし、
いったいいつからそうなっていて、こうなったのか。
まったく知らなかったのである。
出向していて、週一回しか皆と会わないのだから、知らなくとも仕方がない。
いや、だからこそ。
これはわたしの聞き違いか勘違いか。
冗談かドッキリか。
はたまた妄想か白昼夢。
なのかもしれない。
二崎さんとわたしは、話せば話すほど意見が分かれてゆき、衝突直前でどちらかが緊急回避するか、その手前で話を切り上げたりするような間柄である。
が。
「なあにふたりでじゃれ合ってんのさ」
わたしの背中を、アタタタタと嫌がるほどにつっつき回したり、ちょっかいを出しにきてくれたりするような、それはきっと二崎さんがわたしを嫌ったり煙たがってはいない、ということなのだろう。
そうか。 あのときのあのちょっかいは、きっとこのことの予兆だったのかもしれない。
「いったいいつの間に、そんな幸せなことになってたんですか」
席にやってきた二崎さんに顔だけ振り返り、わたしは、騙されないですよ、もしくは、なあにをしれっとそんな一大事なことを発表してくれてんですか、とねめ上げる。
「いいじゃん、べつに」
あからさまに照れてはぐらかそうとする二崎さんの顔に、
コンチキショウめがにへらにへらしよってからに、この幸せもんめが。
と、それが、やはり事実だったのか、と確認させられてしまったのである。
ちょっと待て。 立て続けに身近で社内婚の話が舞い込んだのは、やはり、どうにもうそくさい。
しかし、事実であるらしい。
二崎さんは四十代半ばで、先の有木くんらは二十代半ばである。
間の三十代で、まさかまた立て続いて「実は」との話が舞い込んできたら、それこそまさに、うそ話に違いない。
知らず知らずに、用心して辺りをうかがってみたりしながら過ごしてしまうのである。
火曜が過ぎ。 水曜が過ぎ。
木曜を無事、過ごした。
どうやら、うそ話ではなかった。
令子さんと朝、エレベーターで一緒になったときに、あらためて、
おめでとうございます。
と小声で言ってみた。 周りはたくさんの社員さんたちでぎゅうぎゅう寸前だった。
ありがとう。
の後に、しっ、と人差し指を立てたところで、扉が閉じた。
その人差し指のまわりだけ、ひみつに包まれているように思えて、わたしも口を閉じた。
ああ、そこに令子さんと二崎さんの、ふたりのひみつが含まれているのだな、と思った。
2011年03月01日(火) |
「アンチクライスト」 |
三月一日。 映画サービスデー。
平日だが仕事の波は未だ高くならず、これはチャンスである。
何よりも、わたしのなかでわたしのすその方が、「びろーん」と力なく、伸びて、ぷるぷると震えはじめていたのである。
このままではヤバい。 九月のクラゲのように、波に揺られるまま砂浜に打ち上げられてしまうか、編み掛けの完成間近の手編みのマフラーの糸はしを、子どもが好奇心で「ピーッ」と思い切り引っ張って、すっかり解きほぐされてしまう。
ゆかねば。
通勤途中に有楽町があるのは、ありがたい。
「おおっ、神よ!」
そうして選んだ作品が、これである。
「アンチクライスト」
をヒューマントラストシネマにて。
最初に断っておこう。
この作品は、生半可なテーマ、内容ではない。
評価はゼロ、いやマイナスか百かとの極端な、さらに評論家らでも明らかな賛否、異論反論が沸き起こったらしいのである。
なにせ「アンチ」の「クライスト」、つまり反キリストともとれるタイトルである。
いきなり誤解されてはならない。
いやしかし、それにかかるテーマの部分はあるかもしれない。
雪降る夜。 夫婦がセックスに激しく夢中になっていたそのさなか。 隣の子供部屋で寝かしつけてあった子どもが目覚め、ベビーベッドを乗り越え、さらに半開きの窓からバランスを崩して落下死してしまう。
妻をそのショックから立ち直らせようと、セラピストである夫が妻を森の奥にある自分たちの別荘へ連れてゆき催眠療法をはじめる。
やがて妻の内面に眠っていた心理が発露してゆく。
恐怖や不安を紛らわす為にセックスを夫に求める。 それこそが、我が子を失った行為であるとわかっていながら。
自責行為。 そして、 自己解放。
やがて夫は、妻の最も恐れるものが妻自身であると結論づける。
しかし、そう単純なものではなかった。
妻が論文のために集めていた中世の拷問や魔女狩りの資料をみつける。
女だから、という理由で殺されていた時代。
女性=悪魔 理性=抑圧 本能=自然 禁忌=快楽
子どもの足に奇形がみられた。 子どもの写真はすべて、靴の左右を逆にして履かされていた。
私を捨てないで。 離れてゆかないで。
「患者になって、はじめてあなたに興味を持った気がするわ」
妻は言っていた。
「あなたは私と距離をおいていた」
「男は女を下に見ている。だから、悪魔と決めつけて殺したのよ」
別荘の山小屋がある「エデン」の森なら、妻もいき慣れているし、リラックスしてリハビリできるだろう。
森は自然の教会よ。
悲嘆、苦痛、絶望、そして三人の乞食。 三人の乞食が現われるとき、ひとが死ぬわ。
セックスを渇望し。 自慰に溺れ。
子殺しの原罪をおいつつ、それでも禁忌を冒すその姿に、木々の根の間から、それを求めるかのように無数の手が伸びてくる。
解放された者。 生の生者。
子鹿を半身まで産みかけたままで、それを気にしないでかけてゆく母鹿。
裂いた自分の腹から内臓を噛みちぎり食べる狐。
地面に埋められていたが掘り返されてよみがえり、しかしすぐ何度も地面に殴り付けられて殺されるが、またすぐよみがえり、殺され続けるカラス。
気を失った夫の性器を潰し、さらにゴリゴリと手巻ドリルで足に穴を開け、グラインダーの砥石の軸を通して枷をつける。
意識を取り戻した夫は、妻の隙をついて逃げ出す。
頭ほどある大きさの砥石の枷つきの足をひきずり、這いながら、狐の古穴までかろうじて。
「私を助けてくれるんじゃなかったのか! 私を捨てやがって、ぶっ殺してやる!」
妻に見つかり、穴に生き埋めにされる。
「ごめんなさい。なんてことを!」
妻は夫を地面から引きずりだし、救い出す。
妻は、自分の性器をハサミで、切り落とす。
鹿と 狐と カラスが
眠りに就いた妻のかたわらに、よりそう。
ふたたび意識を取り戻した夫は、砥石の軸が抜けないよう止められていたボルトを外すレンチをみつけ、逃げ出そうと試みる。
妻が目覚める。
妻の首に、夫の両手の指が食い込んでゆく。
妻の亡骸に薪を組んで火を点ける。
夫、いや男は、森を抜ける途中、野苺をつまみ、空腹と渇きを癒す。
丘を越えればもうすぐ、というところで、大勢の女たちが森に向かって逃げ込むように、あるいは嬉々として駆けてくる。
しかしひとりひとりの顔はわからない。
男は、森=自然の教会(本性・本能・禁忌の解放)から、人里(理性・道徳・規範の世界)へと、救われようとする。
監督はラース・フォン・トリアー。 かのメジャー・ーティストであるビョークを主演に迎え、ひたすら鬱な気分にさせられたと話題になった「ダンサー・イン・ザ・ダーク」の監督である。
今回もまた、カンヌ映画祭を称賛と嫌悪で真っ二つにし、日本では公開不可能といわしめたのである。
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」は、公開時に観てある。
へん。 アメリカの移民の不幸な物語で。 だからなんなのさ。
同監督のアメリカ三部作の第二弾「マンダレイ」も、観た。
なるほど。 そうだ、この後味の悪さこそ、思い出してきた。
この作品、いや監督作品は、まさに禁忌を冒し続けているのである。
へえぇ。
という感想や感動を求めてはならない。
ふうん。だから?
という、異物感や嫌悪感や後味の悪さを味わおうという、好奇心やひねくれやらその底の深さがあると思うひとは、観てみてもよいかもしれない。
しかし、騒ぐほどの描写や物語などではなかった。
むしろ芸術的なほど描写の美しい映像だったり、音楽やオペラを絶妙な対比で挿入していたり。
いや。だからこそ、ふっきれないような物足りなさに繋がってしまったのかもしれない。
一を信じるものは、その一によってゆさぶらるる。
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