金曜の定時過ぎに、月曜の朝に欲しい図面の打合せに呼び出されたのである。
金曜は夜七時から我がBIMチームの結成会が予定されていたのである。
たしかに「夕方に打合せさせてください。時間は当日連絡しますので」とは、いわれていた。
常識の範囲で「夕方」となると、四時から五時くらいまでであろう、いやあるべきだと。
まあ、常識通りですまない業界で、そんなあまちっょろい考えは通用しない。 だから、覚悟はしていたのである。
火田さんに事情を説明し、結成会に遅れるか、ややもするとゆけないかもしれない、と伝える。
打合せ相手は徒歩十分のところの親会社である。 定時までに打合せれば、七時からの結成会には十分間に合うだろうと火田さんもとらえていたのであった。
そして六時を過ぎた頃、ようやく連絡がきたのである。
「月曜朝に欲しい図面の修正依頼だそうです」
土日にやれってこと? まあ、そういうことでしょう。
「私も打合せにいくわ」
ぐげ。
出向していたこともあるが、わたしのそういった社内の飲み会の不参加率は九割であったので、逃げ出さないよう首根っこをぐわしと掴まれたような気持ちになる。
あ、いや、火田さんがこられるとおおごとにとられやしませんか。 そうかしら、大丈夫よ。 竹さんひとりだと、
「はいはい、と余計な作業まで引き受けてきそうだもの」
同じ業界の方から見れば、内容はちょちょいのちょい、の容易いものであると予想はついていた。
三日はかかる内容を夜十一時に「明日の朝八時までに修正願います」と送り付けられて、急遽徹夜でやらねばならないのが普通というのに比べれば。
であるから打合せ後に会社に戻り、土日は出ないで済ませてしまおうと思っていたのである。
飲み会に出て、土日に会社に出てくるのは、なんか違う。
しかし、火田さんの打合せへの同席で、その雲行きが怪しくなったのである。 打合せ終了後、その足でわたしを飲み会の会場へ連れてくつもりであるらしい。
いや、受け取った資料を社に持って帰らなきゃならないし。 そうね、じゃあ向こうで待ってるから早くね。
結局、休日出勤確定である。
土曜は昼から歯科医が、日曜は田丸さんの大会が午前から昼過ぎにかけて、ある。
歯科医にいって、その後から出社しよう。日曜に田丸さんの応援にゆくかゆけるかは、それ次第である。
ちくちくと土曜日に出社して、夜更けまでかかって。
ああ、こんなんでもしも同居人がいたら、きっといなくなってしまうだろう、などと妄想してみる。
子供がいる家族がいる、をおそらくわたしは、すぐに「錦の御旗」に掲げてしまうだろう。
それに揺らぐ己がなくならない限り、わたしはそれらをもってはならないと思っているのである。
自分のせいにするだけで精一杯なのに、そこに誰かのせいなど、わたしは背負いきれない。
「どうして起こしてくれなかったんだよぉ!」
日曜の目覚めたときには、早くも逆のことを叫んでいたのである。言われる相手がいないのは明白なのにである。
いや、ちゃんと七時半に一度起きたのである。
後楽園ホールで九時から始まるらしいので、何時に出ればよいか再計算しようとしたのを覚えている。 しかし、たかだか一時間弱で着ける、という、しかもようく行き馴れた場所であるにもかかわらず、計算ができなかったのである。
今から支度して一時間後に出るとして、さらに一時間後に着くとして。 七時半の二時間後は九時半だと、小学生にもわかる計算である。
「計算できんじゃあないか」
そんなばかな、と驚嘆の言葉を吐いたのを最後に、次に気がついたときはもう十二時になっていたのである。
急いで出る。 決勝まで残っていれば、間に合うだろう。 残っているにちがいない。 なにせ田丸さんのペアは、そのクラスのファイナリスト常連組らしいし、さらに先月は準優勝されているのだ。
電車で向かうのと徒歩で向かうのがほぼ同じ時間であり、歩いた方が自分の足で急げる分、早い。
「あら、ちょうど決勝がはじまるところですよ」
受付婦人に、ホホホと教えられる。
「席もほとんど残ってないけれど、いいかしら?」
わたしは歩々々と後退り、後楽園ホールを後にしたのである。
どうか決勝の今、ライトを浴びて田丸さんペアが生き生きと舞い踊っていることを祈って。
後で聞くと、なんと見事に
優勝!!
されたとのことであった。 チャンピオンである。 競技ダンスのレベルであるクラスの優位はよくわからないが、Aクラスにも昇格らしい。
これでますます、万が一わたしがとちくるって役所広司の甘木映画のようになってしまったら面白いことになってしまう。
ぞんがい、気を付けるようにしよう。
「ヤコブへの手紙」
をギンレイにて。
終身刑だったレイラに恩赦が出され、釈放となる。 行く先の宛てもないレイラに紹介されたのは、目の不自由なヤコブ牧師の元に届けられる手紙を読み、返事を代筆する仕事だった。
廃屋かとみまごうほど質素で雨漏りがする牧師館に、ヤコブ牧師はただ手紙だけを日々の拠り所に暮らしていた。
手紙が届かないということは、人々の悩みや心配がなくなった、と喜ぶべきことのはずだった。
しかし、実際に届かなくなると、
誰からも、神からも、必要とされなくなったのでは。
と不安に気付かされてしまった。
「頼みもしないのに、わたしの恩赦を頼んでたのはあなたの自己満足よ」
レイラはヤコブ牧師にいった。
手紙が届かなくなり、すっかり落ち込んでしまった牧師をみかねて、レイラは手紙が届いたふりをしてみる。
しかしレイラのでっち上げられる程度の些細な悩みの手紙などたかがしれている。 さらに返事を出そうにも住所不明といってしまったので、牧師はがっくりとうなだれてしまう。
「もう一通、あります」
レイラは自分のことを、牧師に語り始める。
唯一の姉が、母親からの虐待を、赤ん坊だった自分を守るため身をはって守ってくれていたこと。 姉が結婚した男が、姉に暴力をふるい続けていたこと。 殴り疲れると休憩し、また殴りはじめてそれがずっと続いていたこと。 姉を守るつもりが、姉が愛する夫を自分が刺し殺してしまったこと。
だから。
姉とは二度と会えない。 面会も断り、手紙も封を切らずに送り返していたこと。
わたしは、許されるのでしょうか?
「神は、なんでもできる」
レイラ、あなたに見せなければならないものがある。
ヤコブ牧師は、レイラの姉からヤコブ牧師へ宛てられた手紙の束を、見せる。
「一度しか書いてこない人もいれば、書き続ける人もいる」
面会もかなわず、手紙も未開封で返ってきてしまう。 世界で唯一、自分の気持ちをわかってくれていた妹が、その安否も消息もわからない不安。
ヤコブ牧師はその思いをただ代筆したに過ぎなかった。
レイラの頑なだったその瞳に、光がゆるむ。
わたしにはキリストさんへの信仰やらは毛頭ない。 おこることも、まず、ない。
しかし、なんてまあ、楽な人生観なのだろう、とややもすれば思ってしまう。
まあ、そうでなければ救われない絶望の淵にいる人々だっているのはたしかである。
「神はなんでもできる」
という言葉にレイラが救われたこともたしかである。
神というのは、免罪符たるきっかけなのだろう。
たとえば何かを思ったとき、誰かに同意や共感を求めたくなり、それが得られてやっと自らに帰属させる。
誰か、が友人や具体的に答えを聞ける存在がいない場合、自らのみで答えを出さねばならない。 自らでは踏みきれないのだから悩んでいるのに。
そこに、「おお、神が許された」と、いつでもどこでも出し入れ自由な存在がいれば、簡単にすむ。 しかもいざとなれば「神のせい」にしてしまえばそれでよい。
試練だのなんだの「みこころのままに」
もちろん、これは無頼漢のわたしが偏見であげつらった一面にしか過ぎない。
日本人の「観念(する)」と同意義の言葉は、あるのだろうか?
思想の成り立つ土台が違うのだから、同じものはありえないのだろう。
観念することは、一切を我が身で受け入れ己を解き放つこと。 つまりは能動的。
しかし、おそらくキリストさんのほうでは、受動的、にしかなり得ない。 命を与えたのも、滅ぼすのも、神。
神の前に人間の意思はない。
東日本大震災も、以後の放射線騒動も、全て、異教徒や神の与えたもうた試練なら、どれほど楽か。
憎む、怒る、それらを向ける対象が絞られれば、扇動しやすい。
などと毒を吐きながら、否定してるわけでないのだ、といい直る。
今さらな話だが、携帯電話のストラップの先を、無くしてしまったのである。
夏の旅先、熊野土産のちんまいヤタガラス人形「ヤタ坊」が先にぶら下がっていた。 それが気づくと、頭にねじ込まれていたネジ釘だけが、先っちょでぷらぷら残されているだけの姿になっていたのである。
ヤタガラスといえば「先導・案内役」である。
わたしを残して、どこかへ行ってしまったということである。
もしくは、ここまでで御役御免、と先導を済ませたということなのだろうか。
おいおい。 そんなはずはない。
途中ではぐれてしまったことに気付かず飛んでいってしまったにちがいない。
わたしにとってもっとも避けるべき生活を強いられるような、真っ暗な樹海の奥深くにぽつねんと置き去りにされたような、そんなのは、イヤに決まっている。
だいいち。
姫らしき姿など、まったくどこにも、ない。 こんなとこで探せといわれてもそうは見つからず、「竹取の翁」どころか、歳を取り過ぎて「竹取の寝たきり」になって、探すどころか打ち捨てられてしまうようになるにちがいない。
「竹さんはねぇ、顔は整ってる感じだし、モテると思うのよ」
チーム結成会の飲み会で、火田さんに、皆の前でいわれたのである。
うんまあ、という風に女性陣(全員既婚者)も概ね同意の様子である。
うむ、それならイケるだろうか、と。
「わたしも、妻夫木聡のセンでいこうと思ってるんですが」
隣の大分県が、卓の真ん中でパサつく寸前の刺身に箸を伸ばし、わさびに鼻をツンとさせる。
「だけど、どこかが残念な感じなのよねぇ」
あー、うんうん、とまた一堂。
「どこが残念なんだろう?」
うーん、とまた一堂。 中にはもちろん、そんなことは興味がなくお愛想でうなってみせてる方もいるにちがいない。
「それを改善すれば、きっとよくなるんだろうけどなぁ」 「改善じゃなく、それを活かす方向は、ないですか?」
改善じゃなく活かす方向かぁ、とわたしとしては目からウロコな意見に、さほど皆さんは響かなかったようである。
これがわたしの残念なところの核心なのかもしれない、と氷が半分くらい溶け出していた烏龍茶で、チビリと舌を湿らす。
「話が、長いよね」
えいいってしまえ、といった勢いで、火田さんが頬を赤らめていい放った。頬を赤らめていたのは単なるアルコールのせいだが。
うんうん、と一堂はきっかけを得たように揃って頷いた。 隣の大分県は、ニヤニヤと、ほれまたいわれてる、と愉快になっていた。
大分県ら同期の皆からと、お多福さんからと、そしてここで、三度目である。
「竹さんの似合いそうな仕事が、わかった」
そんなことをいわれるのは、初めてである。 膝を揃えて、神妙に耳を傾けてみよう。
「家電屋さんの店員」
もっとも向かないと思うところを指された。 しかし、皆はいたく納得している雰囲気である。
「専門的なことからひとつひとつ丁寧に説明して、ね」
うんうん。
「コンシェルジュが、あるじゃん」
嬉々として大分県が賛同する。
「懇切丁寧に説明し過ぎて、目的をわからなくさせて、どれを買ったらいいのかわからなくさせたところで」
わたしの続きに一堂が耳を向けて待つ。
「こちらがお勧めです、と一番高いのを勧める」
なるほど、それもありだね、買っちゃうかもね、と一堂は顔をあげて笑う。
わたしはいったいどこを目指しているものに見えているのか。
ふん、まあ、いい。
妄想甚だしいやつ、とまでは一部に認知されてはいるが、よもや小説なんぞをちまちま書いている、などとは、露とも思うまい。
卓をオレンジ色に照らす電灯を所在なく見上げながら、思う。
小説を書く時間のなかに、仕事をしている時間がある。
そんな感覚どころか、
仕事をしている時間のなかに、食べて寝る時間があるだけ。
という感覚しかなくなってしまっている。
やっぱり、マズイ。
一文でも二文でも、せめてそれが日記くらいのものだけだとしても、必ず書くこと。
それを何年も心掛けてきているのだが、それが三日から四日もかけて一日のことを書き繋いでいるだけで手一杯のような今の状況は、不本意極まりない。
この生活だけは、できるだけ早く改善しなくては。
奥田英朗著「ガール」
30代の働く女性たちが、社会や職場で「なにくそ」と自己のアイデンティティーを守るために奮闘する短編集。
奥田英朗は、まごうことなき「おっさん」である。
それなのに、
「なんてどストライクな女の気持ちを書き当ててしまうのだろう!」 「本当におっさんなの?」
と、阿鼻叫喚……ではなく、絶賛の嵐であるこの作品。
なぜこのタイミングなのかわからないが、来年の夏に映画化されるのである。
それほど、面白い。
奥田英朗節は好調とどまることを知らず、ぐいぐいと話に引き込んでゆく。
引き込んだ先が、働く女性たちが、必ずや出くわすだろう社会や職場での壁。 それを、ご都合主義の大団円だけでは終わらせない。
そうだよね。 そうなんだよね。 そうそう、それなんだよね!
もはや「おっさん」の一端に加わっていることを否定するのもはばかられると自覚しつつあるわたしだが、うなずきつつ、またあらためて納得させられ、気持ちよくページを繰らされてゆく。
企業ならではの派閥の壁に、男でさえ阻まれ抗しがたいところに、課長に抜擢される。そこには年輩の男性社員(生粋の旧体質)がいた。
20代は迷うことなく「ガール」でいられた。 合コン、社内サークル、メイクにファッション。 だけど30代になっても20代と同じように振る舞うのって、いったいどうなのさ、と疑問に思い始める。
シングルマザーで小学一年の息子とふたり暮らし。 事務職から営業に配属を変えて、バリバリ働きたい。だけど、周りはひとりきりで子育てがあるそんなわたしを気遣ってくれてしまう。 「子ども」を「錦の御旗」に掲げたくはない。 だけど、営業ともなれば深夜までの接待や日曜の営業。 参観日や、子どもの迎えだってある。実家は遠くて頼れない。 だけど、わたしは仕事がしたい。 学童クラブやヘルパーさんにお願いして、なんとかやってのける。 だって、やりたい仕事をやりたいんだもの。
わたしは、実際どうあれ、ひとりで全てを采配できる独り者である。 だからけじめなく、というよくない一面があるかもしれないが、夜十一時か零時まで普通に仕事、土日は意地で片方だけは「休ませてもらう」という状態のなか、伴侶だ子どもだという想像などつかない。
できれば、そうなれば、否応なしにそうせざるを得なくなる、または、するようになる、とはいうが、それは今現在をかんがみて、わたしにはかなり困難なことに思われる。
容易く「困難な」と開き直ってしまうのは卑怯かもしれないので、せめて半身くらいでとどまっているということにしよう。
そう。
男は、既婚も独身も、普段はさして変わらずお互い同じ世界で生きている。 子どもや奥さんは自分の次に位置して、それにすら自分では気付かないままでいたりする。
であるから十年振りの再会であっても、決定的な格差や変化がない限り、やがて変わらぬ旧交を取り戻せる。
しかし、女はどうも違う。
既婚、独身、子持ち、それぞれが決定的に違う世界の存在として、互いに意識的または無意識に、境界線を引っ張る。
居心地のよさは、世界の違う友人よりも、同じ世界だとわかり合える初めましてな人の方だったりする。
既婚者は、もしも独身だったら、子どもがいなかったら、と思いをはせ。 独身者は、もしも結婚していたら、子どもがいたら、と同じく目を細めてしまう。
結婚しててもしてなくても、どちらも半分はブルー。
どんな道を選んだとしても、他人を羨んでしまうもの。
女とは、難しいものなのである。
と、奥田英朗は代弁する。
今でもちゃんと頑張っている。 だから、無理してそれ以上にならなくてもいいんだよ?
そんな言葉を、感謝と我が身の反省を込めて、伝えられるようになれるだろうか?
それはわたしにとって、まだまだとらぬ狸の皮算用にしか過ぎないのである。
「彼女は、今日からもうお休みだよ。すっかり戦闘モードだね」
大森のイ氏の開口一番。
そういえば先々週、「会うの来月になりますけど」と言っていたのを思い出した。
今月末の競技ダンス東日本選手権だったかに向けて、田丸さんは猛レッスンの期間に突入したらしい。 後で聞いたが、九月の大会では準優勝したらしい。
趣味やサークルのではなく、プロの大会らしいのだから、これはもう、ひたすら「スゴい」方になろうとしているのだということである。
「それよりこの二週間の間に、ずいぶんコケたねぇ」 「コケましたか」 「コケたよ」
晩御飯ちゃんと食べてるの? 部屋に帰ってきてから、ちゃんと食べてます。 ふうん、夜中十二時前後に食べて、その前は? 昼休みにちゃんと。
「そんなんじゃ、本読んでる時間なんてないでしょう。苦痛だろうに」
昼休みにちょっと読めるくらいの時間でなんとか。 あらあら。
「朝食は、」
食べれてないよね。 その分、寝てます。
昼夜十二時に二食、と。
そんなことを、イ氏はわたしのファイルに書き付けている。 他にも、
職場変わり残業深夜。人生の岐路。
だとか、
熊野旅行、一週間。
だとか。 これまでのイ氏と交わした会話の有象無象のなかのひと言らも、書き連ねられている。
「どうしたもんかねぇ」
「そんな仕事は早く辞めろ」という医師としての意見は、飲み込んで言わないようにこらえてくれるようになっている。
「まあ、なるように自分でしてゆくしかないですからねえ」 「だけどさ、」
きみが会社の社長でもない限り、それはむりだよ。 むりですねえ。てか、社長なんてわたしにはむりですから。
「ま。出来ることは協力しますから」
イ氏は、さらりと立ち上がる。 特別に登録してあるところでないと出せないのが、イ氏のところは登録をしてある。
生活の最悪の改善が出来ない場合は、ちゃんと出してもらえるということである。 以前、安直にそれありきで、おそらくこんな生活になるだろうことを受け入れるだけのような考え方をしたのを、ピシャリと叱りつけられた。
わかってるけど、わかってるね?
出来ることは限られている。 限られていることの範囲でなんとかできる範囲の一日の過ごし方をしなさい。
折れた足の骨がくっついて、リハビリで歩けるようにするのとは残念だけど違う。 失った足の代わりに義足をつけて、そして歩けるようにしているようなものなんだからね。
3T/日が通常の毎日になっていることが、イ氏は気になってもいるのだろう。
「ひと月に何万も薬代払って無理して働かなきゃならないなんて」 「何万というまではいってません。せいぜい一枚か二枚」 「同じようなもんだよ。これでまた量が増えたまんまなら、倍だから」
財布にくるダメージも、捨て置けない。
せめて六時間睡眠。 土日は休薬。
が出来る生活を、というのが望むべき妥当な線だが、まあ無理だろう。
無理なりにその線を押し上げてゆかなければならない。 ああ、面倒臭い。
驕りなど露とも染み入る隙などない。
寧ろ、スカスカの空洞だらけの軽石、否、ヘチマのように軽く、頼りなさげなことをわきまえているほどである。
慣れ不慣れで一日の長があるくらいで、それしかない。
それしかないところを買って、先日まで出向でお世話になっていたボスの利休さんが、わたしに新たに仕事を頼んできてくれたのである。
それはかなり短期間で、勢いとはったりで、ちょちょいと見た目を整えて小綺麗にしてやればなんとかなるだろうと、わたしは胸算用して引き受けたのであった。
電話で概要を聞き、後でデータを頂き、そして締切が一週間後。
利休さんがその後すぐに外出されたらしく直接確認は出来なかったが、一週間と期限を切り、そしてそこの出来上がりのイメージは、わたしのそれと同じものを描いていたと、何の疑いもなく、信じきっていたのである。
「一週間なんかで、そんな内容が出来るわけ、ない!」
かくかくしかじかの依頼を受けました、と火田さん大分県に報告し、人手を一人だけ借りられるなら誰がいるか相談しようとした矢先である。
火田さんに一喝され、大分県も「あ〜あ」という顔をしていた。
わたしはすっかり、不思議顔である。
なぜ? なぜ出来ない?
「部品とか品番とか、全部あるの?」
部品がなければそれらしく取り繕って、こんな感じです、でよいはずである。
「設備の配管やら、そんなのうちじゃソフトがないからいれられないよ?」
正確なそれらが必要なら、わたしではなく設備部の方にそれらは依頼されるはずであり、敢えてわたしにきたということは、なんとなく、で入っていればよい、ということのはずである。
「電話とかじゃなく、もう一度直に会って内容を軽くさせてもらってきなさい。大分県と一緒に行って」
至極まっとうなことを言われているのだろう。
しかし、明らかに、わたしの感覚とずれている。
利休さんは一週間で出来る内容をわからない相手ではない。 そのさじ加減を踏まえた上で、余計なデータをわたしにも送ってよこしてはいなかった。
これだけはちょっと必要です、とさじ加減を計ってみるつもりの追加資料の要求もわたしは出してみてあった。
「何図と何図と何図と、全部もらわないと作業始められません、といってきなさい。そうしましょう」
「藪を突っついて蛇を出す」ということわざがある。
逆に、突っつくほどに蛇を藪から出すことにもなる。
これだけの情報で、しかも一週間で、といってあげてるのに、それじゃあ一週間じゃ終わらない内容をやります、と自ら言ってくるようなもの。
とも考えられる。
ちょっと待て。
そんな内容を、わたしに細かい説明もなしに利休さんが振ってくるはずなどない。 よきにはからえ、の加減がわかっているだろう、と信頼してくれているはず。
結局その日は利休さんを捕まえることができず、翌日連絡が取れ次第、伺って確認することになったのである。
そして。
「あれ、何でここにいるんですか?」
約束を取り付けた時間に合わせて社を出ようと、トイレから戻ったわたしの目線の先に、利休さんがやってきていたのである。
「来ちゃったから、こっちで打ち合わせしようよ」
うん、だからそんな感じでいいよ。そう、後でその資料は送るよ。 じゃあ、よろしくお願いします。
わたしが感じていた通りのイメージで、間違っていなかったのである。
「僕だってBIM推進開発のメンバーなんだから、一週間で出来る出来ないの内容くらいわかるし、無茶は要求しないって」
阿々と、利休さんが笑ってみせる。
そうですよねぇ。それはわたしも重々承知だと。それを敢えて、こうして確認させていただくのは逆に失礼かと。
残念なことに、火田さんも大分県も、さらには社長までも体調不良で休んでしまっていたのである。
聞かせたかった。
利休さんが前触れなしに、約束と違ってわざわざこちらに赴いたのは、それをしっかと聞かせるためだったのかもしれない。
こちらに来れば、火田さんだけでなく社長もいる。
「他の部からの仕事はどうだか知らないが、BIM云々に関して、私はあなた方より理解しているのだから、出来ないことをやらせるつもりはない。 出来高のイメージも、わざわざ会って打合せなくとも伝わって、共有してくれてるものと。 細かいことにとらわれて煩わしい手間と時間を割くのは勿体ない」
言外にそう言うつもりで来られたようにも思える。
それこそ、わたしの驕りだろうか。
ともあれ、利休さんからのお仕事はさほど重たいものではなく済ます道を改めて敷き直すことができたし。
先週末の不安もさらりと無くなったにもかかわらず。
相変わらず終電で深夜一時半にようやく我が家に到着の次第である。
晩飯を食って三時間はどうやら眠れるだろう。
……。
やむを得ないとはいえ、これが普通のこの状況は、やはり普通からみれば普通ではないのである。
ああ。 野麦峠。 である。
「東京公園」
をギンレイにて。
都内の公園で家族写真を撮っていた光司はある日、一組の母娘に目が止まりシャッターを切った。
その時、彼女の夫である初島に難癖をつけられ、さらには、「妻を尾行して欲しい」と頼まれてしまう。
天気が悪くない日はほぼ毎日、都内の公園に散歩に娘を連れて出掛けるという。 しかも行く先の公園をメールでわざわざ知らせて。
初島の妻は、光司が幼い頃に亡くした母親の面影そっくり。 しかし光司本人は気になっているのにそのことには全く気付かない鈍さ。
それを指摘したのは、光司のルームメートだったヒロの元恋人だった美憂。 元というのは、ヒロは事故で亡くなっているからだ。
しかしヒロは、幽霊となって何故か未だに光司と同居(?)を続けている。
「光司にだけ見えて、話ができるなんて不公平だ」
美憂はそう言いながら、光司(たち?)の部屋にしょっちゅう顔を出す。 美憂はさらに、光司の気付いていなかった重大なことを、知らせる。
「お姉さんは、光司のことを愛してるんだよ」
姉の美咲は、父の再婚相手の娘で、血の繋がりはない。
「だけど姉弟だから、それは許されない、って言い聞かせて、光司を弟として見守ることにしたんだよ」
ズバズバあっけらかんと光司に諭す美憂。
「お姉さんと、ちゃんと向き合って見たこと、ある?」
光司は姉の美咲をモデルに、写真を撮ることにする。
いい加減に逃げずに、ちゃんと向き合うために。
そして、初島に頼まれていた初島の妻と娘の尾行も、断る。
原作では、「奥さんが待ってるのは、初島さん。あなたが来てくれるのをずっと待ってるんです」というところなのだが、映画ではそれをはっきりと言わない。
ただ、
妻が浮気してるんじゃないかと不安になっている「格好悪い姿」を妻に見られたくない。 やけになって昼から酒を飲んでる姿なんか見せられない。 そんな「格好悪い」俺なんか、妻に合わす顔がない。
と、じたばたしてるあなたでも、奥さんは、きっと待っている。
仕事で忙しく、ついつい妻の前で肩の力を抜いて何気ないことを話し合うことを忘れ、くだらないつまらないことを格好悪いことだと決めつけていた。
「出来ない姿」が格好悪いのではなく、「出来ないと言えないこと」が格好悪いことなのだと初島は気づいてゆく。
「公園」ののどかな光のなか誰かが誰かを待っている姿は、あたたかくやさしいものなのである。
この「東京公園」は、天真爛漫、ちょっと変わった愛らしい美憂を榮倉奈々が見事に演じている。
ビタミンウォーターのCMから、わたしは好きである。
そして、光司の姉・美咲を演じているのは、小西真奈美さんなのである。
クールにも見え、しかし柴犬の仔犬のように愛くるしくもなる彼女は、わたしはやはり大好きなのである。
二人とも鹿児島出身ということで、次回のわたしの旅先は、やはり鹿児島にしよう、と決意してしまう。
わたしの旅先は、このようにして決められてゆくのである。
まずは、都内の公園もなかなかよいところが多いので、そぞろ歩きでもしながら楽しみたいものである。
「榮倉奈々や小西真奈美は、道におちてたりしませんからね」
そんなことはわかっている。
帰り道の途中どこかにそんな機会はないかともらしたのは、現実から逃避したい深夜一時の職場ならではの妄言である。
2011年10月11日(火) |
「127時間」と残り時間 |
三連休の中日。 昨日明日は休日出勤せねばならない。 貴重な休日とはいえ、昼に歯医者の予約が入っている。
用事を済ませるだけでも精一杯の日々なんぞ、とっとと過ぎ去って早く普通の日々になってもらいたいところである。
さて歯医者も済ませ、急ぎ足で向かう。
「127時間」
をギンレイにて。
独りでブルージョン・キャニオンへクライミングに向かったアーロン。 アーロンにとってブルージョンは、途中出会った観光客の女性二人を穴場へ案内したりするほど馴染みのあるところだった。
ところが。
肩幅ほどのクレバスを降りている最中に、落石に遇う。 右手をがっちりと挟まれ、身動き出来ない状況に陥ってしまったのである。
行く先は、誰にも行ってこなかった。 ビデオカメラとデジカメと、装備はわずかな水とクライミングロープと中国製の万能ナイフ。
岩をナイフで削ろうとするが、余計にのしかかってくるだけ。
五日間。
それでも、足掻いてみる。
そして、アーロンはついに、決断をするのであった。
なあに、大した作品じゃあないだろう、と高を括っていたのである。
実話に基づいた話とはいえ、娯楽作品の範疇だろう、と。
なにせ、かって気ままな行動が招いた事故の物語である。
しかし観ているうちに、次第にアーロンと感覚を共有してゆくような感覚になってくるのである。
教訓。 どこか独りで出かける(旅する)ときは、行く先と日程を誰かに伝えてゆくこと。
さて。
いっそ誰にも告げず、放浪の旅に出掛けたくなるこの頃。
月曜もつつがなく出勤し、夜分に帰宅すると、明日が日曜な気になってくる。
目覚ましのアラームをセットし忘れないよう入念に確かめる。
とにかく、感覚が覚束なくなってきている。 油断をすると、今日は休みか、今何時か、楽な妄想に流れ落ちそうになる。
わたしの目覚ましは携帯のアラームとバイブレーション(五分おきに五回)を二つと、もうひとつ協力なのがある。
聴覚が弱くなった方用の、セパレート式バイブレーター付き目覚ましである。
バイブレーターを枕の下に挟み、頭ごとブルブル震えるほどの振動で、毅然とわたしを目覚めさせようとしてくれるのである。
最近、それが効かない。
いいや、バイブレータは律儀にスヌーズ機能で十分ごとに振動してくれるのだが、無我のわたしが、巧みに無効化してしまっているようなのである。
なあに、簡単な理屈である。
枕から頭を外してしまえばいい。 普通それでも、布団を伝わる振動と振動音だけで充分に叩き起こされる威力はあるのだが、もはや今のわたしには蚊の鳴く音くらいにしか効かない。
これまでより三十分早く起きなければならなくなっただけでもなかなか調整がムツカシイのに、毎夜日付が変わるギリギリまで働かねばならないなどと不健康極まりない。
ああ。 気が付けば、今週の残された時間は「48時間」になっていた。
たとえ深夜二時帰宅でも。 三時間も寝れなくても。 会社に泊まり込みだけは、 やらいでか。
ああ……。
大森の夜はおそらく夢だった。
わたしが早く帰ったので、次は大分県も早く帰りたいのは当然である。
「じゃ、僕はお先に帰るんでよろしくお願いします」
う、うむ。
わたしは鷹揚に頷き返したのである。
わがチームの社員は大分県とわたし、そして新人の女の子がひとりいるだけで、他は派遣や外注さんばかりなのである。 当然、社員が外部の方だけを残して帰ってはならない。
もちろん、これは大分県の仕事だからわたしは関係ない、だのとふざけたことを言える立場ではない。 担当が誰々なだけで、それはチームの仕事なのである。
大分県を見送ったのが九時頃だっただろうか。
わたしは三連休を、歯医者にかこつけて一日だけ休むことにしてある。 だから、今夜是が非でもと追われているわけではなかったのである。
しかし皆さん、なかなか帰れないらしい。
しかも全員「女性」なのである。 十時を過ぎた辺りで仕事を片付けた方から、つかの間のお喋りがはじまってゆく。 そして残っていた三人目がパソコンの電源を無事落とすと、「お疲れさまでした」「お先に失礼します」と固まって退社してゆく。
独力で、徹夜連泊などあって当然の厳しい世界をくぐり抜けてきている方々とはいえ、そこは多少気にしなければならない。 しかしわたしが気を使うまでもなく、「お疲れさまでした」と送り出したのが十時半頃であった。
社内にはもう、わたしたち以外に誰も残っていない。
そう。 新人の女子が、まだまだカツカツと格闘中なのであった。
ああ……。 もう、帰りたい……。
彼女はわたしではなく大分県の仕事をしているので、わたしが出来上がりの程度を勝手に切り上げるわけにもゆかない。 彼女自身も、大分県にチェックしてもらえるところまでやり遂げなくてはならない、と腹を括っている。
それでも、終電までには帰るつもりだろう、とわたしは高をくくっていたのである。
仕方ない。 わたしも終電頃までは付き合うしかない。
高と一緒に腹もくくったのであった。
できるならば、終電前に「はいはい、今日は頑張った。後は明日以降にして帰りなさい」と、早く言ってしまいたい。
「竹さんは、連休ずっと出るんですか?」 「日曜は休む」 「私は、始発までにこれをあげて、休むつもりなんです」
「始発までには」と、確かに言った気がする。
念のため、今の時間は十一時半である。
ラスト・ワン・アワー。
それがわたしに残された終電までの時間である。
「予定があるので、それまでにやらなくちゃいけないんです」
始発。 おそらく四時半頃だろう。
ラスト・ファイブ・アワー……になんぞしてたまるか。
わたしは翌土曜も、昼から来るのである。 寝ずにやって、明日は休めばよいだろうとの意見は、受け止め難い。
六時間は、せめて寝たい。 なにせ、四時間の日々が積もり重なった金曜の夜である。
しかし、新人の女子ひとりを残して帰ってしまうのと。
新人の女子とふたりきりで朝まで仕事するのと。
どちらをとるべきか……。
ラスト・ハーフ・アワー。
日付が変わった。 わたしはすでに、ムズムズしはじめている。
「もう何度も泊まり込みで、大変なんだよ」
大分県の悲鳴がよみがえる。
「竹さんは、終電大丈夫なんですか?」 「帰るぞ、ちゃんと」
ラスト・タイム……オーバー。
しかし、置いて帰ってよいものか、ふんぎりが未だつかない。
明日九時に起きるとして、三時に寝れば六時間寝られて、ということは、二時過ぎにタクシー捕まえれば大丈夫。
よし、帰る算段はついた。
それまでに、帰る流れを作らなければならない。
チクタクチクタク。
いまどきそんな音のする時計など社内にはないが、わたしの心境を表すにちょうどよい言葉がない。
「そろそろ帰るよ」 「ちょっと待ってください!」
ようやく切り出したわたしの後の先を制したのである。 なかなかの手練れ、ではない。
「お手洗いだけ、行かせてください!」 「トイレなんぞ断らんで行けばよかろうが」 「そうじゃなくて、出たらヤですもん!」 「何がっ?」
「何もしてないのに、プリンターが動いたりするんです」
「……」
そりゃあ、動くこともあるだろう。出る出ないの話ならば、紙が出なくて困る、というなら問題だが。
「だから、後で行かなくてすむように、ちょっと待っててください」
そうして戻ってくるのをしばし待ち、
「じゃ、気を付けて帰りなさいな」
閉まるエレベーターの扉の向こうで「お疲れさまでした」と挨拶するのに片手で答え、ようやくわたしは退社したのである。
時刻は一時過ぎ。
タクシーを捕まえ揺られながら、つとつととこれを記す。
ああ……。 寝たい……。
2011年10月07日(金) |
「ちょいな人々」と「ちょい」なわたし |
萩原浩著「ちょいな人々」
萩原浩は、本当に「ちょい」な世界を描くのが抜群に上手い。 「ちょい」とは、ちょいと残念な、滑稽な人々のことである。
おっさん社員が、若い女子社員に「ジャン・レノ」に似てるなどと言われて、さらにワンマン社長のクールビズかぶれに振り回される。
脱サラしてはじめた辻占いが、スピリチュアルなんてわからないのに、たまたまカウンセリングしたのが「大当たりした」と評判になってしまう。
いじめ相談室の担当女性が、電話相談を超えて個人的に解決してゆくうちに「いじめバスターズ」として噂になってしまい、職場内で逆に「いじめ」にあってしまう。
大の阪神ファンの彼氏が結婚の申し込みにいったら、彼女の父親は大の巨人ファンで、つけたテレビは巨人阪神戦のナイター中継だった。
などなどクスリと笑わされる舞台で、しかも現実にありうるんじゃないか、という中での物語の運び方が絶妙の案配でなされているのである。
ホロリとさせるのが上手いひとは、クスリとさせるのもまた、上手い。
さて。 大森である。
月曜から本社勤務になって、ずっと終電まで残業の毎日であった。
「すまん。今夜は行かねばならないところがある」
大分県のビックリまなこが疑いの目に変わらぬうちに、振りきるようにして会社を出る。
「まじで帰るんですか?」
大分県の叫びが、うなじのあたりでツルンと滑り落ちるのを感じたような気がする。
うむ。気のせいだ。
逃げ込むように大森へ向かったのである。
「わたし、実は年内いっぱいで辞めちゃうんです」
信じがたいことを聞かされると、人間はかくも現実逃避するものなのか。
「あれれれ?」
と首を傾げたまままばたきもせず、焦点も合わないままじっと彼女の顔を見ているわたしに、さらに続ける。
「ダンスに専念しようと思って」
わたしはさらにキョトン。
田丸さんがダンスをやっているのは知っていたが、それはつまり、「習っている」だけなのだと思っていたのである。
いいや違った。
「教えて」いる方の方でもあったのである。
「大会も近くて」
昨年も大会に参加した話は聞いている。しかし今回の大会は、何やらクラス昇格のかかった重要な大会らしい。 ダンスを生業としてやってゆくのに、資格としてのそれは必要なのだろう。
会えなくなるのはさびしいなぁ、と漏らしたわたしに、彼女は答えたのである。
「竹さんが来る日になると、ざわざわ落ち着かないんですよ?」
お?
「あ、みんなが。事務のみんなも」
大ヒット上映中の「モテ期」到来か? しかも後付けで「みんな」とは、なかなかもしかすると、いや、せめて、「みんな」のなかにひとりぐらいいてくれたりするのでは。
「イ氏が「竹さんから連絡はまだかな? そろそろ来そうなハズなんだけど」って聞きに来たり、毎回ソワソワしてるんですよ」
ああ。 それでは、みなさん落ち着かないのは当然だろう。
だいたい二週間毎の木曜と決まっているのだから、毎回帰りに予約してゆけばよいのだろう。 しかし、なかなかその保証はもてないのである。
それより、田丸さんがザワとも感じてくれていたりしてないのかと、気になってしまう。
「スタジオで待ってますから、会社帰りでも、いつでも来てくださいね?」
おお?
「夜十時までやってるし、靴もあるので、手ぶらで大丈夫ですから!」
「無料体験! 見学歓迎! 場所はコチラ!」
田丸さんが講師をしているダンススタジオの案内を、くれたのである。 場所は通勤経路からすぐ寄れる駅にあった。しかも、会社よりわが家の方に近い。
わたしは、、映画「shall we dance?」の役所広司さんの姿が頭に浮かんだのである。
駅のホームから見えるスタジオの窓辺にたたずむ草刈民代。 それをホームから、ぽおっと見上げている役所広司。 気付けば入学していて、大会に出たりして、そしてラストダンスに、
「shall we dance?」
「SAVE THE LAST DANCE FOR ME」が流れはじめる。
これではわたしも、すっかり「ちょいな人々」のひとりである。
「営業もしなくちゃなんないし、彼女も必死だよ」
イ氏はさらに続けた。
「彼女はシンデレラだからさぁ」
よもや、ここの皆さんにいびられ、コキつかわれ、涙に頬を濡らす日々が続いていたのか、とよからぬことを想像してしまった。
そんなハズは、ない。
「八時半になったら、ピュ〜っと急いで帰っちゃうからねぇ」
なるほど、やはりそういう意味か、と安堵する。
「30日に大会らしいんだけど、僕は応援に行けないなぁ」
イ氏が、ポツリとこぼす。 会場は、後楽園ホールらしい。
「よかったら、応援に来てください!」
はい。 行きます。
とは、安易に答えられないのである。 どうかせめてその日だけでも、仕事を休めるような采配を。
「それと、竹さんの書いた小説を読みたいです」
あわわわ……。
「読んでみたい」から「読みたい」に変わってしまっている。 待たせれば待たせるだけ期待のハードルが上がってゆくのは必然の理である。
「ええっ。四時間くらいしか寝てないって?」
まだ月曜に本社に戻ってからの三日間しか経っていないが、この先も来週末まではほぼ確実に深夜一時帰宅の日々が続く。
「ああっ。その先は言わんでもわかってますので」
イ氏の言わんとすることは重々わかっている。
そんななかなので、携帯を開いていても頭は何かを思い浮かべることを拒否してしまっているのである。
今しばらく、待っていて欲しいものなのである。
「ちょい」なわたしの「ちょい」な日常に戻るまで。
2011年10月01日(土) |
「家族X」「アンダーグラウンド」 |
「家族X」
を渋谷ユーロスペースにて。
南果歩主演。 路子は専業主婦で、毎朝毎晩、夫の健一とひとり息子の宏明のために食事を作る。 ランチョンマットのわずかなズレも許せず、何度も整える。
宏明はフリーターで夜勤の仕事ばかりを選び、そして食事にまともに手をつけることはなく、早朝に帰宅し、午後に出てゆく毎日。
健一は職場で窓際族のような扱いで、それでも職場で最後のひとりになるまでデスクに座り、喫茶店でさらに遅くまで時間を潰してから深夜に帰宅。
路子は、それでも毎日々々、食事を作り続け、そして棄て続ける。
新興住宅地の中の一戸建てで、幸せなはずの我が家でなければ、周囲から浮いてしまう。
見えない重圧。 自らの重圧。
いるはずの家族が、まったく見えない日々。
孤独と重圧――。
夕飯の食材を買いにきたスーパーで、衝動的に惣菜、弁当、菓子を買い漁り、夢中でそれら全てを食べ尽くす。
とめられない。
誰にも食べてもらえない食事をきちんと作って、そして棄てて。
作らなくても、こんなに食べる物は、ある。
食べる食べる食べる。
そして、吐き出す――。
冷蔵庫の中が、全て腐って真っ黒のドロドロになる。
近所付き合いで購入したウォーターサーバーのタンクの中が、藻だらけで腐って淀んだ色になる。
ベランダの植物は全て枯れ果ててカサカサになっている。
それでも路子は、ロールキャベツを作る。 出来上がったロールキャベツを自分ひとりだけの皿に取り分ける。
そして。
素手で握り締める。 投げつける。 皿を、鍋を、ひっくり返す。
そのまま家を飛び出してゆく――。
孤独。 居場所のなさ。
夫の健一も、居場所がなかった。 息子の宏明も、居場所がなかった。
それぞれの居場所のなさと向き合わされて暮らしている日々の中、ふたりの唯一の居場所だった家が、路子にとっては居場所のない家になっていた。
主婦が常に抱える孤独。
子どもがいようが、近所付き合いがあろうが、家族が応えなければそれは日増しにつのってゆくばかり。
南果歩の演じる姿が、胸にグッと、いや、喉元をジリジリと締め付ける。
世の中の旦那様がた。
疲れてる、話すことはない、俺だって自分の時間が欲しい、その気持ちはわかる。
しかし、そこにいるはずなのに、まるでいないかのようにされる疎外感、孤独感は、いったいどれだけの傷をつけているか、想像してみよう。
わたしもかつての相方のお宅で、家にいるのと同じつもりでパソコンを借りてネットを漂っていたときに、本気で怒られたことがあった。
食後の、日課のようにこなしていたことだったし、今夜すぐ帰らねばならないわけでもないし、くつろいでるとわかってもらえるだろうし、と。
そんなのと、毎日一緒に暮らしている夫婦とを比べてくれるな、と思うだろう。
その通り。
そんなのと比べものにならないくらい、毎日一緒に暮らしている夫婦の方が、つけられる傷は深く、癒すのが難しい。
昔は、テレビばかり観て会話が上の空、ということがどこの夫婦にもあった。
今は、携帯・パソコン。 「ながら」がまだゆるされたテレビと違い、携帯、パソコンは、それができない。
いや、できている。
という方がいたら、わたしはお目にかかりたい。
テレビなら、優先順位を会話に傾けることは容易い。 何もしなくても向こうから流れてくるだけだから。
しかし、携帯・パソコンは、自らがまず何かを働き掛ける行為ありきのものである。 だから、「ながら」で会話が一番目に、携帯・パソコンは二番目に、などとできるわけがない。
であるから、わたしはここで言っておかなければならない。
わたしの場合の携帯は、ゲームだとか調べものだとか以外、区切りがつくまでは、チラチラ文字変換の確認をしつつ、プチプチとボタンを繰りながらの会話を束の間辛抱してもらいたい。
とはいうものの、この言葉を届ける相手がわたしにはいないのが、とても残念なところである。
サービスデー二本目の作品。
「アンダーグラウンド」
をシアターN渋谷にて。
「昔、ある所に国があった――」
1941年戦禍のベオグラード(旧ユーゴスラビア)を逃れ、地下に潜って暮らしていた人々がいた。 50年間ずっと、未だ第二次大戦が終わらずにいると信じ込んで。
作品自体は1995年にカンヌでパルムドールを受賞した作品である。
上映時間はほぼ三時間。 レビューをいくつかみてから、期待を込めて、この作品だけは観ようと決めていた。
なんと言えばよいのだろう。
期待は裏切られたようにみえて、結果的に、観てよかった、と思わされてしまった作品であった。
ナチス侵攻下のベオグラード。 パルチザンの義賊で詩人で共産党員のマルコは、元電気工のクロを党に入党させる。 パルチザン狩りが進むなか、マルコはクロの一族郎党を地下に避難させる。そしてそこで武器の密造をさせ、マルコはそれをつかってチトー大統領の側近へとのぼり詰めてゆく。
しかしマルコは、地下のクロたちにナチとの戦争はまだ続いている。 チトー元帥がお前に、「最後の切り札」として期待している、と地下に潜伏させ続ける。
一方、マルコはクロのことを、地上では尊い犠牲者として英雄死させ、そんなクロの映画製作まで進めていた。
しかしやがて、そんな欺瞞にマルコは耐えきれなくなり、クロを含め、地下の皆をダイナマイトで地上の建物ごと爆破してしまおうとする。
そのドサクサに紛れ、クロは地下で生まれた息子のヨヴァンと共に、地上出て祖国のためにナチを掃討してやろうと手榴弾と銃を持って抜け出てしまう。
地上に出た場所は、「英雄クロ」の映画撮影の現場だった。 そうとは知らず、まさにナチの制服だらけの真っ只中に出てしまったクロとヨヴァンは、撮影班を虐殺してしまう。
ドナウ河で生まれてはじめて太陽を見て感動するヨヴァン。
そこに映画撮影班虐殺犯の追跡にきたヘリコプターに銃撃されてしまう。
そして世界ではチトー大統領の死によって、またユーゴスラビアは混乱に包まれてゆく。
1992年、クロたちとは別に偶然地下から抜け出していた実の弟イヴァンはベルリンの精神病院にいた。 医師から「ユーゴはもうない。大戦もとっくに終わっている。今は旧ユーゴは内戦の真っ最中だ。兄のマルコは武器商人として国際指名手配されている」と真実を打ち明けられる。
混乱と失意のもとに、イヴァンはマンホールから再び地下世界に帰ってゆく。 そこには、かつてパルチザンが作り上げたヨーロッパ全土を結ぶ巨大地下通路があり、難民、国連軍が行き来していた。
イヴァンは激しい内戦中の旧ユーゴに辿り着く。 そこで、まさに武器密売の交渉を済ませた兄マルコと出会い、木切れで怒りをぶつけるまま殴り続ける。
気を失ったマルコを殴り殺してしまったと思ったイヴァンは、瓦礫化した教会で、首をつって罪を償う。
マルコは意識を取り戻すも兵に捕まってしまう。 指揮官に処分を無線で伺う。
「武器商人など銃殺してしまえ」
即座に引き金がひかれる。 指揮官とは、生き残っていたクロだった。
身元確認のパスポートでマルコだとわかったクロは、失意に暮れ、かつて50年暮らしていた地下室を訪れる。
爆破のあとでまだ残っていた井戸から、息子ヨヴァンの「パパ」と呼ぶ声が聞こえてくる。
呼ばれるまま、井戸へ。
井戸はドナウ河に繋がっていた。
その岸辺では、一族皆が揃ってヨヴァンの結婚パーティーの真っ最中だった。
そこへ、親友マルコもやってくる。
気まずそうに、だが握手を求め、クロも迷わず握り返す。
「許そう。だが、忘れないからな」
皆が陽気な音楽に合わせて踊りだす。
その岸辺はゆっくりと切り離され、自由な海へと漂ってゆく。
「わたしたちは、この先伝えなければならない。
昔、ある所に国があった――。」
イヴァンが、最後に語りかける。
最後のこのひと言を聞かされただけで、三時間の陽気なジプシー音楽にのせられたおちゃらけやドタバタを、一蹴するように締めくくる。
歴史のことだけではなく、まさに現在進行しているユーゴ内戦を作品内に描いていた。
国連軍の兵士がクロに所属部隊を尋ねると、
「我らの「国」だ」
と答える。
民族だのなんだのということより、「国」を取り戻すために戦う。
正義がどちらかだとか、それぞれに言い分や正当性はあるかもしれない。
しかし最後のひと言が予想外に重く響き、三時間の作品として説得力を感じさせられてしまった。
サービスデーでなければ、おそらく選ばなかった作品かもしれないが。
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